今日は小つごもり、明日は大つごもりだ。こんな言葉は最近は聞き慣れぬコトバになったようだ。つごもりとは、月の終わりの三十日の意味なので、みそかと(晦日)とも言う。私は、小さい頃は、商売人の子だったので、「明日は晦日だから集金の手伝いがあるよ。遊ばずに帰ってきなさいよ」と、仕事をさせられたので、「ああ、また犬に吠えられるなあ」ということで、晦日は大嫌いな日だった。一年の終わりは、それに大小がついた。もう年寄りも使わぬコトバになってしまったようだ。
正月の3が日は、母屋(息子夫婦と孫1人)で一緒に祝っているので、お節は私が黒豆と野菜中心のものをこしらえている。嫁が「お義母さんの黒豆は美味しいので、黒豆だけお願いします」と言ってくれたが、嫁も忙しい身、まだ作れると思ったので例年通りのものを作ることにした。全部で10種類程になるのだが、作り慣れたものなので大丈夫だ。ただ、何をするにも一服しながらの作業なので、今年は小つごもりからかかることにした。目の離せない黒豆は、もう出来あがっている。煮汁をたっぷりにして甘味を控えてある。温める度に、味にコクが出てきて美味しくなる。
黒豆を炊いている間に、台所の整理と掃除も出来た。戸棚の中の使っていないものが幾つかあって捨てたいのだが、けっこうお金を出しているものばかりなので捨てきれない。例えば食品を真空パックにする機械など、TVショッピングで購入したものだが、そんな手間暇かけて真空にせずとも大丈夫なのだ。こうした道具は、一旦仕舞い込んだら最後、なかなか出して使う気にならない、というより、そんなものがあることも忘れて?しまっている。
黒豆を炊いている間に、台所の整理と掃除も出来た。戸棚の中の使っていないものが幾つかあって捨てたいのだが、けっこうお金を出しているものばかりなので捨てきれない。例えば食品を真空パックにする機械など、TVショッピングで購入したものだが、そんな手間暇かけて真空にせずとも大丈夫なのだ。こうした道具は、一旦仕舞い込んだら最後、なかなか出して使う気にならない、というより、そんなものがあることも忘れて?しまっている。
考えてみると、無駄な買い物は、随分している。お金が貯まらないのも無理はない。もう身辺整理、シュウカツ時代、来年こそは、無駄遣いせず、つつましい年金暮らしに明け暮れることを目標にせなあかんなあと、健気な思いの一日でした。