2019年12月30日月曜日

№1270  小つごもり


  今日は小つごもり、明日は大つごもりだ。こんな言葉は最近は聞き慣れぬコトバになったようだ。つごもりとは、月の終わりの三十日の意味なので、みそかと(晦日)とも言う。私は、小さい頃は、商売人の子だったので、「明日は晦日だから集金の手伝いがあるよ。遊ばずに帰ってきなさいよ」と、仕事をさせられたので、「ああ、また犬に吠えられるなあ」ということで、晦日は大嫌いな日だった。一年の終わりは、それに大小がついた。もう年寄りも使わぬコトバになってしまったようだ。

 正月の3が日は、母屋(息子夫婦と孫1人)で一緒に祝っているので、お節は私が黒豆と野菜中心のものをこしらえている。嫁が「お義母さんの黒豆は美味しいので、黒豆だけお願いします」と言ってくれたが、嫁も忙しい身、まだ作れると思ったので例年通りのものを作ることにした。全部で10種類程になるのだが、作り慣れたものなので大丈夫だ。ただ、何をするにも一服しながらの作業なので、今年は小つごもりからかかることにした。目の離せない黒豆は、もう出来あがっている。煮汁をたっぷりにして甘味を控えてある。温める度に、味にコクが出てきて美味しくなる。
 黒豆を炊いている間に、台所の整理と掃除も出来た。戸棚の中の使っていないものが幾つかあって捨てたいのだが、けっこうお金を出しているものばかりなので捨てきれない。例えば食品を真空パックにする機械など、TVショッピングで購入したものだが、そんな手間暇かけて真空にせずとも大丈夫なのだ。こうした道具は、一旦仕舞い込んだら最後、なかなか出して使う気にならない、というより、そんなものがあることも忘れて?しまっている。


 考えてみると、無駄な買い物は、随分している。お金が貯まらないのも無理はない。もう身辺整理、シュウカツ時代、来年こそは、無駄遣いせず、つつましい年金暮らしに明け暮れることを目標にせなあかんなあと、健気な思いの一日でした。 

2019年12月9日月曜日

№1269  12月8日


  私は北海道帯広市に住んでいた小学5年生の1941年(昭和16年)128日、あの太平洋戦争がはじまった。
8日の当日は、威勢のいい軍艦マーチ、あとに続く臨時ニュースに、家族も家業の手伝いをしてくれていた工員さんも仕事を放り出してラジオにかじりついて、真珠湾攻撃の大勝利に酔いしれていた。寒い日で、部屋のストーブの煙突が半分赤くなるほど、燃やしていたので、その煙突のそばでラジオを聞いていた私は、新しい毛糸のセーターの背中が焦げて煙が出てきて慌てたのを憶えている。

資源のない日本だ。勝利に酔いしれる日は、長くは続かなかった。鍋釜にいたるまでの鉄製品の没収、学校の二宮金次郎の銅像も、セメンに代り、食糧の配給、遅配、と国民の食生活も追い込まれていった。そんな時代を生き抜くために、貧しい、今なら喉の通らないような不味い食べ物、それも、お腹いっぱいは食べられず、空腹を抱えて生き抜いてきた。家を焼かれ、家族を失っても、歯を食いしばって頑張った。

やっと戦争が終わっても、暫く苦しみは続いたが、何はなくても平和な暮らしはありがたかった。この70余年、平和憲法のおかげで、戦争の無い国として、戦争に巻き込まれることのない国として、私たちは暮らしている。平和であったからこそ、このように立派に復興出来たのだ。戦争ほど悲惨なものはない。

しかし、戦争の恐ろしさ、馬鹿らしさを骨身に沁み込んでいる私たち年代の者は、数少なくなってきた。平和憲法だけは、何としても守っていきたいものである。
 
 

2019年12月6日金曜日

№1268  事件に思う


  アフガニスタン東部で、恵まれない人々のために働いていた医師の中村哲さんが銃撃で死亡したことを受け、現地で追悼集会が行われたほか、国際社会にも悲しみと怒りが広がっています。

こんなとき、〝この世には、神も仏もないのか〟、という思いに駆られた人はたくさんいらっしゃったと思います。神仏がいらっしゃって助けて下さるのであれば、こうした多くの悲劇は、この世から亡くなるはずですが、一向になくなりません。(神仏を否定しているのではありません)

多くの方々は、神仏を敬い拝みます。「どうか、家族が幸せに暮らせますように」とお願いしながら祈るでしょう。

でも、そんなお願いを神仏が聞き入れて下さるのであれば、世の中は平和です。祈りとは、お願いではなく【誓い】だと思うのです。神仏が居ても居なくても、自分の心の中で誓うことだと思うのです。お願いと誓いは違います。

元日には、多くの方がお参りに出掛ける事でしょう。お願いを否定はしませんが、神様の前で、「今年一年は、○○を頑張ります、△△のために頑張ります」と誓ってほしいものです。神仏の前で誓った以上は、頑張らなくてはいけませんよねえ……。

 

2019年12月2日月曜日

№1267 はや12月……


  昔は12月になると、「ボーナスが入って来る」という喜びがあったが、今はそんな楽しみはなく、ただただ「ああ、月日のたつのは早いなあ」という思いと、年賀状は、今年で最後にしようかな、どうしようかな」という迷いと、「身辺整理が出来なかったなあ」という反省が頭の中をよぎって行く。

 年賀状は、一年ぶりの友人知人から頂くのは楽しみの一つなのだが、相手さんは、どう思っていらっしゃるか? がわからない。

なかなかふんぎりがつかない。そのうち、書きたくてもかけなくなるだろうから、それまでは書こうか、とも思ってしまう。

 身辺整理は、やりはじめるとなかなか進まない。大量の写真などは、写真帳から剥がすことからはじめたが、剥がしながら、捨てるものを選ぶのにまた時間がかかる。思い出がよみがえってくるものだから、一向にすすまない。おまけに新しい写真も増えて来る。

それにしても、幾つになっても師走というのは心忙しいものだ。早めに年末年始に備えて計画的に片付けて行きたいものである。