2015年7月30日木曜日

№957 思い付くままに


 真昼、10分ほど庭に出ていたら、ひっくり返りそうになって家の中に飛び込んだ。凄く暑くて応えた。もう、買い物にも行けない。車の中は、灼熱の世界だろう。夜を待つことにしたのだが、夜になっても、出ていく気分にはなれなくて、夕食も有るものですませてしまった。

今日の外の温度は、36度近かった。水分と塩分を取るようにということだが、水分はともかく、塩分は、どれくらい多くとったらよいのか、よく解らない。普段、塩分を取り過ぎないように、食事は薄味なのだが、汗にどれほど出ているのか見当がたたない。漬物の好きな私なので、漬物をたくさん食べることにしている。

 ニュースをみていて、ふと思った。オリンピックのロゴ問題だが、真似たわけではないだろうが、あのような単純な模様になると、良く似たものが出来ても仕方がないだろうと思う。
 例えば俳句のように、言葉が五・七・五と少ないと、良く似た俳句ができることは、よくあることだ。まったく同じ句が出来ても不思議ではない。ただ、公の賞に入ったりすると、困るだろう。
 以前、近しい人がNHKの俳句で選ばれて賞をもらったが、どこで、どのようにして作ったか、とか、いろいろと問われたらしい。他人の句を真似たりしていないかを徹底的に調べられたのだ。あとから、「私の句と同じだ」と名乗り出られたら、取り消さねばならないし、選者としては、失策ということになるのだろう。例え、真似ていなくてもだ。俳句の難しさは、そういうところにもある。

 とにかく、はやくオリンピック問題は解決しなくては……と気になる。

2015年7月28日火曜日

№956 T子さんに習って……


 幸いなことに、台風12号の影響も無く、日ざかりに鳴く蝉の声も、一段と喧しくなってきました。このところ、私も慌ただしくなってきました。今月末〆切の、あいずみ文藝の作品が送られてきたり、持ちこんでくださったりするのです。一応事務局としましては、整理をして、8月に入りますと、編集委員さんが集まって、くださるので、それまでの、準備をしなければなりません。会長さん、副会長さんが、ちょっと身体のご都合で今夏は、お休みされますので、会長代理のAさんは大変。益々広告その他でこの真夏日の中、走りまわっておられます。

ま、皆さん、嫌いなことではありませんから、一生懸命になれるわけですが、私のような老いぼれは、いくら好きなこととはいえ、仕事は捗りません。その上、こう暑くては、身体はむろんですが、頭が回りません。私だけではありません。会員さんも、「もう書けません」とか、「トシなんで、もう止めます」とかおっしゃったり、会費(金額)を間違って送ってきたりとか、色々あります。 
それでも、こうした方々の絆も強く、お互い励ましあったりしながら、今年も90名近くの方々が、頑張っておられます。

先日も、T子さんの娘さんが、作品(俳句)を持ってこられました。T子さんは、昨年から娘さんのお宅に同居されています。「母は、年とともに認知がかってきたのですが、不思議と、俳句はこうして作るんですよ」とおっしゃって、規定の15句を持ってこられました。

〝病窓の水平線に夏陽かな〟

臥せっておられても、頭にちょっと靄がかかるときがあっても、俳句は作れるのですね。T子さん、俳句をやっていてよかったですね。これからも、たくさん作ってください。皆さんも、T子さんに習って、頑張りましょう!

2015年7月25日土曜日

№955 熱中症


 まだかまだかと待ちわびていた梅雨明け宣言が昨日出されました。これからは、カラリとした気持ちのいい晴天、いやいや、猛暑が続くのですが、それでも、じめじめの季節よりはましです。

 世の中、とても親切になってきて、毎日何度もテレビで【熱中症にならないように】と、注意してくださるものですから、ちょっとしんどいと、「おや、熱中症かな?」と思ってしまいます。(笑)

 朝は、いつも体調が芳しくない私めは、歳のせい、低血圧ということにしていましたが、【熱中症は、夜寝ている時もけっこうなります】ということですから、夏場は、熱中症か?と、いうことも、考えに入れることになりました。熱中症にならないために、エアコンをちょっと高めにして、一晩中、動かしています。熱中症にならないためというよりは、熟睡するためというのが正しいかもしれません。切れて暑くなると、目が覚めますから。

 それにしても、この炎天下、汗を流して外で働いていらっしゃる方々、ご苦労さまです。さすがに、殆どが男の方たちです。道路工事、建設工事、赤白の旗を振っての交通整理、皆さんヘルメットを被り、長袖の作業服を身につけていますから、暑さも尋常ではないでしょう。

 こういう大変な仕事をしてくださる方たちも、人手不足とか。案外お年を召した方が多いのは、退職後の第2のお仕事かも。

若い方たちには、嫌われる仕事かもしれません。ともあれ、熱中症にならないように、頑張ってください。

2015年7月23日木曜日

№954 年寄りの万引き


 徳島新聞によると、県内の万引き現行犯検挙の4割が、65歳以上の高齢者と書いてある。以前も、そんな話を聞いたことがあった。万引きといえば中学生・高校生と思いがちだが、そうではないのだ。何度も犯行を繰り返すという。しかも、生活に困っての犯行とはかぎらない、というから深い心の問題と繋がっているのだろう。孤独なのだろうか。寂しいのだろうか。家族がいても、孤独な老人はいる。中には、親を虐待するような子がいるというから、恐ろしい世の中だ。虐待はしていないが、若い世代の者にとっては、話は合わず、文句ばかり言う年寄りには、かまってはおれぬ、という家庭もあるかもしれない。同じ屋根の下での孤立というのは、また格別寂しいだろう。かといって、万引きは困るよなあ……。

 だが、これだけ貧困な家庭が増えてくると、年寄りだって、喰うに困る人は増えているだろう。万引きが増えても当然かもしれない。ある大型マーケットで働く人の言うには、用事(買い物等)もないのに、毎日マーケットに来て、暇をつぶし、食品売り場をうろうろし、試食品をごっそり食べ歩く人がいると。お腹をすかしているのだろうが、笑うに笑えぬ有様だ。でも、パンを万引きするよりはいいにきまっている。だれにも咎められはしない。

 世は飽食の時代だ。捨てる食べ物は驚くほど多いという。ヘンな世の中になったものだ。

2015年7月21日火曜日

№953 暑中お見舞い


 毎日、暑中お見舞いの葉書をいただいています。私は、無精をして、いつの夏も、お返事を書く、というかたちになるのですが、今日も、北海道の伊達市にお住まいの雪江ちゃんから頂きました。雪江ちゃんは、私の小学校時代と、女学校2年生まで、仲良しだったお友達です。この度の11号台風は、全国版のニュースで、徳島の様子が写されていたこともあって、とても心配してくださいました。

 伊達市と言うところは、冬も割合に暖かく過ごしよいところなのです。この頃は、帯広でも30度を超すような暑い日もあるのですが、毎日毎日涼しくて、長袖姿で過ごしているようです。夜は、しっかりと、肌掛けと夏蒲団を掛けて、風邪を引かぬように、用心しているとか。やはり、北海道の夏は、思ったよりも涼しいようで、何となくほっとしました。

 めったにお会いできない雪江ちゃんですが、私が車で北海道を訪れたおり、室蘭まで出迎えていただき、楽しいひと時を過ごしました。そんな思い出が、一枚の暑中見舞いの葉書から、魔法のように思い出がふつふつとわき上がってきます。いつまでもお変わりなく……と、願いながら、返事のペンを握りました。

 

2015年7月19日日曜日

№952 月光の夏


 7月に入ってからは、土曜日ごとに、七日法事に出かけている。近しい身内が亡くなったので、四十九日までそうしたことが続く。昨日も、そちらに行ったものだから、予定していた市民劇場のお芝居が徳島では観ることができず、今日、鳴門のほうで観てきた。いつもの会場でない鳴門に出かけるのは大そうだったのだが、行ってよかった。

〝月光の夏〟という朗読劇だが、これは、特攻隊で命を落とす若きピアニスト志望の青年が、出陣前にぜひ、最後に思いっきりピアノを弾いて死んでいきたい、という願いをこめて、ベートーベンのピアノソナタ【月光】を弾き、沖縄の空に出撃し消えて行ったという実話をもとにした物語である。ピアノも実にすばらしかったので、感動して泣いてしまった。

 特攻隊という、爆弾と飛行機と共に体当たりするという実に酷いことをさせた軍隊、そうした役目を「愛する家族や国のために」やりとげなければならなかった若人たち。何ともいえぬ思いである。
 実際にそうした若人たちを、見送ってきた経験を持つ私たち年代のものは、もう数少なくなってきた。特攻隊ではないが、父を戦場に送りだしたときの思いは、母の泣き崩れる姿とともに、忘れられない。

 父は運よく帰還したが、戦地でのことは、ほとんど聞いていない。しゃべりたくなかったのだろう、人殺しをしてきたのだから。

 人間を狂わせる戦争、人々の幸せを踏みにじる戦争。戦争体験者は、どんなことがあっても、子や孫たちを戦争に巻き込むことだけは、できないという思いは、骨の髄まで沁み込んでいる。

2015年7月16日木曜日

№951 「アベ政治を許さない」


7・18(土)午後1時 きっかり同じポスターを全国いっせいに掲げよう。このコピーを一人ひとり道行く人に見えるようにかかげるのです。

ひとりで悩んでいる人、誰にも声をかけられない人は、我が家の前で、或いは窓辺で。どこででも、あらゆる形で。(澤地久枝)

 こうした呼びかけが、全国にひろまっている。「アベ政治を許さない」というビラ(金子兜太書)をいっせいに掲げよう! という運動である。ごり押しの国会内でも、何人か掲げていた。

作家澤地久枝さんの呼びかけに賛同した著名人100人あまりが、中心をになって、ネットでひろげている。私のもとにも、ビラがコピーできるように、丁寧なメールが来た。

今回の自公の【安保法案】衆議院通過は、どう考えても、民主主義国家の政治とは思えない。納得していない国民の多くが反対しているというのに、「時間をかけたって、無駄だ」とばかりに数の暴力で通過させてしまった。はじめから、成立のみを考え、反対意見を聴く耳を持たないのだから、いくら時間をかけても無駄というのは正しいだろう。

しかし、それでいいのか、そんな政治でよいのか、憲法違反という法を、そんな形で押し切っていいのか、と思う。やりたければ、まずは、憲法改正の必要性を国民に納得させ、憲法改正から始めるべきではないのか。戦争抑止力の一番は、戦争放棄宣言だろう。平和憲法だろう。

こうした安倍政権によって、もしも日本が戦争への道に一歩でも踏み込むようなことになったなら、どんな責任をとってくれるというのか。戦争を体験している私は、思う。なーーんも責任などとってはもらえないのだ。責任者が死刑になったって、なーーんも国民には、一円の得にもならないどころか、不幸のどん底に突き落とされるだけなのだ。恐ろしい国になったものだ。こんな日本にだれがしたのか……。

 

2015年7月14日火曜日

№950 台風


 大型台風11号の進路が、四国のど真ん中を通るような天気図だ。このまま進まれたらただごとではない。今や以前の台風で太い幹が割れて半分になっている庭の辛夷は、ぐらぐらしているので、強い台風が来たら、倒れてしまう。私の住んでる家にぶつかりそうだ。急遽、近所のNさんにお願いして、樹の上部を、切って頂いた。全体が、3メートルくらいになったので、倒れても家に倒れかかることはないだろう。ほっ。

 以前は、台風は秋の招かざる客と思っていたのだが、宇宙環境が狂ってきたのか、梅雨の台風なんて、あまり経験がないだけに、怖い。のろのろと進んでくるようなので、長居するやもしれぬ客、どうか、早くおとなしく、遠回りして去っていただきたいものである。

 

2015年7月12日日曜日

№949 猛暑


 すっきりと、晴れるでもなく、梅雨らしく降るでもないお天気だったが、温度計は、30度を超えている。驚いたのは、北海道の帯広市が、36度を超えていたことだ。

 帯広は、私の故郷である。12歳まで住んでいた生まれ故郷である。私の記憶では、昔は、四国よりも暑い夏なんて、聞いたこともなかった。私が何度か訪れた帯広は、殆どが夏休みとかだったから、記憶にあるのだが、タクシーには、エアコンがついていなかったし、ホテルも、扇風機だけだった。けっこう暑い日だったので、タクシーの運転手さんにたずねたのだ。「朝晩は、まだストーブが入用な日もあるし、昼間、暑いといっても、期間は短いので、エアコンは、必要ないんです」という答えだった。
 退職後も7月におとずれたのだが、そんなに暑いという日はなかったように思う泊めていただいたお宅では、夜は、冷えていて、敷布団も掛け布団も2枚で、暑苦しくはなかった。

 今は違う。徳島より気温の高い日があるのだから、もう、ホテルもタクシーも、エアコンは必需品にちがいない。

 詳しいことは知らないが、地球の温暖化というのは、やはり気になることである。南極や北極の氷が融けて、水位があがってくると、どうなるのか、海水の温度に変化が現れはじめているとすれば、魚の住み家は、どうなるのか、すでに、問題は、起こっているようだ。

 私たち、一人ひとりが、どうしたらいいのかも、よくは分からない。節電したくても、熱中症になったら困るので、エアコンは動かしているし、車も動かして、排気ガスを撒いている。文化生活と、地球温暖化は、手を携えている。一市民に出来ることがあればしたいのだが……。

2015年7月10日金曜日

№948 頑張れ!里子さん


  感心な里子さんのことを書きたい。里子さんは、俳句や短歌や、写真などを趣味とされていた方で、ケアハウスの看護師さんをされていた。私が以前、俳句の会に参加させていただいていたころ、その会のメンバーだった里子さんが、糖尿病で目が悪くなってきたとおっしゃっていたのを思い出す。その俳句の会が解散となり、私は、その後俳句とは縁切りしてしまった。俳句まで手が回らなくなった、という言い訳 をしているが、元々そんな素質など無かったというのが正しい。

 里子さんが、盲学校高等部専攻科に通い始めたという噂を耳にした。鍼灸マッサージを3年間かけて習得し、国家試験を受けるというのだ。

 里子さんは、60歳をすぎているはずだ。そんなお年で、しかも、学習内容は、かなり高度なものである。医学的な解剖学から、東洋医学と言ったような内容もある。私は、盲学校の中学部の教員を13年やってきたので、そのお年での挑戦は、大変なことは、よく解るのだ。

 さっそく、応援のお電話をした。『でも難しいし、暗記力が衰えているので大変です』と、おっしゃる。そうだろうなあ…でも、何とか頑張り通してくださいと、願わずにはいられなかった。

 3年の月日が流れた。ま、『大変だった』ということばは、ピンからキリまであるのだが、里子さんの大変は、実に重みがある。開校以来の最年長記録での国家試験合格で免許を手にいれられたのだ。里子さん64歳の春だった。糖尿も、目の方も、何とか落ち着いていて、生活には、差し支えがないようで嬉しい。

 先日開業の案内葉書が届いた。

  さの治療院 鍼灸あんま、マッサージ指圧

  平成2771日に開業しました。東洋医学の、〝心身一如〟の考え方を基本にし、症状に応じた治療を行います。お気軽にご利用ください。 
診療時間9時~12時 14時~18

予約制 電話(090-4508-8474)

休診日 日曜・月曜・祝日

場所 〒779-0105 板野郡板野町大寺字岡の前1-10 

 佐野里子さんの出発だ。ばんざい!とさけびたかった。さっそく、我が身の足腰のガタを診ていただきたく、お伺いした。

 お家の一室を治療室とした、電動ベッドと椅子、机だけの、簡素な治療室だが、丁寧に診てくださり、鍼とマッサージ、指圧をたっぷりしていただいた。治療費は、一律3000円。保険はきくのだが、接骨院の保険と違い、医者に診ていただいての診断書が必要であり、保険金も、三分の1くらいしか出ないという。ひどく鍼灸師は、国に差別されているらしい。ま、私の経験では500円の治療で、保険のきく治療に6回通うより、じっくりと1時間程身体に触って治療して頂く方が、治りが早いと思った次第だ。膝の痛みがなくなり、腫れがかなり引いている。

 昨日東京で学んでいる孫が高松に用事があって帰宅した。「ああ、首や肩がパンパンになって、毎日気分が悪いと言う。何しろ大学院生なので、とても忙しく、毎日の通学の荷物も多いらしい。さっそく、さの治療院に連れて行った。
 今朝の孫は、「お婆ちゃん。すごく気分がよくて、ルンルンよ。治療のおかげだわ。お礼言うとってね。夏休みも、10日ほど帰ってくるから、また連れて行ってね」と、高松に向かった。そのまま、高松から今日中に東京に帰るのだ。

 とても謙虚でお客様に満足いただけるかどうか心配する里子さんなので、孫に言われた通り、報告したのだが、とても喜んでくださった。私も嬉しかった。
 里子さん、頑張って!の応援をしたくて、書かせて頂きました。

2015年7月7日火曜日

№948 詐欺電話


  最近は、やかましく『用心せよ』と、言われているのだが、やっぱり詐欺電話に騙される人が後を絶たないようだ。

 私の家の固定電話も、携帯にも、そうした電話は、あまりかかってこない。個人情報が、悪人の手に、まだ渡っていないのかもしれない。

 個人情報が漏れるのは、いろいろな道があるのだろうが、こんなこともあるようだ。知人Aさんが、こんなことを書いている。 

家に居て固定電話に出ると、9割がセールス電話と詐欺電話。

ベルが鳴り、受話器を取っても私は名乗る事はない。

「ハイ!」と出て、

《お忙しいところすみません》

この一言に私の声は仏頂声に変わる。

 今日はこんな電話が掛かった。

《お忙しいところすみません。日本経済新聞ですが、簡単なアンケートのお答え頂けますか?》

「何でしょうか?」 極めて仏頂声。 

《消費税値上げについて、賛成ですか?反対ですか?》 

「値上げが嬉しい人は居ないでしょう」 

《では反対と言う事で、因みに、奥様のお家の家族構成を教えて頂けますか?≫

 「?????、、、、、、」 無言。 

再度《家族構成は!》

「アノ、そう言う質問に答えるつもりは有りません」 

《バカ、死ね、マヌケ≫ 

激しい捨て台詞と共に電話は切られました。

私の極めて感じの悪い仏頂声と、応対は正しかったようです。

この手の電話におとなしく応じていたら、敵の手に、私の個人情報が持って行かれる事になる。

子供は居るのか?いないのか?

この情報一つで、オレオレ詐欺電話が有効か?どうかが分かる。

私の所にセールス電話が多いのは、通販会社から情報が流出していることははっきりしている。

なんとかならないのか詐欺電話。

 ……ということだ。うっかりと、アンケートにも答えられないい。つい、家族のことまでしゃべりそうだ。Aさんは、知的な方なので、どんな詐欺電話をも撃退するだろうが……。

2015年7月5日日曜日

№ 946 来客


 昔、仕事の関係で知りあったHさんが、久しぶりに、訪ねてくださった。息子さんの車に乗って、現れたHさんは、熱心な創価学会の信者さん。娘に先立たれ、その納骨のため、香川の墓地へ行かれ、その帰りに私宅に寄ってくださったのだ。私にとても会いたがっているので、帰りにちょっと寄るという電話をいただいていたのだ。

 彼女は、車から降りられなかった。足が悪く、歩けなかった。家に入っていただくには、息子さんが、負んぶしなければならなかった。車の中での会話だった。『娘は、まだ死にたくないと泣きながら死んだわ』と言うHさんは、淡々と語ってくれた。胸がいっぱいになった。Hさんは、たしか86歳になられている。

わずか15分ほどの会話だったが、その間に、同じことを何度か繰り返す。息子さんが、『妹が亡くなって、急に意識が混乱するようになってしまった』とおっしゃった。無理もない。でも、そうしたことにでもならなければ、悲しみはどんどんと増幅していくのだろう。喜怒哀楽が、薄められて、少しでも気持ちが軽くなるのであれば、それでいいと私は思った。「落ちついてきたら、また、もとのように、しっかりしたHさんになりますよ」と、言いながら、それを強く願った。

 昔の話をするときのHさんは、ニコニコとして、とても可愛かった。歩けるようになつたら、また来るからね、と言って帰って行かれた。

2015年7月3日金曜日

№945 違憲・合憲


 国会議員さんたちが、あーだこーだと言い合っている安全保障関連法案は、日増しに激しさを増してはいるのだが、与党と野党の言い合いは、どこまで審議したって、交わることはないだろうと、素人考えの私は思っている>
いくら審議したって、納得のいく説明は、出来ないだろう。数の力で押し切られるに違いない。
 何しろ、アメリカさんから、そうしろと言われていることだろうから、いくら憲法学者が、違憲だと言ったところで、引っ込めるわけにはいかないのだろう。先日の衆議院憲法審査会など、自民党推薦の学者さんまでが、違憲と言ったのだから、与党議員の中でも、無理を承知でやっているのだ。これが、日米関係なのだ。こんな状態の中での説得力なんて、あるはずがない。沖縄問題しかり。アメリカさんの言うことには、従うしかないのが、日本なのだろう。敗戦国なんだもの。戦争に負けるということは、昔なら、日本の国の地図の色が変わってしまうことだったが、今は、地図の色は変わらなくても、言うことは、聞かねばならないのだ。

戦争は、もうこりごりという日本人。骨の髄までしみこんでいるというのに……。

 

 

2015年7月1日水曜日

№944 ほっとしています


 随分と目まぐるしい日がつづいた。

623日 3日続いた夜の練習で、少々草臥れてはいたが、帰るなり早寝をしたおかげで、翌日は、元気になる。

624日 友の会の資料を印刷製本。

625日 友の会世話人が2人来てくれて、名札そのたの用意を仕上げて持ちかえってくれた。もういつでも買いは開ける。(笑)

626日 午後から文化の森でのリハーサル。

627日 第4回を迎えた一年ぶりの【友の会】は、出席者26名。欠席者25名。昨年は、33名の出席があったのだが……。第25回の最後の同窓会を解散して、希望者のみ51名で出発した友の会だが、毎年出席者は減って来た。一年の重みが、毎年肩に重くかかってきているのが出席人数で、良く解る。欠席者の近況報告は、殆どが体調不良ということになっている。

628日 演劇フェスティバル出演の日だ。午前中は、遠方より友の会に出席し、宿泊している友達を見送るため、ホテルに寄り友達を残して、文化の森の会場に走り、最後の練習。運悪く、病気入院中の義弟(妹の連れ合い)の死去の電話が入る。走って行きたいが、劇が終わるまではそれは出来ない。劇を覗きにくる予定だった息子夫婦に走って貰う。劇は、何とか失敗なく終わった。観ている方たちが感動してくださったようで、何人もが話してくださった。皆が、年の功で底力を出したのだ。それぞれが味のある演技が出来たのだ。

 家に帰り、妹のところに行き、冷たくなった義弟に会う。悲しかった。諦めてはいたものの……。

629日 疲れはとれなかったが、劇が終わったことで、かなり方の荷がおりた。午後、通夜にでかける。仕事の関係で家族3人ばらばらにしか行くことができなかったが、思い残すことなく夜、9時帰宅。何日ぶりかで、入浴が出来た。

630日・朝7時に家を出て、葬儀場へ。納棺の儀に立ちあう。近しい親族ら十数人が、立ちあう。喪主の甥は、アメリカと日本をあちこちしている忙しい仕事人だが、その甥の希望で、皆それぞれが、白い棺桶に、ボールペンで、思い思いが別れのことばを書きこんだ。一番に、甥が泣きながら書きこむ。だれひとり嫌がる者はおらず、それぞれが、真剣にペンをにぎる。大きな字で「有難う!」と書く人、細かい字で、色々な思いを書く人、こんな納棺の儀は、葬儀場始まって以来だろう。すばらしい思い付きだと、感心した。甥は、日本には多くの店舗を持つアメリカの会社につとめている。まだ50そこそこだと思うが、日本では4人しかいない上部の役員をしている出世者だが、こうした彼なので、次々とわく新しいアイデアが出世を助けたものだろうと思った。
 お骨になった義弟は、小さなツボの中におさまった。何時の場合も、自分の最後と重ねるものだから、複雑だ。

・今日は、71日。午前中、藍住文芸の役員会だった。文藝便り34号の発送作業をした。やっと、ほっとしている。

 みなさんが、「あんたは元気やなあ」と言ってくださる。けっして元気とは言えないのだが、何とかカラ元気でおれるのは、やはり「することがある」ということだろう。ありがたいことである。