ハロウィーンが、どういう意味があるのかはよく知らないのだが、ひと月も前から、マーケットなどでひどく騒がしく宣伝しているのを横目でみていたのだが、今日がその日らしい。お化けのような格好の若者が、都会を闊歩しているのを見て、何のためかと不思議に思って、ネットで調べてみた。
ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は夏の終わりを意味し、冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた。時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた]。これに因み、31日の夜、カボチャ(アメリカ大陸発見以前はカブが用いられた)をくりぬいた中に蝋燭を立てて魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては「お菓子をくれないと悪戯するよ」または「いたずらか、お菓子か」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちはもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい。
とある。ケルトがどこの国かもしらなかったので調べると、ケルト人は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族・ケルト語派の民族である。とのことだ。
ま、こうしたお祭りは、すかさずお金儲けとつながっているので、広まるのは早いだろう。日本でもあっという間に全国版になっている。
クリスマスには、それなりの意義があり、そのおまけとしてのプレゼントなどは、多くのこどもたちや若者たちを幸せ気分にしていて、何の違和感もないが、ハロウィーンは、私のような者には、まったく関心はない。(笑)
話題を変えるが、昨日は久しぶりに、昔の仲間が集まった。といっても5人ばかりたが。もう23,4年も前、エッセイを書くのが好きな者が10名ほど集まって、「エッセイストとくしま」という会をつくり、年に1冊だが、【随筆とくしま】という冊子を発行していた。積極的だった主宰者の井村幸男さんは、どんどんと会員を増やしてしまい、大変な時もあったのだが、その元締めだった井村さんが亡くなられたあと、平成20年、追悼号(第16号)をだして終わりとなった。その会の主だった世話役も、10人ちかくいたのだが、今は5人となった。もう車椅子生活で、施設に入居されているSさんの家の近くに集まったのだが、話は尽きることがない。筆まめだったHさんも、すでに亡くなられて2年近くなっているし、この会を楽しみにしていた気丈なMさんも、先日急逝された。九十歳だったので、トシに不足はないのだが、ご本人が、「私は百まで生きそうだわ」なんて言っておられたものだから、彼女の死はショックだった。元気だからといっても、明日の命の保障の無いことを信じないわけにはいかない。
集まった皆さんは、言うことや考えることは似たり寄ったり。それでも大笑いしたりあきれたりしながら、時のたつのを忘れておしゃべりに花が咲いた。
何年たっても、趣味を同じくする仲間というのは、いいものだと、つくづく思った一日だった。