2018年2月24日土曜日

№1200 挑戦


私のドコモの携帯に、よく【スマートホンの説明会のお知らせ】メールが送られてくる。最近は高齢者用の【らくらくスマートフォン】というのが出回っているので、その説明会らしい。○月○1日限りで、3回の時間帯も書かれている。受付順に定員になればしめきりますということ。便利らしいが、今更面倒と思っていたのだが、頭の体操になるかもと思って申し込んだ。たつた1時間なので、簡単な説明のはず。

出かけてみると、私と、60過ぎの女性だけ。講師さんは、東京から、わざわざ出向いてこられているというのに。渡されたテキスト冊子は、機種がFUJISUdocomoらくらくスマートフォンなので、機種の宣伝も兼ねての講習ということらしい。

らくらくと名がつけられているだけあって、画面もはっきりしていて大きく、指で間違ってさわったりしただけでは、画面が動くというような心配もなく、触って確認し、それから押して確定する仕組みなのだ。「ああ、これなら指の不器用な者でも、間違いはない、大丈夫だろう」という気持ちになる。中味は一般のスマートフォンとほぼ同じらしく、自分の使いたいことは、一通りの説明で、大体のことは解った。慣れるまでは戸惑うこともあるだろうし、新しいことは、説明してもらわねば分からないが、それもいつでも聞くことが出来るようだ。今までの携帯より、メールも簡単、電話も簡単ということなので、遅ればせながら挑戦することにした。もうじき、新しい機種が出るらしく、それを待つことにした。楽しみだ。(^^)

2018年2月18日日曜日

№1199 昔の乙女の幸せ


昔の乙女が7人集まった。全員昭和5年生まれ。88歳か、今年中には88歳になる連中なので、それぞれのお顔には、人生の風雨に耐えてきた勲章が刻みこまれている。

女学校時代のクラス会50人ほどのメンバーで、毎年同窓会をしていた。始めは20人程の集まりがあったのだが、4年ほど前に解散した。もう、県内外から集まるにも徳島市内まで出て行くのは無理という方がほとんどになってしまったのだ。
クラス会いうのは、ほんとにざっくばらんに気兼ねなくおしゃべりが出来る会だし、思い出も共有しているので、どんなおしゃべりにも興味津々になれるのだが、そうなれば仕方がない。

でも、私の近隣の町村に住む方たちが、何とか集まりたい、ということになり、世話を頼まれた。【ここなら何とか集まれそうだ】という場所をその都度決め、年1度、集まっている。

昨日は、車に乗る私が、鳴門市内のMさんを勝瑞駅で待つ、そこへ北島町のSさんが、息子さんの車で来てくれる。西に向いて走り、上板町に住むKさん宅へ。そこから、南にあるMさん宅に。5名を載せた私の車は、阿波市へと西に走る。会場に着くと、阿波市に住むYさん(彼女は、近くなら車に乗れる)とSさんの2人が、すでに来て待っていた。ささやかだが昼食をいただき、珈琲、ケーキなどで満腹。話はますます盛り上がる。
皆さん、毎日家で居られるか、ディサービスに行くか、という方たちなので、田舎では、ちょっと離れると一人で集まれる方は少ない。汽車の数も少なく、バスも少ないとなると、車だけが頼りになる。

私のように、出たきりばあさんらしき方は、だれもいらっしゃらない。それはそれはミニクラス会を楽しみにしていらっしゃる方ばかりなのだ。
私のお世話仕事は、単に7名の皆さんの出て来られない日を聞き、私の出かけられる日を決めて、連絡するだけなので、手間などはかからないのだが、「あんたが居てくれるので、こんな楽しい会が開ける」と、大いに感謝されるのだ。1回目、2回目と、回を重ねるごとに、皆さんの待ちわびていた様子が手にとるように分かるのだ。もう何か月も前から、お互いが、電話をし合って、「2月には連絡あるだろうなあ。元気でおろうなあ。会えるなあ」「有難いなあ。このトシがきて、昔の友達と会えるなんて」等と話あっていたりしているのだ。私のお世話が、こんなに楽しみにしていてくださるのは有難いことだなあ」といつも思うのだ。

「これから死ぬまでに、皆と何べん会えるかなあ……」Sさんが呟いた時、私ははっとした。そして思わず言った。「年1回やったら、3回も会えんかもなあ。私やって目が悪くなったら、運転出来んもんなあ。これからは、せめて1年に4回は集まりたいなあ」と。

「ほら嬉しいわ。あんたにばっかし迷惑かけるけど……」「嬉しいわあ、5回でも6回でも会いたいけどなあ」「ほら毎月でも合いたいよ」などなど、乗り気な意見ばかり。「私もそうやけど、皆やって元気でおってくれなんだらあかんのやけんな」「ほらほうじゃ。元気でおるよ。頑張るわよ」「「いついつ集まりがあると思うたら、寝込んでおっても、それまでには頑張って直すよ。有難いなあ」
……私も有難かった。ああ、よかった。こんなに言ってくれるのに、どうしてもっと以前から、時間作って会を増やして来なかったかと、反省もさせられた。

「次は桜の咲く頃がいい」「桜なら会場は○○がいいよ」と、早くも希望が飛び出す。お互い、元気で一日でも自立した生活が出来るためには、私も含めて、楽しみの会は多いほどいい。
こんなちょっとした手間で、皆が楽しめるなんて、幸せは足元にも、ごろごろ転がっているもののようだ……。

 

2018年2月12日月曜日

№1198 マンガ本


世に言う読書家ではないのだが、図書館にはあまりご縁がなく、読みたい本は、お金を出して買う主義なので、本屋には、よく足が向く。
本屋も昔とちがって店内は広く、本以外の物も色々売っているようだが、店内を隈なく見たことがなかった。

最近は、マンガが随分流行っているらしく、マンガが原作の映画が出来たりしている。私は昔からマンガ本はまったくみていない。バカにしていたわけではないのだが、コトバ少なに、ギャーだのドカーンだのというコトバの多いマンガになじめなかった。ので、テレビで放映されているさざえさんやドラえもん、アンパンマンくらいしか知らない。

ついでにちょっと覗いて見ようと思ってマンガの棚に近寄ってみて驚いた。何と、マンガの本の多いこと。しかも、シリーズ物ばかりと言っていいほどシリーズ物が多い。これじゃあ、次々と買って読むことになるだろう。手にとって見てまた驚いた。すべて、ビニールで中が見えないようにしてあるのだ。このようにしておかないと、立ち読みで買わずに帰るお客も多くなるだろうから、しかたないのか、と納得はしたのだが、マンガ本に同情した。昔は成人向きのエロ本が、そのようにされていた。しかし、エロ本には、同情なんかしなかったけど、今度は同情して差し上げた。〝マンガよ、お前もか〟と。たとえ買ってもらえなくても、たくさんの人の目に触れてもらいたいよなあ。(笑)

 

 

2018年2月10日土曜日

№1197 生きて死ぬ


新聞の死亡欄をまず見てみる、という習慣がはじまったのは、もうかなり前になるのですが、これだけは今も続いています。

人の死は、【人生の卒業】ですが、卒業後の便りは、誰からも頂けないし、誰にも出せないので、悲しい別れです。

もう自分自身がいつどうなるか分かりません。心身の健康にも、自信はありませんし、身のあちこちに老いの重みをしかと感じています。友人が病に臥せったり、知人の卒業式に参列することも多くなりました。これといった宗教も哲学も持たない凡人ですから、その度に人の命の儚さを思い知らされます。

そんなとき、よく手にするのは、【生きて死ぬ知恵】というわずか50ページ足らずの美しい本です。(著者・柳澤桂子 画・堀文子)柳沢氏は、科学者であり、難病と闘いながら書かれたもので、般若心経の心訳です。十数年も前に手に入れた本です。

表紙を開いてまず飛びこんでくるのは、黒い台紙に描かれた野の花、白抜きの文字が目にしみます。

 ひとはなぜ苦しむのでしょうか……

  ほんとうは

  野の花のように

  わたしたちも生きられるのです

 もしあなたが

 目もみえず

 耳も聞こえず

 味わうこともできず

 触覚もなかったら

 あなたは 自分の存在を 

 どのように感じるでしょうか

  これが「空」(くう)の感覚です

 そして般若心経の心訳になりますが、私には決して易しい本ではありません。でも、こうした本をただ見ているだけでも、心が穏やかになるものです。

広大な宇宙の中での一粒の原子の集まり、ただ濃淡があるだけの一元的なものと説く科学者の般若心経です。

空にはなれない私ですが、想像するだけでも、ほっとできるのです。

 

2018年2月4日日曜日

№1196 寒い立春


  立春とは春が始まる日ではありますが、何と、朝から雪が降り始め、一時は大雪になるのかと思われるほどの勢いでぼたん雪が降り、一面真っ白になりましたが、午後からは雪は止み、お日さまが照りだして雪も消えました。

何しろ、45年ぶりとかの寒冷前線の通過で、日本列島が冷蔵庫になっていますから、私もそれに負けぬように着込んで、エアコンとストーブにはさまれて一日を過ごしました。

 冷えは万病のもと、と昔からよく言われていますが、冷え性の私としましては、冬は当然気をつけています。足や手の指先は、特に血の巡りが悪くなります。血のけが引いて、色が変わってきますと、感覚もなくなります。そうならないように、今日のような日は、靴下も3枚重ねです。おかげで転んでも怪我はしないほどの厚着なので、外に出ても、しばらくは寒さ知らずです。

 最近、よく火災のニュースが流れていますが、よく、年寄り二人暮らしが火災を起し、逃げ遅れて亡くなったりしています。高齢者が多いだけに、これからも増えそうです。火災は全てを灰にしてしまいますが、自分の家だけではすまないことがよくありますから、私も消火器も備えて火の用心だけはしっかりとしているつもりです。

 この寒さも、原因は温暖化現象のためと言いますから、いよいよ温暖化は怖いです。怖いと言いながらも、火鉢だけの生活にはもどれず、ストーブやエアコンを使う生活ですから……。困ったものです。

2018年2月1日木曜日

№1195 皆既月食


  昨夜は、寒い夜でしたが、皆既月食をぜひ見ておこうと思っていたので、見る事が出来ました。たぶん、もう見る事は出来ないだろう、見収めと思ったものですからね。ま、テレビでも、観ましたけど、やはり実際に天を仰いで見てよかったと思います。

太陽をまともに見ることは出来ませんが、月は、天気がよければ、とても美しく、十五夜の日など、月を見ながら散歩などして楽しんでいます。

 月に初めて人間が着地した時のことを思い出しました。すごく感動したものです。学校で、生徒と一緒に見たのですが、そのときの月面の何とも言いようのない殺伐としたというか、灰色の世界にちょっぴり寂しい気持ちもありました。月は、幼い時から、夢のあるロマンチックなものでしたから。兎が住んでいるなどと思っていたわけではありませんが。()

  その日、家に帰って息子に「月の世界に人間が初めて行けたなあ、学校でTVみせてくれたやろ?感動したなあ」と話しますと、「ぼくはずっと、月の世界に人間が行っていることと思っていたから、行ったことがないと知ったときの方が驚いた」と言われて、へえー、と驚いたのと、子どもに、雑誌やマンガを与えてはいたけど、月や星を眺めながら、ゆっくり話すこともなかったし、夢のあるお月さんの童話など、忙しくて、してやってなかったなあと……。深く反省もしました。(;;)