2019年6月27日木曜日

№1255 冷え症


  若い時から冷え症だったので、冷え症とのお付き合いは、延々と続いています。普通、夏が来たら冷え症は、どこかに身をひそめていると思い勝ちですが、そうではありません。夏が来てもそれなりに冷えるのだから始末が悪いです。

 一口で言うと、冷え症とは、血行不良ということなので、もともと元気ハツラツというタイプではなく、虚弱体質なのです。小学校時代から、通信簿には、「肝油と太陽燈(上半身裸になって、10人位ずつ浴びる。学校に備えてあった)を続けてください」と書かれていました。

 冷え症を、少しでも克服するためにしていることは、まず首を冷やさない、ということで、夏も寝るときは、マフラーを首に巻いたり、長袖の寝巻、靴下を穿いて寝ています。(寝苦しいときは、エアコンを2,3時間かけています)。

 以前、TVのためしてガッテンという番組では、蛋白質を多く取ることによって、身体を温める、ということもあって、卵はもう何年も前から13個、そのほか、大豆製品を多く食べています。

 ただ、食品には、身体を温めるもの、冷やすものがあるようですが、最近良く食しているキュウリ、トマト、ナス、キャベツ、バナナは、身体を冷やすものらしいです、そんなことは、気にしないことにしています。バランスよく食べることが大切と思っています。

 これからも、冷え症が治ることはないので、一生うまくお付き合いしていかねば・・・と思っています。

 

2019年6月20日木曜日

№1254 近頃思うこと


  日本も、随分酷い犯罪が増えてきたが、これからは、犯罪に手をだすのなら、必ず捕まる、と考えてするべきだろう。もう殆どの犯罪者は捕まっている。これだけ防犯カメラがとりつけられたり、優秀な警察官らが捜査するのだから、つかまえられるのは当然だろう。

昔から泥棒などは、よくあったのだろうが、子どもも結構万引きという窃盗をしていたようだ。小学生のとき、一緒に遊んでいた近くの旅館のA子ちゃんが、瀬戸もの屋の店先に並んでいた可愛い魚の箸置きを手掴みにして服のポケットに入れた。驚いた私は、「そんなことしたらだめ」とも言えず震えていた。家に帰っても、親にもよう言わず、 黙っていた。言ったらA子が悪い子と言われ、「そんな子と遊んだらいけない」と言われそうだった。A子ちゃんは、遊んでいる最中に、家のお酒をコップに入れてきて飲んだりもした。市内の歩道は、けっこう道幅が広かったので、ケンパとか石蹴りなど、いろいろな遊びをしたのだが、輪ゴムをゴムとび用に鎖状に編んだものなどは、「頂戴」と言って、持ち帰られたものだ。三つ子の魂100までとか言われるが、環境がよくなかったのだろうから、今は立派な社会人になっているのだろう、と思いたい。

戦後は、生きて行くために、ヤミ取引や泥棒などは日常茶飯事だったが、そんな時代も体験して来た者としては、平和を守り復興のため、髪振りみだして働いてきた世代の方たちが、「安心して暮らせる老後」であってほしい。国の政治というのは、そういうことを大切にやっていくことだろう。

 

2019年6月10日月曜日

№1253  梅干し


  買い物袋から品物を出して冷蔵庫を開いたとたんに、梅干しを買って来るのを忘れたことを思い出した。梅干しにも、ピンからキリまであるのだが、私は高級品にはあまり手が出ない。立派な美味しそうな梅ではなく、やや小粒の塩分5%というのを買っている。それくらいが食べきれるし、口に合うのだ。梅の産地が中国だろうが日本だろうが、そんなことは、もうどうでもいい。88歳の老婆がひとりで口に入れるのだから。

 梅干しというと、思い出すことがある。小学生の頃、家の前にアルミの弁当箱の落とし物があった。小学生のものらしかった。しばらく外に置いて、落とし主が来るのを待っていたらしいが、だれも来なかったという。中をみたら、それは「日の丸弁当」だった。梅干し1つ入っているだけの弁当である。その時代でも、粗末な弁当の代名詞だった。別のおかず入れなど無く、弁当箱の片隅に細長いおかず入れが付いていた弁当箱だ。「せめて漬物か海苔でも敷いてやればいいのに」と、家族が言っていたのを憶えている。

 以前聴いた話だが、昔、梅干しは大変貴重なもので、庶民の口には、めったに入らなかったとか。薬扱いだったらしい。それも〝見る薬〟で、お膳の上に乗せて、時々見ながらご飯を食べたら、むせたりしない、ということで、笑い話のような話である。

それにしても、最近のお弁当は、けっこう豪華になっている。TVでお弁当を披露している番組等観ていると、手間とお金をかけている。 戦中戦後を体験して来た者にとっては、本当に日本はいい世の中になったと思う。外国には、まだまだ食べ物に不自由している子どもたちがたくさんいるというのに、あるとろでは、賞味期限近いといって、まだ食べられる弁当を捨てている。こんなことがあっていいのだろうかなあ・・・。

 

2019年6月7日金曜日

№1252  天気予報


  親切な天気予報に、どれ程の人が助けられているだろうか。傘の種類までも教えて頂けるのだから有難い。昔は、ちょっと傷み掛けた食べ物を口にする時に、「天気予報天気予報」と繰り返し言って食べたものだ。「天気予報なんか、当たらない」ということでのおまじないだった。

 最近のお天気は、何となく不気味である。私が子どもの頃住んでいた北海道の帯広が、今や徳島よりも暑い日があったりするのだから驚く。30年まえに訪れた帯広は、ホテルにもタクシーにもエアコンは付いていなかった。必要なかったのだ。真夏の昼間が少々暑くても、夜がくると、お蒲団は掛け布団二枚重ねだった。

 こうした変わりようも、温暖化ということなのだろうが、ただ温暖化したというだけですまされない異状気象があちこちで起こりだすと、これからのお天気がどうなるのかと、心配だ。孫や子がこれから先長く生きて行かねばならないのだから・・・。

 私たちが、どうすればいいのかと考えても、なかなか今の生活を昔に戻すことは出来そうにない。ただただゴミを出さないように、と言うくらいしかできそうにない。環境に良いという車に買い替えることも中々出来そうにない。歩いて行けるところは歩くことくらいである。それも、買った荷物を持っては歩けない、ということになれば、車のお世話になるしかない。古女がこんな心配しても、どうにもならないことだけど・・・。