2014年6月29日日曜日

ボーッとしています


土曜・日曜と、大きな行事が終わってホッとしています。いや、ボーッかしら。

土曜日の友の会の出席者は、昨年よりⅠ名少ない30名となり、その日の早朝まで、取り消しがあったりしたものの、無事に予定通り、アクシデントもなく終えました。皆さん、来年の再会を楽しみにしてお別れをしました。

県外からのお泊りの方のお付き合いで、世話人6人ほどが宿泊。私は翌日のこともあったので、夜の夕食を共にして、8時すぎに失礼して帰らせて頂きました。

このトシになりますと、一年という重みは消しがたく、昨年の酒量を上回ることはありませんでした。(^^)

また、昨年は舞台の上に飛び上がったり、走ることも出来た方が、杖を突かれていたり、目がみえにくくなっていらしたり、それなりに体調の変化もありましたが、それでも皆さんとても明るくて、笑いが絶えなかったのです。嬉しいことでした。

さて今日の演劇フェスティバルは、プロンプターの私の出番は、少なく、大きな拍手をいただいて、まあまあの出来栄えだったと思います。両肩の荷を下ろすことができました。いざとなれば、度胸も出るのがシニアです。

演劇というものは、皆が心を一つにして目標に向かうという、とても素敵な集団ができあがっていくもので、足を踏み入れますと、なかなか抜けられない『ヤクザ』の世界のようなものかもしれません。()

演出の浅香先生、本当に気長にご指導いただいて、ありがとうございました。

舞台に上がった役者の皆さん、素人の書いた台本を、しかも長い台詞を憶えて熱演してくださって、ありがとうございました。

そしてお忙しい中、【文化の森】というかなり交通の不便な地におこし頂き観てくださった皆様、ありがとうございました。今後とも、よろしくご指導お願いいたします。m(_ _)m ホッ。

 

2014年6月27日金曜日

シルバー川柳 2 その4

☆減っていく ヒザ軟骨と 預金額

どうしようもありませんねえ。貯金通帳の額が減っていくのはいいですよ。持ってあっちには逝けませんから。お国のためにも、しっかり使ってください。軟骨の方は傷みが伴いますものねえ。あまり歩き過ぎるといけないそうですから、運動もほどほどにいたしましょう。

☆シルバーが ジルバ踊って 救急車

あらあら。すってんころりなさったのかしら。ジルバなんかおやめなさい。ウインナーワルツでも踊ってなさいまし。えっ、目が回って転ぶ? 困りましたねえ。じゃあ、しっかりお相手につかまって、チークになさいましね。

☆お釣りだけ 確かめ品物 置いて来る

不親切なお店ねえ。帰りかけたら、必ず、「あ、お忘れ物です」って、いつも言ってくれますわよ、私の行くお店なんか。

☆目ん玉も はずしてみせてと せがまれる

孫やひ孫の前で、ゆめゆめ入れ歯などはずしてはなりません。

☆茶菓子買い 掃除しヘルパー 待つ父さん

いいお父さんですこと。ヘルパーさんも、きっと感謝していますよ。年寄ると、話し相手してくださるのが何よりなんですよね。

☆「アーンして」 むかしラブラブ いま介護

初めと終わりの帳尻があっています。幸せなご夫婦です。

☆厚化粧 笑う亭主は 薄毛症

たしかにトシ寄っての厚化粧は笑いが込み上げてきます。粉の吹いた干し柿のような顔。とてもユーモアがありますよね。笑って当然。その笑っている亭主は、薄毛症ですか。これも笑っていいとも。ふふふっ。

☆オーイお茶 ハーイと缶が 転がされ

こんなご夫婦をツーカーというのでしょうね。「オーイ銭」って言ったら「ハーイ」と財布が転がってくるでしょう。ためしてみてください。

☆腹八分 残した二分で 薬飲む

薬でお腹がおきるという方もおられますから、まだまだ大丈夫。そのうち、腹七分、腹六分となっていきませんよう、お気をつけください。

2014年6月26日木曜日

パチンコなら……


このブログ、今日は777回目。パチンコ台に、こんな数字が並ぶと、アナが開いて玉がどーっと出てくるらしい。パチンコ通の言うには、【フィーバー】とか言うそうだ。だからといって、ここで大騒ぎしたくはないし、そんな話題もない。(笑)

それどころか、最近は、バテへんかしらと、自分ながら身を案じるほど、時間に追われている。先週末から、毎日が演劇の練習日。土日は3時から、平日は7時半から、夜の10時近くまで、練習が続く。今回は舞台に立つわけではないが、台本を手がけている関係で、遅れてくる人、休む人の代役もあったり、出演する方からの質問があったり、プロンプターの役をしたりと、結構忙しい。先生の演出も見逃せない。

家に居る時は、雑用が次々と出てくる。3度の食事は無論だが、明後日は、同級生の年一度の『友の会』の集まりだ。同級生120数名であったが、もう希望者だけを募って【友の会】というように縮小したおかげで、3年前より、ぐっと仕事は楽になっている。

会員54名への通知を出し、出席者33名。その出席の取りまとめやら、出席者名簿だ、日程表だ、欠席者近況報告の印刷、と、当日手渡す資料などの準備。(もうこれは先週何人かにお手伝い頂いて完了。その後の出席取り消し者2名。まだ増えるやもしれない)

ちなみに、私が事務局の一員というのは、パソコンをしていることにほかならない。この頭の悪い私より、ずっと成績優秀な男女が山ほどいたというのにだ。殆どが教員だったのだが、パソコンをいじくる必要がなかった時代の教員なのだ。そんなことは、若い先生にまかしといたらよかったのだ。私のように、退職してから、面白半分にやりだしたように、はじめたら世界が広がるのに、それをしなかった。いつも私は言う。「今からでも遅くないから、この私が出来たのだから、あんたらはすぐ出来る」と。でも、だれもやろうとしないのだ。(><

また、藍住文芸協会の事務局を引き受けているものだから、会費を送ってくる方への領収書送。事務局に送呈される詩・俳句の冊子、随筆本に目を通しての礼状、7月初旬に出す、文芸便り30号作り、10月に出版する『あいずみ文芸』9号の原稿の受付、何だか気がつけば日が変わっていることが続いている。

しかし、時間的に言うと、四六時中忙しいわけではない。まとめてしたら、そんなに時間のかかるものではない。だが、トシのせいで続けられないのだ。何かしたら目が痛くなる、なんぞ続けていたら、腰が痛くなって中止、といった具合なのだ。腰を伸ばすストレッチをしたり、足のふくらはぎ揉んだり、外に出て買い物に行ったりするのだ。TVは食事中、必ず付けて見ている。朝など見入ってしまって、気が付いたらゴミをだす時間が過ぎていたりして、大慌てすることもある。

そんな具合で、忙しそうに見えるというだけの毎日なのだが、何と言っても、『嫌いなことはしていない。好きなことだけやっている』ということが基本なので、何とか続けられているのだろう。

なにやら愚痴みたいだが、愚痴ではない。最近思うに、「なんでもいい。好きなことにのめり込んでいる間は、何とかカラ元気が出せるものだと思えだした。

 

 

2014年6月25日水曜日

年金その月暮らし


年金生活になって久しい。2か月に一度の年金だから、頂いた年金を2で割ったものが1か月の生活費ということになる。

夫は、お金を貯める、といつたことは、恥とでも思っていたのか、まつたく関心がなかった人なので、後先の考えもなく使うものだから、私としては、やりくりに苦労をしたものだ。そういうこともあって、どんなに年金が減らされても、あまり心配はしていない。手元のお金で1か月暮らせと言われたら、それだけの生活をしたらいいだけだ。豆腐が買えなければ、おからを食べて辛抱できる人種なのだ。食べ物にお金をかける趣味もないし、贅沢をしたいとも思わない。むしろ、贅沢は敵だ、という戦時中に叩きこまれた精神が、まだ生きている。

ただ、今のところ、我が国は有難いことに、長生きしても、年金は○歳まで、というような話はないので、一応死ぬまで頂けると思っているので、葬式代くらいは残しても、老後のために、などと、今更貯金するつもりはないし、万一病気になっても、年金で賄える手当をしていただくだけで十分と心得ている。

ただ、『貧すれば鈍する』になっては困る。ボロは着てても心は錦……とも思ってはいないが、ケチに暮らしているわけではない。高くても、今は地元のお米より被災地のお米を買う。必要とあれば、寄付もする。身の丈に合ったことしか出来ないが、足元の小さなことでも、お役に立てることはしたいと思っている。小さなことであっても、だれかのお役に立てると言うことは、幸せなことなのだ。

徳島県出身の松下照美さんは、ケニアで恵まれない子供たちのために、中心になって身を粉にして不便な生活をしながら頑張っている。私にはとても出来なすいことで、ただただ感心するばかり。わずかでも、応援したいと思って、「モヨ・チルドレン・センターを支える会」の賛助会員として、毎年年間3.000円の会費を送らせてもらっている。(正会員 1万円)こうした小さなことも、自分のためにしているようなもので、当然受け取る年金であっても、働かずして年金を頂くことへの感謝の気持ちもあってのことだ。

考えてみると、「若い時の苦労は買ってでもせよ』というのは、ある意味では、間違ってはいない。インフレ時代に職に着いたものだから、1か月の給料で、革靴1足が買えなかった。副業の収入のある方は、よかったが、給料だけの生活というのは、大変な時代がかなり続いたのだが、そうした苦しかったことも、決して無駄ではなかった。まあまあの生活で、十分幸せと思えるし、自分よりも、家族の幸せを願うことが、生き甲斐になるということも身についた。時代は違っても、若い方たちが、生活に苦労していることも、昔の自分と重ね合わせる優しさも育てられた。有難いことである。

*「モヨ・チルドレン・センターを支える会」只今会員募集中

会費/寄付受付先(日本の振り込み先)口座名 モヨ・チルドレン・センターを支える会 代表者 富塚政生 口座番号 01660-1-73996 

 

2014年6月23日月曜日

シルバー川柳 2 その3


昨日は、Tさんの文学関係の祝賀会でした。久しぶりに、何人かの懐かしいお顔にお目にかかりました。それなりに、皆さん、お年を召しておりましたが、「まあ、いっちょも変わってないなあ」と。お互いにお上手を申しているわけではありません。お元気そうな笑顔なので、安心しているのです。皆さん、ハートはいつまでも若々しい方たちばかりなのです。シルバー川柳など、他人事かもしれませんけどね。

☆診察日 避けて旅程を 組む苦労

ま、旅行が出来るくらいです。診察日飛ばしても、どーってことないでしょう。これからの日本は、老人に潰されそうなんです。出来ることなら、病院通いは、絞り込みませんか。

☆虫歯なし あたりまえだろ 総入歯

総入歯って見た目は美しい歯ですねえ。私のように、お行儀のわるい歯並びのものにとりましては、羨ましい。でも、それなりの苦しみもあるそうで、胡麻つぶひとつ挟まっても痛いとか。でも、人様の前で、入歯外して湯のみの中で歯を洗ったりはなさらないでくださいね。あ、それから、歯ぐきが痩せたら、きちんと作り変えるなり、何らかの処置してください。詩吟の大会で、入歯が舞台の上に飛び出したお爺ちゃんがおられました。こんなとき、見ている方は、非常に苦しい思いをします。笑いを堪えるって、大変なんですよ。

☆遺言を ほのめかしたら いい嫁に

死んだ後のことより、今が大切。しっかりと可愛がってあげてください。我が娘と思ったらいいのです。

☆オレオレの 詐欺もお手上げ 遠い耳

オレオレなんてかかってきたら、「ああ、裕次郎かい?」と、言ったみてください。「ああそうだよ」なんて言ったら、「あの世にも、携帯電話があるんかい?」と。  続く

 

 

2014年6月22日日曜日

シルバー川柳 2 その2


☆注目を 一身に受け 餅食べる

そんなに注目されたら、喉、通るものも通りませんよね。そっとしておいてくださいな。しかし、年寄りゆうもんは、いつも詰まらさんように、こぼさんようにと思っていても、ままならないものです。そうそう、私の知人の旦那様は、パンを喉に詰まらせて亡くなりました。餅だけじゃありません。こんなこと書いたら、パンのときも、注目されそうね。

50年かかって 鍋と蓋が合う

よかったよかった。最後に合えばいいんですよ。どちらかが死ぬまで合わない夫婦はたくさんありますからね。

☆アイドルの還暦をみて 老いを知る

だれしも平等にあたえられるものは、老いと死ですからねえ。ちょっとばかり早いか遅いかの違いなんです。それにしても、昔の顔と比較されるのは、アイドルでなくてもいやですねえ。

☆手遅れの 人で混みあう 美人の湯

オトコはんは、ドライフラワーの美しさが分らんらしい。しわしわの顔だって、味のある顔、ようけおりますでよ。

☆立ちあがれ 日本じゃなくて 足と腰

国の心配どころじゃござんせんよね。我が足腰の心配が先であります。

☆異性の目 シルバーパスを出しそびれ

あらあら、最近は、年寄りがモテますんよ。若いお嫁さんもらっている芸人さん、ようけおりますがな。これからですよ。

☆危ないと 孫に注意し 転ぶ祖母

ヒトのことよりまず自分、ですよ。

☆突然に 医者が優しく なる不安

分かります分かります。意味は違いますが、夫が突然優しくなったときも、不安になります。

☆今日もまた 雨戸を開いて 無事知らせ

いいことですねえ。あ、黄色い旗を出すという方法もありますよ。何たって、あのあと、何日もほったらかされたら、困りますものねえ。

☆お出かけは 歯科外科内科 耳鼻眼科

いらっしゃいますよ、医療費1割負担の方の中には。これが3割負担になりますと、少し減るはず。年金は減りましたし、あまり飲まない薬まで買うことないですからね。

 

 

2014年6月20日金曜日

シルバー川柳2 その1


以前、シルバー川柳の1巻がでて、このブログで紹介いたしました。第2、第3巻がでていますので、その一部を紹介していきたいと思います。

☆お辞儀して 共によろけるクラス会

おっとっとっと。転んじゃいけませんよ。恥も外聞もございません。転びそうになったときは、何にでもしがみついてくださいね。

あ、私も、この月末の土曜日は、同級生33名があつまります。よろけぬよう、ふんばってまいります。

☆物忘れ 昔からだと負け惜しみ

負け惜しみじゃありません。本当に昔からなんですよ、私は。

☆古希過ぎりゃ 嫉妬もされぬ朝帰り

そんなことござんせん。古希すぎても、米寿すぎても、女はヤキモチが好きなんです。愛されてるん?

☆聞き取れず 隣に習って 空笑い

なんとなく分かります。ひとり聞き直しなんか、出来ませんものねえ。そのうちに、地獄耳って言われるようになりそう。

☆バラに似て 妻も花散り トゲ残し

痛いトゲ、何とか抜いてさしあげてください。 あ、無理ですか。 それはお気の毒さま。自業自得じゃありませんか? 女にトゲなど、もともとございませんけどねえ。お気をつけてください。

☆定年で 田舎戻れば まだ若手

そうそう。これからですよ。定年なんてわくわくしなかせら迎えて田舎に帰ってきてね。長生きできますよ。

☆その昔 恐竜みたかと 問う曾孫

曾孫から見たお爺ちゃんなんて、恐竜時代の人間なんだよね。チクショウ!

☆妬ましや 妻の犬への 言葉がけ

犬ほどでなくてもいいから、優しいコトバをかけてあげてくださいな、奥様。

☆定年にエプロン貰い嫌な予感

定年後の生活態度によって、健康寿命がのびるか、縮まるかの分かれ道。こまめに指先使って大根刻んだりするのって、身体にいいのよね。私も、定年した夫に言いました。すると「そんなありがたいことなら、お前一人にさせたるけん、わしの分まで長生きしてくれや」という返事でした。

2014年6月19日木曜日

お腹がグー


ある友人が、「お腹がグーッと鳴って困るといいました。音楽会などの、シーンとした場で、「グー」というお腹の鳴る音を聞くことがあります。もし、自分のお腹が鳴ったなら、「あら、ごめんなさい」と、謝りたいようなこともあるのですが、別に謝られたり、謝ったりするほどのことではないようにも思うのですが、ちょっと恥ずかしいような気にはなります。そんな経験がある方も多いはずです。

そもそも、お腹が鳴るのはなぜ?と興味があって、ネットで調べてみました。ここに貼りつけて置きます。

 空腹になり血糖値が下がると、胃は食事を入れる準備をします。少しでも多くの食べ物を入れようと、収縮運動を行って内容物を移動させ、胃の中を空っぽにしようとするのです。その過程で、胃の中に残っている空気を十二指腸に押し出すときに、胃と十二指腸をつなぐ幽門部で音が発生します。

つまり、お腹の音は、胃が食べ物を受け入れる準備の音ということ。これは「腹鳴」と呼ばれる生理現象で、空腹時の「グー」のほかに、小腸や大腸が消化をする際の「ポコポコ」という音もあります。ところで、人によってものすごく大きく「グー」って鳴ることもあり、個人差があります。
便秘がちの人は音が鳴りやすく、大きくなりがちです。また、炭酸入りの飲み物をよく飲む人、食事の時間が不規則な人も大きくなりやすいです。過敏性腸症候群という病気の人もお腹にガスが溜まりやすく、腹鳴が強くなることがあります。音の大きさは、胃の大きさや緊張しやすい体質かどうかなど、先天的な性質の影響も大きいです。でも、大事な打ち合わせ中など、なるべくお腹を鳴らしたくないシーンもあるので、予防はできます。
基本的にお腹の動きは自律神経に従って動いており、意識して止めることはできません。つまり、胃が動いている以上、音を止めることもできないのです。ただ、音を小さくすることは可能です。猫背をやめ、背筋を伸ばすように心がけましょう。猫背だと腹部が圧迫され、お腹の圧が高くなります。すると、ガスが溜まりやすく、お腹が鳴りやすくなるのです。また、過度な緊張を避け、お腹をへこませたり膨らませたりすると、音が小さくなることがあります。
生理現象なだけに、鳴るのはしょうがないぐらいの心構えでいた方がいいでしょう。絶対に鳴ってほしくない時には、事前に軽く食べておくべし。

 ……だそうです。そういえば、食事時がすぎているときに、美容院で、お腹が鳴ったことがありました。(笑)ご参考までに。

 

2014年6月17日火曜日

掃除機 その2


掃除機といえば、我が家が初めて掃除機を買ったのは、いつ頃だったろうか……。はっきりとは思い出せないのだが、同僚の先生が、いち早く洗濯機を購入して、しきりに便利さを言ってくれたので、それからしばらくして月賦で買ったのは憶えている。掃除機は、それよりも、かなり後だったように思う。というのも、畳と板間の日本家屋は、ハタキや箒でサッサとゴミを家の外に掃き出す方が簡単で早かったためか、そんなに必要性を感じなかったからである。

しかし、掃除機を買おうと思ったのは、意外なことからだった。ある方が、「掃除機で畳を掃除していたら、もう、畳を外に出して干さなくてもいいらしい」と教えてくれたのだ。これはとても魅力的だった。一年に一度は、毎年家中の畳を庭に出して、2枚ずつ山型に並べて干したものだった。これは、梅雨があけて、からりと晴れた夏の日の風物詩のような風景だった。どこの家でも、こうした畳干しと、畳の下の床板の大掃除をするのが、決まり事だった。

子どもの頃は、この日が何となく楽しみでもあった。畳の下をくぐり抜けて遊んだり、畳を挙げた痕を、目を皿のようにして、お金が転がっていないか捜したものだ。5円玉、10円玉などが、出てきたら、嬉しくて仕方がなかった。

大人になってからは、一年前に畳の下に敷き詰めてある新聞紙をみて、「ああ、こんな事件があったなあ……」なんて、一年前を思い出すのが常だった。

戦後、蚤や虱退治にアメリカさんにDDTという薬を使うことを教えられ、学校でも、DDTの粉末を子どもたちの頭にふりかけていた時代があり、畳の下にも、DDTをぱらぱらとまいていたものだ。今から思うと、身体にいいものではないのだが……。

時代は変わった。掃除機や、エアコン、乾燥機の普及によって、もう、畳を干したりしなくてもいい時代になったのだ。あの幾つもの山型にならんだ畳は、見たくても見られない。夕方近くなると、畳を家に運び込む前、タオルで鼻や口を覆ったオトコシが、ポーンポーンと、竹の棒で畳を叩いて埃を叩きだす。その音が、また懐かしい。

不思議なことに、こうした時代の映画をみても、あの畳干しの風景というのは、一度も見たことがない。映画を製作したり、脚本を書いたりしている方たちは、戦後生まれで、そんな景色は、見たこともないのだろうか。……なんて思ったりもしました。

2014年6月16日月曜日

掃除機


掃除機の調子が悪くなった。大きく唸ったと思うと、微かな音だけで、小さなゴミも吸いこまない。もう掃除機としては役に立ちそうにないので買い換えることにした。

大型家電店の掃除機売り場には、あるわあるわ、色々なメーカーが、新しい機能を競い林立?している。もう、店員さんに選んでもらわねば、いちいち調べる手間などない。一応、日本製の名のあるメーカーで、手ごろなものを選んでもらった。見本をコロコロところがしてみると、見た目よりも軽くて使いよさそうなので、即決。家に帰って、さっそく掃除。まあまあの使い心地なのでホッ。

掃除機には、苦い思い出がある。退職して間もないころ、電話がかかってきた。「すみませんが、アンケートにお答えいただきたいのですが、ご協力お願いできませんか」と。「何でしょうか?」と尋ねると、お宅には、絨毯を敷いたお部屋がありますか?とか、家族は何人か、とか尋ねられた。「ありがとうございます。お礼に、お部屋一間だけ、お掃除をさせてさしあげます」という。そんなことは、結構ですと断っても、会社として、そういうことになっているので、お手間はとらせません。絨毯も洗える掃除機なので、その威力も見ていただきたいのです。買って頂かなくていいのです。こんな掃除機があると、知っていただくだけでいいのです」とねばる。そこで初めて、商品の売り込みと分かったのだ。私はもう根負けしてしまい、では、ということになった。

外国製のどっしりした、叩いても蹴っても壊れそうにない立派な掃除機で、絨毯の一部1平方mくらいを掃除してくれた。そこだけが、汚れが落ちて、目立っていた。色々と熱心に説明してくれる。何となく買わなければ、気の毒なような気になって来る。

退職したばかりというのもいけなかった。掃除も手抜きしていたこともあって、これからは、しっかり家事に励もうと思っていたし、退職金も手に入ったことも悪かった。30万円以上もするドイツ製という掃除機を買ってしまったのだ。

使ってみると、凄い勢いで吸いこむので、家の中のどんな埃も吸い取ってくれるという感じだった。でも、そのうちに、1年もすると、掃除機を使うたびに、腰がいたくなり、重たいものだから、疲れてしまうのだ。とうとう、軽い日本製の2万円ほどの掃除機を買うハメになったのだ。2万円の掃除機の軽いこと、使い良いことといったらなかった。(笑)

一生使えますと言われた掃除機は、2年もせぬうちに、屋根裏の物置にほうり上げられてしまった。私の退職後のバカな買い物の第1号だった。

2014年6月15日日曜日

お砂糖


久しぶりにお砂糖1キロ入りを買った。煮炊きには、煮豆か、高野豆腐、干し椎茸の煮つけ以外は、滅多にお砂糖は使わないのだ。砂糖を使わない料理の味に慣れている私は、惣菜売り場の商品の甘い煮つけは苦手である。

お砂糖が買えなかった時代がある。戦時中だ。お砂糖があったらと、何度思ったかしれない。何を炊いても、砂糖なしの味が、不味かった。当時は、母や祖母が煮炊きをしていたので、私は食べること専門だつたが、子ども心にも、「不味い」などとは言えなかった。しかし、そんな味にも慣れたが、たまに、砂糖の配給があったときは、不味い代用食の蒸しパンが、少しばかり、味が上等になって食欲がましたのを憶えている。

そんな時代でも、軍隊には、お砂糖は、十分あったようだ。

私の住んでいたところは、軍隊の駐屯地だった。日曜日には、兵隊さんたちが、町に出てきて、映画を観たり、デートしたりしていた。中には、家庭的な気分を味わいたいために、仮の家庭を見付ける。(といっても、☆1つか2つの下っぱの兵隊さんだが)

我が家も、5人程のグループの兵隊さんが、あるとき、我が家のガラス戸の前で立ち止まり、ぼそぼそと話あっていた。日曜日は、いつも父だけが、店で(印刷屋)ごそごそとしていた。多分『ここにお願いしてみようか?ここなら、気易く休ませてくれそうだ。商売しているけど、当たってくだけろだよ』なんて言っていたのだろう。それを見た父が、「どうぞ、気楽に休んでください。ま、こんな家で好かったら」と、誘い入れた。父は、シナ事変で出征していたこともあって、兵隊さんには、理解があったようだ。

何より私の嬉しかったことは、兵隊さんが、水筒の中に、お汁粉を入れていたことだ。来るなり、昼食用の大きなパンと、水筒の中のお汁粉を差し出す。昼食は、我が家の食事を食べるのだ。それは、わずかのお米とお麦の中に、色々なものが炊きこまれた不味いご飯なのだが、兵隊さんは、それを「美味しいですよ」なんて言って、自分が持ってきた美味しいパンとお汁粉を私たちに食べさせてくれたのだ。今から思うと、兵隊さんが私達を庇ってくださっていたような塩梅だった。

そんな我が家が居心地がよかったのか、それから部隊の移動までの1年ほどは、毎日曜日には、兵隊さん5人が、9時ごろから、夕方まで、我が家で過ごしていた。

「今回が最後になりました。どうもお世話になりました」と、頭をさげられたとき、「ああ、もうお汁粉が食べられない……」と悲しかったのを思い出す。何と幼稚な女学校1年生よ。(笑)

その後の兵隊さんの消息は、まったく分からなかった。移動先などは、秘密なので、何処に配属されたものか、激戦地に行ったのか、知るよしもない。その後、我が家は、引き上げて徳島に来ている。万一、お元気で帰還して、我が家を尋ねてくださっていても、もぬけの殻なのだから……。

思い出すままに懐かしい昔話を書きました。

 

2014年6月14日土曜日

興味


友人のSさんは、昔の学生時代のことや、同僚だった方の家族関係など、よく記憶されていて、周りの人を驚かせます。それは、彼女がそうしたことに、とても興味を持っているということでもあるようで、ちょっとした知りあいになると、すかさず家族のことなどを聞きだしています。

私は、例え仲良しであっても顔も知らない姉妹が、どこに嫁いでいるかなど、聞いてもすぐに忘れると思うのですが、Sさんは、しっかりと聞いて憶えているのです。

私など、学生時代のことなど、自分で言ったことや、したことも忘れているのに、彼女は憶えていてくれて、「あの時、あんたがこう教えてくれた」なんて言うものですから、感心を通り越して、ドキッとします。

人間は、年をとっていくに従って、色々な興味や関心も衰えていくのはよくあることですが、Sさんの好奇心は持続している、というより益々盛んのようです。やはり、興味を持つ、ということが、脳を活性化しているのだと思います。

話は変わりますが、ある学者さんは、こんなことを書いています。

「脳は、もともとは考えるために出来たのではない。みみずの脳は、餌に近づくとか、敵が来たら逃げるとかのためにある。つまり、脳は体に密接に結びついている。人は、進化の過程で、色々と考えたりすることが出来るようになってきたもので、一足飛びに結論を言うと、脳は、身体の奴隷なのだ。幸せだから、笑顔になる、ということもあるが、笑顔でいると幸せになる、の理論である。脳の立場からすると、いつも頭骸骨の中で、真っ暗闇の世界にいる。外の情報が分からない。目で見、耳で聞く、手で触る、などの身体を通じてしか分からない。体からの信号がなければ、脳は無知なモノでしかない。

言いかえると、身体からの働きかけがなければ、脳は、活性化しない、という結論になる。

ということで、眠ってばかりいると、脳は、ただ、命を守るだけの働きしかしないことになるようです。

ま、日ごろから身体を適度に元気にしておいて、色んなことに興味を持つことが、大切だということのようですね。

 

2014年6月13日金曜日

終の住み家


もう何年か前のことだが、80歳になるS女史から、Eメールがとどいた。暮れから新年早々にかけて風邪をこじらせて、寝込んでいたので、年賀状も出せずにいたという。
彼女の住まいは、私からみれば、ちょっとしたホテルのようなマンションである。静かな山懐に抱かれた、風光明媚な温泉地で、冬暖かく夏は涼しい土地の、まるで別荘地のような老人マンション。それぞれが自分で買い取った建物で、部屋は二部屋。それにちょっとした炊事のできる調理台流し、風呂とトイレ、収納も、まあまあだ。陽のあたるベランダがあり、三度の食事は、食堂でしてもいいし、自炊してもいい。もちろん共同風呂は、温泉がひいてあり、朝からでも入ることができる。無論、管理費というのが毎月5・6万必要なのだが、暖房がおかしいと言えばすぐ事務室から来てくれるし、ちょっとしんどいと言えば、常勤の保健婦さんがとんでくる、といった生活だから、けっこうなことである。
そんな彼女が、悩みだしたのは、あと2・3年で80代になる頃だつたろうか。

そもそも、そのマンションが売りだされたのは、もう20年もむかしのことで、条件は、60歳以上優先ということだった。彼女の亡き夫がその条件を満たすか満たさぬかといったところで、やっと購入できたとか。豊かな老後をみんなで楽しく送りましょうということで、かなり知的レベルルの高い、お金持ちといった方々が入られていた。
入居された人たちは、お金も健康も持ち合わされた方たちなので、中でのクラブ活動は、大変盛んで、毎日がとても楽しい生活だったらしい。

ところが、20年たった頃は、ちょっと様子が変わってきた。かなりのお年の老人ばかりのマンションとなってしまったのだ。自分のマンションなので、出入りがほとんどない。亡くなる人、痴呆になる人、頑固な老人になった人、連れ合いを亡くされてうつ病になる人、……といったように、まわりがまことにわびしくなってきたのだ。
 
S女史は、どちらかというと、お年よりもぐっと若い感覚の持ち主なのだが、とてもショックだったらしい。
住人のいなくなった、空のマンションは、売るにも売れないらしい。そうした方たちの息子さんたちは、高齢者ばかりの住んでいるマンションにはあまり魅力がないらしく、そこで住もうという人はないらしい。ま、あまり交通の便がよくないこともあるのだろう。とにかく、若い人たちにはそっぽをむかれるものだから、空室がどんどん増えていく。無論、空室でも、管理費は支払うわけだが、息子たちにしてみれば、売れたらそれから差し引いてください……とか何とかいって、支払わない方もいるようで、管理費でまかなわれている事務員や管理人たちのことなど考えると、将来も不安なことだらけという。

だが、S女史の何よりの不安は、病気になったときのことらしい。連れ合いに先立たれ、子供もいない彼女にとって、ここは終の棲家にはならない……と言い出した。 そしてとうとう決断したのだ。
 
財産のほとんどをつぎ込んで、終身入っておれる施設と契約した。その金額は5千万ほどとか。
80歳の終の棲家が4千万……か。むろん、そこだって、お年よりばかりの施設にちがいないのだが、いざというときには、最後まで面倒をみてくれる、ということである。そして何より彼女が気に入っていることは、都会の真ん中。しかも、駅のすぐ近く。これからの人生、まだまだやることがあるので、とても便利なところが今までとちがっていい、とおっしゃる。活動家の彼女には、大自然より、人ごみの中が向いていたのかもしれない。今までの棲家だったところは、しばらく売れるまでは別荘代わりに、ときどき足をむけることになるのだろう。
 
お金持ちでないので、あまりお金のことには関心のない私だが、S女史も、お金があればこその決断なのだから、お金は無いよりあったほうがいいなあ……と、つくづく思った。
といっても、世の中、お金はざくざく持っているのに、お金で買えない幸せを求めて喘いでいる人がいることも事実である。ま、私らは、何事もあまり欲張らないで、そこそこの幸せをかみしめていることが、幸せなのかもしれない。
 

2014年6月11日水曜日

ふくらはぎ


最近ベストセラーになっている【長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい】という本があります。私はその本を読んでいませんが、ある雑誌で1か月前に知りました。

ふくらはぎ健康法というのは、毎日10分ほどふくらはぎをもむことによって、血のめぐりがよくなり、免疫力がアップするというのです。
ふくらはぎは、下半身から血流を押し上げるポンプの役割をしていて、しかも、その場所により、色々な病気に良く効くつぼがあるというのです。簡単に説明しますと、

1・足の親指側のくるぶしから、上に、親指を重ねて膝まで押していく。押す時息を吐き、放した時、息を吸いこみながらします。膝まできますと、もう一度繰り返し2回します。(冷え症・便秘・ホルモン失調・更年期障害・排尿困難・肝臓不調等に効く)

2・足の後ろ側中央のアキレス腱も、同じように上に向かって押していく。(不眠・イライラ、頭痛・腰痛・坐骨神経痛・動悸息切れ・むくみ・膀胱炎等に効く)

3・足の外側の小指側のくるぶしから、上に同じように押して行く。(頭痛・首痛・肩こり・腰痛・めまい・耳鳴り・ひざ痛等に効く)
以上の3本を2回ずつだいたい1回1分として、片足6分。両足で12分ほどです。これは、時間がなければ、3分でも5ふんでも、どこででもしていいので、お風呂の中、蒲団の中、テレビをみながらと、いたって簡単です。1日に12分くらいなら、どなたにもできそうです。

1か月も続けますと、変化が分かってくるとのことでしすたので、ためしてみました。私は、冷え症・肩こり・膝痛・腰痛・坐骨神経痛にもよくなります。血流が悪いのです。これはお金のかかることではありませんし、マッサージは、身体に悪いことではありませんので、騙されたと思って、朝起きた時、お風呂の中と、出来るときにやってみました。

すると、この頃感じるのは、股関節が立ちあがる度に鈍痛がありましたのが、ある朝から、なくなりましたし、膝も、少し良くなった感じなので、効いていると思って続けています。
親指が痛くなるので、ちょっとした太さの硬い棒のようなもので押したりしています。ちょっとでも良くなったと思うと、続けられると思いますので、気のせいであっても、効く効く、と思ってすることで、効果は、更によくなります。(笑)

私は素直に何でも信じるので、卵のことと同じように、このふくらはぎマッサージも、腰痛や膝痛の友達に、お節介ですが勧めています。(^^)
 

2014年6月9日月曜日

思い出の宝庫


最近のTVは、【旅番組】というのがたくさんあります。鉄道の旅、バスの旅、歩く旅、山登りの旅、自転車の旅、などなど、旅が大好きだけれど、なかなか行くことの出来ない者にとっては、観ているだけで、手軽に旅気分が味わえて、とてもいい気分になれるものです。

中でも、昔行ったことがある、とか、小さい時に住んでいた、といったような、思い出の土地を尋ねたいという思いは、どなたにもあるのか、「行ってみたいけれど、行けないので、TVにお願い」という番組もあります。【こころ旅】という番組で、俳優の火野正平さんが、視聴者から頂いた手紙をもとに、その方の思い出の地へ、自転車に乗って訪れる、という番組です。時々覗いていますが、私自身の思い出の地を見せられているように、感動させられることもあります。

前にも書きましたが、どんな思い出も月日のベールに包まれますと、懐かしく、心温まるものがほとんどで、思い出宝庫の扉をあけるようなものです。

このブログにも、たくさんの思い出を書きました。文章の数が、今日で765回です。これだけ書きますと、どんな思い出をいつ書いたのか、ちょっと憶えておりません。調べるのも大変な作業になります。「もう、思い出は、書きたくても書けなくなった」というか、同じようなことを書きそうで、止めておこう、なんて思うようになりました。そろそろ引き上げ時かしら。このブログも、終わりにしたのがいいかな、とも思うようになりました。

ま、何だかんだと言いながらも、書きたいときには書いておりますが、昨日に続いて、今日も今から夕食、そのあとはお出かけ。明日もと、かなりハードな時間割に追われますので、お休みが続きましても、何とか生きておりますので、ご心配なく。(笑)

 

2014年6月7日土曜日

つれづれに……


老人新聞に載せる文章を時々頼まれて書いて来ました。先日も頼まれましたので、先ほど仕上げたところです。内容は、老人の生き方についてのことが主な内容になってしまうのは、致し方ありませんが、読まれた方が、「そうだよね」とか、「ああ、気をつけなくっちゃ」とか、「年とるのも悪くないなあ」なんて思っていただけたら、と、いつも思うのですが、なかなか思うようには書けません。

話は変わりますが、先ほど、ちょっと前まではお元気にしていた友人が、入院したことを知りました。今年になって、知人や、知人の連れ合いさんが病気になられたとか、亡くなられたという話が数回聞こえてきました。自分も周りも、そういう年になっているのだと、あらためて思った次第です。

せめて平均寿命くらいまでは、老をはね除けて、楽しく心豊かに元気に過ごしたいのは、誰しも願うことですが、このように上手く年をとっていくことの難しさは、年とともに実感できます。体の健康面だけではありません。心身ともに、うまく老いていかなければならないので、簡単ではありません。

年を寄せることは、本当は、マイナスがほとんどの世界で、いいことはあまりないと思われがちですが、そうかといって、不満をいつも抱えて生きていては、どうしようもないということも、ようく解っているのです。それでも不満という薬にもならないものを抱え込んでいる老人は、けっこういらっしゃいます。

周りを見わたしてみるとよく分かるのですが、自分の視野を三百六十度のどこまで開いていくか、視線をどこに向けていくか、そのバランスの取り方が、人それぞれ違っていて、 視界が広い方、狭い方、要の金具が錆ついたのか、まったく視野狭窄のような、頑固だけが取り柄になった方、他人のことは何も見えなくなって、わが道をまっしぐらに進む人、と色々分かれ道を歩むことになるのでしょう。そうかと思うと、世の中には、視野は世界の果てまでも拡げて、ボランティア活動に汗を流すような立派な老人もいらっしゃるのです。そこまでは無理としても、何か人さまのためになることが少しでも出来ればオンの字ではないでしょうか。

他人ごとではありません。これからの残り人生を、いかに、充実した、自己満足できるものにしていけるか、これからの私の課題でもあると思っています。

 

 

2014年6月6日金曜日

今日は何の日


6月6日は、何の日だろう?と思った。何しろ毎日のように、記念日やら、○○の日というのがあるものだから、6が二つ重なるので、何か特別イワレのある日かしらと思った。
昨日は、環境の日、老後の日、落語の日だった。4日は虫歯予防デーかと思っていたが、実は、もうそんな日はなくなっていて、4~10日までを予防週間というようになっている。【虫の日】【蒸しパンの日】でもあるそうな。

さて、6日の今日は、【楽器の日】【邦楽の日】【いけばなの日】だそうだ。昔から、芸事は6歳の66日から始めると上達すると言われていることかららしい。
調べていけばきりがなく、毎日何かの日になっている。私たちが知らないだけのことなのだ。関係者は、それなりの行事をしているのだろう。
ちなみに明日の7日は、母親大会記念日とか、むち打ち治療の日とかになっている。(6のむ、直すの7のごろ合わせ)
8日は、世界海洋デー、そして大鳴門橋開通記念日だ。1985年のこの日、鳴門海峡を跨いで四国と淡路島を繋ぐ大鳴門橋が開通したから、もう30年近くにもなるのだ。若かったなあ、あの頃の私。54歳だつたのだぁ。(笑)

○○の日は幾つあってもいいのだが、【開戦の日】だの【原爆の日】だの、大震災の日】などといった日が、新しく出来ることだけは、無いようにと祈っている。
 

2014年6月5日木曜日

コトバは神様


同窓会のお世話をしていますが、その季節になりますと、案内状を送ったり、返信をいただいたりします。電話もよく頂きます。久しぶりの声に、お互い声が弾むのですが、ちょっとおしゃべりをしても、「もうトシとるってしんどいわ」といった後ろ向きの方と、「まだまだ元気で参加したいからこれからもお願いね」と、前向きの方といらっしゃって、その考え方の差が何となく明暗をわけているので、私もつい、萎みそうな話を聞きますと、お尻を叩くハメになってしまいます。「もう84になったなんて、思ったりしないで、まだ84だと思いなさいよ。100まで16年もあるじゃない」なんて偉そうなことを言うのです。(笑)

本心言いますと、私だってハラハラしながらの毎日で、「これが終わるまでは、死ねない」と思っているわけで、人様に偉そうなこと言えないのです。でも、そういうやりとりをしていますと、自分の生活や思いが、後ろ向きになることへのカセになっていきます。【お互いが手を取り合って行こうじゃないの】という気持ちは、お節介かもしれませんが、私の主義でもあります。

「あんたに元気もらった」と言われますと、私も元気をいただくのです。

「コトバは神様」と言う言葉があります。何でも作るのがコトバ。作るとは、影響力ということも含まれます。コトバが先走ることもあります。でも、その言葉によって、自分の身を引っ張りあげてくれることもあります。カラ元気であってもいいのです。

腰がくの字になっても、杖をついていても、いつもにこにこと「元気よっ」と笑うAさんを、私も真似ていこうと思っています。

2014年6月4日水曜日


今日は虫歯予防デーです。私は、子どもの頃から、虫歯が多く、歯医者にはよく通ったものです。最近の子供は、小さな時から母親に磨いてもらっていますが、昔は、そんなことをしてもらった子はまったくと言っていいほどいなかったし、歯磨きも、朝起きたら歯を磨く、というのが定番で、食後だの、夜寝る前だの一日に何度も磨くなどは、よほど親がしっかりしていた家の子ぐらいだったと思います。私自身はむろんのこと、我が息子も、親に歯を磨いて貰った経験はありません。

そんな状態ですから、虫歯が出来るのは当然で、痛くて我慢ができなくなると、歯医者につれていかれたものです。

今は学校では、毎年歯の検査をして、小さな虫歯でも、治療をするように、家庭に通知を出しています。虫歯のある子は、きちんと治療を受けていますから、虫歯がひどくなる以前にきちんと治療しているので、昔のように、虫歯でほっぺたが膨れているような子は、滅多に見たことがありません。

ま、虫歯というのは、子どもにもよりますが、私の経験では、虫歯が1本もない子、というのは、貧しい家の子が多かったと記憶しています。おやつなど食べていないからです。おまけに、歯も磨かないと言う子でも、立派な歯をしていました。

今はこの私も、何とか自分の歯でモノを噛んでいます。小さいころの歯性の悪さから思いますと、総入れ歯になっていてもおかしくはないはずです。(笑) ま、食後は歯を磨くという習慣(むろん大人になってからですが)と、長い間、歯磨きの後、チューッと水がとびだしてくる【ポルタデント】という器具で、口や歯の間の残ったカスを流し出しているためと思います。この器具は、勤め先に売りに来たものですが、私のそうした買い物の中では、ピカイチモノでした。器具は、もう3台目ですが、毎日お世話になっています。

自分の歯で食べ物を頂くことができるのは、有難いことで、何よりのご馳走と思っています。

2014年6月3日火曜日

ご挨拶で……


6月に入って、演劇塾が忙しくなりました。週3回~4回の練習がはじまったので、今日も出かけていました。帰ってみると、留守電が2件入っていましたので、それを片付けてから、入浴をして、時計を見たらもう日付けが変わっていました。すぐに蒲団に入ったのですが、眠れそうもないので、パソコンを開きました。

昼間にブログを書けたらいいのですが、そんな日はめったにありません。雑用が多く、暇があっても観たいテレビを録画してあるのと、読まねばならない本が溜っていて、そちらの方が優先になるのです。……ということで、ご挨拶だけになりましたが、一応、おやすみなさいと、おはようございますを兼ねて、ブログを挙げて置きます。明日も、夜は出掛けますので、6月中は、多分ご挨拶と日記のようなブログで、お茶を濁します。m(_ _)m。

2014年6月1日日曜日

暑い6月だぁ


5時起床。外に出て家の周りを見てみますと、想像していたように、田には昨日植えられた早苗が、何ともあやふやな姿で風になびいていました。昨夜は、蛙の声が聞こえなかったのが、ちょっと意外でした。いつもは、田に水を張りますと、待ってましたとばかり蛙の合唱を聞かされていたのですが……。私の耳が遠くなつたのか、と思いながら眠りにつきました。

日中は夏日でしたから、車の中でも、部屋の中でも、熱中症にならないように、気を付けた一日でした。群馬・館林の方では、36度を超えた猛暑といいますから、これから先が思いやられます。

こんな暑さの中では、硬苦しいことは置いて、涼しい話が書きたいのですが、どちらをみても、暑苦しい話ばかり。特に殺人事件がまたかというほど続きます。子どもを見捨てて見殺しにしたという、獣の風上にも置けないような父親もいるとは驚きます。

気になることも多いです。昔、子どもの頃、親に【人さらい】ということばをよく聞かされました。夕方遅く帰ったりすると、ひどく叱られ、「さらわれてサーカスに売りとばされてもいいのかっ」と。でも、実際にさらわれた子は、聞いたこともありませんでした。

それが、遠い外国に、おとなまでもさらわれて行くなんて、そんなことが本当にあるのかと、始めて知った時は身震いするほど驚いたものです。

ご本人は言うまでもなく、親、家族の思いを想像しますと、胸が痛みます。一日もはやく解決できますことを祈るばかりです。

こんなことは言いたくありませんが、拉致された方や、家族の思いをよそに、それぞれの国は、この問題を、外交の駆け引きに使って来ました。もっと早く解決できたはずですのに。

いつの時代も、頭のいいお偉い方たちのすることには、私たちの分からないことが多すぎます。醜い争いも、総てが偉い人たちの考え出すことですから、この世は、なかなか理想卿にはならないのでしょうね。困ったものです。