免許証にもいろいろあって一概には言えないが、市民の大勢の方が持っている車の運転免許証などは、何年目かに書き変えをしなければならず、私のようなトシの者は(昨日米寿を迎えた)早く返納せよと攻め立てられている。ただ、毎日運転し、家族の役にもたっている私は、家族から「もう車は止めたほうがいい」などと言われたことはまだ一度もないが、世間一般の風潮は、結構厳しい。無理もない。大きな事故を起す確率が高いのだから仕方がないだろう。
かなりの車好きな私だが、免許を手に入れたのは、40代半ばで早くはなかった。それまでは不便で、車に乗りたかったのだが、夫が「不器用だし、運動神経が鈍いから運転はだめだ」と言うものだから逆らわなかった。自分も、「さもありなん」と諦めていたが、不便な田舎暮らしでは、運転免許証は、必需品に近いものである。
大学生の息子が夏休みに帰省し、免許を取るため自動車学校に通い始めたとき、「お母さんのようなオバハンがようけ習いに来よる」との一言で心が動いた。「よしっ、内緒で免許取るぞ」と。善は急げとすぐに申込をしてきた。何日かしてそれを知った夫は、苦虫を嚙み潰したな顔で「死んでも知らんぞっ」とだけ言った。
どうも車の運転は、運動神経や器用さとは別ものらしく、威張るわけではないが指導員の先生に「あんた、無免で乗っていたのと違うで?」と言われるほど、楽しく練習が出来た。
そんなこともあって、いつか暇が出来たら、日本のあちこちを車で気ままに旅をしたいというのが夢になった。近くは親友の住む高崎や熱海、そして生まれた北海道・・・と、行きたいところが次々と頭をよぎっていった。
今、振り返ってみると、55歳で退職して75歳くらいまでの20年間に、車旅の夢は、ほぼ達成してきたように思う。夫の生まれた古里九州も、家族で一度、夫が無くなってからは、夫の位牌と写真と、夫の姉二人を載せて、夫が中学生まで過ごしたと言う飯塚や長崎など回ったり、義妹とふたりで遺跡巡りもした。
車旅だけではない。免許を取ったおかげで、私の世界も人生も大きく広がったと思っている。
先日、友人を載せて高松まで走った。急ぐことのない旅には、高速道路などは使わない。山道といっても、昔のような山道ではないのだが、大自然に溶け込みながらの運転は、実に爽快である。
バックミラーを覗きながら、後ろに車が何台か連なると、すぐによけて「お先にどうぞ」と、路を譲りながらの運転だ。
これからもしばらくは続けるのだが、事故を起したら、そく運は止めなければいけないだろう。年齢を忘れることなく、優等生運転で、しっかりとハンドルを握って・・・と思っている。