世の中には、色々な運というものがあるが、籤運などは悪いと言ったところで、そんなに悔やまれるものでもないのだが、そうかといって嬉しい事ではない。幼い時も、駄菓子屋で引く籤も大抵はスカだつた。今年の年賀状の番号も調べてみると、100枚ほどの中で、1枚の切手シートも当たらなかった。今年だけではない。今までに、切手シートは、1まいか2枚を手にする年は、よくあることだが、それ以上のものは、当たったことはない。
反対に引きたくない籤は引いてしまう。忘れられないのは、師範学校に入学して間もなく、女子学生の制服の生地が、教室にとどけられた。紺色のサージで格安だった。数は5枚ほど少なく、皆に当たらない。その5枚の不運の籤を引き当てた私は泣きたかった。皆がそれでスーツを作って着ていたが、私は父の背広を仕立て直したものを着ていた。こういうことは忘れられない。
金運というのもあるようだ。籤運が悪いので、宝くじなどは買ったことはない。あるとき旅行先で、手相をみてもらったことがある。そのとき、「あんたは、これから先、生活に困ることはまずないけど、お金が貯まっていくようなことは、あまり期待しないほうがいい」と。もう年金生活者だったので、納得出来た。期待などしていない。これから先、年金がどれだけ頂けるものか分からないけど、不安はない。それなりの生活をしたらいいだけである。戦後の貧乏暮らしの経験があるので、貧乏も平気だ。
お金で困っているわけではないのに、先々のことが不安で愚痴ばかり言っている人がいる。夫さんは、会社の重役さんだった。亡くなられたが、旦那の年金で、十分生活出来るし、別居はしているが、立派な長男夫婦が近くにおられ、毎週来てくれているらしいのに、お金のことを心配ばかりしている。預貯金が少ないという。どれだけあればいいのかしらないが、頂けるだけの年金で暮らしていったらいいことで、少なくなったらそれなりに節約して、いったらいいではないか、と思うのだが、やれ、病気したら、やれ家が焼けたらなどなど心配していたら、キリがない。こんなストレスを抱え込んで生活していると、折角の幸せを感じることなくて、こんなばからしいことはない。まあ、他人さんのことにあまり口出しはできないので、「私は貴女より年金も少ないし、預金も少ないけど、心配は何もない。病気したら、年金で賄えるだけの手当てしてもらうから。入院だって、大部屋にはいったら、大丈夫だしね」と、大きな事を言っている。
お金はいくらあっても邪魔にはならない、というが、大金を持った人たちが、欲張りになって、悪い事をしている世の中だ。お金は、平凡な生活が出来、たまに友達と旅行が出来、食べたいものが食べられたられ、葬式代くらいの預金があうれば、幸せと思って暮らすのがいいと思う。
人生の最後に、「私の人生は、運が良かったのか悪かったのか?」なんて考える暇はあるのだろうか? あれば、「ああ、いい運命だつたよ。今も幸せだからね」と言いたいものである。