2018年12月31日月曜日

№1230 今年も終わります


  元日を明日に控えて、まだしなければいけない仕事があるのですが、パソコンに向かいました。分母が不明ですが、もしあと3年生きれるなら、一年は残り人生の1/3ですし、2年なら一年は、人生の半分でとてもぼんやりとは過ごせない月日となります。

 今年を反省してみますと、忙しい一年でした。ということは、多分充実していたことなのでしょう。忙しい理由は、仕事は増やしてはいませんから、何をするにも時間だけはかかるようになったと言うことでしょう。ですから、余分にしなければいけないシュウカツというものが出来なかったのです。身の回りの整理は、どうしてもやっておきたいと思っていながら、出来なかったのが、ちょっと悔いが残ります。

 家族や身近な者達は、私をまだまだ大丈夫と思っているらしいのです。車に乗って走りまわるし、滅多に寝込んだりしないし、愚痴を言わないものですから・・・。でも、本当は、かなりくたびれました。あ、もうじきトシが変わりそうです。

 つまらぬブログを読んでくださった皆様、ありがとうございました。

2018年12月18日火曜日

№1229 師走


  このあいだ年賀状を書いたように思うのだが、もう一年が過ぎてしまった。今年はまだ一枚も手を付けられず、気持ちはあせっているのだが、元日配達には間に合わないだろう。

 一年ぶりの知人友人の年賀状を頂くというのは楽しみなものだが、だんだんと、「今年を最後に・・・」という方も増えて来た。ま、私もそのうち書きたくても書けなくなるだろうから、それまでは、このままでいこう、と思っている。

 師走といえば、昔はすぐにボーナスというコトバを思い出していたが、もうそんなコトバとはご縁がなくなったので、あまり楽しいコトバは思い浮かばない。身体が疲れそうな仕事ばかりを思ってしまう。

 まず、大掃除はしたい。掃除というよりは、いらぬ物を捨てる片付けだ。手の届かぬ高い戸棚には、捨てたらいいものがたくさん入っているはずだし、食器戸棚にも、使わぬものがたくさんある。食器は興味があるので、かなりあるのだが、頂き物や、衝動買いをしたものなどで、使ってない物もかなりある。頂き物は、品のいいものでも、趣味の合わない物は使わない。以前は毎年バザーをしていたので、出したり買ったりしていたのだが、仙谷さんが議員を止められてからは、もうバザーの必要もなくなってしていない。地域の子供会のバザーも、いつの間にか消えている。

個人的にいらない物をだれかに差し上げるというのは、なかなか難しい。友人たちも、身辺整理中だ。だれも貰ってはくれそうにない。

お節作りは母屋と共同で、私は野菜全般と数の子の係なので、頭を使うことではない。ただ、煮炊きばかりなので、黒豆のように、コトコトと、二日ほどかけて作るものなど、焦げ付かせたりしたらオオゴトだ。最近は、よく失敗するので、何を作るにもタイマーが離せない。ちなみに私が焦げ付かせるのは、必ず弱火にして、あと3分とか、5分煮込むと言うようなときである。ちょっと目をはなして、他の事をしているときだ。

話は飛ぶが、お鍋だけは、年寄りは安物を買うべきではないと思う。高価なお鍋は買うときにはかなりお鍋と睨めっこして買うが、いくら焦げ付かせても、綺麗になるので、安心だ。安物のお鍋はそうはいかない。我が家の安鍋は、焦げ付かせてもうお払箱になったので一つも無し。(笑)

最近、よく火災のニュースが出てくる。老人が逃げ遅れて亡くなった話も多い。鍋を焦げ付かせるのはまだ許せるが、火災をだしては大変なことになる。火の用心だけは、特に気を付けている。私は、胆石で、胆嚢は全摘出術をしているので、油物は控えているため、揚げ物は一切作らない。油炒めにとどめている。油から火をだすことはないだろうが、札幌でのガス爆発のように、ガス漏れなどがあっては大変だ。何かに付けて、老人は、確かめることをマメにするようにと、言い聞かせている。

あと10日あまり。忙しい毎日となりそうだが、頑張って新年を迎えたい。

2018年12月10日月曜日

№1228 一件落着


  先日、詳しく書くと、12月2日(土)この題を書いて、続きを書こうとしていると、次々と電話がなったり用事が出来たりで、続きを書くのを忘れてしまった。その日だけではなく、忙しい日が続いてしまって、1件落着ではなく、何件かの落着をまたねばならぬようになって、やっと、書く気になったしまつ。

 シニヤ劇塾の公演が済んだのだ。これは、大きな出来事だったので、肩の荷はおりた。私がチケットを差し上げたお方や、買って下さったお方たちは、面白かったとか、身につまされてとかおっしゃって褒めてくださったが、これはお世辞と言っては悪いが、作者本人に、出来が悪かったなんて言えるものではない。良かった、楽しませてもらったと言うのは、当たり前だろう。こういうとき、お上手なしの評をしてくださる方は、身内と、信頼出来る劇評が出来なさる識者である。見に来て下さった方の多くはシニアの方たちなので、身につまされたりするのは、本当かもしれないが、劇評ではないだろう。

 本心今年が最後と思って書いたので、来年楽しみにしているなんて言われると困ってしまう。何時までも書いていたら、後取りが育たないのだ。書いたら書けるはずの人はいる。そんな方に、ちょっと勉強していただいて、書いてもらうことにした。まだ若い。私の娘や息子のような方たちばかりだから。先生だって私より10歳お若い。私もちょっぴり劇に顔を出すのだが、私には遠慮なさってか、何もおっしゃらない。さしせまってきたら、気長な先生も、怒鳴ることもある。シニアは、何度言われても忘れることもあるので、しかたがない。長い台詞を、苦労して憶えても、いざ動作を伴うと、台詞は出て来なくなる。先生もしびれをきらしてのことだ。() それでも皆はにこにことしている。いい人間関係ということでもある。

 ま、皆さん本番は、トチルこともなく、すらすらと劇がすすんでいったので、先生もご安心なさったことだろう。私もちょっぴりの台詞だが、間違わずに言えました。(^v^)

2018年11月28日水曜日

№1227 お偉かったゴーン氏が・・・


  随分とたくさんの収入があったらしいゴーン氏だが、収入をごまかすという罪を犯したという。人間の欲望というのは、恐ろしいものだ。喰うに困っている人がパンを盗む、というのとはわけがちがう。どこまで欲深いんかいなあと思う。
 こうしたことは、ゴーン氏にかぎらず、よくあることだが、人間はお金が貯まると、ますます欲深くなるのだろうか。お墓のなかまで持っては行けぬ財産、しかも、贅沢な衣食住で過ごしても使い切れぬだけの収入がありながら、せこいことをしたり、誤魔化したりしてお縄になるなんて、庶民には考えられぬことだ。

 ま、高給取りの方たちが、こうした欲張りな人たちばかりではないだろうが、こういう人がトップにいるようでは、汗を流して働いている社員の方たちに、〝自分たちの給料の一部をぴんはねされていた〟と思われてもしかたがないなあ・・・。

人間、〝富んでくればお性根は汚くなる〟のなら、お金持になれなくて良かったなあ・・・。(^v^)

2018年11月18日日曜日

№1226 高齢なので・・・と


  夏場に転倒して肩を打ったことがあった。特に傷みが残ったり手を挙げるのが不自由ということはなかったのだが、手を伸ばした時等など多少の違和感が残っていた。トシをとると、何でも元には戻らず、だんだんと老人らしくなっていくものと思っているので、気にはしていなかった。

 ところが、5日前から左腕が痛くなり、夜になるとまったく上に上がらなくなり、傷みで何度も目が覚めた。翌日、置き薬のシップなど貼って様子をみていたのだが、治りそうもない。骨か筋肉がどうかなったのかと思って午後になってやっとお医者にいくことにした。

 レントゲンの写真を見ながら先生は、「肩関節がちょっとすり減っていますねえ。神経にさわっているんでしょう。高齢なんで・・・と、当然のことのようにおっしゃる。肩に傷み止めの注射をしてくださり、湿布と傷み止めの薬を頂いて帰って来た。

 字を書いたり鋏をつかうのは右手だが、左利きの私は、不便で仕方がない。車などどうしても左手を使わねばならないときは、右手で左手を持ち上げてハンドルを握らせる。右手は、大奮闘だ。

 少しずつ痛みは薬のおかげでよくなって今日は、もうほとんど痛まない。でも、またいつ痛くなるかわからんなあ。高齢やもんなあ。やれやれ。

 昨日、目がころころしてゴミでも入ったのかと思って目薬で、だぶだぶ洗い流そうとしたが治らない。しかたなく眼科を訪れた。診察してくださった先生曰く「高齢なのでねえ、白目に皺が出来てきて、ころころするんです。特に悪い病気ではありません。とおっしゃって目薬2種類を頂いて帰る。少しましになったようだ。

 ああ、高齢者ってこういうもんだと思えば、いいんだよね。いろいろあっても当たり前のことだもの。・・・とにこにこしていたらいいんだわ。ふふふっ。

2018年11月14日水曜日

№1225 消費税


  消費税が10%になるらしいが、据え置きのものがあったり、なかったりするらしい。また、その場で食べたら10%で持ち帰ったら8%とかなんとか、ややこしいこともあるらしい。こうしたことを決めるお方たちは、いったい、私たち庶民が買い物をするとき、財布の中身を考え、定価表とにらめっこしながら買う買わないを決めていることをご存じないらしい。もうややこしいことや、めんどなことは勘弁してほしいと思うトシになったので、「買い物を控えるに限る」なんて思ってしまう。国策には沿わないのだが・・・。

 以前から年金暮らしの者は、年金が減ったり、物価があがると、買い物を減らすのが常識で、年寄りはしっかりお金を使ってほしいという国の方針とは反対に、葬式代や病気のための貯えの持ち出しを避けたくなってくる。むしろ貯金を殖やしたいくらいである。売る側だって大変だろう。何とかややこしい消費税だけは勘弁してほしいものだ。

2018年11月10日土曜日

№1224 社会人


 よく、子どもの頃の学校の成績と、社会人の成功とは、あまり関係ない、と聞く。ま、職業にもよるのだろうが、幼いときから〝この子は頭がいい〟と感心していたY君は、特別のガリベンなどせずに、現役で東大に受かり、官庁に就職したが、意にそぐわず1年でやめて、今は、東大大学院で研究を続けていると聞く。将来は、研究者となるか、大学の先生になるやもしれない。

 それとは反対に、K君は、幼いときは、あまりぱっとしなかった。親は、妹がしっかりとしていて勉強も出来、地元の国立大学に入学出来たものだから、「代わっていたらよかった」なんてぼやいていたものだ。

しかし彼は、二流の私立大学を出て、外資系のある会社に就職したら、めきめき腕をあげたのか、全国に店舗を持つ有名な外資系の会社に引き抜かれた。今はその会社では、(日本の国の中ではあるが)社長の下のトップ4人の中に入っているらしい。

K君が社会人となり、水を得た魚のように活躍しだしたことに私は、何か原因があるのだろうとは思っていたのだが、あるきっかけで、分かったような気がしたのだ。それは彼の発想がとてもユニークだということだった。だれも気がつかないような事をする。しかも、予測することにも長けている。それは私的な場面しか知らないのだが、多分、仕事とのことでも、そうした才能を発揮しているのだろう。こうした才能は、学校ではなかなか発揮する機会はないのだろうし、学業成績には、あまり関係ないのかもしれない。いや、社会に放り出されて初めて芽を出すものかもしれない。

最近は、よい成績で、立派な学校を出ても、社会人として、なかなか馴染めない若者もいると聞く。いずれにしても、学校では、ただ学問だけを学ぶということだけではなく社会人育成ということも考えてはいるのだろうが、難しい問題のようだ。

2018年11月1日木曜日

№1223 再び・・・



NHKの番記者さんたちが書いてくださいました。




以上のようなメールが、仙谷事務所より送られてきました。ずっと、仙谷さんを追いかけて取材していたNHKの番記者さんたちが、政治マガジンに特集番組で紹介してくださっています。私たちの知らない仙谷さんのことも分かり、私は、再び残念でたまりません。本当に惜しい方を日本から失ものです。お時間があれば、ぜひみていただきたいと思います。どうしたわけか、3だんにも成ってしまいますが、続いています。うまく開くといいのですが・・・。
 

2018年10月27日土曜日

№1222 免許証



  免許証にもいろいろあって一概には言えないが、市民の大勢の方が持っている車の運転免許証などは、何年目かに書き変えをしなければならず、私のようなトシの者は(昨日米寿を迎えた)早く返納せよと攻め立てられている。ただ、毎日運転し、家族の役にもたっている私は、家族から「もう車は止めたほうがいい」などと言われたことはまだ一度もないが、世間一般の風潮は、結構厳しい。無理もない。大きな事故を起す確率が高いのだから仕方がないだろう。

 かなりの車好きな私だが、免許を手に入れたのは、40代半ばで早くはなかった。それまでは不便で、車に乗りたかったのだが、夫が「不器用だし、運動神経が鈍いから運転はだめだ」と言うものだから逆らわなかった。自分も、「さもありなん」と諦めていたが、不便な田舎暮らしでは、運転免許証は、必需品に近いものである。

 大学生の息子が夏休みに帰省し、免許を取るため自動車学校に通い始めたとき、「お母さんのようなオバハンがようけ習いに来よる」との一言で心が動いた。「よしっ、内緒で免許取るぞ」と。善は急げとすぐに申込をしてきた。何日かしてそれを知った夫は、苦虫を嚙み潰したな顔で「死んでも知らんぞっ」とだけ言った。
  どうも車の運転は、運動神経や器用さとは別ものらしく、威張るわけではないが指導員の先生に「あんた、無免で乗っていたのと違うで?」と言われるほど、楽しく練習が出来た。
 そんなこともあって、いつか暇が出来たら、日本のあちこちを車で気ままに旅をしたいというのが夢になった。近くは親友の住む高崎や熱海、そして生まれた北海道・・・と、行きたいところが次々と頭をよぎっていった。
 
 今、振り返ってみると、55歳で退職して75歳くらいまでの20年間に、車旅の夢は、ほぼ達成してきたように思う。夫の生まれた古里九州も、家族で一度、夫が無くなってからは、夫の位牌と写真と、夫の姉二人を載せて、夫が中学生まで過ごしたと言う飯塚や長崎など回ったり、義妹とふたりで遺跡巡りもした。

 車旅だけではない。免許を取ったおかげで、私の世界も人生も大きく広がったと思っている。
 先日、友人を載せて高松まで走った。急ぐことのない旅には、高速道路などは使わない。山道といっても、昔のような山道ではないのだが、大自然に溶け込みながらの運転は、実に爽快である。
バックミラーを覗きながら、後ろに車が何台か連なると、すぐによけて「お先にどうぞ」と、路を譲りながらの運転だ。
 
  これからもしばらくは続けるのだが、事故を起したら、そく運は止めなければいけないだろう。年齢を忘れることなく、優等生運転で、しっかりとハンドルを握って・・・と思っている。
 

2018年10月17日水曜日

№1221 仙谷由人さんの死


  昨日、仙谷由人先生が亡くなられたという報道が流されました。政治家を目指されて以来、応援をしてきましたので、残念でなりません。先生が、優れた方であった証拠は、最後の7期目の出馬で落選したのですが、そのおり、自民党は、〝仙谷さえ落としたら民主党は潰すことが出来る〟ということで、酷いデマを飛ばされたものです。「そこまで言うか・・・」というほど、デマを流されました。運動員の方が、事務所に帰ってきて、無念がっていたのを憶えています。そうでもして、落としたかったのでしょう。そうしたデマを、未だに信じている方たちがいるのは、とても残念です。

 先生は、政治家として、世界を見渡す鳥の目、地を這う蟻の目、水中の魚の目も持たれていました。お口が悪いといいますか、率直すぎて暴言ととられるような発言もされていたようですが、私たちは、先生のお話を聞くたびに、これからの日本や世界情勢を心配しておりました。「早く手を打たなければ、このままでは、将来、○○のようなことがおこってくる」と、予言されていましたが、事実そのとおりになってきたからです。

 最後にお逢いしたのは、9月の8日でした。お痩せになったなあと思ったのですが、そのときも、我々は、もっと危機感をもたなければ、将来は、こんな日本になってしまうと、心配されていました。ご自分の死期を予感されていたというのに・・・。こんなに早く亡くなられるとは、ご本人も〝もう少し生かしてほしいわ〟とおっしゃりたかったのではないでしょうか。

心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌

2018年10月10日水曜日

№1220 衣食足りて・・・

  品位とか品格という言葉はよく使われている。大きくは、国家の品格、女性の品位、老年の品格、親の品格、男と女の品格、紳士のたしなみ、極めは、極道の品格にいたるまで、名は違っても、それに良く似た内容の本は、ずいぶん出版されているのだが、具体的に、マナーをあげればきりがないし、ほとんど知っているようなことばなりなのだ。しかし知っているからといって、品格が備わる、というものでもない。要するに、何事にも、【愛】の視点での行動が大切ということと、やはり優しさとユーモアのあることも大切だと感じられる。 

 よくスーパーなどに買い物にいくのだが、こうした店舗にも、それぞれの個性と言うか、品格があるようだ。それは、トイレを見たらよく解る。これは、店の品格というより、客筋の品格といったのがよいのかもしれない。「トイレットペーパーを持ちかえらないでください」と張り紙があったり、トイレットペーパーに大きく○○と、スーパーの名を書き込んであったりするのを見かけると、トイレの中のペーパーを持ち帰るお客の姿を想像すると悲しくなってしまう。それほど生活が苦しいのだろうか・・・。

 反対に、「トイレをきれいに使っていただいてありがとうございました。お忘れ物のないように」などと書かれてあると、「こちらこそありがとうございました」と、お礼の一つも言いたくなる。

昔は、【武士は喰わねど高楊枝】ということばもあったが、戦後のことなど思い出すと、【衣食足りて礼節を知る】というのが多くの庶民のようだ。

 でも、今は、【衣食が足りても、礼節を知らず】という行動をよく見かけるようになった。田舎道には、高級車の窓から、灰皿の中の吸いがらを捨てたり、食べ残しの弁当やジュースのカンをポイ捨てして去って行く若者がいる。そんなことの後始末を、舌打ちしながらしなければならない昨今である。(`o'") 

 

2018年9月27日木曜日

№1219 修理より買うがまし?


 朝から葉書70数枚を印刷するため、試し刷りをしていたら、その紙がパソコンにつないであるプリンターに詰まってしまった。いつものように簡単に取り出せると思っていたが、念入りに探したのに肝心の紙が見当たらない。しかたなく、機器を抱えて(かなり重い)K電気まで運んだ。紙は、どこか底のネジでもはずせば、簡単に取れると思ったからだ。

K電気の修理の方は、私がしたようなことをしてみたのだが、「これは、キャノンの会社に送らないとダメですねえ」とおっしゃる。「修理代はですねえ・・・(表で調べて)14000円です。10日ほどかかりますが・・・」とのこと。10日もかかっては間に合わない。ちょっとネジをはずして詰まった紙を取り除くだけにしては、高い修理代やなあ。器用な方なら、自分で出来るはず。「こちらでしていただけないのですか?」と聞くと、「ネジを外しての修理は、店舗では出来ないことになっているんです」とのこと。(そんなはずないだろう)と思ったが仕方がない。「買い換えならどれくらいからありますか?」と。「ああ、これくらいのものなら、修理代より安いのがあります」とのこと。(へー、安くなったものだ。これを買った時は、3万もしたのに・・・)

さっそく売り場案内をしてくださる。色々あって、帯に短し襷に長しで、やっと見つけたのがメーカーの違うエプソンの機種。ちょうど割引中で修理代より安いが、家に買い貯めてあるインクはまるまる61箱と、黒大2本入り1箱なので8.000円以上だから、それが無駄となれば、インク代も含めれば、決して得にはならないのだが、急ぐものだから仕方がない。機器とインク6色入り1箱を買う。

せっかく持ちこんだ機器は、廃棄手数料540支払って処理して頂く。(町の廃棄場に持ち込めば100円ですむのに)
新しい機器の使い方は、前のとまったく違っていて複雑。四苦八苦して、やっと使い始めたのは夜になってからだった。

今や何でも使い捨て時代となっているのだが、こんなことでいいのかなあと思う。【もったいない】と思うのは、経済成長には敵なのだろうが・・・。
余談になるが、買いだめしてあったインクは、いつもお世話になる親しい友人が、同じものだったので、差し上げることにした。無駄にならずホッ。(^^



2018年9月20日木曜日

№1218 危機感


「内外情勢調査委員会」という、耳慣れない立派な名の会があって、その徳島支部の方々(お偉さんばかり)が、仙谷先生を講師として迎えられました。せっかく、久しぶりの仙谷講演とあって、事務所の方が、後援会からも十数名ほど参加出来るのでどうですかと、急なお誘いがあったので、喜んで割りこませて頂きました。かんたんに内容を書いてみます。 

今の日本は、皆さんが想像している以上に危機が迫っている、ということで、日本の危機状態を具体的にご説明があり、こうしたことに対する危機感がなさすぎる、ということでした。

そういわれてみますと、私個人としては、ぼんやりとした危機感はあっても、何をしていいのかは、分からず、お役所まかせなのですが、主催者である方々にとっては、大変なことだと思います。例えば、個人経営なら、跡継ぎが無くなるとか、私立の学校など、生徒を確保することが、たちまち困難になるし、医療関係の方たちなら、老人が増え続けるし、建設関係の場合は、労働力の不足という大問題、銀行など、今の国のやり方では、先行き真っ暗、消滅の危機ということです。

各業界にこうした危機が、もう目の先にきているのに、そのわりに日本人は、危機感がなさすぎる。「なんとかなるだろう」といった考えでは、廃業か倒産になる。云々・・・といったようなお話でした。

 お偉い方々ですから、先の先まで考えておられるのでしょうが、頭の痛いことでしょう。切り抜け作はあるのでしょうか。

 私個人では、温暖化の影響で、今年のような災害が来年も起こるのではないかと心配したり、年寄りが増え過ぎて、年金がだんだん減って行くのではないかということが心配ですが、これはどうにもなりません。ただただ、再生出来るものは、ゴミにはせず、無駄な医療費は使わぬようにと、風邪をひいても、医者には行かず、肩が凝っても整体にも行かず、家でしっかりと肩を動かしています。(笑)

2018年9月14日金曜日

№1217 ふと思うこと


 一年365日、特別忙しい日を除けば、ほとんど一日一度は、外出しているなあ・・・。同じ屋敷に息子の家があっても、殆ど自分の家に住む独り暮らしをしているので、外出は刺激があっていい。食糧の買い物なども、その日、または翌日必要なものだけを買っている。冷蔵庫が小さいこともあって、余分なものは買わない主義。よく聞く冷蔵庫満杯で、食べきれなかったものが中で腐っていた、などということはほとんどない。幸い、車に乗るのが好きなので、「今日は夢タウンに行こうか、隣町のフジグランにしようか」などと思いながら、ハンドルを握る。

 こうした外出は、私にとっては頭をからっぽにするというか、ただただ安全運転を心掛けながらルンルン気分でのストレス解消なのだろうなあ。

 最近、気になるのは、運動不足だ。トシとともに体力が落ちてきて、さっさと歩けない。今年になって、三度も転んでしまった。転ばぬようにと気をつけて歩いているのだが、ちょっとした不注意で転倒してしまう。その度に、骨折は免れているが、肩を打ったり、膝をすりむいたり、頭を打ったりする。そんな故障は、何とか治るのだが、元に戻るまでは治らない。だから、だんだんと姿勢にしろ、歩き方にしろお婆さんらしく老化してきた。こうなってくると、ますます車頼りで、歩く機会は少なくなってきたなあ・・・。運動不足は、間髪いれずに体力に現れる。足腰がますます弱くなってしまったのでよくふらつくようになった。

 私ほどのトシになると、はたから見ると、健康で前向きに生きているように見えるらしい。何の心配もなく、幸せ者にも見えるらしい。でも、長く生きておれば、それなりの心配事もあれば、悩みもある。でも、人生って、そんなものだと開きなおっているのだが、凡人だから、寝付かれぬ夜もある。

もう自分の欲はほとんどなくなってきた。美味しいものがあれば、隣に住む家族に食べさせたい。友人に食べさせたいと思う。

 ありがたいことに、多くの人達、友人に恵まれている。小さな我が家に来て下さる方が大勢いらっしゃる。小さな社交場だ。会も開く。頭がだんだん認知のように忘れっぽくなっていく中で、こうした刺激は有難いことだ。

 いつまでこうした生活が出来るかは解らない。でも、一人暮らしでも寂しくはない毎日が、一日でも長く続いてくれたらと、願っている・・・。

 

 

2018年9月8日土曜日

№1216 ホッ


 今日、やっと北海道の仲良し同級生に電話が通じた。ホッとした。札幌に住むMちゃんは、一人住まい。地震と同時に停電したが、戸棚の食器等は、飛び出したり割れたりはまったくなかったというから不思議なくらい。でも、近くのマンションに娘さん夫婦が住んでいて、すぐに迎えに来てマンション9階に連れて行かれたそうだ。停電でエレベーターが使えないものだから大変。しかも、最近のマンションは、大きく揺れるのだが、倒れたりしない造りで、一戸建て住宅より、ずっと安全らしい。ここも、戸棚のモノなど、何一つ壊れたりしなかったとか。でもMちゃんは、大きく揺れる建物が怖くて怖くて、帰りたくてたまらなかったのに帰らしてくれず、やっと今日帰えらしてくれたとか。(笑)

 室蘭の近くの伊達市に住むYちゃんは、震源地にも近いので、特に大変かと思ったら、家も家具もなんの被害もなく、お茶碗の一つも壊れていないとのこと。ご近所もそんなに変わった様子はないらしく、停電が困ったくらいというから、TVなどは、大変な所だけを写しているので、写されないところは、被害がほとんどないところ、ということのようだ。私が、「電話も通じず心配だ」と息子に言うと、「TVで報道されないような地方は、心配ないわ」なんて言っていたが、その通りだった。(^^)

 MちゃんもYちゃんも、「北海道は、昔から台風も、大雨もあまりなかったのに、これからが心配」と言っていたが、それは私たちも同じだ。昔は【天災は忘れた頃にやってくる】といわれていたが、今や【天災は明日にでもやってくる】のだ。

とは言いながら、何の準備も出来ていないのだが・・・。

2018年9月6日木曜日

№1215 災難続き


  今日は、北海道で大変な地震があった。私の生まれた帯広は、大したことはなさそうだが、室蘭や札幌には今もお付き合いしている親しい友人がいるので気が気でない。すぐにでも電話をして安否を確かめたいのだが、例えば家の中を想像すると、戸棚の中のものが飛びだしたり、窓が壊れたりしていたら、今頃は、てんやわんやだろうと想像して、電話などかけては悪いと思い、我慢している。

 台風が異状に発生して大暴れしたり、大地震に襲われたりと、次々に災難が続くと、地球の怒りが爆発したのではないかと思ったりする。地震は、地球の温暖化とは無関係なのかもしれないが、台風や大雨などは、私たちに責任があるような気がしてならない。吹きつける風雨は、「バカ者」「コンチキショウ」と叫んでいた。もう、人間は住まわせたくない、と地球が怒っているのでは・・・。

 残り人生が少なくなってくると、目には見えないようなモノに心惹かれるようになってきた。信仰心などなかった私でも、神仏を信じたいと思うようになるし、青い空を見ると、何かを語りかけてくれる。毎日働かせている洗濯機も、その日によって違う言葉を伝えてくれる。小鳥の囀りもしかりだ。

 実際は、私の気分しだいの勝手な想像で楽しんでいるのだが、そんな時間がとても心を和ませてくれるのだ。

 

2018年9月2日日曜日

№1214  老いの坂道


  近く、米寿を迎えようとする私め、最近はこの坂道の険しさを実感している。

 老いを感じ始めたのは、60歳を過ぎた頃だろうか、その頃は、ぽつぽつと坂があっても、下ることも出来た気分だったのだが、70歳にもなると、何があっても元には戻れないことが多くなった。ある程度は戻っても、完全には戻れないものだから、自然に老いが積み重なって行く。

 坂道が急勾配となってきたのは、80の坂を越えた頃からである。一年の足跡がはっきりと目に付く。ところが、85歳を過ぎてくると、一か月、いや、一日一日が目につきはじめるようになってきた。

ふた月程前、転倒した。その時は、骨も折れず痛みもさほどでなかったが、歩きにくくなってしまった。別に骨の異状があったわけでもないのに、足元がおぼつかない感じなのだ。それ以来、歩くことには、とても慎重になっている。

 ところが、またして昨日、買い物をして、ダンボール箱に詰め込んで、それを抱えて駐車場に出たまではよかったが、足元が見えなかったため、駐車場の車止めが目に入らずそれに躓いて前のめりに派手に転んでしまった。むろん両膝を付いたのですりむけている。膝のお皿が割れたと思ったが、起き上がって歩けたので、お皿は無事だったようだ。おかげでまた歩くのが慎重に成らざるを得ない。気分としては、杖でも突きたい気分である。侘しいものだ。

 同級生の仲良し10人が、10年ほど前から、毎月集まっておしゃべり会をしていたのだが、すでに亡くなった方が3人、体調がよくなくて集まれない方が1名で、残る6名も杖使用者4名、となってしまった。そのうちのひとりである私は、足元がおぼつかない始末。元気いっぱいはSさん一人だ。私が忙しいこともあって、8月は休会しているので、(我が家が会場) 皆さん、今月の集会を、「無理せんとってね」と言いながら待ちわびてくれている。寄ったら笑いの絶えない楽しい会だ。老いの坂道なんのそのだ。愚痴など言ってはいられないなあ・・・。

 

 

2018年7月7日土曜日

№1213 地下鉄サリン事件


地下鉄サリン事件に係わったオウム真理教の教祖、麻原彰晃と、その弟子数人の死刑が行われたニュースが世界を走った。このサリン事件は、忘れられない事件なので、当時のことを思い出して、いろいろと考えさせられた。

裁判のとき、「弟子たちが止めるのを聞かずに暴走した」と言って責任を弟子になすりつけた卑劣な男が、いかに出鱈目な宗教団体といはいえ教祖であったのだから、教祖を信じて入団した人たちは、本当は気の毒な人たちだった。弟子の中には、人殺しにかなり抵抗があったと弁明していた人もいた。

入団し、マイルドコントロールされていくうちに、人を殺すことが平気になるのは、不思議ではない。こうした経験者と、麻原彰晃と並べて同時に死刑執行というのは、何となく腑に落ちない。罪の重さも同じように感じられるからだ。

死刑囚となった弟子たちは、深く反省しているだろうし、教祖ほどの卑劣な人間ではないだろう。せめてこの世のために何かを残してもらいたかったと思った。

戦争の殺し合いも似ている。長年かけて、国のためなら、人殺しも出来る人間になっていく。死刑廃止を唱えるのも、決して悪いことではない。そうしたことを唱えるのであれば、戦争など、決してしない国にならねばならないだろう。

2018年7月1日日曜日

№1212  お久しぶりです


シッチャカメッチャカの毎日が続いていました。言っても仕方のない体調不良、(これは、トシのせいで、血圧の不安定のためによくふらついたりして、久しぶりに医院に行きました)

また、月末にあった中高大学の演劇祭にシニアの私たちの劇塾が出演しましたので、(私はお手伝い)多い時は週4日も夜出かけたり、おまけに、薄暗い中で転倒して肩を打って片手が上がらなくなって、5日ほど不自由したりの失敗もありました。

庭は、雑草が天を突く勢いで伸びますから、手に負えず、知人のお年寄りに来てもらって草取りをして頂きましたが、この暑さ、せいぜい午前中ですが、何かと気遣いもあります。

自分の身の回りのことも、以前は1時間で出来たものが、2時間かかるほど、根気も、勢いもなく、鈍間になっていますから、何をしても時間がかかります。やはり、米寿というトシには勝てません。この梅雨時の気温の変化について行けなかったのか、3日前、入院されていた親しい同級生が亡くなりました。だんだんと寂しくなりますが、残った者同士、もう少し、元気でガンバろうよね、無理せずにね、と言いつつ別れました。もう、無理しないで出来ることは、あまり有りませんが、イヤなことはしておりません。(笑)

といったような現状でした。7月に入りましたので、気持ちにカツを入れて、ブログももっと書きたいと思っています。(*^-^)

 

2018年6月10日日曜日

№1211 ニュースをみながら


昔、〝七つ下がりの雨は止まないという諺があったが、これは、ある年齢からの、のめり込みを危惧したものによく使われてきたようだ。例えば年寄りのイロコイののめり込みや、博打等によく使われたようだ。

何かを心配させるようなことは、色恋や博打に限らない。近頃の雨の降りよう、お天気のこと、あるいはいつ新聞を開いても、汚い地金を見せつけられるような記事など等が続くと、いったいこの先、どうなるのかと危惧するものである。

大自然の災害も、人間の力の及ぶところではないとは言いきれなくなってきた。気温の上昇なども、環境汚染などによるものも大きく、そのツケが回ってきたに違いない。

また人間社会においては、その人の質や格の良し悪しは、なかなか見た目では分かりにくい。反物のように裏、表など確かめはできないし、その人間の持つ器というか、持って生まれた天性のようなものもあるだろう。人を選ぶことの難しさも良く解る。

とはいうものの、何であれ、トップに立つ人たちの良し悪しによっては、その傘下にある人たちを幸せにも不幸にもさせてしまうことがあるから怖い。

最近のニュースをみながら、思ったことをちょっと書いてみた。

 

2018年6月1日金曜日

№1210 同窓会


  お久しぶりです。やっと、総会やら、同窓会も5月末には終わり、欠席者にも資料を送り、一息ついています。一年ぶりの同窓会は、やはり、かなりの変化がありましたが、何とか、無事に開くことができました。(パソコンをしているということで、世話人を仰せつかっています)少し長くなりますが、ちょっと私たちの同窓会の説明をしておきます。

昔、徳島師範学校という学校がありました。今の徳島大学の前身です。私は、その師範学校の最後の年に卒業しました。

学生時代は、まだ戦後のどさくさ時代だったので、180名余りの同級生の年齢・前歴は、まちまちでした。旧中学校卒、女学校卒、代用教員の経験者、インテリ学生にミーハー族、会社員を止めての入学者、左翼運動の闘士、そして元兵隊の復員者などは軍靴を履いての通学でした。予科練の七つボタンの制服を着た姿などは何人も机の間をまかり通っていた時代でした。

豪傑も多く、それまでの師範学校生とは、かなりの違いがあったので、先生方は随分と手を焼かれたらしいのですが、その一面とても伸び伸びとした個性豊かな学年だったように思います。

 私などは、まるで子どもで、一部の学生のしっちゃかめっちゃかな行動に、眉を顰めたりしたものです。でも、今となっては、決して悪くはない体験でした。

そして昭和253月、めでたく全員卒業し、ほとんどは県内外の教員となりました。

教員となったものの、初任給で皮靴一足が買えなかったのですから、当時の生活は大変でした。なりふりかまわず、髪振り乱して働いていた、という時代です。

卒業後、始めて同窓会の通知をいただいたのは、卒業から、20年も後のことでした。その時の写真には、恩師数名を囲んで、真面目な教師らしい顔が並んでいます。暴れていた学生時代の顔とは違い、変われば変わるものだと感心したものです。

その後、思い出したように数回の同窓会を開いてきましたが、全員60歳を過ぎ、退職してから開いた同窓会で、『これからは同窓会を毎年やろうじゃないか。毎年会うたって、しれとる、回くらいしか会えないぞ』という提案が出ました。この提案は、みんなの耳をくすぐり、すぐに賛成の声があがりました。平成2年春でした。

その場で色々な規約が作られました。世話役は県内郡市が交代でする、昭和25年の卒業生ということで、【二五師会】という名で出発する、毎年5月か6月頃開く、など等が決まりました。二五師会は、規約通り、その後は毎年開かれました。

平成226月、卒業以来、25回目の同窓会のときのことです。『もう同窓会は、来年で最後としよう』という話が出されました。無理もありません。10回が20回も開くことができましたし、トシも80歳を越したのですから。

翌年、出席していた者の多くから、『まだまだ同窓会は続けられる、続けたい』という希望もわきあがったのです。そうした希望者だけで、再び同窓会は続けることとなりました。【二五師友の会】と名付け、世話役数名が中心となり、発足することとなりました。

平成24年、再出発のような友の会の発足。今年528日には順調に7回目の友の会を開くことが出来ました。現在会員46名海を越え、毎年集まって下さる方も数名いましたが、今年は1名となりました。昨年出席された方の内、4名の方が亡くなりましたが、30名の出席。話も弾みました。トシを寄せてからの同窓会は、心が開かれて和やかなものです。

 同窓会の話題といいますと、よく昔の思い出話に花が咲きますし、もう忘れていたようなことを思い出させてもくれます。

 何といっても嬉しいのは、健康で活き活きと活動している人たちから、元気を頂けることです。今だに山に出かけたりしている方は、姿勢から違います。そのためのトレーニングなどしているのですから見上げたものです。「人生を楽しんでいる」というのがぴったりです。長い年月を、ある時は競争し、ある時は憎み合うこともあったであろう人生から抜けて、面白く楽しく生きている、というのは、素晴らしいことです。見習いたいと思っても見習えないのが玉に傷ですが、そんな大きなことでなくてもいい「何か自分もしてみたい」という気分になれるだけでもいい刺激です。

また、一年の重みを、いやでも知らされるのも同窓会です。もう出席は出来ない方も、ぜんいんに近況報告を書いていただくので、終わった後から送くる資料を楽しみにし、皆さんの様子などを読んで、寝たきりも、自分一人ではないことに、力を得ているようです。隣に座っていたAさんが、『ここ数年は、同窓会で会うたびに、友達の変わりようを見て、自分の変わりようを知らされる』と囁いたことは、私も同感でした。それは当然のことです。幼児が成長していく急カーブのように、私たちの老化のカーブは急降下していくのですから。同じ一年であっても、六十代七十代のそれとは違います。ある学者さんの本に、【幼少時の一年は、大人の十年に匹敵する。八十代になると、その反対だ】と書いてありましたが、それは私らの一年は、若者の十年に匹敵するということです。八十代にもなりますと、自分で自分を見る鏡は曇りがちで、正しく自分を見つめることは難しくなります。でも、同級生の言動で、それなりのトシを認識出来、自分の鏡の曇りを拭うことができます。むろんそれは顔形だけではありません。

このような刺激を受けながら、人生の終焉を覚悟し、諦めと寂しさを克服していくのです。それは、これからの毎日が、大切な黄金の日々であることを自覚し、幸せに生きていかねば、という決意にもつながっていきます。

とはいいますが、もう全員が90歳前後の者ばかりです。会員は毎年減っていきます。これは致し方ありません。

長くなりましたので、このあたりで終わりますが、皆さん、全員が、来年の友の会を待っている、とのことでした。頼もしいことです。o(^^o)(o^^)o

 

2018年5月1日火曜日

№1209 暫く休みます

ブログをしばらく休みます。ブログの調子が悪くなりましたのと、忙しくなりました。

2018年4月18日水曜日

№1208 遅過ぎることはない?


以前は、健康だけが取りえと思っていた私だが、身体のあちこちから注意信号が発信され始めて久しい。まず膝が痛みだしたり、疲れが次の日に持ち越すといったようなことがはじまってきた。そのころは、トシを考えるとこんなものだろうという思いもあって、それほど気にすることもなく、まだ10年は何とか好きなことが続けられるだろうというのがホンネだった。

でも、これからの10年が、心がけ次第ということだろうという思いもあって、健康には気をつけて、いや、健康だけではなく、心を枯れさしてはならないぞ、と言い聞かせながら、お金にはならない、ま、ボランティア的なことを、けっこう身に余るほどの仕事を引き受けてきた。演劇という新しいことにも挑戦してきた。ただ、嫌いなことや、気分ののらないことには、手は出さなかった。

あの頃から10年後、80歳を迎えた頃も、口では、トシ寄ってもうあかん、などと言いながらも、「おっ、案外達者にやってきたなあ」と、内心は思っていた。(口で言うほどのことは出来ていないのだが……)

ところが、80代半ばに差し掛かる頃からは、まるで幼児が成長していくカーブのように、どんどんと体力が落ちてきた。年齢は正直やなあ……と実感している。何をしても、はかどらない。首から上も、おぼつかない。物忘れはするし、漢字は忘れるし、物探しが多くなってくる。忘れた漢字や名前等は、なるべく思い出そうと考えることにしているのだが、まさに時間の無駄遣い。自分ながらうんざりさせられる。

話をしていても、同じことを以前言ったのに、憶えていない時もある。「前にも言ったと思うけど」ということばをつけてから言い出さないと不安になることもある。

ま、潮流に逆らって泳ぐようなものなのでしかたがないのだが、健やかに、無駄なく一生を使いきることは、無理なことなのだ。

といっても、やはり一日でも長く自立していこうと思うので、努力は続けたい。努力によっては、マシになることもある。膝や腰の痛みは、TVで教えてもらった体操やストレッチでかなりよくなっている。何事も、今からでは遅過ぎる、ということはないという。無理なく楽しみながらやっていけたらと思う。

2018年4月9日月曜日

№1207 食事のありかた

 最近、庭の草取りをしたり、雑用におわれたりしていて、ブログに手が届きません。以前どこかに書いたものを、張りつけておくことにします。どこかで、読んでくださった方がいらっしゃるかもしれませんが。m(_ _::)m 

 
 食のあり方が、長寿と関係があるとか、ないとか、よく言われている。以前、ある雑誌に『長寿の食卓』というのがあった。主な執筆者は一応社会的に名の通った、長寿者またはそれに近い方たちで、食生活・健康法・人生観などを披露している。「えっ?この人がこんなに手まめに食事に気をつけているの?」と驚いたり、またその反対だったり、楽しく読んだのだが、結論から言うと、長寿とか、健康法といったものは、人それぞれであり、正解があるようでないということだった。あるお医者さんは、ほとんど食事には気を使わないし、この頃流行のメタボや栄養なんてことも当てには出来ない、とおっしゃっている。
そうかと思うと、自信をもって「手作りスープを毎日欠かさないので健康」という方もおられる。ご本人は、そのおかげで長寿と思われているので、それはそれで安心できたり納得したりということなので、いい結果と結びつくのかもしれない。寿命は、体質や遺伝、運命といったことも大きくかかわっているので食事でどうこう言うのも難しいようだ。一般的には、野菜たっぷりの『日本食』を主にして『無理・過度の疲労』『暴飲暴食・喫煙』は避ける、ということが常識のようだ。ま、当り前といえば当たり前のことであり、特別に記すことでもない。ただ、当り前のことが守られているとは限らない。

私たちは遺伝も体質も、簡単に変えることが出来ないし、元気で長生きしたいという願いは、万人共通の思いなので、体の発する声に耳を傾けながら、体に良くないことは、なるべく避けるのが賢明のようだ。

 

2018年4月2日月曜日

№1206 老いては子に……

  息子がこの3月で60歳を過ぎたので一応退職となった。しかし、続いて再雇用されたので、しばらくしは働くらしい。人生五十年から、100年と延長した昨今、60歳で隠居では身がもたないだろう。

以前、ある八十歳過ぎた方が、「『老いては子に従え』って言うけど、何歳から従ったらいいのかねえ」と、真剣に言われたことがある。運転免許を返上せよ、と子に言われたらしい。私が見ても、ちょっと不安を覚える運転技術なので、「出来るだけ運転は続けるべきよ」とは言いにくかった。

高齢者と言われながらも、まだボランティア活動に参加したり、色々と役をこなしている方たちは、少なくとも身体面、精神面共に自立なさっているのだろうから、まだ息子の言うことには耳を貸したくないようだ。反対に子が親に従うのは、随分短くなってきた。これも、時代がそうなって来たのだから、当然だろう。選挙権まであたえられている若者が、何でもかんでも親に従うはずもない。頭の古い親だっているだろうから。そんな方にかぎって気が強そうだ。

気の強かった方がお連れ合いが亡くなったとたんに、しぼんでしまう方もおられるので、油断はならない。優しい夫を亡くしたある方は、何もかも夫が管理し、それに縋っていたものだから、夫の死後は、さっぱり分からないことばかり。何事も息子に相談し、それに従う弱気な母親となってしまった。しかも、「淋しい」が口癖のようになり、友達をつかまえたら愚痴を並べるようになった。間もなく、認知になりかかっているという噂がたってしまった。単に金銭面だけではなく、身体的自立、精神的自立、社会的自立と、四面の自立のどれが欠けても子に従わねばならないときがあるようだ。

ある方の本の中に、親権ならぬ子権が親の権利を束縛する、と書かれてあった。特に、親の再婚や恋愛、家を売って有料老人施設に入居したい、といったことに、ひどく反対するらしい。その大きな理由は、親の財産を当てにしている息子や娘の不安がそうさせるという。ま、そればかりではないだろうが、昔ならこういった問題も、滅多になかった。大家族では、老後の不安も少なかったし、五十歳で独り身になっても、もう近々連れ合いを追いかけて逝かねばならない年だったはず。ひと花さかそうなんて、とても考えられなかったに違いない。

どんなときにも、「自分の幸せは、自分が決める」という自立心、そして従うべきは従うという判断力を持つ老人でありたいものである。

 

2018年3月30日金曜日

№1205 久しぶりの病院


  体調がおかしいと思って血圧を測ったら、低いはずの血圧が、158にもなっていたのが3週間くらい前だった。何となくふらふらしたり、頭が重かったりしていたのだが、そのうち治るだろうと思っていたのだが、家族に何度も言われてお医者に行った。血圧はちょっと高くなっているが、心電図は特に異状はないとのことで、お薬は出してくださったが、1回飲んだら合わないのか、気分が悪くなったので止めてしまった。10日ほど血圧を13度計ってくるように言われて付けていたが、朝は105くらいで一寸仕事すると150になったりの変化はあるのだが、気分はまあまあというと、お医者さんは、「トシなので、高くなっても普通は、大したことはないから、あまり気にせずに」とのこと。() 

久しぶりに医者に行き、出してくれた薬が、身体に合わなかったというのが、何とも可笑しかった。

丁度時期を同じくして、ママ(嫁)のお父さんが急に救急者で運ばれて危篤状態のようになり、心配したりしたものだから、血圧の上下も、関係したのだろう。東京の孫も飛んで帰ってきたりの、てんやわんやだったが、お蔭でお父さんも山を越して安心。一昨日は、とてもよくなっていて、驚いたほどだった。

 ふらふらしていると、万一転倒でもしたら大変と思ってのろのろと歩いたりしていたものだから、治っても、歩き方はのろのろになったままだ。まだ怖いのだ。「このトシになると、病気がよくなっても、もとに戻ることなく、だんだんと老けこんでいくらしい」と感じた。ま、当然のことだろう。さっさと終活をしなければと思っている。

 

2018年3月19日月曜日

№1204 森友問題


いつまで続くのかなあ、この問題は……。大なり小なり昔からよくあったことと思うのだが、今回のように、あからさまにならなかっただけのように思う。時代がそうなってきたのかもしれない。
それにしても、政治家の偉いさんというのは、随分権力があるのだなあと、感心する。政治家にもピンからキリまでいらっしゃるので、実力者が県内にいらっしゃったら、けっこう県のためにいろいろと事業をしていただけるようだし、下っぱ議員さんに頼んでは、出来そうなことも出来ないことだってある。
ま、本来国会議員さんというのは、第一に国のためを考える方が正統派なのだろう。本県からも以前には三木総理が出ているが、三木さんは、正統派だったらしく、徳島県のための仕事は、あまりされなかったように思う。

森友問題が我々の耳には入ってきたときから、こうした内容のことは、想像していた。素人の私たちが考えても、何らかの事情でこうなったということは、感じていたので、ウソを国民の前で、言わねばならない阿部総理の部下達や、お役人たちは、さぞ苦しいことだろうなあと、同情していた。

まだまだ大切な問題が山積みの日本。早くこうした問題を解決して、早く世界、国内に目を見張って頂きたいものである。

2018年3月11日日曜日

№1203 3.11


あの日から7年の歳月が流れさっているのか……。この7年間、TVでは、毎日必ず、震災に関連したことを報道してきたので、被災された方たちの大変なことや、復興に携わってこられた方々ご苦労は身に沁みている。涙を流しながら、見せていただいたものもたくさんあった。
ただ、7年もたっているというのに、未だに仮設住宅で辛抱されていたり、立入禁止が解除されても、元には戻らない事柄がたくさんあることに、心が痛む。中には酷い醜い話も聞かされる。原爆で避難をしている方々への虐めやら、嫌がらせ等を聞くと、「ああ、日本人でも、そういう人間がおるのか」と、情けない。
もう私のような者は、復興のお手伝いも応援も出来ないのだが、せめて出来ることといえば、僅かのお米を買う時も、被災地の物を買うとか、応援できそうな物があれば、たとえ東京の土産であっても何かは買って帰ることくらいである。もう、放射能の検査済みの物であっても、売れないような世の中は頂けない。
一日も早く、皆さんの笑顔で迎えられる3.11を祈っている。
 

2018年3月5日月曜日

№1202 便利


先月末に、「挑戦」という雑文を載せたのだが、スマホが手にはいったのは、4日前。「らくらく」と名のつくスマホなので、「挑戦」などと大袈裟なことを言うのはちょっと恥ずかしいので取り消す。老人向きに良く出来ている。とても見やすい。携帯で使っていたようなことは、お店で説明を聞いたら直ぐに使えるし、新しい事も、ちょっといじくっていると、じきに分かるようになっているし、分からなければ手引き書をみれば分かる。ま、慣れることが肝心ということである。

確かにスマホは便利である。毎朝、6時頃に起きて、その日の天気を確かめてから着替えをしているのだが、スマホに向かって、ボタンひと押しして、声で「今日のお天気」と言うと、すぐさま、「藍住町のお天気は……」と、応えてくれる。時々汽車に乗るのだが、どこからどこまでの時刻表も声で、直ぐに知らせてくれる。メールも指を使う数は、ぐっと減るので、指の痛い私には助かる。皆さん、こんな便利なものを使っていたのかと驚く。

ま、「頭の体操」にはならないことが分かったが、少々便利になったということである。手に入るまでは、「スマホに挑戦しようよ」と、仲間を誘っていたのだが、「スマホはだれにも易しいし、便利だよ」くらいにしておこう。(笑)

ただ、使用料は、高くなるので、私のように収入は決まっている年金生活で【その月暮らし】をしていると、勿体ないという方もいるが、これも考えようで、無駄遣いは、他にもしているので、そちらを減らして、便利さを買うと思へばいいのだから。(ふふふっ。こんなこと言ってる者って、お金は減る一方だよね)

 

2018年3月2日金曜日

№1201 弥生三月


まだ寒い日はありますが、3月というのは、何度迎えても心弾むものがあります。一斉に伸び始める雑草の精気は、憎たらしい半面、こちらにも精気を感じさせてくれます。こんなことを書きますと、北海道の方々には、悪いですね。今日は、猛吹雪ということですから。南北に長い国ですから、致し方ありませんが、怪我や事故のないように気をつけて頂くことを祈ります。

1月は往ってしまう、2月は逃げていく、3月は去ってしまうと、昔から、4月はすぐにきてしまうと言われていますが、早々と過ぎて行く歳月に、溜息が出てしまいます。

しかし3月はお目出度いことも多い月です。卒業があったり、合格発表があったりで、お祝いの熨斗袋の出番でもあります。

このブログも、1200回も過ぎてきました。平成24年の2月23日から立ちあげています。最初は毎日のように書いていたのですが、そのうちに、だんだんとトシとともにやることがのろまになってきたのと、ちょっとした仕事をしても、一休みせねば、次の仕事にとりかかれない、ということで、休み時間は増えたのに、忙しくなったような気分になるのです。仕事の量を減らしていないので、自然にブログも減ってきました。

途中【終わり】を宣言したこともありましたが、量を少なくしても、続けて欲しいという有難い要望もあって、ぼつぼつながら続けております。雑文なので、エッセーなどというような代物ではありませんが、もう少し続けようかな、とおもっています。よろしくお願いします。

 

2018年2月24日土曜日

№1200 挑戦


私のドコモの携帯に、よく【スマートホンの説明会のお知らせ】メールが送られてくる。最近は高齢者用の【らくらくスマートフォン】というのが出回っているので、その説明会らしい。○月○1日限りで、3回の時間帯も書かれている。受付順に定員になればしめきりますということ。便利らしいが、今更面倒と思っていたのだが、頭の体操になるかもと思って申し込んだ。たつた1時間なので、簡単な説明のはず。

出かけてみると、私と、60過ぎの女性だけ。講師さんは、東京から、わざわざ出向いてこられているというのに。渡されたテキスト冊子は、機種がFUJISUdocomoらくらくスマートフォンなので、機種の宣伝も兼ねての講習ということらしい。

らくらくと名がつけられているだけあって、画面もはっきりしていて大きく、指で間違ってさわったりしただけでは、画面が動くというような心配もなく、触って確認し、それから押して確定する仕組みなのだ。「ああ、これなら指の不器用な者でも、間違いはない、大丈夫だろう」という気持ちになる。中味は一般のスマートフォンとほぼ同じらしく、自分の使いたいことは、一通りの説明で、大体のことは解った。慣れるまでは戸惑うこともあるだろうし、新しいことは、説明してもらわねば分からないが、それもいつでも聞くことが出来るようだ。今までの携帯より、メールも簡単、電話も簡単ということなので、遅ればせながら挑戦することにした。もうじき、新しい機種が出るらしく、それを待つことにした。楽しみだ。(^^)

2018年2月18日日曜日

№1199 昔の乙女の幸せ


昔の乙女が7人集まった。全員昭和5年生まれ。88歳か、今年中には88歳になる連中なので、それぞれのお顔には、人生の風雨に耐えてきた勲章が刻みこまれている。

女学校時代のクラス会50人ほどのメンバーで、毎年同窓会をしていた。始めは20人程の集まりがあったのだが、4年ほど前に解散した。もう、県内外から集まるにも徳島市内まで出て行くのは無理という方がほとんどになってしまったのだ。
クラス会いうのは、ほんとにざっくばらんに気兼ねなくおしゃべりが出来る会だし、思い出も共有しているので、どんなおしゃべりにも興味津々になれるのだが、そうなれば仕方がない。

でも、私の近隣の町村に住む方たちが、何とか集まりたい、ということになり、世話を頼まれた。【ここなら何とか集まれそうだ】という場所をその都度決め、年1度、集まっている。

昨日は、車に乗る私が、鳴門市内のMさんを勝瑞駅で待つ、そこへ北島町のSさんが、息子さんの車で来てくれる。西に向いて走り、上板町に住むKさん宅へ。そこから、南にあるMさん宅に。5名を載せた私の車は、阿波市へと西に走る。会場に着くと、阿波市に住むYさん(彼女は、近くなら車に乗れる)とSさんの2人が、すでに来て待っていた。ささやかだが昼食をいただき、珈琲、ケーキなどで満腹。話はますます盛り上がる。
皆さん、毎日家で居られるか、ディサービスに行くか、という方たちなので、田舎では、ちょっと離れると一人で集まれる方は少ない。汽車の数も少なく、バスも少ないとなると、車だけが頼りになる。

私のように、出たきりばあさんらしき方は、だれもいらっしゃらない。それはそれはミニクラス会を楽しみにしていらっしゃる方ばかりなのだ。
私のお世話仕事は、単に7名の皆さんの出て来られない日を聞き、私の出かけられる日を決めて、連絡するだけなので、手間などはかからないのだが、「あんたが居てくれるので、こんな楽しい会が開ける」と、大いに感謝されるのだ。1回目、2回目と、回を重ねるごとに、皆さんの待ちわびていた様子が手にとるように分かるのだ。もう何か月も前から、お互いが、電話をし合って、「2月には連絡あるだろうなあ。元気でおろうなあ。会えるなあ」「有難いなあ。このトシがきて、昔の友達と会えるなんて」等と話あっていたりしているのだ。私のお世話が、こんなに楽しみにしていてくださるのは有難いことだなあ」といつも思うのだ。

「これから死ぬまでに、皆と何べん会えるかなあ……」Sさんが呟いた時、私ははっとした。そして思わず言った。「年1回やったら、3回も会えんかもなあ。私やって目が悪くなったら、運転出来んもんなあ。これからは、せめて1年に4回は集まりたいなあ」と。

「ほら嬉しいわ。あんたにばっかし迷惑かけるけど……」「嬉しいわあ、5回でも6回でも会いたいけどなあ」「ほら毎月でも合いたいよ」などなど、乗り気な意見ばかり。「私もそうやけど、皆やって元気でおってくれなんだらあかんのやけんな」「ほらほうじゃ。元気でおるよ。頑張るわよ」「「いついつ集まりがあると思うたら、寝込んでおっても、それまでには頑張って直すよ。有難いなあ」
……私も有難かった。ああ、よかった。こんなに言ってくれるのに、どうしてもっと以前から、時間作って会を増やして来なかったかと、反省もさせられた。

「次は桜の咲く頃がいい」「桜なら会場は○○がいいよ」と、早くも希望が飛び出す。お互い、元気で一日でも自立した生活が出来るためには、私も含めて、楽しみの会は多いほどいい。
こんなちょっとした手間で、皆が楽しめるなんて、幸せは足元にも、ごろごろ転がっているもののようだ……。