2015年12月30日水曜日

№1007 年の暮れ


 いよいよ今年も終わりか近づいてきた。東京で学んでいる孫も、28日には帰ってきたので、夕食は息子たち一家と共にしている。若い人たちとの食事もまたいいものだ。私の煮炊き専門の和食と違って、ハイカラな料理が出てくる。
毎年お正月のお節は、嫁と手分けで作っている。私は、野菜などの煮物13種類を作る。いつも同じなので、もう慣れたものだ。黒豆は、早めに取りかかるので、もう煮汁にかしてある。今日中にあらかた出来るだろう。明日また焚きこむと、味が更によくなる。家族にはとても評判がいい。時間をかけるし、砂糖を控えてあるので、売っているものとかなり違うのだろう。
今日はお正月の買い物と大掃除で一日が暮れそうだ。最近は、マーケットには殆どのものが揃っていて、重箱に詰めるだけですむものが並んでいる。何も作らずにお正月が迎えられそうだ。若い人たちには好評だろう。私は、まだ何とか作ることができるうちは作りたいと思っている。

大掃除のほうは手抜きする。一人住まいなので、散らかす者がおらず、集まり事がちょいちょいあるので、普段からやっていることだし、【汚さない、散らかさない】ことにしていることもあって、普段の掃除をちょっと丁寧にすることでコト足りるだろう。いや足らす、のだ。外の掃除は、手抜きで1年を通しているので、これもあまり手間はかけずにすませている。高い所の蜘蛛の巣も【蜘蛛の巣取り】という簡単な器具がある。電池で先が震える釣竿のようなものだ。

昔は、大掃除といえば、夏の畳干しをする大掃除と年末の掃除と2回あった。掃除機が出始めた頃から、畳干しという風物詩は、まったく見られなくなった。
親が畳干しで畳を持ち上げたあとを素早く見渡して、10銭玉や、時には1円玉が出てきたりして、すかさず拾い上げて我が物に出来た子ども時代の嬉しかった日を思い出した。
さて、今日一日のために、今から夜が明けるまで寝ることにする。只今ちょうど30日となりました。() 挙げておきます。

№1006 クリスマス


 (クリスマスの日に書いたものが上がっておりませんでしたので、上げて置きます。)

12月に入ると、昔は【もう幾つ寝るとお正月……】という歌をよく聞いたものだが、今はクリスマスソングが取って変わった。そのクリスマスも、このトシになると、べつに嬉しくも楽しくもなくなっている。

最近は、家でクリスマスを祝う方が多いらしい。以前は、夜の繁華街を、酔っぱらったお父さんたちが、赤いとんがり帽子など被って、(いや、被せられてかな?)もつれ合って歩いていたりしたものだが、そんな風景は、もう見られないようだ。

クリスマスと言えばサンタさんだが、サンタさんが寝ている間にプレゼントを枕元に置いてくれる、ということを信じていた子どもたちは、なかなか寝付かれなかったろう。そのうち、本物のサンタは親だと分かるときがくるのだが……。

昔、小学校低学年の担任をしていたとき、ほとんどの子が「サンタは、来てくれる」ことを信じていた。ところがある日の放課後の教室で、突然大きな声で「絶対嘘だ。サンタさんなんかいない。うちにサンタなんか来たことない」と、真剣な顔で言い突っ張っていた子がいた。貧しい上に、母親が精神的に病んでいた家の子だった。かなり迫力のある言い方に、他の子どもたちは、キョトンとしていた。

私はそのとき、「サンタは絶対いない」と頑張っていた子に拍手を送りたかった。プレゼントを買ってもらえないという辛い気持をすっ飛ばして、力強く言い張る子を頼もしいと感じたのだ。彼女にはきっと、これからの人生に、かなりの試練が待っているだろうことを思うと……。

【支援】はしなければならない。学びたい子には、どこまでも学ばせてやらねばならないと思う。しかし、格差社会は、いつの世がきても、なくなることはないだろう。底辺の子どもたちが、大人になっていく過程で、自力で這いあがっていく力を身につけさせることも、忘れてはならない教育と思う。

2015年12月20日日曜日

№1005 男の子3人


 私の知り合いに、男の子3人育てた方がいる。「悪さで困る」とか、「もう家の中は戦争」とか、お母さんは髪振り乱しながらも、子育てに奮闘なさっていたのは、見ていてもほほえましいものだった。 
そうした子育ても、少しは楽になったらしいが、今度は、お金の苦労が続くということで、これもまた、大変なことらしい。
こんな話を聞くと思い出す可笑しな話がある。あまりにも可笑しい話なので、何度か人様にも話し、何かに書いたこともあるのだが、また書いておく。
 男の子ばかり三人産んだ母親から聞いた話だが、あるとき、裸の兄弟三人が風呂場で遊んでいた。そこへ、従妹のA子ちゃんが、父親に連れられ遊びに来た。さっそく裸にされて、男の子3人の中に入れられた。
さあ、驚いたのは男の子。初めて見た女の子の裸体である。一人が叫んだ。
「おかあちゃーん。大変だよう。A子ちゃんのお尻、前についてるよう」
 続いて後ろに回って確かめたのか、兄が、
「後ろもお尻だ! A子ちゃんのお尻、前まで続いとるわ」
 と、訂正した。
 もう、そこらにいた大人どもは、身を折りまげるやら、のけぞるやら、しばらくは息ができぬほど苦しんだらしい。この話を聞いた私も、うなるほど感心しながら、涙がでるほど笑ってしまった。その三人兄弟は、もう立派な大人だ。今も思い出すと笑いが混み上がって来る。



2015年12月15日火曜日

№1004 年金日


  今年最後の年金日だ。だんだん少なくなってきた年金だが、頂く度に有難いと感謝している。何しろ、年金だけが頼りの生活者なので、これが頂けないとなると、路上生活者になるか、子どものお荷物になるしかない。

 年金日に銀行に行くと、いつも混雑しているのは、「待ってました」とばかりに、引き出す方や、書き込みする方が多いのだ

 私は、家計簿派なので、月の初めの1日から始まるのだが、やはりその日に銀行に行くことが多い。(また減っているのでは……)なんて心配しながら、入金額を見つめる。そして2か月分の生活費を引き出す。翌月分からの生活費なのだが、月末までに足りなくなると、前倒しが出来るからだ。特別な支出は、その都度引き出すことにしている。例えば今月は、シルバーさんに、庭の木を切っていただいり、浴室に暖房をつけたりした費用だ。生活費は予算内に納める、ということは守りたい。これが出来ないと、特別出費が出来なくなる。いや、出来なくなり、僅かの貯金を崩してきた、という歴史がある。

 さて、今年の会計決算は、どうなるか、もうすでに赤字ということが、パソコンの家計簿に現れているのだが、まだお迎えが来る気配がないので、命が余ったら困る。少し引き締めて行かねば……。

 お国は、「高齢者よ、しっかり消費せよ、」とおっしゃるが、福祉が何となく尻すぼみになっていくようで、しっかり浪費などできそうにないが、年金を残して行くことなどはしていない。かなりの年金が貯蓄に回されている、という統計は、私には信じ難いのだが、事実らしい。年金を頼りにしない老人が多いというのは、土地家屋を持ち、農業などで働き、生活費をあまり使っていない人たちがかなりおられるということか。。

 最近、テレビや新聞には、しきりに減額消費税のことが報道されているのだが、あんなややこしいことをされたら、売り手も買い手も分かりずらくてこんがらがってしまう。金持ちも貧乏人も同じような減額では、減額の意味が無くなる。収入のほとんどを生活費に使ってしまうような低所得者にだけ、あとからまとめて補助してくださる方が有難い。店で食べたらだの、持ち帰ったらだのと、よういわんわ。プンプン。

 

2015年12月10日木曜日

№1003  明治の女


  朝の連続テレビ小説【朝がきた】や、大河ドラマ【花燃ゆる】などを見ているが、昔の女の人でも、しっかりなさっている人がたくさんいたのだなあと、感心する。そして思い出すのが私の祖母である。

 祖母は、昔でも小柄な体型で、器量もよくない。私は小さいときから見慣れた顔なので、普通の顔と思っていたのだが、ご本人は、決して器量は十人並みとは思っていなかったようだ。

 生まれは、中流の百姓家(自作農)であったらしいが、学校へは行っていなかった。いわゆる文盲で、自分でカタカナと、ひらがな、簡単な漢字を覚えたらしい。村では評判の働き者で、畑仕事も機織りも褒められていたと言う。
 そんな娘に目を付けたのが、やはり同じような農家の母親。長男の嫁にと言うことで、見合いをしたらしい。

 この母親、かなりの実力者?というか、考えがしっかりしていた。長男は、役者のような美男で、そのせいでよく遊んだものだから、長男を跡取りにしたら、お家は潰される、ということで、跡取りは次男ときめ、長男には、いくばくかの金と、親の決めた嫁を持たせて、ほうりだそうと考えたらしい。しかも、嫁は、器量のよい、顔や尻を撫でまわすような女では困る。何より働き者でなくては、ということで、祖母に目をつけたのだ。

 何も知らない祖母は、祖父をひと目みるなり、その男前に惚れたのだろう。縁談が成立した。

 祖父は、嫁(祖母)を連れて、叔父という人を頼って北海道に渡った。

商売が性にあったのか、しっかり働いて、お金がかなり入ってきたらしい。ところが、相場にも手を出して、失敗と、成功を繰り返したのだろう。成功時には、遊び心が起きて、芸者さんを何人も連れて家に帰ってきたりしたらしい。お金の無い時は、米櫃がカラッポという日もあったとか。

 それでも祖母は、忍耐強いというか、夫に従って、苦楽を共にしていたようだ。

祖母は、子どもを二人大きくしている。長男と、私の母である。自分が文盲であったため、教育だけはと、娘にも女学校を出している。

 しかし、長男は、若くして結核に罹り亡くなった。その後、祖父も、長男の死にがっくりと力を落とし、まもなく自分も病に倒れて亡くなった。残された祖母と母は、貯えで小さな小間物屋を開き生活をしていた。母は、器用であったので、母校の裁縫の先生に認められ、先生の助手として、女学校に務めた。

 祖母は、年頃になった娘の婿は、自分の実家の跡取りである弟Kに世話を頼んだ。同じような百姓の次男坊で、大阪に勤めていた若者を世話してくれた。私の父である。

父は、養子には絶対行かぬと言うのを、Kが、説得したらしい。父は、財産は自分で作る。養子には行かぬ、と言いはるのに、「あちらには、財産はない。あちらに行って、自分の好きなことをはじめたらいい。娘をもう見合いさせるために、こちらに呼んでいるから、帰って来い」と、強引に大阪から呼び寄せた。父は、断るつもりで大阪から帰ってきた。

 縁とは不思議なものだ。Kの家の玄関で父を迎えたのは、色白の円い顔のぽっちゃりとした美人ではないが、可愛らしい母だったとか。

 父の言うには、別にひと目惚れしたわけではないが、見たこともない北海道というところに行って、自分がしたいと思って資金を貯めていた商売(印刷業)をさせてくれるなら、行ってみようか、ということになったと言う。

 その後、戦争がはじまり、祖母と父の念願の生まれ故郷へ引き上げてきたのだが、戦中戦後の苦労は致し方ない。

 考えてみると、祖母は大変な苦労と努力をして生き抜いた女性だと思う。明治の女は強かったようだ。

晩年の祖母に尋ねたことがある。「お婆ちゃん、今度あの世でお爺ちゃんに会ったら、また結婚する?」と。すると、「お爺ちゃんは、もう好いた人捜して、とうに結婚しとるやろ」と笑っていた。「こりごりだ」とは言わなかったのは、まだ祖父の男前に気があったのかもしれない。() 祖母は94歳まで生きた。

 

2015年12月5日土曜日

№1002 脳と痛み


最近、朝起きたときのひどい腰の痛み(こわり)が少なくなった。腰は、日常ちょっとしたことで傷みを感じたりするので、無理はできないのだが、朝起きたときの痛みは、なす術がなかった。30分もすると、何とか治るのだが、その30分の間に、必ずトイレには行かねばならないので、それがとても難儀だつた。 
そんな折、【NHKスペシャル腰痛革命】をみたことで、翌日から半減したのだ。放送当日は観ることができなかったので録画をしてあったのを思い出して観たのが11月の下旬だったと思う。今は、70%くらい直ったようだ。原因は、脳にあったのだ。
簡単にいうと、事実は痛くないのに、直っているのに、脳が痛いことを引きずっていたらしい。「なるほど、本当は、痛みはないのに、脳が、それを感知できていないんだ」と思い、信じることで、痛みが軽くなったのだ。あと、30%は、本物のこわりだろうか、それともぼつぼつと治っていくのか、治ることを信じていくことにする。
私はどうも、信じろと言われたらすぐに信じてしまうタチらしい。いいことも有るけど、騙されることも有るやもしれんなあ。(笑)



 

 

 

2015年12月1日火曜日

№1001 師走


  昨年の暮れ、年賀状を書き始めたのは、ついこの間のように思うのだが、早くも1年が過ぎ去っている。残り人生が1桁という数字になってくると、1年が早いと思う気持ちは、年ごとに強く実感することになる。若者と老人では、1年の大切さも、惜しむ気持ちも違ってきて当然だ。

 一日一日が大切な黄金の日々なのだから有意義に、と思う気持ちはあっても、なかなか思うようにはいかない。大切さと反比例して、無駄遣いが増えてくる。同じ掃除をしても、30分でできていたものが、1時間かかるようになるし、物探しという無駄遣いも増えてくる。
 最近は、そうした無駄をなくすために、鉄道員のように、大事なものを置くときは、指差しをして「ここに○○を置く」なんて言いながら置くことにしたらいいと思うのだが、それも忘れて、無意識にポイと置いて捜すことになる。

 さて、師走はやはり心忙しいものだ。年内に済ませてしまおうと思っているものが幾つもある。でも、年々手抜きをするものも多くなってきた。ま、草臥れ果ててお正月を迎えるよりは、手抜きをしてでも、何とか元気で新年を迎えられるのがいいだろう。

 昨日は、いよいよ寒さも本格的になることを思って、衣類の整理をし、そのあと、家中の掃除をした。狭い家だが、掃除中、3度も休みながら掃除機をかけた。腰が痛くなって休むのだが、ま、これは仕方がない。いつものことだ。

 今日は午前中、歯医者で過ごした。先に、滑って転んだとき、傷んださし歯が、まだ仮のものなので、本物の型取りだ。ずいぶん長くかかる。一週間もすれば本歯が出来あがるそうだ。先生が、「長くかかったけど、もうすぐ出来ますからね。もう転ばれんよ」と。十分気をつけている。()