2014年8月30日土曜日

買い物


暑さがまだ残っているうちに、朝夕がちょっとばかりしのぎよくなってきた。こうなるとすぐに朝夕は冷えるようになってくる。待ったなしだろう。そうならないうちに、準備をしておかなくてはと、箪笥の中をゴソゴソとかきまわしていると、いつものように衣料品店からの誘惑のハガキが舞い込んでくる。秋物入荷。夏物半額以下といったような内容だ。「この葉書を必ずご持参下さい」と書いてある。買う気があるわけではないのだが、すぐ破り捨てたりはしない。鞄の中に入れている。ちょっとばかり、買いたい気があるのだ。(笑)ま、気に入ったものがあれば、来年用に買っておいてもいいか、なんて思っている。

久しぶりにそごう百貨店で買い物をした。紀伊国屋書店や、文房具、プレゼントの品を買って、時計を見ると1時間40分たっている。5000円の買い物をすれば、2時間の駐車料金がただになる。レシートを計算すると、4500円あまり。何か買って5000円にしたのがトクだと思って、家庭用品売り場にいく。
ああ、料理用のハサミがもう買い換えどきだと思って買う。一番やすい1500円のを買った。ちょっと高いなあと思ったがしかたがない。
その横を見ると、眉毛のカット用ハサミが並んでいる。私のゲジゲジ眉毛は、いつも、美容院でカットしていただいているが、これがあれば、自分でできそうだと思った。小さな櫛がくっついていて、眉毛の長さも揃えながらカットできそうだ。20%値引きと書いてあるので、1000円ほどだ。

レシートは、もう十分に2時間分あり、600円無料になった。駐車券に2時間無料のハンを押していただいて、駐車場へ降りていく。しまった。5分超過している。150円支払った。惜しかったなあ。

家に帰って早速眉毛のカットをしてみた。これは、不器用物にはとても使いこなせる品ではないことがすぐに分かった。ハサミは右利き用だ。私は、元来は左利きだが、字をかくことと、包丁ハサミは右で使っているのだが、顔そりなどになると、右側は右手、左側は左手となってしまう。どちらも使えるかわりに、どちらも上手く使えないのだ。
この眉毛バサミは、どちらの手で持っても使いこなせない。今私の眉は、濃いところ、薄いところ、段になったような、ヘンな具合になっている。
ま、これは眉墨で何とかごまかせるだろうが、いらぬ買い物をしたものだ。今、あらためてハサミを眺めると、これを見た時に、「これは使えそうにない」と判断出来るはずのものなのだ。

小さな穴を埋めて、大きな穴をあけてしまう、という買い物だった。

反省。(><)

2014年8月28日木曜日

犬と猫


こんなことを言うと、犬や猫を可愛がっている方に叱られそうだが、人間が好きな私は、(だれしもそうだろうが)犬や猫には、あまり関心が無い。可愛いとは思っても、野良の犬猫を拾ってきて育てようとは思わない。動物愛好家には、薄情者と思われるかもしれない。ま、自分が飼いだすと、情も沸いて来るのだろうが……。

最近は、よく猫がTVに写されている。どうもワンちゃんより、人気物らしい。でも、猫が人助けしたとかいう話はあまり聞かない。そういう点では、ワンちゃんのほうが、頼りになりそうだ。

今朝の新聞に、【刺されても、声ひとつあげなかった盲導犬】のことが載っていた。連れていた盲人の方は、気が付かなかったので、どこで誰に刺されたものやら、分からないとおっしゃるのだから、立派なものだ。訓練されているとはいえ、胸が熱くなった。

そういえばむかし、教員時代、宮城県のある都市で、講習会があった。宿に何人かの全国から集まった先生方が泊っていた。当日の朝、会場の学校の先生が、宿まで迎えにきてくださり、散歩がてら、会場まで歩いていった。そのとき、全盲の先生が、お一人いらっしゃって、盲導犬を連れての参加だった。

ちょうど、席につくと、その先生は、私の隣の席だったので、盲導犬は私のすぐ横で、一日中、ウンともスンとも言わずに同じ姿勢で座っていたのだ。

昼食後、庭に出た先生は、何やらワンちゃんと話をしながら、少しのおやつ?を食べさせておられた。盲導犬には、第三者が勝手に話かけたり、撫でたりはしないのがよいと思ってるので、触らなかったが、先生の話では、実に賢いとのこと。

第一日目の会が終わり、宿に帰るとき、もう案内の先生はおらず、朝通った道を思い出しながら帰るのだが、何と先頭にたったのは、盲導犬をつれた先生。私など、宿がどちらの方角だったかもわからない始末。「これに任しておいたら大丈夫です」と、全盲の先生はおっしゃる。

その盲導犬が、あるところでぴたりと足をとめた。そこは、珈琲店の前だった。「あ、私がいつも帰りに珈琲店に寄るものですから、今日も足が止まったのですよ」とおっしゃる。もう私はこの知らない土地での道案内といい、寄り道といい、感心しきってしまった。

犬の臭覚聴覚のすばらしさは知ってはいるが、この忠犬ぶりには、頭がさがる。新聞の記事のような、刺されてもぐっと我慢の忍耐力と忠誠心、猫など足元にも及ばぬものだ。

最近、盲導犬に対する悪質な悪戯が増えているそうだ。犬にも劣るような行為。恥ずかしいことだ。

2014年8月25日月曜日

不器用者


新聞に、色々な講座の募集が載っている。○○カルチャーセンターとかいうのだが、どれを見ても、このトシでは、始められそうなものはない。

だれしも美しいものは憧れるので、絵、字、焼き物、手芸等々、習いたい気持ちはじゅうぶんにある。

でも、不器用者なので、習ったところで、美しいものが作れるとは思わない。不器用というのはソンだなあ……とつくづく思う。

最近は、いろいろと自分なりの楽しみをもっている方が多いので、書道、絵画、写真、陶芸、染物など等の展覧会・発表会を見せて頂くことがしばしばあるのだが、その度に、自分にはない才能を持っておられる友人知人を羨ましく思うし、親を怨むつもりはないが、恨みたくもなるのだ。こうしたものは、器用不器用が、かなりあると確信しているからだ。

この間も、小さな折り紙10枚ほどで、鶴を折ったのだが、まともに折れない。不格好な鶴になる。「先をきちんと揃えて折ります」と、書いてくれてあっても、折ったつもりが折れていない。出来あがったのを見ると隙間が出来ていて、やり直すと、もう鶴ではなく老いた死にそうな鶴になっている。

字だって、「練習したら、だれでも上手くなる」なんて言うけれど、ウソだ。いくら書いても上手くならない自分の名前が、証明している。

今更書家になるわけではないので、もう少しまともに書きたいと思うだけのことだが、書く度に「綺麗に書く」ことを念頭に書いているつもりだが、でも書けない。
【器用になる】という薬、だれか発明しないかなあ。

2014年8月23日土曜日

難しい経済問題


私の尊敬する仙谷由人氏が、東京で開催しております勉強会【21世紀改革研究会】という会があります。その会で、中前 忠氏(中前経済研究所代表)が『世界経済と日本経済の課題』という題で講演をされ、それを小冊子にまとめられたものを頂きました。仙谷氏の前書きによりますと、中前氏は、仙谷氏が25年間ずっと経済のことについてご指導いただいている先生と書かれています。

中前氏は、まずはじめに、「世界経済は、今年の秋ぐらいから、来年にかけて、かなり厳しい状況に入っていくと私は思っております」とおっしゃっていて、長年蓄積されたデーターから、日本経済の中長期的未来を鋭い切り口で大胆に予測されています。が、悲しいかな、まったく経済には疎い私。世界や日本どころか、わが財布の中のやりくりもヘタな私。勧められて買った株は、何十年も塩漬けといったありさま。ゼロ金利でも、銀行員は、けっこういい給料じゃないの、なんて思う程度なので、よくは分かりません。ただ、中国にしても、アメリカにしても、大変なんだ、ということは分かりました。

最後の仙谷氏等との意見交換の部を読んで思ったのは、我々高齢者(65歳以上)に支払っている年金額は、53兆円(現役世代らいただいているのと、国が7兆円補助)で、この半分近い26兆円以上は、預金にまわっているということですから、日本の高齢者は、お金持ちが多いのか、それともつつましい生活をすることが、身にしみついているのか? はたまた将来が不安なので、遣いたくても遣わないのか、孫のために貯金をしているのかと、色々詮索致しました。
お国のために、などと大きなことは考えませんが、年金を使わずに半分貯めていくなんて、とても私には出来そうにありません。贅沢はしていませんが、自立したそれなりの生活をしていますと、けっこうお国のためになっていて、しっかりと遣っている私であります。(笑)

何れにしましても、これから、安倍さんのおっしゃるように、日本経済が、安定して行くとは思われない、という思いが、益々強くなりました。


2014年8月21日木曜日

言いたくはないが……


言ってもしかたのないことは、なるべく言わないのがいいのだろうが、こうもむし暑い日が続くと「暑いなあ。かなわんなあ」と、逢う人ごとに言ってしまう。冷房も、強くすると下半身が冷えるので、高めにするものだから、何処に身を置いても快適な居場所はない。青菜に塩のような身では、何をしてものろのろだし、第一やる気があっても、頭の方が付いていかない。根気が続かないのだ。暑さ+トシの性だろうが、今回の水害で、大変な目にあっている方たちのことを思うと、こんなことを言ってはおれないのだけれど……。

それでも今日は、花の会の役員会で、3時間ほど、ボランティアで、頭を使わない機械的な手先の仕事をしてきた。雑談をしながらの仕事なので、何とか出来る。ま、猫よりましだ。(笑)

7月の末頃から、首や背中のスジがおかしくなって、体調がすぐれなかったのが、やっと今朝がきて背中も首も、普通にもどった。昨日までは、傷みがとれても、首や背中がつっぱっているような塩梅だったり、傷みがぶり返したりしていたのだが、どちらも消えている。

そごうの売り場で買った【ピント】という椅子の上に乗せて座るL字型の座布団?のようなもの(座位姿勢を改善して腰の負担を軽くしたり、歪みやすい姿勢を支える等)13.500円を奮発したので、その効果かもしれない。座って机の前での仕事の時間が多いので、試しにと思って買ったのだが、座り心地はいい。座り始めたのは、昨日からだが、私は素直なので(暗示に罹りやすいタイプ)さっそく効いたのかも。(笑)

これで完全に直れば、安いものだ。この座布団、座る椅子が変わる度に、抱えてあちこちしている。(^^)

 

 

 

2014年8月18日月曜日

自慢


良く聞く話に「年を寄せて、認知症がかってくると、自慢と人の悪口をいう人が増えてくる」というのがある。

ま、年寄りになると、だれしも批判力もあるし、人の欠点も目につくだろうし、自慢出来るものもあるだろうから、大目にみてあげようかと、懐を拡げて思うのだが、何度も同じことを聞かされたり、自慢の内容が、努力の結果成し得たなんていうものではなく、たまたま生まれた環境がよかっただけのことを、自慢されると、何となく鼻白むものがある。「あ、そろそろ来かかっているな」なんて思われるのが関の山だろう。

ま、私も凡人なので、自慢したいことは、ないこともないのだが、よく考えてみると、そんなことは当たり前のことであったり、取るに足らぬことであったりで、堂々と自慢出来るものではない。世の中には、自分より優れた人が、山ほどいらっしゃることを知らねばならない。

こんなことを書いているのは、私自身、いつ認知症になるやもしれぬ身なので、自戒を込めて書いている。

 

2014年8月16日土曜日

送り火


お盆も終わります。先ほど、小雨の中で、仏様をお送りいたしました。

阿波踊りの大イベントも何とか大雨にも会わずに幕を下ろすことが出来ました。何だかんだと言いながらも、相変わらず浮助の私は、ケーブルテレビでの阿波踊りを見せて頂きました。

私が生まれた北海道では、お寺に櫓を立てて、その上で打つ太鼓に合わせて、老若男女が輪になって、踊っていました。

忘れもしません小学校2年生の夏でした。盆踊りの始まるその日、父に召集令状きました。幼い私には、それがどんなものかは分からなかったのですが、祖母や母の沈んだ様子は、私にも沁み込んできました。

それでも、近所の寺の境内で打つ盆踊りの太鼓にひかれて、妹と家を出たものの、終わりを待たずに家に帰ったところ、父がまる坊主に散髪していました。見たことのない父の顔でした。兵隊さんは、皆坊主にしなければいけないんだと聞かされ、私は泣きそうな顔をしていたに違いありません。

父は、「盆踊り、面白かったか?」と聞きましたので、頭を横に振りました。すると父は、「お父ちゃんの生まれた徳島ではなあ、この帯広の踊りと違ってこんなにして踊るんだよ」と言って「あーえらいやっちゃえらいやっちゃ」と言いながら、阿波踊りらしきものを踊って見せてくれました。
随分昔のことですが、私の中では、色付けされて、鮮明に輝いています。

父は、シナ事変に召集されて、2年ほどで、無事に帰還したのですが、あれ以来、父が踊ったことはありませんし、だれも、父の踊りを見た者もおりませんでした。。

 

2014年8月14日木曜日

燃えぬ夏・終戦記念日


今年の夏は、夏らしい日はほとんどない毎日でした。気温だけは、けっこう高く、暑い毎日ですが、からりと晴れた真夏日は、ほとんどないまま立秋を迎えてしまいました。燃えぬまま、灰になるような夏は、歓迎出来ないのですが、これからも、お盆がすぎても、天気予報図は、雲と傘のマークが並んでいます。こればかりは、どうしようもありません。

あと1時間もしますと、終戦記念日。69年も前のことですが、私の人生を巻き返しながら、「今までの人生の中から、10枚のスライドを」と言われたら、私は間違いなく終戦の日の1枚を入れるでしょう。その中でもやはり強烈なもので、ショックは大きなものでした。何とも言えない感慨が、心中を渦巻いております。

その時、私は女学校3年生。8月15日と言いますと、当然夏休みでしたが、そんな悠長なものは返上して、松根堀りや、芋畑と化した運動場で、唐鍬をふるう毎日だったように思います。

確かその日は、「重大放送があるので、家に帰って聞くように」と、早々と帰されました。

家に帰りつくと、緊張した耳に、普段よりも大きなガーガーというラジオの雑音が入ってきました。古ぼけたラジオは、それに似合った整理箪笥の上に乗っていて、その前には家族以外にも、3人ほどがいたように記憶していますが確かではありません。

雑音で良く聞き取れぬ内容でしたが、「戦争が終わった」ということだけは、分かりました。しかし、だれひとりとして、嬉しいとか、よかったといったような素振りをした人間は居りませんでした。かなりの時間、大人たちは、すすり泣いていたように思います。私も泣いていました。今日までの兵隊さんの死は、犬死にじゃないか。我々は、鍋釜まで出して、頑張ったのに、それが負け戦だったのか」といったような悔しさが、皆の頭の中を渦巻いていたのでしょう。今でこそ、侵略戦争だのと言っていますが、当時は、桃太郎の鬼征伐のような、世界のために、悪者を征伐しているという思いでしたから、これからは、鬼畜生に国を取られ、奴隷のようになるという思いもありました。

しかし、心の中では、戦争が終わって死なずにすんだ」という、ほっとしたのはたしかです。でも、そんなことは、口にはだれも出さずに、ただただ、【悔しい・悔しくないか】と言い聞かせていたのかもしれません。

思えば15歳の子供が、死をも覚悟していた戦争でした。いえ、そんな覚悟は表向きで、本心は、出征する男性たちを見送りながら、【男でなくてよかった。女は戦争に行かなくていい】と秘かに思っていたのです。死ぬことが怖かった私は、この闘いは、必ず勝つ、今に、神風が吹いて、敵は全滅する、などと思うことで、恐怖から逃れていたのでしょう。こんな逃げの姿勢は、私の本性かもしれません。

自分たちにも、平和と自由が与えられたと、じんわりと感じ始めたのは、ひと月もたってからでしょうか。

戦後の暮らしは、しばらくは戦中よりひどいものでしたが、平和という安心のチケットを手にしているものですから、気持ちはカラッとしたものでした。

戦争が再び起こるかも……なんて考えただけで、身のちぢむような、うつ病になりそうな私は、【そんなばかなこと、日本人がするはずない】と、思っています。これも、逃げの姿勢でしょうかね。(><)

 

2014年8月12日火曜日

お盆


恒例の阿波踊りが始まりました。浮助の私も、もう阿波踊りを踊る元気も、観に行く元気も有りません。この暑さと、あの人ごみの中で、何時間も歩くのも座るのもご勘弁の心境です。ケーブルテレビでは、毎年放送されていますが、それも、何となくマンネリです。というのも、私がトシをとったということです。若い方たちは、いそいそと出かけていくことでしょう。

それでもやはり踊りのリズムが聞こえてきますと、浮きたつものがあります。

台風が去っても、さっぱりしないお天気ですが、何とか、雨が降らずに4日間たくさんの観光客が来てくださることを祈ります。何しろ、徳島県といたしましては、大目玉の掻き入れどきですから。

昨夜は、迎え火をたいて、ご先祖様をお迎えしました。よく、「お盆は、お墓はからっぽのはず」と言われますが、やはり、お墓参りは欠かせません。里帰りされた方たちは、仏壇も、お墓もお参りします。

我が家のお墓は、家のすぐ裏の田んぼの中にありますから、お参りは、いつでも出来て便利ですが、1つだけ、ぽつんとあるので、何となく寂しいです。夫がまだ生きていた時、私は「お墓はやっぱりお寺の墓地のように、たくさんあるところが、賑やかでいいわ」と言ったのですが、お墓の移転は手間のかかるものなので、夫は「どこでもいっしょやわ」なんて言ったので、そのままになっています。今はもう、私も「どこもいっしょや」と思っています。(笑)

 

2014年8月10日日曜日

台風のあとの満月


徳島県は、11号台風の直撃でしたが、我が家は、目につくような被害もなく、風雨で窓ガラスが洗われたので、見栄えが良くなりました。(笑)

大型台風の直撃ということだったので、老樹が倒れたり、車庫の屋根の波板が1・2枚は吹き飛ばされることを覚悟していたのですが、ありがたいことでした。

それにしましても、各地での大雨の被害、大変なことですが、亡くなられた被害者の方が少なかったのは、何よりでした。もう雨は十分。早く日本列島から雨雲の撤退を祈ります。

今夜は満月。旧暦7月15日です。月は、楕円形の軌道を周っていますから、地球と近いときも、遠い時もありますが、ちょうど、満月の今日が、一番お月さまが近く、大きく見える日なので、しばし、眺めていました。台風の去ったあとなので、雲はかなり浮いていますが、雲間の月も、雲から出た月も、とても明るく大きかったです。いくつになっても、お月さまを眺めるのはいいものです。

3日前の7日は、立秋でしたから、これからは、残暑もありますが、日を追うごとに、朝夕はしのぎよくなってくれるのではと、期待しています。ああ、今年の夏も、何とか生き延びられました。(笑)

 

 

2014年8月8日金曜日

コトバの引き出し


あるお弁当やさんでの会話

店員「ありがとうございます。お箸は1本でいいですか?」

お客「一本では喰えんけん、一膳分」

店員「?」

お客「箸はなあ、1本2本とは数えへんのや。一膳二膳と数えるもんや」

……聞いていて、思わずにやり。このお客さん、元センセかも、なんて思った次第。

こんなコトバ遣いはどこにでもある。「トシは私より1個下よ」「ぜんぜんできた」どうもしっくりこない。なんでもかんでも「かーわいい」で片付ける若者。大衆文化を象徴するコトバと言われたりしたが、いろいろな表現方法があるコトバの中から、適切なコトバを選ぶなんて辛気臭いのかもしれない。みんなひっくるめて「かわいい」ですませるような習慣は、感心しない。コトバはひいては考える力、想像する力や感性を養うことでもあるのだ。

【ことばは神様ことばは何でもこしらえる】のだから、豊かなコトバの引き出しを作り、そこから選ぶことが大切だろう。

書くことが苦手な若者も増えている。貧しいコトバではままならぬのも当然。本を読んでみるのはいい勉強だ。いろいろなことばとの出会いがあるはずだ。そして書くことで磨きをかけていく。

こんなことを考えていると、小さいこどもたちの国語教育の大切さを感じずにはいられない。英語より大切なんだよう!

2014年8月6日水曜日

原爆の日


69年も昔たが、毎年のことながら、戦争の恐ろしさ、馬鹿らしさが、胸に広がる。

もう、戦争を語り継ぐ人たちが、少なくなっていく中で、戦争の怖さをあまり感じていない若者が大勢いることが、恐ろしい。

私の父方の叔父は、南の島で戦死した。遺骨はない。紙切れ一枚だ。祖母は、叔父の話をする度に、「どんな死に方をしたものやら、頭や胸に弾があたって一気に死んでいたらええけど、飢え死にしたり、苦しんで死んだりしたのではないかと思うと、たまらん」と泣いていた。子を、夫を、孫を死なせた人たちの涙を、無駄にしてはならないとつくづく思う。

今日も暑い一日。午前中に、藍住文藝の役員会。8割がた集まった作品を各分野で目を通し、間違い等を正す。短詩類は半日で出来る。随筆や小説は、前持って送られてきた折々にやっておかねば、一度には出来ない。

夕方、原稿を印刷所へ搬入。ホッ。あとは、ぼつぼつと集まるはず。皆さん、忙しい方、お忘れの方、いろいろ。そんな中で、もうトシだから作れないと言う方には、お節介だがお尻を叩いてみる。()

思うのだが、俳句、短歌などは、どこかのグループに入っておられる方たちは、続けられるのだが、ご自分一人でされている方たちは、短詩にしろ、長文にしろ、トシだからとおっしゃる。やはり続けることが何より大事と思うのだが……。

明日も雨かな? 11号台風の直撃だけは、避けられますようにと、祈りたい。

 

2014年8月4日月曜日

運転免許


ひどい雨でしたが、皆さんのお宅は、大丈夫でしたでしょうかねえ。これからも、降るらしいですが、たいしたことないことを祈ります。

後期高齢者は、3年ごとに、運転免許証特別講習を受けなければ免許証を頂けない。今日は、その講習を、6.000円払って受けてきた。

まず、75歳以上なので、講習予備検査という、認知機能検査というのがある。そのあと、検査結果による高齢者講習というのがある。計3時間だが、これで3度目なので、要領はわかっていたのだが、やはり、少し難しくなっていた。

例えば、16個の絵を見せておいて、他のことをさせ、何分か後に、その絵の名前を書かされる。以前は、ヒントがあった。例えば、戦争につかうものは何でしたか? といったぐあいだった。そのつもりで、真剣におぼえていなかったので、慌てた。16のうち、なんとか14個書いたが、あとの2個は、思い出せなかった。そのあとで、ヒントが書かれていて、品物の名を書くのだが、それは、みなさん殆ど16個かけたと思う。

認知検査のあとは、テレビ画面をみながら、運転のテスト。言われる通りの動作をする。ブレーキ、アクセル、ハンドルさばきなどなど。最後に成績表が配られる。総合点は、同年代との比較と、39歳~59歳の比較であらわされている。私は、どちらも前回は「やや優れている」だったので、今回は、3年たっているので、普通くらいになったかな、と思ったら、どちらも、「優れている」という上出来の結果なので、驚いた。試験に慣れたせいかな、とも思うし、毎日運転しているので、運転の腕があがった?とも思うが、本当はどうなのか……。どちらにしても、ハンドルを握ったら、私は結構注意力や、判断力は、衰えておらず、慎重な運転をしている。他人さんを載せることが多いこともある。(自慢ではないが、【アンタの運転は、安心して乗っておれる】と、言われている)

ま、いずれにしても、注意おこたりなく、これからも、過信することなく、安全運転に心掛けていくことにする。

2014年8月3日日曜日

ぶらり日記と……


何といいますか、有難いといいますか、私のブログを読んでくださっていた方から、寂しいので、週1でも月1でもいいから、何か書いてくださいという、メールや電話を頂きまして、私としましては、驚きと感謝で、またまたこのようなことで、書いております。

ちょうど、忙しい時期と、首や背中の痛みと、暑さで、まいっていたものですから、仕事を減らす第一が、だれにも 迷惑のかからないモノというわけで、ブログでした。

おことばに甘えまして、時々ですが、「何でもあり」の気楽なブログとして再出発いたしますので、たまには覗いていただけたら、と思っております。よろしくお願いします。(^^)