2017年1月30日月曜日

№1126 籤運


  不思議に思うことはたくさんありますが、籤運のいい方と、籤には縁のない方があるのは、不思議でなりません。私は、籤運が悪い方で、これは若いときからなので、籤を引くときは、「どうせ当たらない」と思いながら引くものですから、当たるものもあたらないのかもしれません。と思って反対に、「籤運がいいから当たるぞ」と思って引いた籤も、当たったためしがないので、そんな思いは関係ないのでしょう。

 今年のお年玉付き年賀状の整理をしました。籤も、頂いた100枚以上の年賀状の中では、1枚の切手シートも当たりませんでした。二桁の当たり番号の1番違いを数えてみると、5枚もあったのに。(笑)

 教え子のN君は、籤運がよくて、自分でも驚くのか、今だにいろいろな籤に当たるとよくメールで知らせてくれます。また、私の郷の宵祭りの演芸会に出掛けてきて、最後の籤引きを引き、毎年5等までのいい商品を引き当てている女性がいました。近所の方でしたが、郷の区域外の方なので、本人は、毎年いい籤が当たるものですから、気がひけるのか、『どうか1等と2等は当たりませんように』と拝んで引いていると言っていました。郷の会計をしていた私は、いつも籤引きの世話係でしたので、そんな彼女の苦労話も知りました。彼女のことも不思議でなりませんでした。

 ま、籤運などは、大して問題ではありませんが、人生の大切な岐路に立たされたときなどの運不運などは、どうなるんでしょう。運のいい人、悪い人、……こんなことがあっては不運な方は、たまりませんねえ。私は、「まあまあかな」と、思うことにしています。不運だと思ったところでどうにもなりません。現実に満足して生きていくのが幸せと思っている者ですから。(^^

2017年1月28日土曜日

№1125 夢と目標


  大きな目標を達成なさった方たちはよく、『夢は必ず達成しますから頑張ってください』とおっしゃいます。これは、けっこう無責任なことばと思うのです。才能、運、環境、努力などなど、幾つものことがあってのことだと思うのです。夢はだれもが叶えられるものではありません。けれどもよくしたもので、人間は、ある程度のトシがきますと、自ずと自分のことが分かってきますから、叶わぬような夢は萎んで、自分に適した夢や目標を持つものです。

 私など、平凡の中の凡人ですから、大それた夢など持ったことがありませんが、小さな夢や目標は、よく持ったものです。そして、目標の殆どは達成してきました。自分だけではなく、人様の力も借りてのことです。例えば、自分がやりたいことを他人にしゃべっておくことなどがそれです。自分の言ったことに、あまり嘘は言いたくありませんからね。また、友達などといっしょにやろうとすることもその一つでしょう。

例えば、運転免許のことで申しますと、50歳近くまでは、まったく取得出来ないモノと思っていました。夫に「スポーツも不得手で不器用な者が運転免許など持つのは、他人に迷惑、命を捨てるようなものだ。絶対ダメだ」と言われていたのです。スポーツ万能の友人でも、早くに免許をとっていましたが、いつも恐る恐るの運転でしたから、サモアランの心境でした。

ある時、以前、自動車学校の講師をしたことのある方が、『運転は、スポーツも器用さも関係ありませんよ』と言う言葉を聞き、気持が変わりました。しかし、トシがトシですから、諦めていました。

 そんなとき、大学生だった息子が春休みに自動車学校に通いはじめ、『お母さんのようなオバサンが、ようけ習いに来よる』ということばに、入道雲のように免許証取得の願望が湧いてきました。自信はありませんが挑戦しようと思いました。「私、免許取るけんな」と、友人たちにふれました。こうして他人さんにふれますと、もう止めるわけにはいきません。やるだけです。ついでと言ったら語弊があるかもしれませんが、知人にも薦めました。夫に内緒で手続きをしてから、夫に告げますと、怖い顔をして『死んでも知らんぞっ!』と怒鳴られましたが、ひるむことなく頑張りました。と言うのは、朝の四時起きしてスクーターで教習所へ行き、都合のいい時間帯の順番待ちをし、5時から受付。それが取れたら家に帰ってから、朝食、スクーターで駅まで。汽車で通勤、帰りは駅から教習所へ。帰ってから夕食準備をするのです。その頃は大変なブームで、今のように、お客をお迎えに来てくれるような時代ではなかったのです。だから教習所の先生たちも、大いに威張って、男生徒を怒鳴り散らしていたようです。今ならそんなことしたら、お客は集まりませんよ。

 最初の講義のとき、『えー、若い方もお年の方もおられますが、……といっても50歳やの方はおらけんでしょうが……云々』のおことば。(オイオイ、50だよ、来年は……)(><

ハンドルを握り、コースにでると、教官曰く『あんた、無免許で乗っていたんとちがうで?』と。(とんでもない)

免許を手にして、ますます運転が大好きになったのです。世界が広がったと思いました。そして夢も広がりました。本州はもちろん、夫の生まれた九州も私の故郷の北海道までも、愛車で旅しよう……と。

通過だけであれば、ほとんど通過してきました。その度ごとに目標を持ち、九州も、家族で一度、友達を乗せて二度、夫の死後は、義姉二人を乗せて夫の住んでいた所のあちこちへと走ったし、北海道も故郷や恩師や親友のところにも愛車で走って来ました。

夢と目標は別かもしれませんが、小さな夢や目標も、達成した喜びは大きいものです。幾つになっても、夢を持つことが出来ますし、目標も掲げることは出来ます。大きくなくてもいいのですから……。(^^

 

2017年1月23日月曜日

№1124 指

  朝、洗濯物を干していると、指先の感覚が亡くなるほど冷たかった。最近は、指の感覚が鈍になっているし、右手の指の第2関節が痛いので、何をするにもちょっと不便である。それでなくても不器用というのに、字を書いても紐を結んでも上手くは出来ない。

不思議なもので、普段はそんなに思うこともないのだが、指先の感覚というのは、たいしたものである。ゴム手袋を穿いての細かい作業は、とてもやりにくいし、紐などもうまく結べない。料理なども、冷たいからと言ってゴム手袋等履いてやると、包丁など怖くて使えない。手袋の先を飛ばすか、悪くすれば指先を切ってしまうこともある。

昔、夫が酔った勢いでか、『駅前で友達になった』なんて言って、アメリカの青年二人を連れて、タクシーで帰ってきたことがある。夜の8時頃から、11時すぎまで、雑談していたのだが、私はまったく蚊帳の外で、ただ皆が笑えば笑うだけだったが、彼等が、もうホテルに帰るというとき、夫が「英語の勉強させてもらったわ。何か土産を持たせてやれ」と言うので、ちょうど日本風の風呂敷があったので、お渡しすると、箱から出して首に巻いた。これは、こういう風に使うものだと、使い方を見せてあげたところ、彼等は面白そうにやりだしたのはいいが、結局結ぶことが難しく何度教えても、結べなく、結局マフラーにするというのだ。結ぶことが、そんなに難しいはずはない。靴の紐などは結べるはずだから……。(アメリカ人って、指先が不器用なのかなあ)と思ったものだ。今思うと、不器用というよりは、慣れていないと言うことだろう。

余談になるが、そのあと、夫と彼等を車に載せ、徳島のホテルまで送ったのだが、『ああ、今日は英会話の勉強がタダで出来た』と、ご満悦。私が、「えっタダ? お酒も出したし、ちょっとした小料理屋さんくらいの接待したよ、お土産まで持たせたし……(大袈裟やけど)」と言い終わらぬ内に、夫の鼾が聞こえだした。


2017年1月21日土曜日

№1123 大寒


 いよいよ本格的な寒さが到来。でも、大寒に入ったとはいえ、昔の寒さとは、かなり暖かいようだ。60歳近い息子が生まれた頃は、朝洗ったおしめが干している間に凍ったり、つららができることはよくあった。手にはひび割れや皸ができたものだ。(あかぎれなどというこんな漢字は、見たこともない人が殆どだろうなあ。私も始めてパソコンの変換で知った)

私は帯広で12歳まで暮らしたが、この頃はTVの天気予報でよく、帯広が出てくるので思うのだが、零下15度だの放送しているが、私の子どもの頃は毎日のように、零下20度近かったし、20度を超すと学校は、1時間遅く始まるのだが、そんな日はよくあったものだ。

暖冬は嬉しいのだが、地球の温暖化で、色々な問題が持ち上がっていることを思うと、喜んでばかりはおれない。

寒くても、ほとんど震えることのない環境で暮らしながら、「これでいいまか?」と思う。せめて着るものを一枚よけいに身につけて、(だるまさんのような格好で)エアコンやストーブの目盛りをちょっぴり抑えている昨今である。(^^)

 

2017年1月17日火曜日

№1122 22年前


 月日の流れは、振り返ってみると矢のように速いもので、阪神淡路の大震災は、22年も昔の話になってしまった。私は上の孫と寝ていたのだが、震度4強の地震で目が覚めたとたんに、孫の身体の上に覆い被さったのを思い出す。当時4歳だった孫は、びくともせずに眠り続けていたのには驚かされたものである。そしてTVでみた阪神あたりの被害の物凄さに身をふるわせたのも思い出す。もし、あの地震が、通勤の時間帯だったら、6千人どころではない、もっともっと被害が大きかったのではないか……などと思ったものだ。

 しみじみと振り返ってみると、この22年、矢のように早かったとは思わない。その年の9月には、夫がまるで暖簾でもくぐりぬけるように旅立ってしまったし、悲喜交々だった。何人もの近しい人たちを失い、見送りもした。そして自分自身のこれからを、どう生き終わるか、ということも大きな問題になっている。しかし、ただただ1日1日が、思うように運ばれていないのが現実であるが……。(笑)

 

2017年1月14日土曜日

№1121 鈍感


  ブログを1週間に2、3回は書きたい、と思っているのだが、気が付けば4日も5日もたっていて、驚くことがある。こうした感覚も鈍くなってきたのだろうか。
1112日と、我が家で会があったこともあり、昨日は、殆ど外での用事があり、なかなか落ち着く暇がなかったのもあるが、忙しく何人もの方と話をし、頼まれごともあり、早くしておかねば、忘れてしまっては大変と、気が焦るせいか、夜寝床に入っても、なかなか寝付けず、睡眠不足になっている。そんなときは、以前から誘眠剤を使っているのだが、誘眠剤は、薬局にはなく、医院に行って診察をしてもらわねばいただけない。しかたなくお医者さんに行った。形だけ診察し血圧を計り誘眠剤を4週間分いただいた。それ以上は出せないらしい。
一回1錠だが、それを4つに割って、僅かの量だが、口に入れると、お呪いのようなもので、何とか30分くらいで寝つける。誘眠剤は、くせになり、効かなくなるというので、そのようにしているのだが、それもあまり効き目がないときは1時間後、また飲むときもある。効き目がなくなるというのも、感覚が鈍ってきたということだろう。
年寄りは、ある面では、鈍感なほうがいいこともある。少々のことで、喜怒哀楽に反応していては、身がもたない。ただ、感動することは多くなった。むしろ鈍感の反対かもしれないが、涙もろくなるのは涙腺が鈍くなった、のではなく、それだけ感情が豊かになった、優しくなれたことだと思うことにしている。(^^)
 

2017年1月10日火曜日

№1120 非行


  あちこちで成人式が行われたようです。何年か前のように、騒ぎ立てて、ニュースになるような成人式は、もうなくなったのか、見聞きしませんでした。ほっ。

 とはいいますが、新年早々、色々な事件が起こっています。子どもや若い人に限らず、いいトシをした人までが、非常識なことをするのには、嘆かわしいことです。

 昨年末には、『カジノ法案』が成立、依存症対策など具体的なことを決めるということらしいのですが、そんなことで、依存症がなくなったり、治ったりするのでしょうかねえ。疑問です。昔、教え子の母親が、パチンコ狂でした。自分の夫が亡くなった日も、パチンコに行ったと、息子は言っていました。そんな家庭ですから、今も、その母親は、いいトシですが、生活保護を受けながらも、パチンコに行っているそうです。息子だって、まともには大きくなりません。今だにはらはらさせられています。

 たかがパチンコであっても、家屋敷財産をつぶしたりすることはできます。こうした賭けごとにはまらないようにする法律とは、どんな法律なのでしょうか。そんなお薬のような法律が出来るのなら、今すぐにでもできたなら、喜ぶ家庭はたくさんありそうですが……。

 

2017年1月7日土曜日

№1119 健康法の色々



 私たちは、常識的には、ある程度の栄養を3度の食事で撮ることを教えられてきた。ところが一方で、「食べない健康法」という健康法もあるから、学説も色々あって面白い。食べない健康法によれば、お腹いっぱいに飲食すると、栄養素が胃腸から血液に吸収されて、血液中の栄養状態がよくなり、それを食べた白血球も満腹になり、外から黴菌やアレルゲンが侵入してきても、体内にガン細胞が発生しても、十分に食べようとしない。つまり、「免疫力が落ちる、ということらしい。

 反対に私たちが空腹状態であれば、血液中の栄養じょうたいも低下し、白血球も十分に栄養が摂れないので空腹になるので、黴菌ヤアレルギン、ガン細胞をぱくぱくと食べて処理能力が高まる、というわけである。人間も動物も、病気になると、食欲が落ちるのは、白血球の力を強めて、病気を直そうとする自然現象とか。そう言われれば、最もな気になる。ま、腹八分が健康に良い、ということは、よく聞かされることだが、「食べない健康法」では、腹八分どころか、11食か2食でいいと説いている。

 私個人的には、トシとともに、食事量は、かなり減っているのだが、3どの食事には、なるべく野菜などをたくさんいただくし、卵は一日3個は食べているので、自分では、けっこう満腹感はある。あまり、間食をしたいとは思わないし、美味しいおやつがあれば、主食を食べずにいただいている。今更、我慢をして、食生活をどうこうするつもりはない。白血球も、今のところ、何とか働いてくれているらしく、風邪もひかずにがんばっていいる。(^^)

2017年1月4日水曜日

№1118 見舞い


  緊急入院した妹の見舞いにいった。元日早々、腕が動かなくなったという。心臓から出た血栓が、肩の血管に詰まり、腕がおかしくなり、血圧の測定も不可、脈も無くなったとか。近くの病院から、すぐ大きな病院に運ばれ、その日すぐに手術をしたという。血栓が、肩の血管をふさいだけど、脳に行くと脳血栓で、大変なことになってしまうらしい。手術中に、脳の方へ行くかもしれないので、手術はどうするか、と尋ねられたと言う。ま、手術を選んだのだが、うまくいって成功したらしい。何とか元気になり、あと、45日で、退院できるとのことでほっとした。

 血栓と言うと、大抵脳血栓で、悪くすると、命を落としたり、寝たきり、植物人間などを想像するのだが、腕など、思ってもみなかったが、そういうこともあるし、腕といえども、軽くみてはいけないことを知った。

 

2017年1月2日月曜日

№1117 正月二日目


  5時、目が覚める。トイレに行く。5時間寝ているので、もう続いては眠ることは多分出来ない。部屋を暖め、蒲団の中で30分。いろいろな思いにふける。部屋が暖かくなると、やおら起き上がり、着替えをする。今年は、健康管理上、着替えの時、すっぽんぽんで、体重計に乗り、それを壁に張った暦に記録していくことにした。47.6K。元日より100g減。目標は、48k前後を保つこと。理想体重より太めだが、それでいい。私の体重は、とても正直者で、ちょっとのことで1kくらい増えたり減ったりしている。(笑)

 朝の諸々の行事?が終わると、10時。お寺に年始のご挨拶に行く。歩いても往復3,000歩ほどなので、毎年歩いて行くことにしている。

 お寺はただいま本堂大修理中。先年、各檀家一軒当たり70万円の寄付を徴収しての修理である。予定より、工事がかなり遅れているらしい。オリンピックのように、予算が膨れてはいないのだろうか、これから物価が高くなっていくと、また、追加がくるかもしれないなあ……などと思いながら見上げていた。

 帰ってさっそくTVをつけ、恒例の大学駅伝を覗く。10分ほどみて、横で仕事にかかる。昨日印刷してあった同窓会友の会会員向けのお便り50部を封筒に入れ、シールを貼りつつ、時々、TVを横目で覗きながらなので、捗らない。二兎を追っているのだから仕方がない。(笑)目まぐるしく先頭が代っている。マラソンにくらべ、駅伝は、ぐっと責任が重くなる。襷を渡すまでは、どんなに苦しくても、最後まで走らねばならない。それだけに、命をかけても走る学生ばかり。観ていて感動的場面がしばしばあって、涙が出てくる。こうした経験をした人たちは、きっと世の中に出て、試練の中に立たされることがあっても、がんばって走れるのだろうなあと、思わずにはいられない。明日もがんばってほしい。

 転んでも痛くないほど着込んでいるせいか、寒くない。気が付くと、5時過ぎ。今まで暖房なしである。ま、これから冷えて来そうなので、暖房をつけることにしようか、……。

 

2017年1月1日日曜日

№1116 新春雑感


  あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。おかげさまで、介護サービスを受けることもなく、繕いながらも、自立生活を送っております。人生は短く、一日もあっという間に暮れますが、目の前のやるべきことは、のろのろとしか出来なくなりました。でも、それも味わい深いものです。悔いのなきよう、一日一日を、じっくりと噛みしめながら、そして楽しみながら、前に進んで行こうと思っております。みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

以上が、今年の私の年賀状でございます。このブログをお読みいただいている皆さまにも、謹んで差し上げます。m(_ _)m

 お天気にめぐまれた元日。昨夜は、めずらしく紅白歌合戦を初めから終わりまで、ほとんどを観ました。というのも、今まで観る気になれなかった最近の歌手の歌も、画面の下に現れる歌詞をみていると、「いい歌詞やなあ」と思うものばかりだったからです。頭から、『分からない若者の歌』と決め込んで聞き流していたときは、歌詞の内容など、とても聞き取れていなかったということでしょうか。歌詞は、演歌よりも分かりやすく、心に響く歌が多いとも感じましたので、お仕舞いまで、観られたのでしょう。とはいいますが、自分では歌えそうもありませんが。(笑)

 『一年の計は元旦にあり』ですが、このトシになりますと、一年という日々が、健康でおれるものやら……という気持ちにもなります。先ほども、三歳年下の近しい者が、元旦から緊急入院したとの連絡を受けました。とは言うものの、私は今朝も、目を覚まして思ったのは、「ああ、今日も、一日何とか元気に動けそうやな。いや、元日だ、今年一年は大丈夫やろな」と変更しました。(笑)自分で自分に暗示をかけるような気持です。

TVをつければ、元日早々から、イヤなニュースが報道されていました。トルコでは40人もの人がテロで殺されてたとか。残虐なこうした事件が後を絶たない今の世界情勢を思うと、今は他人事と思っていても、いつ火の粉になって降りかかってくるかもしれません。やはり強い者だけが勝ち残れるような社会・国家では、秩序や道徳、マナーといったものがないがしろにされるのは当然かもしれません。本当の平和は、いつの時代も難題なのかもしれませんね。

おだやかな一日が暮れようとしています。三が日は、息子たち一家と新年を祝い、食事をし、あとはお参りに行くこともせず、ただ年賀状を見て、出していなかった方への賀状を書き、郵便局まで出しに行き、後は、残っていた整理整頓をちょっとばかりし、あとはのんびりとTVをみたりしていましたら、もう西の空が赤く染まってきました。平和な一年の象徴のような、のんびりした一日になりました。(^^)