2016年2月27日土曜日

№1030 インフルエンザ


  インフルエンザが流行っているらしい。幸いなことに、私の周辺に、インフルエンザの菌を持ち帰った者がいないので、安心しているのだが、以前、孫たちが高校や大学受験しなければならない年は、予防接種をしたのだが、それ以後はしていない。

 2,3日前だったが、TVを聞いていたとき、インフルエンザにあまり縁のない町のことを放送していた。用事をしながら聞いていて、途中から観たので、詳しいことは分からないが、あるお医者さんが指導して、学校などでやっていることが、町の人達にも伝わっているらしい。それは、口の体操で【あ・い・う・べー(舌をだす)】と、口を大きく開けて声を出しながら10回やるらしい。これを朝、昼、晩と3回すると、口の周りの筋肉が強くなり、いつも、口を閉じて、鼻呼吸をするようになる。すると、鼻から黴菌が入っても、途中鼻毛やらに妨げられて、体内に入りにくくなる、ということだ。その町の幼稚園や小中学校は、学級閉鎖などはしたことが無いと。授業中の子どもたちは、殆ど口をあけている生徒はいない。皆が鼻呼吸しているようだ。

そう言われてみると、私も普段は鼻呼吸だ。喋るときと、食べるとき以外は、殆ど口はしっかり閉じている。そのためだろうか、風邪も、インフルエンザもご縁がないので、お医者さんにもご縁がうすい。

ま、うがいや手洗いも大切だが、こんなお口の体操も、やってみてはどうでしょうか。(^^

2016年2月23日火曜日

№1029 好きなもの


  好きなものといえば、食べ物の好き嫌いを思うのだが、いま書こうと思っているのは、それではない。陶芸品、焼き物が好きなのだ。まったく自分では、轆轤を回したことなど一度もないし、不器用で作れないのだが、見るのが好きなのだ。

骨董品等の鑑定をしているTV番組を何回かみたことがある。ある方が『これを見たとたん、ぜひ手に入れたくて、50万円で買ってしまった』と言う。鑑定の結果は5000円、というようなこともあって、面白かったのだが、それにしても、鑑定をする人たちの目利きというのはやはりすごいなあと感心してしまった。専門に研究されているので当然だろうが、それにしてもよく研究なさっている。

骨董好きの方であっても、よく騙されて偽物を掴まされるのだから、素人は、好き嫌いは分かっても、その品の良し悪しは、まったく判らない。私の目などは節穴だ。

だから、好い物を鑑賞するというよりは、「これいいなあ、好きやなあ」といった塩梅で見せていただくことになる。

あちこちで、陶芸展などもあり、見せていただく機会は、年に何度もあるし、愛媛へ行ったりすると、砥部焼の窯や、展示場には必ず寄ってくる。お金が無いので、高いものは買えないが、ちょっとした器や皿など、好きなものを買うことがある。湯のみ、茶碗、カップと、同じ窯場の、同じ模様のものを、3度に分けて揃えたものもあり、愛用している。

愛媛を車で走っていて、食事処に寄ったりすると、出てくる食器は、ほとんどが砥部焼なので、食事を頂きながら、器の鑑賞ということにもなって、楽しい旅になるのだ。(^^

余談になるが、たまたま寄った食事処で、我が家にもある○○パンの景品のお皿等が出てくると、がっかりしてしまう。やはり、そんなお皿で、客に出すのは、どうかと思うのだが、いかがなものかしら。(笑)

2016年2月20日土曜日

№1028 いつ死んでもいいの?


  近所に住むYちゃんが、『今日は居ったなあ。車が無い時は、おらんと思って、通り過ぎるんよ』と言いながら、野菜を持ってきてくださった。腰が痛いと言いながらも、野菜を作っている。1時間ほどお茶を飲みながら、おしゃべりをした。近所の方たちの色々な情報は、殆ど知らない私だが、Yちゃんはかなり離れた在所のことも、よく知っていて、教えてくれる。

『この前、Kさんが、ぽっくり亡くなった』と言う。もう90過ぎているので、長患いせずに逝けたという。まだ80になつたばかりのYさんだが、『ぽっくり死ねるなら、明日死んでもええわ』と言う。私は、「いつ死んでもええけど、明日は困るわ。やりかけの仕事もあるし、迷惑かけることになる」と言うと、『死んでからのことやかし、心配せんでええよ。』と笑う。そうもいかない。でも、いつ死んでもいいように、しておかねばならないトシなのだ。

 【あまり長生きはしたくない】という人もいる。でも、長生きしている方たちであっても、死にたくないという本能的な気持ちがあると思う。Yさんも、何時死んでもいい、と自分に言い聞かせているだけに違いない。ま、健康で長生きできれば、ぽっくりと逝ける確率は高いらしい。せいぜい長生きしませんか。

 

2016年2月17日水曜日

№1027 高齢ドライバー


  高齢ドライバーの事故が増えているようだ。これからも増え続けると思われる。私自身、高齢ドライバーなので、そうした事故を見聞きするたびに、注意しなければと思う。同級生の中には、もう免許を返納した方も多いのだが、私は、まだ大丈夫という自信があるので、返納する気はないし、来年11月中に受けなければならない、3年に1度の、後期高齢ドライバーのための講習会・認知テスト等を受けに行き、続けて運転をしたいと思っている。

今までの、高齢者のテスト成績は、成績がどれも下がっていないどころか、挙がっている。例えば2011年の総合判定は、【同年代との比較:やや優れている。30代~59代との比較:普通】だった。2014年の判定は、【同年代との比較:優れている。30代~59代との比較:優れている】というものだった。こうした成績がいつまでも続くとは思わないが、私は、毎日車に乗って、かなりの距離走っている。運転中の注意は、以前よりも集中して運転していると自覚している。

  運転だけは、【自信】がなくなれば、運転は止めなければならないだろう。不安になれば即免許返納すべきと思う。むろん自信過剰と言うのは、注意しなければいけない。いくらテストがよくても、一度事故を起したり、たまにしか乗らない、ということになれば、自信はなくなると思うので、これからも、しばらくは車は必要なので、安全運転に心がけて事故を起こさぬよう、控えめな運転をしようと思っている。  

 

2016年2月14日日曜日

№1026 鈍くなる感覚


 何となく気忙しい日がつづいたのだが、どうも、感覚が鈍ってしまったらしく、ブログは、2日か3日前に書いたように思って開くと、4日も前だ! といった塩梅。何かにつけて、鈍くなっていく。

 今日も、徳島で会があり、何時間もかかるので、駅まで車で行き、そこから汽車に乗ることにした。駐車料金が、4時間で1200円も取られる。汽車賃は往復で440円だ。駅近くの大きな店舗の駐車場は、帰りにちょっと買い物したらいい。

 駅で珍しく駅員さんが座っていたので、往復切符を買ったのはいいが、徳島で降りて、帰りの方の切符を手渡して改札口を出た。帰りに、残っているもう一枚の切符を渡すと、「これは、往の切符です」と言われ慌てた。「行きは、何時の汽車に乗りましたか?」と尋ねられて○時と言うと、調べてくださり、切符がみつかり、取り替えてくれたので、難なく帰ったのだが、行きの切符と思いこんでポケットに入れたのは、帰りのものだったのだ。電気の消し忘れも多くなったし、聞き間違いもよくある。パソコンのキーボードのうち間違いもだ。押さねばならないキーの隣のキーを押しているのだ。ちゃんとキーボートを見て打っているにも関わらず間違うのだから、どうしようもない。愚痴を言うつもりはないが、深呼吸ならぬ、溜息が出る。

 

2016年2月10日水曜日

№1025 相談会


  今日は、女学校のクラス会を開くにあたって、数人程が阿波市の喫茶店に集まって相談をしました。いつも昼食をたべ、クラス会のことを話あい、雑談に花が咲きます。

昨年は、世話人7人が集まっての相談会でしたが、今年は2名の方が、体調がすぐれず欠席。世話人も毎年、少なくなっていきます。一昨年あたりから、もうクラス会も今年ぎりかもしれない、という思いがありましたが、今年はその思いが益々強く感じられました。

阪神方面に住む方たちも、昨年は3人が来られたのみ。世話人のMさんは、昨年同様、『本番のクラス会会場の徳島市までは、とても行けないけど、ここは近いので来れる……』と会場までお嫁さんに手を引かれて来られました。

老いは、それぞれに切実に押し寄せています。でも、皆これからの難儀な坂道を踏ん張って登っていかねばならない、という覚悟はあって、とても頼もしく思いました。

老後は短い、老後は長い、なんて語りながらも、過去を振り返りますと、あっという間に過ぎてきた、という実感ですから、人生は短く、老後も短いと言うべきでしょうか。なんせ、1年はあっという間に過ぎていきますから100まで生きても、あっあっあっ……と過ぎていくはずです。せいぜい、長く自立して、ぽっくり逝きたいということで、お開きでした。(笑)

2016年2月8日月曜日

№1024 銀行はわが家の金庫


 雀の涙ほどの預金利息だったのが、さらに低くなるらしい。普通預金なら、雀の涙くらいあればまだいいのだが、定期預金でもない。うっかりと、時間外に預金を一度でも引き出したりすると、108円という手数料が引き落とされて、利息はなくなってしまうのだ。

お金がないくせに、お金を貯めることにはあまり熱心でなかった私めだが、贅沢をしたわけではない。そういう金運がなかったのだろう。とはいうものの、葬式代ほどの預金はある。ま、これからは、銀行は、我が家の金庫とでも思っていたらよいのだ。家の箪笥にいれておいて、盗まれたりするよりは、ずっといい。ついでに○○銀行には、いらぬお金1億円いや、3億円ほど預けてある、と思うことにする。とてもいい気分だ。o(^^o)(o^^)o

2016年2月6日土曜日

№1023 失うもの得るもの


  ある友人がよく言います。『トシをとるって、こういうことなのかと、つくづく思う』と。それは、言うまでもなく、心身の変りようを言うのですが、いいことはなく、失っていくこと、悪くなっていくことが多くなってきたということです。この前まで出来たことが出来なくなったり、忘れることが多くなったりと、トシをとらなければ感じられないような悲哀に出合うのです。ま、自分の限界というか、行き止まりの立て札が目につき始めるわけです。

こうした変化は、どれも突然ということではなくても、スローモーションではありますが、実感として分かります。自分がこのトシになって初めて分かったものではありません。こうなることは、だれでも想像は出来ていました。でも、実際そういうことにならなければ、本当のことは分からないものです。歩き方一つにしても、足の重さがちがってきます。昔TVで、若者に【○○歳になったらこういう足になります】と、重りを足に巻きつけて教えていましたが、その通りで、膝が悪くなくても若者のように走れないのは、足に重りをつけているようなものだからです。

ただ、失うことばかりではない、というのも事実です。今だからこそ見える、ということもありますし、このトシだから楽しめる、ということもあるのです。

また、欲が無くなると言うか、自分を知ることが出来、諦めることも出来ます。「これぐらいでちょうどいい」と思えるのは、幸せだということでもあります。

お年寄りの多くは、自分の生活に満足しています。他人がみますと、『あんな不便なところで、しかも腰を屈めて野菜など作って大変なことだろうなあ……』というような方たちでも、幸せそうな笑顔です。

あ、それから私のことを申しますと、口ではなんのかんのとよくトシのことを言いますが、本心は、トシには割と無頓着なんです。無頓着になれる、というのも、トシの功かもしれません。何をするにも、あまりトシのことは考えませんから。(笑)

2016年2月2日火曜日

№1022 2月


 慌ただしい1月が、あっという間に過ぎてしまった。忙しいというのは、気忙しいだけで、実際は、正月気分というものが、気持ちの中に居座っていた。正月くらいはのんびり過ごそう、と言う思いである。だから、この1カ月は、よくTVの前で録画したものを観たり、番組表から観たい番組を探していた。TVは、やはり観だすとくせになるようだ。いい番組はけっこうあることにも気が付いた。大自然の美しい風景が写されるものなど、観飽きることがない。旅番組もいい。旅が好きでもなかなか出掛けられないので、せめてTVを観ながら自分も旅をしているような気分になるのだ。

こんなわけなので、ドラマはあまり観ていない。朝ドラぐらいか。健康に関するものは、かなり観ているか、録画している。

録画といえば、以前から、観たいと思っても時間がなくて録画したものがたくさんある。整理をし、目録を作らねばと思っていたのを、やっと、種類別に、半分ほどノートに整理が出来た。例えば、【芸術】の部なら、・日曜美術 影絵作家 藤城清治 2828というのは、CDに付けた番号)こんな目録を作ると、観たいものが、ノートを開くとすぐ見つかるのだ。CDは、ケースに1から、順に並べてあるので、すぐ取り出せる。ただ、28というCDの内容が、総て芸術とは限らないので、目録が必要になるわけだ。

整理をしながら、すぐに観たくなるものもあって、再生したりするものだから、なかなか整理がはかどらない。(笑)

こうしたことが出来たのも、お正月気分の1月のお蔭だったろう。

2月は、少し本を読もうと、本屋に行き、あれこれ立ち読みして、4冊選んできた。読書はだんだんと、目が疲れるようになってきたのと、集中力もなくなっているので、手に入ったらすぐに読み始めることにしている。置いておくと、なかなか読み始める機会を失う危険がある。

さて、2月は逃げるということで、あっと言う間に過ぎてしまうのだろうが、時間をうまく使いながら、毎日いい日であるように、暮らしたいものだ。