もう何年か前のことだが、80歳になるS女史から、Eメールがとどいた。暮れから新年早々にかけて風邪をこじらせて、寝込んでいたので、年賀状も出せずにいたという。
彼女の住まいは、私からみれば、ちょっとしたホテルのようなマンションである。静かな山懐に抱かれた、風光明媚な温泉地で、冬暖かく夏は涼しい土地の、まるで別荘地のような老人マンション。それぞれが自分で買い取った建物で、部屋は二部屋。それにちょっとした炊事のできる調理台流し、風呂とトイレ、収納も、まあまあだ。陽のあたるベランダがあり、三度の食事は、食堂でしてもいいし、自炊してもいい。もちろん共同風呂は、温泉がひいてあり、朝からでも入ることができる。無論、管理費というのが毎月5・6万必要なのだが、暖房がおかしいと言えばすぐ事務室から来てくれるし、ちょっとしんどいと言えば、常勤の保健婦さんがとんでくる、といった生活だから、けっこうなことである。
そんな彼女が、悩みだしたのは、あと2・3年で80代になる頃だつたろうか。
そもそも、そのマンションが売りだされたのは、もう20年もむかしのことで、条件は、60歳以上優先ということだった。彼女の亡き夫がその条件を満たすか満たさぬかといったところで、やっと購入できたとか。豊かな老後をみんなで楽しく送りましょうということで、かなり知的レベルルの高い、お金持ちといった方々が入られていた。
入居された人たちは、お金も健康も持ち合わされた方たちなので、中でのクラブ活動は、大変盛んで、毎日がとても楽しい生活だったらしい。
ところが、20年たった頃は、ちょっと様子が変わってきた。かなりのお年の老人ばかりのマンションとなってしまったのだ。自分のマンションなので、出入りがほとんどない。亡くなる人、痴呆になる人、頑固な老人になった人、連れ合いを亡くされてうつ病になる人、……といったように、まわりがまことにわびしくなってきたのだ。
S女史は、どちらかというと、お年よりもぐっと若い感覚の持ち主なのだが、とてもショックだったらしい。
住人のいなくなった、空のマンションは、売るにも売れないらしい。そうした方たちの息子さんたちは、高齢者ばかりの住んでいるマンションにはあまり魅力がないらしく、そこで住もうという人はないらしい。ま、あまり交通の便がよくないこともあるのだろう。とにかく、若い人たちにはそっぽをむかれるものだから、空室がどんどん増えていく。無論、空室でも、管理費は支払うわけだが、息子たちにしてみれば、売れたらそれから差し引いてください……とか何とかいって、支払わない方もいるようで、管理費でまかなわれている事務員や管理人たちのことなど考えると、将来も不安なことだらけという。
だが、S女史の何よりの不安は、病気になったときのことらしい。連れ合いに先立たれ、子供もいない彼女にとって、ここは終の棲家にはならない……と言い出した。 そしてとうとう決断したのだ。
財産のほとんどをつぎ込んで、終身入っておれる施設と契約した。その金額は5千万ほどとか。
80歳の終の棲家が4千万……か。むろん、そこだって、お年よりばかりの施設にちがいないのだが、いざというときには、最後まで面倒をみてくれる、ということである。そして何より彼女が気に入っていることは、都会の真ん中。しかも、駅のすぐ近く。これからの人生、まだまだやることがあるので、とても便利なところが今までとちがっていい、とおっしゃる。活動家の彼女には、大自然より、人ごみの中が向いていたのかもしれない。今までの棲家だったところは、しばらく売れるまでは別荘代わりに、ときどき足をむけることになるのだろう。
お金持ちでないので、あまりお金のことには関心のない私だが、S女史も、お金があればこその決断なのだから、お金は無いよりあったほうがいいなあ……と、つくづく思った。
といっても、世の中、お金はざくざく持っているのに、お金で買えない幸せを求めて喘いでいる人がいることも事実である。ま、私らは、何事もあまり欲張らないで、そこそこの幸せをかみしめていることが、幸せなのかもしれない。