2018年10月27日土曜日

№1222 免許証



  免許証にもいろいろあって一概には言えないが、市民の大勢の方が持っている車の運転免許証などは、何年目かに書き変えをしなければならず、私のようなトシの者は(昨日米寿を迎えた)早く返納せよと攻め立てられている。ただ、毎日運転し、家族の役にもたっている私は、家族から「もう車は止めたほうがいい」などと言われたことはまだ一度もないが、世間一般の風潮は、結構厳しい。無理もない。大きな事故を起す確率が高いのだから仕方がないだろう。

 かなりの車好きな私だが、免許を手に入れたのは、40代半ばで早くはなかった。それまでは不便で、車に乗りたかったのだが、夫が「不器用だし、運動神経が鈍いから運転はだめだ」と言うものだから逆らわなかった。自分も、「さもありなん」と諦めていたが、不便な田舎暮らしでは、運転免許証は、必需品に近いものである。

 大学生の息子が夏休みに帰省し、免許を取るため自動車学校に通い始めたとき、「お母さんのようなオバハンがようけ習いに来よる」との一言で心が動いた。「よしっ、内緒で免許取るぞ」と。善は急げとすぐに申込をしてきた。何日かしてそれを知った夫は、苦虫を嚙み潰したな顔で「死んでも知らんぞっ」とだけ言った。
  どうも車の運転は、運動神経や器用さとは別ものらしく、威張るわけではないが指導員の先生に「あんた、無免で乗っていたのと違うで?」と言われるほど、楽しく練習が出来た。
 そんなこともあって、いつか暇が出来たら、日本のあちこちを車で気ままに旅をしたいというのが夢になった。近くは親友の住む高崎や熱海、そして生まれた北海道・・・と、行きたいところが次々と頭をよぎっていった。
 
 今、振り返ってみると、55歳で退職して75歳くらいまでの20年間に、車旅の夢は、ほぼ達成してきたように思う。夫の生まれた古里九州も、家族で一度、夫が無くなってからは、夫の位牌と写真と、夫の姉二人を載せて、夫が中学生まで過ごしたと言う飯塚や長崎など回ったり、義妹とふたりで遺跡巡りもした。

 車旅だけではない。免許を取ったおかげで、私の世界も人生も大きく広がったと思っている。
 先日、友人を載せて高松まで走った。急ぐことのない旅には、高速道路などは使わない。山道といっても、昔のような山道ではないのだが、大自然に溶け込みながらの運転は、実に爽快である。
バックミラーを覗きながら、後ろに車が何台か連なると、すぐによけて「お先にどうぞ」と、路を譲りながらの運転だ。
 
  これからもしばらくは続けるのだが、事故を起したら、そく運は止めなければいけないだろう。年齢を忘れることなく、優等生運転で、しっかりとハンドルを握って・・・と思っている。
 

2018年10月17日水曜日

№1221 仙谷由人さんの死


  昨日、仙谷由人先生が亡くなられたという報道が流されました。政治家を目指されて以来、応援をしてきましたので、残念でなりません。先生が、優れた方であった証拠は、最後の7期目の出馬で落選したのですが、そのおり、自民党は、〝仙谷さえ落としたら民主党は潰すことが出来る〟ということで、酷いデマを飛ばされたものです。「そこまで言うか・・・」というほど、デマを流されました。運動員の方が、事務所に帰ってきて、無念がっていたのを憶えています。そうでもして、落としたかったのでしょう。そうしたデマを、未だに信じている方たちがいるのは、とても残念です。

 先生は、政治家として、世界を見渡す鳥の目、地を這う蟻の目、水中の魚の目も持たれていました。お口が悪いといいますか、率直すぎて暴言ととられるような発言もされていたようですが、私たちは、先生のお話を聞くたびに、これからの日本や世界情勢を心配しておりました。「早く手を打たなければ、このままでは、将来、○○のようなことがおこってくる」と、予言されていましたが、事実そのとおりになってきたからです。

 最後にお逢いしたのは、9月の8日でした。お痩せになったなあと思ったのですが、そのときも、我々は、もっと危機感をもたなければ、将来は、こんな日本になってしまうと、心配されていました。ご自分の死期を予感されていたというのに・・・。こんなに早く亡くなられるとは、ご本人も〝もう少し生かしてほしいわ〟とおっしゃりたかったのではないでしょうか。

心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌

2018年10月10日水曜日

№1220 衣食足りて・・・

  品位とか品格という言葉はよく使われている。大きくは、国家の品格、女性の品位、老年の品格、親の品格、男と女の品格、紳士のたしなみ、極めは、極道の品格にいたるまで、名は違っても、それに良く似た内容の本は、ずいぶん出版されているのだが、具体的に、マナーをあげればきりがないし、ほとんど知っているようなことばなりなのだ。しかし知っているからといって、品格が備わる、というものでもない。要するに、何事にも、【愛】の視点での行動が大切ということと、やはり優しさとユーモアのあることも大切だと感じられる。 

 よくスーパーなどに買い物にいくのだが、こうした店舗にも、それぞれの個性と言うか、品格があるようだ。それは、トイレを見たらよく解る。これは、店の品格というより、客筋の品格といったのがよいのかもしれない。「トイレットペーパーを持ちかえらないでください」と張り紙があったり、トイレットペーパーに大きく○○と、スーパーの名を書き込んであったりするのを見かけると、トイレの中のペーパーを持ち帰るお客の姿を想像すると悲しくなってしまう。それほど生活が苦しいのだろうか・・・。

 反対に、「トイレをきれいに使っていただいてありがとうございました。お忘れ物のないように」などと書かれてあると、「こちらこそありがとうございました」と、お礼の一つも言いたくなる。

昔は、【武士は喰わねど高楊枝】ということばもあったが、戦後のことなど思い出すと、【衣食足りて礼節を知る】というのが多くの庶民のようだ。

 でも、今は、【衣食が足りても、礼節を知らず】という行動をよく見かけるようになった。田舎道には、高級車の窓から、灰皿の中の吸いがらを捨てたり、食べ残しの弁当やジュースのカンをポイ捨てして去って行く若者がいる。そんなことの後始末を、舌打ちしながらしなければならない昨今である。(`o'")