大きな目標を達成なさった方たちはよく、『夢は必ず達成しますから頑張ってください』とおっしゃいます。これは、けっこう無責任なことばと思うのです。才能、運、環境、努力などなど、幾つものことがあってのことだと思うのです。夢はだれもが叶えられるものではありません。けれどもよくしたもので、人間は、ある程度のトシがきますと、自ずと自分のことが分かってきますから、叶わぬような夢は萎んで、自分に適した夢や目標を持つものです。
私など、平凡の中の凡人ですから、大それた夢など持ったことがありませんが、小さな夢や目標は、よく持ったものです。そして、目標の殆どは達成してきました。自分だけではなく、人様の力も借りてのことです。例えば、自分がやりたいことを他人にしゃべっておくことなどがそれです。自分の言ったことに、あまり嘘は言いたくありませんからね。また、友達などといっしょにやろうとすることもその一つでしょう。
例えば、運転免許のことで申しますと、50歳近くまでは、まったく取得出来ないモノと思っていました。夫に「スポーツも不得手で不器用な者が運転免許など持つのは、他人に迷惑、命を捨てるようなものだ。絶対ダメだ」と言われていたのです。スポーツ万能の友人でも、早くに免許をとっていましたが、いつも恐る恐るの運転でしたから、サモアランの心境でした。
ある時、以前、自動車学校の講師をしたことのある方が、『運転は、スポーツも器用さも関係ありませんよ』と言う言葉を聞き、気持が変わりました。しかし、トシがトシですから、諦めていました。
そんなとき、大学生だった息子が春休みに自動車学校に通いはじめ、『お母さんのようなオバサンが、ようけ習いに来よる』ということばに、入道雲のように免許証取得の願望が湧いてきました。自信はありませんが挑戦しようと思いました。「私、免許取るけんな」と、友人たちにふれました。こうして他人さんにふれますと、もう止めるわけにはいきません。やるだけです。ついでと言ったら語弊があるかもしれませんが、知人にも薦めました。夫に内緒で手続きをしてから、夫に告げますと、怖い顔をして『死んでも知らんぞっ!』と怒鳴られましたが、ひるむことなく頑張りました。と言うのは、朝の四時起きしてスクーターで教習所へ行き、都合のいい時間帯の順番待ちをし、5時から受付。それが取れたら家に帰ってから、朝食、スクーターで駅まで。汽車で通勤、帰りは駅から教習所へ。帰ってから夕食準備をするのです。その頃は大変なブームで、今のように、お客をお迎えに来てくれるような時代ではなかったのです。だから教習所の先生たちも、大いに威張って、男生徒を怒鳴り散らしていたようです。今ならそんなことしたら、お客は集まりませんよ。
最初の講義のとき、『えー、若い方もお年の方もおられますが、……といっても50歳やの方はおらけんでしょうが……云々』のおことば。(オイオイ、50だよ、来年は……)(><)
ハンドルを握り、コースにでると、教官曰く『あんた、無免許で乗っていたんとちがうで?』と。(とんでもない)
免許を手にして、ますます運転が大好きになったのです。世界が広がったと思いました。そして夢も広がりました。本州はもちろん、夫の生まれた九州も私の故郷の北海道までも、愛車で旅しよう……と。
通過だけであれば、ほとんど通過してきました。その度ごとに目標を持ち、九州も、家族で一度、友達を乗せて二度、夫の死後は、義姉二人を乗せて夫の住んでいた所のあちこちへと走ったし、北海道も故郷や恩師や親友のところにも愛車で走って来ました。
夢と目標は別かもしれませんが、小さな夢や目標も、達成した喜びは大きいものです。幾つになっても、夢を持つことが出来ますし、目標も掲げることは出来ます。大きくなくてもいいのですから……。(^^)