2013年6月28日金曜日

クジラ


日本の調査捕鯨に関する口頭弁論が国際司法裁判所で始まったらしい。 
 
ある評論家は、【日本の調査捕鯨はあきらかな国際捕鯨取締条約違反である事を外務省も認識している。それにもかかわらず、縦割り行政のゆえに、外務省は水産庁の利権優先政策の前に目をつむってきたのである。日本は、「いわれなき非難には十分な反論ができる」と自信を示したというが、負けは確実だろう】と。

これが本当なのか、私には分からないが、もし本当なら、恥ずかしいことだと思う。

ただ、食文化というのは、人種が違えば、かなり違っている。犬を食べたり、ネズミを食べる国もある。クジラは食べないが、カンガルーを食べる豪州人に、日本は訴えられているのだ。

それはともかくとして、この評論家は、日本の官僚主導の外交下手を嘆いていた。こんなことで、始めての国債司法裁判に負けるなんて……と。

クジラの肉は、戦後の学校給食で馴染み深い。学校給食で、味を憶えた人達は、大勢いるだろう。

ま、私は、クジラを10年食べなくてもどうということはないのだが、クジラ大好きの方たちには、お気の毒なことになるのではなかろうか?

  *明日、明後日の二日間は、同窓会で、家をあけますので、お休み致します。

 

2013年6月27日木曜日

I T 時代


世の中の進みようは、何となく怖い、という感じがしてならない。

ITの世界は、私らには、もう想像も出来ない世界と化しているらしい。個人情報も国の秘密も、何もかも、世界中のあらゆることが、分かってしまう時代なのだ。

ま、これだけのものになってしまうと反対に、私の個人情報など、漏れたところで、ど―と言うことは無い、と思ってしまう。

パソコンを使ったり、携帯電話を利用したりしていても、まったくといっていいほど、訳が分からずに使っている者なので、いったん何かあると、お手上げだ。しかし、壊れたりすることは、めったになく、パソコンなど、こちらが何もしないのに、一人歩きすることがあって、ヘンなことになるが、いじくりまわしているうちに、治ってしまったりする。どこをどうしたら治ったのか、説明できない状態だが、なんせ、いじくりまわしたら、治った、ということなのだ。パソコンは、もう何台も買い換えているのだが、壊れて修理に出した、ということはなかった。古くなって、新しいものが欲しくなって買い換えたのだ。最近の機械は、ほんとに良く出来ている。

市内からの帰り、時間がちょっとあったので、携帯を購入したお店に立ち寄った。携帯歴はけっこう長くて14年になる。会社や機種変更などの浮気はしていないので、現在は、携帯電話に限れば、自由に使いこなしている。(笑)

その携帯電話を、スマートホンに変えようか、どうしようか、という相談に立ち寄ったのだ。【らくらくスマートホン】というのが出ているので、何となく、らくに使いこなせるのではないかと思ったのだ。

ただ、【らくらく】という字の示すように、これは、複雑な機能が付いていなくて、老人向け商品だ。便利さからいうと、不便な点もあるのだが、それは我慢が出来る。ただ、慣れるまでは、ちょっと時間がかかりそうだ。「ちょっと今の時期ははずしたほうがいいな」と思った。選挙のお手伝いに行っている間は、そんな暇はなさそうだ。それと、気になるのが、重さだ。朝から寝るまで、いつもポケットに入れているので、これは気が重い。

すると店員さん曰く。「8月に新製品が出ます。そちらは、ちょっと軽くなると思います。値段は少し高いかもしれませんが。新製品が出ますと、今のこの機種はお安くなります」と。

それなら8月まで待ってみます、ということで店を出た。

今のところ、まだ頭の中では取り替えるかどうかの迷いはあるのだ。

「携帯電話とスマートホンとの切り替えが、うまくできるかしら? こんなことなら、変えなきゃよかった、なんてことにならないかしら」と。

ま、ゆっくりと、考えてみよう。

2013年6月26日水曜日

人口問題


今、世界の人口は、70億を突破しているらしい。日本の国では、人口が減少していて、将来が心配なのだが、途上国では、まだまだ人口が増え続けているので、今世紀末には、109億人に達するとか。しかも、途上国の出生率が、今のままなら、途上国の人口だけで、275億人となるというから凄い。

これは、国連が発表した数字なのだが、このままでは、どんなことになるか、想像が出来ない。

まず、食糧が足りないだろう。科学が発達して、食物なんか、食べなくても生きていける時代になれば別だが、このままでは食べられなくて死んでいく人達は、相当数にのぼるだろう。

そういう現象で、人口を淘汰していくなんて、考えただけでも身の毛が立つ。そう言うことにならぬよう、国連は、警笛を鳴らしたのだろうが、こうした危機感は、なかなか具体的な対策に結びつかないから困る。

日本の少子高齢化問題だって、早くから分かっていたことなのに、何ら手を打つことも無く、問題を先延ばしにしてきたことが、今となれば、取り返しのつかない問題となって、目の前に立ちはだかってしまった。慌てて綻びを繕い始めても、どうにもならないことが多すぎる。

国民も悪かった。痛みを伴う改革には、ソッポを向いたり、反対してきたばっかりに、改革が進まなかったこと。目の先のことばかり考えていたのでは、大やけどをするのだ。

国は借金まみれ、年寄りはどんどん増えていく。年金、医療費は増え続け、若者の負担は益々重くなるだろう。こんな国が、立ちゆくのだろうか? 遅まきながら、今すぐから、何とかしていかねばならないのでは……と、古女は心配でしかたがない。株の値段上げて、外国の投資家喜ばせることより、もっと大事なこと、あるんじゃないの?……と、言いたいのだが……。

2013年6月25日火曜日

校正 その2


昨日の続きをちょっと書いておこう。

面白い話を思い出した。「誤植読本」という本がある。内容の紹介文を読んだので、転写しておこう。

 

【史上最大の誤植は、モーゼの十戒の「汝姦淫するなかれ」のなかれが落ち、「姦淫すべし」になってしまって、1631年に印刷された聖書。

焼き捨てが命じられたそうだが、それでも何冊か残り、貴重本として、大英博物館に保存されているという。

こんなエピソードをはじめ、誤植、後世をめぐるあれこれを、森鴎外、井伏鱒二、宮尾富子ら53人が本音で語った文章のアンソロジーである。「ある事情で、翻訳の出版が遅れた」とあるべきところが、「ある情事で」と誤植された。「窓辺の庇」が、「窓辺の屁」となり、「失敗は、成功の基」が、「成功の墓」……略】

などと書かれている。

何となく読んでみたくなる本なので、私はネットで注文した。(笑)(ちくま文庫 924円)

 

2013年6月24日月曜日

校正


今日は、この週末に控えた同窓会の資料作成のために、何人もが手伝いにきてくれて、仕上げることが出来た。印刷した資料も、間違いがなく、ホッとしている。
 
校正というのは、普段の生活には、あまり関係のないことばだが、本や雑誌、印刷物に関わったりすると、かなり大切なことになってくる。原稿と刷り上がったものとを照合したり、文字や内容に誤りがないかどうか、調べるのが校正なのだ。

出版や、新聞関係のような、専門職の方、いわゆるプロの校正者でも、失敗はある。出来あがったものを見て、間違いが目に入ると、青くなることがあるだろう。

私も以前、真っ青になったことがある。藍住文芸の創刊号が出来あがって、家に運び込まれ、気が付いた。編集にかかわっていたのは何人かいたのだが、まさに私の手がけたことに、大きな間違いを起こしていたのだ。ご挨拶をいただいた町長さんのお名前の漢字ふた文字を逆さまに入れ違えていたのだ。逆さに入れても、まかり通るお名前だったので、気が付かなかったのだが、私が、パソコンで打った時から間違っていたものだから、何人かの目を通していたのだが、原稿通りなのだから、そのまま、通過してしまったのだ。(これは、役員一同、町民として、町長さんの名前をしっかりおぼえていなかったという、誠に失礼な話になるのだが……)

これはそのままではいかんと、すぐ印刷所に電話。私の失敗を詫びて、何とかしてほしいとお願いしたところ、さすがにプロの印刷屋。(徳島市の原田印刷様です)すぐに取りに来てくださって、総がかりで直してくださったのだ。
直ってみてまた驚いた。そのページ(挨拶なので、トップのページだが)まったく分からない。そのページを丸ごと根元?から切り取って、新しく貼りつけてくださったのだ。その鮮やかな直し方は、素人目には全然分からなかった。

いくらボランティアの仕事とはいえ、これだけの迷惑はかけられない。直しの代金を支払おうとしたが、社長さんは受け取ってはくださらなかった。始めの請求書通りの支払いですんだのだが、原田さんには、ほんとにご迷惑をかけた。

あれからもう8年にもなり、今年は、第8号の出版ということになる。(年1回の発行)これまでも、作品の誤植は、毎号あった。しかし、私の失敗ほどの誤植はない。正誤表をつけて間に合う程度のものがほとんどだ。
といっても、間違われた方にとっては、小さな間違いも、何ともイヤなもので、特に意味がまったく違ってしまうような誤植は、すぐに事務局に報せが入る。会員が100名ともなると、校正を一人一人、ご本人に送って見て頂いて、また送り返していただくことも出来ないので、役員が分担して校正するのだが、やはり見落とすことがある。慌てて文芸だより(年4回発行)に間違いの訂正文を書いたり、正誤表を送ったりすることになるのだ。

校正という仕事、うっかり、ぼんやりの私には、向いていない仕事だが、しかし、こういうことをさせていただいているお蔭で、少しは気を付けることも憶えて、いい勉強になっている、と思っている。

 

2013年6月23日日曜日

花の会Tパーティ

硬い話が続くようですが、そんなに硬い話ではありません。(笑)

今日は、【仙谷由人応援隊・花の会主催のTパーティの日】でした。(やっぱり硬いかな?ま、ちょっと我慢してください)

大阪から、辻本清美衆議院議員をお迎えして、気炎をあげて頂きました。あの、「総理!総理!総理!」と、国会で小泉首相に食い下がった有名?な議員さんです。むろん、7月21日予定の参議院議員選挙で立候補予定の中谷智司議員の応援に駆けつけてくださったのです。

私も、中谷議員が単なる陣笠議員なら、そんなに力は入らないのですが、なんたって真面目で仕事の出来る、しかも、市民の幸せを心から願う、若者には似合わぬしっかりした議員なので、どうしても力を入れないわけにはいきません。ま、徳島の民主党議員さんは、(全員落選してますが)たとえ1年生議員でも他の党の1年生とは違います。それは、やはり優れた指導者、仙谷先輩を師と仰ぎ、見習っているからだと思います。

自慢するのは嫌いな私ですが、この花の会という会は、ちょっと自慢したくなる会なのです。仙谷さんが、政治に関わってから、今日までの20年以上も昔から、仙谷さんの言動に惚れ込んだおばさん連中が、(今は婆さんかな)「この仙谷には、国のために身を捨ててかかる愛があり、本物の政治家だ」と、何の見返りも求めずに、彼の人並外れた政治的センス・力量を信じて、会を支えてきたのです。10名足らずのおばさんたちが、それぞれの花の核となって、一つ一つの花をつくり、会員を増やしていったのが、今は、花の数も増えてきました。しかし、核の中心となる人たちも、トシを寄せてきて、副会長は亡くなられたり、病気になられたりして入院中ですし、会長も(私の1年先輩の教師でした)83歳というお年。引退したいとおっしゃりながらも、最適任者なので、なかなか引退させては貰えないのです。

私はただ広報係のような、会長の秘書(笑)のような格好ですが、もう引退したくても、ヤクザの世界のように、なかなか足が抜けられません。会長とともに、足を洗うこととなるでしょう。

また話がそれましたが今日の会は、予定は100名集めるということでしたが、100名を越しての方たちが集まってくださいました。会員がお友達を誘ってきてくださったり、ご夫婦で来てくださったりして、会を盛り上げてくださいました。

色々な方たちにお手伝いいただいての開会でしたが、何と言っても「義理でもなく、頼まれてでもないが、行って応援しようか」という皆さんの心が、とても嬉しく思いました。どこかの党のように、人集めにお金をかけたり、食べ物をふるまったりするのではありませんからね。ひとり1000円という大枚を払っていただいて、ケーキと珈琲でのパーティですからね。

最後に言わせてください。

私たちは、誰を選ぶかは、自由なのです。与えられた権利です。今の日本の現実に目を向けてみてください。このままでいいのかと。格差はますます大きくなり、物価は上がり、給料はあがらない、生活が益々苦しくなっていくのです。中谷さんは言いました。「ネジレ国会は、決められないのではなく、決めない政治の場だ」と。
自民にお灸をすえる者がいないのでは、お先真っ暗です。沈んでからではどうにもなりません。大切な子や孫の世代のことも、よくよく考えて、一票を投じてほしいと、心から思う一日でした。

2013年6月22日土曜日

成長戦略


「成長戦略と所得」ということで、よく新聞や雑誌に論じられています。「所得は増えたか」そんな質問に、増えたと答える人は、今のとろこ、滅多にいないようです。
閣議決定された成長戦略で、私たちの生活は豊かになるのか?こんな疑問が頭にへばりついています。

それといっしょに、何だか、調子のいい言葉で、耳がこそばゆくもなりました。国民一人当たり、所得を10年後に150万円以上増やしてくれるというのです。

ところが、よくみてみると、これはまやかしで、日本の国内企業、国外企業や家庭が儲けた所得を平均すると、ということで、皆のそれぞれの懐が150万円増えるということではなさそうです。 
ちなみに今は、国民一人当たりの「国民総所得」は、384万円だそうですので、単純計算では、534万円以上ということです。でも、年収ではないので、一円も増えない家庭があるのです。
確かに、安倍総理大臣は、街頭演説で、「年収を150万円増やす」と言ったのです。成長戦略に、書かれているのは、「年収」ではなく、この「国民総所得」です。ややこしい言い方すな!と言いたいです。
 

そもそも成長戦略と言っても、『風が吹いたら桶屋が儲かる』といったものによく似ているように思います。工場の利益が上がれば、賃金が上がり、雇用が生まれ、家庭は豊かになり、消費が増えて工場が儲かるということですから。何となく獲らぬ狸の皮算用です。

 私らにはよく解りませんが、どっちにしろ、経済成長を目指すとしていますが、達成するには、家計を豊かにしていくことが欠かせません。無い袖は振れませんからねえ。まして、「国民一人一人が豊かさを実感できるようにならないといけない」と書かれていますので、「目標」働く人の「収入」を増やさなければいけないということです。 

やいのやいのと騒ぐアベノミクスのおかげで、給料が上がったということもないし、反対に、物価があがってきたという反対現象で、今は、一般家庭は、苦しんでいます。

ま、私のような年金その月暮らしをしているものは、下さるだけのもので、買えるだけしか買えませんから、足りなきゃ我慢、買わなきゃええだけです。服は、古いので我慢し、食べ物は、うなぎなど買わずに、メザシで辛抱して、粗食にしたらええのです。死にゃしませんからね。

でも、子どもを育てている人たちは、大変です。塾の月謝、学費を削るわけにはいかんでしょうし、家賃を下げて貰うことも難しいことでしょうから。

政府は、立派なこと、言ってます。
『今は、まだ、円安で一部の輸出企業が利益を増やしている段階ですが、成長戦略では、まず、より多くの企業の利益を増やすよう、支援します。 そして、業績を伸ばした企業に、雇用と賃金を増やすよう促していく。そうすれば、消費も増えて、地域や中小企業。社会全体におカネが回っていく循環がつくれる』と。
ほんとかしらねえ。こんなシナリオを描いても、そのために、どのような政策が盛り込まれているのか?立派なこと言っても、実現しなければ、絵に描いた餅よりおとましいものです。

マスコミや自民党は、【民主党は、何もしなかった】げなこしばかりいっていますが、たった3年ほどの間に、失業率も少なくなっていましたし、出生率も上がってきていましたし、医療改革もしてきましたし、教育の改善や、就学率も上げ、【人にやさしい政治】がすすめられてきました。そういう実績は、ほとんどマスコミは取り上げていないので、知らない方がほとんどです。

こんなことでは、日本の国の政治は、良くならないし、改革はおろか、ヘンな方向に傾くのではないかと、心配しています。

2013年6月21日金曜日

友の会


師範学校と言う名の学校が昔ありました。正規の教員になるための専門学校でした。その師範学校を最後に卒業した私たちの同級生は、現在82歳から85歳の方たちがいます。戦後のどさくさ時代、兵隊から復員してきて入学した方がいたり、臨時教員をしていた方が、入学してきたりした学年だったので、年齢のばらつきもあったりして、なんとも奇妙な学年でした。

すでに、鬼籍に入られた方が、70名ほどいて、現在116名の方がおられます。
平成23年の6月に、25回目の同窓会を最後に同窓会を中止したのですが、希望者だけの『友の会』というのをつくりました。毎年、年一度は集まりましょう、という会です。全員に希望を聞きましたが、同窓会には、ほとんど毎回出席していた方58名の方が、友の会会員になりました。

そして一年後に第1回友の会を、(昨年6月)開きました。40名近くの方が集まりました。

今年も第2回友の会を、629日に行います。その出席のはがきを昨日閉め切りました。

余談ですが私、退職してからパソコンで遊びはじめたばっかりに、お世話係の一員となっています。何しろ、パソコンが学校に導入された頃は、男先生は、ほとんど管理職ということで、パソコンなどいじくらなくてもよかったものですから、機械に強いはずの理数の先生だった連中も、パソコンが使えないと逃げてしまいます。まったく困った連中です。この、機械にめっちゃ弱い私めがやっているというのにですぞ。おっとっと。話が横道にそれました。

今年の出席者は31名と、昨年よりかなり減少です。やはり、11年、色々なことが起こってくるのがこの年齢ということであります。しかたがありません。この1年で、お二人亡くなられました。

私らのような高齢者を、後期高齢者といいます。私の嫌いな英語では、前期高齢者を『ヤング・オールド』後期高齢者を『オールド・オールド』というそうです。
こういう言葉って、感じ悪いっていう人、かなりいます。ま、呼び名なんてどうでもいいんですが、呼び名にひしゃげる人もいますからねえ。その証拠に、二言目には、『もう後期高齢者やから』なんて、先回りして、何事にも腰を引いている人がおります。

思いますに、だれもが三浦雄一郎さんにはなれませんが、彼の言うように、「何歳になっても夢をあきらめない」という生き方は、だれにも出来ると思うのです。ちっちゃな夢でいいんです。楽しくやれることを夢みたらいいんですよ。三途の川を渡るような冒険はしない方がいいんです。あれは、三浦さんだから出来たんです。三浦さんほどになれば、周りに迷惑かけてもいいですからね。周りのたくさんの人に夢や勇気与えましたから。(笑)

 
同窓会に戻りますが、昔の思い出を語るのは、いいものです。みんな、にこにこと相槌をうちながら聞いています。してはいけないのは自慢話。これをはじめますと、ソッポをむかれます。たまにいらっしゃるんですよ。嫌われますから、しないことです。

さて、今度の友の会、どんな話がはずむことでしょうか。楽しみにしています。

2013年6月20日木曜日

自殺者


驚いたことに、平成25年版の「自殺対策白書」によると、2030代の死因の第一は半数近くが自殺という。国も、これは何とかしなければと慌てているようだ。

この日本の自殺者は、国際的に見ても、突出していて、若者だけをみてみると、先進七カ国では、死因が自殺というのは、日本だけらしい。

私は、幼い頃から死の恐怖があったくらいで、自殺など、考えたこともなかった。もし、死んだらどうしよう、死ねば家族と別れなければならない、なんて思って泣いたことがあるくらいだった。

大人になっても、どんなに辛いことがあっても死ぬことなど、本気で考えるようなことはなかった。考えてみると、極楽とんぼというよりは、死ぬことがひどく恐怖だったと思う。

この歳になって、もういつ死んでも悔いはない、という心境になっているのだが、それでも死ぬことより、生きていることがずっと楽しいし、生きたいと思っている。

これは、言いかえたら、自分を大事に思っているということかと思う。大事な自分なので、命を守ることは当たり前のこと。どんな自分であっても、それを受け入れて、ほとんどの人たちは、そうして命を大切に生きているではないか。
自分を愛することが出来なければ、人を愛することもできないと思うのだ。

 
自殺には、原因があるはずで、健康を苦にして(多分、鬱も含むのだろう)が1位となっているが、それも、就職の失敗や、受験、進路の悩みといったことが元になっていることが多いのだろう。

学校でも、最近は心理カウンセラーといった専門家も配置しているようだが、心を病む人たちが増えていることも事実である。

しかも心配なのは、こうした人たちが、若者だけではなく、3040代と増加しつつあると言う事だ。職を追われる、会社が倒産する、子育てが思うようにならない、親の介護が大変など等、重たい問題がおおいかぶさってくるのは、若い世代だけではないだろう。まして、格差社会がひどくなってくると、自殺をしたくなる人達が減ることはなさそうだ。

人生は、悲観ばかりしていては、幸せにはなれないし、失敗は当たり前。たかだか20年や30年生きて、絶望などしてはいけないと思う。「人間はみんな苦労や悲しみや努力をしながら、小さな幸せを積み重ねながら生きていることを、若い人たちは知ってほしいと思う。

 

2013年6月19日水曜日

贔屓


マスコミの自民党贔屓にもほどがある。

マスコミが正しい方向に向いていないと、正しい方向に国が進んでいけないのが日本の現状だ。いつも選挙はマスコミに踊らされるようでは国はよくならない。

以前の長い自民党政権時代、マスコミは旨い目をしてきたのか、やっと国民の意思で政権交代を成し得たと思ったのもつかのま、マスコミは、民主党には、とても厳しい批判をしてこき下ろし、政治交代の手助けをして、元の自民党政権に勝利をもたらした。

 振り返ってみると、民主党時代、鉢呂大臣の、「死の街」「放射能つけちゃうぞ」発言のとき、あのときの自民党、世論、メディアのバッシングは、すさまじかった。そして鉢呂大臣を首にしたのだ。
 
それがどうだろう。今回の高市政調会長の「原発事故で死人は出ていない」発言では、野党もメディアも高市政調会長をこき下ろすようなことはしない。
 
与党も野党も、参院選でそれどころではないのか。「発言に気を付けて任務をつづけよ」と、安倍総理は遠くからコメントしただけ。野党も腰がひけているし、マスコミは与党贔屓。これではどうなることかと、古女は歯ぎしりしている。

2013年6月18日火曜日

珈琲


新聞で知ったのだが、珈琲が日本に始めて伝わってきたのは、江戸時代で、オランダ人が長崎に持ち込んできたのが最初というから、かなり古い。しかし、珈琲を飲ませるという商売はなかったらしく、明治21年(1888年)に、初めて東京上野にカフェが開店したとか。庶民の間に、珈琲が広まっていったのは、明治の末ごろというから、かなり庶民の飲みモノとしては、開花が遅かったようだ。

 
むろん、都会に住む文化人、特に外国での暮らしを経験した人たちは、コーヒーの香味は、忘れられず、カフェに足を運んだのだろう。

 
「珈琲文化」とか、「喫茶店文化」が開花しておよそ100年らしい。
ということは、私の生まれる20年近くも前になるのだが、当時の私の家庭は、喫茶店で珈琲を飲んだりするような、ハイカラな家庭ではなかった。そして珈琲は、子どもの飲み物ではなかったと思う。その証拠に、家庭で飲む珈琲など、売っていなかったように思う。あるにはあったのだが、粉末にお湯をそそぐと、甘いミルク珈琲が出来上がるというものだった。珈琲の香りなど、鼻先をかすめる程度のものだった。そんなものも、我が家では、飲めなかった。子どもは、ラムネかサイダー、ニッキ水といったものだった。

 
しかし、お金持ちや、ハイカラな家の子は、親たちが飲んでいたりしたのだろう。女学校2年生になったばかりの頃、当時女学生には禁止されていた喫茶店に、入ったとか入らなかったとか、噂になっていた子がいた。そんな子は、「不良」といわれていた子だった。

 
遅まきながら、私が喫茶店に出入りしたのは、就職してからである。学生時代は、お金がなくて出入りはしていない。たまに映画館に入るのがやっとだった。

 
珈琲の香りはとても好きだったが、飲むと夜眠れないという時代が長く続いたので、午後の珈琲は、最近まで飲んでいなかった。ところが、夜遅くまで起きていると、蒲団に入るとすぐに寝つくようになり、珈琲を飲んでいてもいなくても関係なく眠れる事に気が付いた。今夜も、劇塾でTタイムのとき、(8時半)に、珈琲をよばれてきた。(毎週火曜の夜は劇塾がある)今、蒲団に入ったら、多分すぐに眠るはずだ。

ああ、もうここらでおいておこう。瞼が重い。(笑)

2013年6月17日月曜日

思うこと その2



同級生のYさんは、20年前に夫を亡くしたが、数年前から、認知症になっている。「ちょっとおかしい」と思ったので、同居している娘さんに、病院で見て貰うことを勧めた。

家族は気がついていなかったらしく、半信半疑で医者に見せた。医者は、認知症の初期ということで、さっそく薬を飲み始めることになった。薬は、認知症を直すことは出来ないが、進行を遅らせることは出来るらしく、毎年の同窓会は、自分で通知を読んで、出席の返事を出していた。家族も、「皆さんには、迷惑かけるかもしれないけれど、本人は、出歩くのが好きだから、なるべく好きなようにさせたい」ということで、会場までの送り迎えをしたりしていた。

ただ、昔のことはよく憶えていて、同窓生との会話は、難なく出来るが、時間がたつと、同じ話を繰り返すのと、2年ほど前からは、誰に連れてきてもらったか分からなかったり、席を立つと、自分の席が分からなくなってしまうとかで、いつも、隣席の者は、気を配っていた。

そのYさんも、娘さんの話では、もう近所でも家が分からなくなるので、外には一人では出せなくなったとのことだ。

今年の同窓会は、もう自分では、出欠のはがきが出せなくなったのか、家族の判断で欠席させるとのこと。

 

こうした問題は、Yさんに限ったことではないはずで、噂では認知症になっているらしい方は、何人かいらっしゃる。

介護保険というものがあっても、サービスは24時間みてくれるわけではない。

Yさんも家族といっても、仕事をしているし、孫も昼間はいないのだ。一日中、外にでることなく、TVでもみているのだろうか。土日は、家族とどこかに出掛けたりもするらしいが、家族も本人も、心の休まるときがないのではないかと思う。

 

世間には、認知症の親や連れ合いのために、離職を余儀なくされた方もいる。しかし、働かなければならない人達は、それも出来ないのだ。Yさんも、多分近いうちに、どこかのグループホームか施設に入ることになるだろう。住み慣れた我が家で最後まで、というのは難しそうだ。

 

介護保険を利用する認知症の高齢者は、現在300万人もいるらしい。まだまだ、これからは増え続けることだろう。いずれ私も……そんな不安はあるが、考えてもしかたのないこと。今を精いっぱい生きていくほかない。

2013年6月16日日曜日

思うこと


最近、新聞を見ても、広告を見ても、目につくのは、美しい顔をした女性をモデルにした、若返りだの、皺取りだのと言った化粧品や、栄養剤の宣伝である。えっ?この顔が65歳?と驚くような若い顔の高齢者だ。こんな方たちを、前期高齢者と呼ぶのはおかしいと思うのは、私だけだろうか。平均寿命が男性女性共に80歳代の時代に、65歳を高齢者とは、何となくふさわしくない。ま、健康に恵まれていない方と、元気な方とは、かなりの違いがあるのだが、一律に年齢だけで、「前期高齢者」だの、「後期高齢者」だのと、括るのは止めて、ご本人にお任せしてはどうだろう。
「まだ、高齢者ではない」と思う方に、高齢者のレッテルは似合わない。高齢者の恩典を受けるのも似合わない。中には、高齢者だからと言って、社会に甘えることはしたくない、と言って、死ぬまで「高齢者」を辞退する人が出てもいいではないか。

「一生現役」と頑張る方もいる。これからは、若者が少なくなってくる時代。60歳すぎても、働きたい人たちには、しっかり働いてもらうことが、生き甲斐や、健康にもつながることになるだろう。

 
友人のSさんは、家の中では、現役だ。農業を営む息子さん夫婦と一緒に畑仕事を一人前にやっている。後期高齢者だが、家の中では、そんな待遇は受けていない。働けなくなったら、自分から言って引退するという。きちんと日当は頂いて、お洒落な服も着ている。生き生きと暮らしているSさんは、「後期高齢者」なんかじゃない。……と、私は思っている。

 

2013年6月15日土曜日

雨が降った!


やっと梅雨の季節らしい雨が降った。かなりの豪雨だつたが、時間が長くなかったので、いい塩梅だつた。木や花が、顔を洗ったようになっている。
我が家の庭には、めったに水を撒かない。自然にまかせてある。水が足りなくて、木が枯れたと言うことは今までにないので、木も心得ているのだろう。庭の木に、毎日水をやっている方がおられるが、大変と思う。とても私には出来ない。

庭に止めてある車もきれいになったので、洗車の手間も省けたというもの。(^^)

車といえば、4月からトヨタのヴィッツというのに乗り換えているのだが、この車、自分が乗り出して気が付いた。随分と沢山の人が乗っている。この前など、前を走る車、後に続く車、信号で止まると、横の車線の車までが、同種の車だった。

以前は、7人乗りの車に乗っていたものだから、かなりガソリン代を使っていたのだが、型が小さくなったのと、燃費がいいのとで、ぐっとガソリン代は少なくてすむ。ただ、よく人様を載せるので、5人乗ると後部座席の3人は、窮屈だ。ま、それはたまの事だから、辛抱してもらうだけのことだが、長距離は4人までがいいようだ。

車の運転が好きなので、暇になったら、車で旅行したいと思っているのだが、その機会がなかなか訪れないのが残念だ。

2013年6月14日金曜日

年金の日


今日は、年金生活者にとって嬉しい日、年金が通帳に振り込まれる日です。(15日が土日ですと、1日繰り上げて14日となります)働いていない者にとっては、命綱の年金です。とても有難いものです。

 
年金を始めて頂いた日の感激は、今も忘れていません。働いていないのに、お金を振り込んで頂けるのですから、有難い制度だと、感激したのです。そして健気にも、身体の動く間は、世のため人のために小さなことでも何かしなければいけないなあと、思ったのです。

年金は、それなりの掛け金しているのだから、当たり前の権利だ、と思うのは、ちょっと違うと思います。その証拠に、掛け金をせず、そのお金を貯めていたとしても、多分、死ぬまでの年金額には達しないことでしょう。たくさんの人達に、支えられての年金なのです。

もし、この国が崩壊して、年金がストップしてしまったら、どうなるか、今更働くといっても、どこで何が出来るか、考えても何一つ思い浮かびません。
 
ま、戦後を生き伸びてきたのですから、最低の生活をせよ、と言われたら出来ないことはありません。今の若い者にはない辛抱強さは有ります。「歴史は繰り返すか」なんて呟きながら、何とか生きていくことでしょう。

 
しかし、そんな時代になっては困ります。途方も無い借金を背負っている我が国です。新しい安倍政権のお金の使い方を見ていますと、景気が良くなるよりも、生活が苦しくなる市民が増えていくような予感がして、何とかしてほしいと思うのです。

せっかく、コンクリートから人へと、人に優しい政治に舵を切ったはずの日本が、再び景気回復という麻薬のような言葉にぐんぐんと後退していく国情は、みちゃおれません。

勢いに乗った自民党の右肩あがりの政治に、何とかお灸をすえて、監視するべく、民主党に頑張って貰いたいと、今日も、花の会(仙谷氏を支える女性の会)の一員として、仕事をさせていただきました。まったくの手弁当での奉仕です。「そんなしんどいこと、ようするなあ」と、笑う方もおりますが、私たち花の会の会員は、20数年も、そんな思いで仙谷由人氏や、同士の国会議員さんを応援してきました。特に、日本には、なくてはならない仙谷氏を落選させてしまった県民として、今回の中谷智司氏は、ぜひ、国会議員として民主の基盤を守っていただかねば、次の衆議院選挙に出馬予定の面々は、一段と難儀な闘いになると思われます。

中谷氏は、素晴らしい青年議員です。誠実で、政治に熱い志を持つ議員です。彼を知る人たちは、口をそろえて【素晴らしい好青年】と太鼓判を押しています。何しろ、徳島の衆議院民主党議員さんは、惜しくも全員落選しましたが、高井美穂さん(元文部科学副大臣)仁木博文さんは、仙谷さんの政治姿勢を学んで、すばらしく成長なさってきました。どこに出しても恥ずかしくない国会議員です。中谷氏も当然です。

参議院議員選挙を間近に控えて、古女の婆さん達が、足腰をさすり、頑張っている姿は、どうみてもマンガ的かもしれません。でも、いいのです。(笑)
 
どうか、政治に参加出来る権利を【棄権】したりすることなく、だれが今の日本に必要な人物か、を、自分たちのために考えてみようではありませんか。

2013年6月13日木曜日

さて、何を書こうか……と


さて、今日は何を書こうか、と考えるのも、もう習慣のようになりました。いつでもいい題材が目の前にぶら下がっているわけではありませんし、毎日毎日、「疲れた」「忙しい」ばかりでは、誰にも読んでは頂けませんものね。(笑)
 
随筆らしい随筆は、このところ書くこともなく過ごしてきましたが、何を題材にしても、その人の生き方や味が出てこないと面白くありません。
しかも、お説教や教訓も、ソッポをむかれます。教科書ではありませんから。
 
また、新聞記事ではありませんから、直球は向いていません。(と言いましても、新聞記事のようなものを、転写して読んで頂くことも、よくしておりますが)ま、題材にもよりますが、じわーーっと書いて、じんわりとしてくるようなものがいいと思うのです。鋭いコトバで表現しなくてはならないものもありますが、それも、ユーモアというオブラートで包み込んで投げ出しますと、返って遠くまで飛ぶことだってありますからね。
 
それに、どんな文章であれ、ただ読むだけで感動するような題材が、いつでも転がっているわけではありません。そうかといって、事柄のない随筆は、筆力で読ませる必要がありますから、私のような者にはかなり難しいです。やはり、事柄を語るということが多くなります。でも、その語りは、もう一人の自分がいて、語らせることが必要に思います。言い換えますと、その事柄に、とっぷり浸かってしまっては第三者には読んではいただけない、ということでしょうか。
 
ともあれ、書き続けていくことが、何よりもいい栄養剤であることは、間違いありませんね。……と、こうして自分に言いきかせているわけです。
 
 

2013年6月12日水曜日

球が変われば?


あまり、野球のことは分からない私だが、こっそりと、球がよく飛ぶものに変わっていたらしい。よく飛ぶといったって、ホームランが2倍にもなるようなものではないのだが、大きな問題らしい。むろん、隠していたことを避難されているのだが、素人は、隠していたわけが分からない。選手にとっては、ホームラン打ったら、お金もごっそり頂けるのではないかと思うのだが、投手にしてみれば、イヤなこったろう。

かかわりのある人たちは、「まるでペテン師だ」とか、野球倫理も地に落ちた」とか騒いでいる。そんなとき、ある辛口政治評論家が、こんなことを書いていたので、思わず笑ってしまった。

 

【怒りはもっともだ。 しかしよく考えてみれば無理はない。日本野球機構の会長は日本プロ野球コミッショナーだ。そしてそれは加藤良三という天下り外務官僚である。 ついこの前まで駐米大使をつとめていた男だ。 隠蔽体質は外務省のお家芸である。ちなみにこの加藤良三というコミッショナーはWBCの収益配分が日本に不利だと選手会が反発した時、米国のいう事を聞くしかないと選手会の要求を押さえ込んだ男だ。 対米従属もまた外務官僚のお得意芸である】

 

と。官僚、特に外務省は、いつもアメリカ側に立って、何事も隠蔽。日本の国のことなど考えていない、という考えのA氏らしいと笑った次第。

2013年6月11日火曜日

寝過ぎたよ!


あっ、もう今日のことにはならないと思うが、書いておこう。

今日も、中谷智司選挙事務所に行って、5時間ほど仕事をしてきたのだが、仕事をたくさんしたわけではないのに、先日から両手の指と腰が痛くて、夕食後横になっていたら、すっかり寝てしまった。

無理のない程度に、暇があると、出掛けて、5時間ほどお手伝いしている。少しでもと思う気持ちがあるものだから、リーフレットを封筒につめたり、シールを貼ったりする単純作業なので、お手伝いしている。頭は使うわけではないし、ニコニコしながらしているのだが、もともと弱い腰と手の指の関節が痛くなる。どこかの党とちがって、民主党は、皆さんがボランティアなので、やれるところまでやったらいいのだが、つい山積みの封書をみると、せっせと手がひとりでに動く。こういう単純作業は、自分でいうのも何だが根気強いのだ。

ま、こんな調子なので、あしからず。(笑)まにあうかな? あー、日がかわったね。

 

2013年6月9日日曜日

おやつ


最近は、おやつにお菓子を食べることが少なくなった。甘いものは、あまり食べないのがよいのだが、頂いたりすると、つい手が伸びる。でも、ゆで卵をいつも切らすことなく作っておくようになってからは、小腹が空いたときは、そちらをおやつ代りに食べている。何しろ、卵は、1日に3個以上食べることにしているので、そういうことになるのだ。()

最近の若い人たちは、舌が肥えているので、ケーキでもチョコレートでも、何でもというわけにはいかない。孫が以前、イギリスのお土産に、チョコを買ってきてくれたのだが、1粒が1000円以上もすると聞いて、口の中がマヒしてしまった。()

ケーキも、美味しいと評判のA店とB店でも、微妙に味が違うらしく、その違いは私にはよくは解らない。こうした傾向がいいことなのか、贅沢なのかは別として、ケーキ一つ買って帰るにも難しい時代となったものだ。

子どもの頃、住んでいた帯広に、今も全国的に有名なお菓子屋さんがあった。歩いて10分ほどの繁華街に、今ほど色々と種類があったわけではないが、それでもショーウインドーの中は、きらびやかな洋菓子や和菓子が並んでいた記憶がある。おでこをウインドーにぴたりとくっつけて、飽きることなく眺めたものだ。

そんなお菓子が、いつも食べられるわけではない。来客があるとき、ちょっとした和菓子を用意する。そのおこぼれを頂くのが精いっぱいだった。普段は、駄菓子屋の飴玉やキャラメルとか、お煎餅。ときには、籤を引いて、その当たりの大小のノシイカとか。そして季節によっては、美味しいとうきび、カボチャだった。今思い出すと、それは全てが美味だった。今となっては、思い出に懐かしさという味付けがされているのだろうが、当時の子どもの舌には、ほんとに美味しいおやつだった。

私は、亡くなった作家、向田邦子さんと、良く似た時代を生きてきたのだが、彼女の書く随筆の中に出てくるような上品な家の子でなかったので、5銭や10銭を握って駄菓子屋で買い食いをして大きくなった。向田さんは、そんなことがしたくてたまらなかったらしいが、そんなことはさせてはもらえず、家で用意されたおやつを家の中で、お行儀よく頂いた方である。

私の、父母、祖父母は、甘い美味しいお菓子のおやつなど、食べて大きくなってはいない。干したソラマメの炒ったものとか、桑の実、へぎ餅を切って炒った、あられがおやつだったろう。ういろう、おはぎ、お団子は、普段は食べられず、何かのモンビに家で手作りして食べたものである。そんな田舎出の祖父母や父母に育てられた私だ。町で住んでいたおかげで、ちょっとは口にしたものの、決して贅沢などしていない。

そのお蔭だろう。口は肥えることなく、何でも美味しく頂ける、という人間になっている。

2013年6月8日土曜日

本屋


本屋に立ち寄ることが少なくなった。あまり本を読まないということもあるが、最近は本屋で探すより、読みたい本をネットで探して購入するのが手っ取り早いのだ。新聞の広告などで、「この本が読みたい」と思って本屋に行っても、まず無いことが多い。注文すると、早くても45日はかかる。入荷の電話を頂いて、それを買いに出かけることになる。ネットなら、すぐに見つかり、申し込むと、早ければ、翌日届くのだ。無論送料はいらない。料金も引き落としてくれる。

その上、サービスもいい。好きな作家の本が読みたいと思って注文すると、「この本を読まれる方は、このような本も読まれます」と、ご丁寧に、その作家はもちろんのこと、良く似た内容の本を、ずらりと並べてくれる。じゃあ、ついでに……ということで、手をのばすことも出来る。

ま、たまには失敗もあって、同じ本を2冊も注文してしまったこともあるのだが、そんなことは、以後気を付けるので二度とは繰り返さない。

しかし、こうしたネットの注文は、考えてみると、何となく味気ない気もしなくはない。本屋でずらりと並んだ新刊本を眺め歩くのはけっこう楽しいものだし、買う気はさらさらないのに、手にとってパラパラとめくって立ち読みするのもいいものだ。「へえー。あの役者が、こんな本書いてるの?」とか、「こんなものがベストセラー?」などなど、暇なときにはけっこう時間つぶしに役だってきたものだ。

電子本というのがある。その中にはかなりの本が入っているのだが、入っていない本も、いくらかの料金で、購入すると、読めるようになる。本の手触り感はないのだが、字を拡大して読むことができるので、便利な面もある。そんなに高価なものではないので、買ってみようかと迷っていたのだが、機械類はどんどんと進歩していくので、そのうちにもっと便利に読めるものができそうな気がして控えている。いや、それより先に、読むことに興味がなくなるかもしれないのだが……。()

2013年6月7日金曜日

熱中症


最近、あまり汗をかかないことに気が付いた。これは、年寄りの兆候らしい。60代の発汗量は、20代の85%というから、もう私の年齢では、かなり少なくなっているはずだ。

汗は、体温調節に大切な役割をもっているのだから、汗が少ないということは、体温が下がりにくくなっていると言うことだろう。とくに、最近のように、気温が高くなってくると、体温が下がりにくくなって、熱中症になりやすい、ということになる。

今日も、夕方近く、外に出て、草枯らしを撒いていたのだが、暑いと思っても、汗は流れなかった。ひょっと、「あ、熱中症になったらいかんなあ」と瞬間思ったのだが、やりかけた以上、最後までと思ってしんどいながらやり遂げた。そして急いで家に入って水分を補給した。

気分が悪くなったわけではなく、熱中症になったわけでしないのだが、汗をかかないということに、ちょっとばかりショックだった。これは体温のコントロールがきかなくなることで、熱中症にかかりやすくなることだと思った。

熱中症の死者は、毎年かなり出ているのだが、その80%が60歳以上だというから、やはり年寄りは気を付けなければいけないようだ。
今まで、熱中症なんか、人ごとのように思っていたのだが……。

年をとると、汗だけではなく、喉も渇きにくくなる。と言うか、喉の渇きを感じにくくなるのだろう。お茶など、飲み物も気を付けないと飲まずにいても平気になってくる。自分で気を付けて補給していかないといけないのだ。脱水症状になってからでは遅い。

「むかしは、熱中症なんてなかったよね」と言う年寄りもいるが、なかったわけではない。熱射病とか日射病とか言って、倒れる人はいた。ただ、【熱中症】という言葉に統一されて、皆がよく言うようになっただけのことだろう。

ともかく、どこにいても、かかるという熱中症なので、暑さ対策と水分補給に気を付けて、今年の夏も元気で過ごさねばと思ったことでした。

2013年6月6日木曜日

おしゃべり談義


女の人は、おしゃべりがすきだ。いいストレス解消法でもある。
でも、おしゃべりにもいろいろある。愚痴や人の悪口ばかりを言うなんて、あまり聞きたくはない。

【人の振り見て我が振り直せ】ということばがあるが、人の振りをみても、我が振りを直せないのが年寄りだ。「ああはなりたくない」と思っていても、自分のことが分かっていなければ、直しようがない。冷静に自分を見る目をもっていなければいけないのだが、それがつい甘くなるのだ。人様の愚痴を聞いて、あまり格好よくないと思ったら、自分は愚痴は言うまいと思うだろう。でも、言ってしまうのだ。言っているときに気が付けばいいのだが、気が付かないのが年寄りだから困る。

私も、自分では分からずにいるが「ああはなりたくない」ことを言ったりしているだろう。そんなことは、なかなか注意してもらえないので、いつも自分を見つめる第三者的な目を持っていたいと思う。

私は、どちらかというと、喋るのが苦手なので、聞き役が多いのだが、それでも気易い仲間内では、しゃべりたくなることもあってしゃべりだす。他人さまの悪口も言う。

ただ、どんなことがあっても、言ってはならないことには口にチャックが出来る。ヒトの噂でも、真偽の分からぬことを言ったり、相手が知られては困ること、隠していることをしゃべったりはしない主義だ。
また、知人のどんな悪い噂でも、「それは間違いだろう」と思うことは信じないので、たとえ耳に入っても、だれにもしゃべりたくない。いや、しゃべりたくてもしゃべらない、というのが本音だ。()

「私はおしゃべりだ」と自覚しているOさんが、いつかしんみりと言ったことがある。「私がしゃべらないときは、『Oさん、不機嫌なのかな?』と思うんじゃないかと思うと、ついしゃべることになるのよ。私だって、おしゃべりがしんどいときもあるのよ』と。

そのとき私は思ったのだが、Oさんもまわりに気を使っているんだなあ」と。
でも彼女、おしゃべりがしんどいときはあまりなさそうだ。()

2013年6月5日水曜日

遺伝子組み替え


「遺伝子組み替え大豆は、使用していません」

こんな添え書きの商品が目に付く。材料の大豆は、アメリカ産だけれど、遺伝子組み換えはしていない、ということなのだが、言いかえると、遺伝子組み換えの大豆は、出回っていると言うことだろう。

ネットで、こんな怖い話を読んだ。政治評論家の田中宇氏が書いている。
要約しておく。

遺伝子を組み替えて、どんなことをしているのかというと、たとえば、草枯らしをかけても、雑草は枯れるけれど、枯れない作物にする、というようなことをしているので、小麦とか大豆とか、広い農場でつくっているアメリカなどは、草枯らしを空中散布しても、作物は心配ない、といったことになるのだ。いうなれば、殺虫剤に強くなった害虫が、殺虫剤をかけても死ななくなった、ということと良く似たもので、草枯らしに抵抗力のついた植物ということになる。枯れはしないが、草枯らしは、たくさん沁み込んでいるはずだ。

しかし、こんな食べ物を食べる気にはならないのが普通で、アメリカの小麦の草枯らしに強い「ラウンドアップ・レディ」という品種は、研究途上で売れそうにないと研究開発を打ち切った。

しかし、その後8年もたっているのに、そんな小麦が、アメリカのオレゴン州に自生していることが見つかったのだ。ということは、打ち切ったはずの小麦が、わずかでも混じって生えて収穫され、世界に輸出されてきた可能性があるのだ。オレゴン州の小麦のほとんど90%は輸出されているのだ。

日本は、メキシコに次いで、米国産小麦の輸入が多い国だ。5月30日、日
本政府はオレゴン州の小麦の輸入を禁じる措置をとった。

日本が米国からの輸入を禁止した小麦は、麺類やクッキーなどの原料になる小麦粉で、日本は米国の代わりにカナダ、フランス、豪州などから小麦を輸入している。

遺伝子組み替えは、小麦において許可されていないものの、大豆やトウモロコシ、綿花などでは許可され、大々的に導入されている。米国産の大豆の93%、トウモロコシの88%が遺伝子組み替え品らしい。しかも、遺伝子組み替え品は、食品としての安全性が確立していない。事実上、全人類を対象に人体実験の最中といえる。

そして今は、遺伝子組み換え種子の使用に、反対運動が、世界に広まっているという。市民団体のデモや集会が開かれている。特に欧州人が強く反対している。(略)

ここで問題なのは、安倍政権が、米国からの圧力への弱さだ。これまで日本の農水省は、国内の農業など一次産業を守るため、今回の輸入禁止や狂牛病のときのように、米国産の農産物に懸念があるときは、米国の業界や政府筋から「神経質すぎる」と非難されても無視して輸入禁止の措置を採ってきた。しかし昨年後半以来、特に安倍政権になってからの日本は、日米同盟の維持を最優先にして、米国から政治圧力を受けると、国内産業の打撃や地元の反対などを無視して、米国側の言いなりになる傾向が強まっている。米国は大手の銀行と企業が政府を動かす権力構造だ。米政府は基本的に業者の言いなりだ。日本が米政府の言いなりになる傾向を強めると、業者の言いなりにならざるを得ない。

TPPの参加について安倍首相は繰り返し「これは日本の安全保障のためだ」と言っている。つまり、日本の農業などが潰れることよりも、日本がTPPに参加することで米国が日本を軍事的な傘下に入れ続けてくれることの方が重要だということだ。米政府が日本に「TPPに入らないと、米国は日本の安全を守りませんよ」と圧力をかけている感じだ。

遺伝子組み替え食品について、従来の日本は比較的厳しい態度をとってきたが、TPPの受け入れとともに、今後は「軍事的な安全」と引き替えに「食の安全」をあきらめる展開になることが懸念される。円を守っていた日銀は、安倍政権によって白川総裁がほとんど暴力的に辞めさせられ、代わりに崩れかかっている米連銀の量的緩和策を助けるために黒田総裁が据えられ、ドルと米国債を延命させるために、円と日本国債を先に自滅させるアベノミクスが行われている。同様に、農水省の頑固な国内農業保護策も、対米従属最優先の安倍政権によって潰され変質させられるかもしれない。(略)

と、まあこういうことだ。難しいことは我々には分からない。しかし、安倍政権の危うさは、何となく分かるのだ。

 

2013年6月4日火曜日

落とし物、拾い物


先日ネットに、ある女子大生が、ボランティアで側溝の掃除をしていたら、100万円の札束が見つかって、警察に届けたと書いてあった。

こんなニュースを読むと、落とし主を色々と想像してみたくなる。

お金持ちの認知症の方が、持ち出して落としたか捨てたかしたのかしら? それとも、泥棒したものの、怖くなってドブに捨てたか? ……などなど。

普通のお金の感覚では想像できない。普通なら、落としたと気が付いた時点で届け出るはずだが……そんな届け出はないのだろうか。

もし、落とし主が現われなかったら、どうなるのか? 女子大生ひとりのものか? ボランティアしていた何人かのものになるのかしら? なんて、いらぬ心配をしても仕方ない。(笑)

案外皆に知られていないことがある。落とした人は、最寄りの警察、交番、駐在所に届けるのだが、その情報は、県警のホームページに公表しているので、さがしやすくなっている。

また、路上で拾った人は、7日以内に警察や交番に、汽車、バス、映画館など施設内で拾ったものは、24時間以内にその施設の方にとどける。いずれもそれを過ぎると、その落とし物に対する権利は失われるという。

以前は、6か月、そのまま保管してくれたが、この頃は、3か月で処分されるようだ。

では、拾ったお金や品物を届けずに、自分のモノにしてしまうのは、どんな罰則があるのだろうか? いわゆるネコババした人の罪は?

どこかに書いてあると思うのだが、見当たらない。(笑)

 

2013年6月3日月曜日

コンピューター


先日プロ棋士と将棋ソフトが55で戦って将棋ソフトが勝利しました。大きなニュースになったのでご存知の方も多いことと思います。

ソフトというのは、人が作った人工頭脳ですが、それが人間の頭脳に勝ったということです。何だか複雑な気持ちになりました。

人工知能という研究領域があるそうです。人間のように賢いコンピュータ、あるいはロボットを作ることを目指した領域です。マンガに出てくるような賢いロボットを作ることを目指していると言えばイメージしやすいかもしれません。1950年ごろに研究が始まったといいますから、もう半世紀以上にもなります。

もし、私と同じロボットが出来るのなら、私の雑用をそのロボットにしてもらって、私はごろりとしていたらいいのですから、少々高くても作りたいですね。(笑)

将棋だけではなく、囲碁といったゲームにもソフトがあります。いっとき私は、頭の体操のつもりで、囲碁の勉強をはじめました。パソコンの中に、入っているのです。そして初心者用のソフトも買いました。

ゲームはルールが明確で勝ち負けによって良し悪しが客観的に評価できますから、ソフト作りの相手としては、いい材料になるのでしょう。たくさん出ています。ゲームに強い人は頭がいい、すなわち高度な知能を持っていると考えられていますが、残念ながら私は、ゲームには向いていない頭脳の持ち主らしく、囲碁は、あるレベルからは、まったく先が読めなくなり諦めました。(笑)

人工知能研究で、チェスは、1997年にコンピュータが世界チャンピオンに勝ったそうです。日本では、あまりチェスは流行っていませんが、強いチェスのソフトを開発しようという研究から、世の中で使われている多くの人工知能の成果が得られたそうです。たとえば電車をどう乗り換えたら目的地に早く着けるか教えてくれるソフトでは、チェスで工夫された探索の手法が使われているそうです。

チェスの次に取り上げられたのが将棋で、将棋はチェスに似たゲームですが、敵から駒を取ったり、再利用したりと、チェスよりはるかに難しいゲームです。その将棋もチェスには遅れましたがここまで強くなりました。
まだ羽生さんや渡辺さんといったトッププロ棋士には勝っていませんが、あと十年もしたら人間は誰もコンピュータに勝てなくなるらしいです。

何となく人間としては、コンピューターに勝てないなんてヘンですが、それは人間が発明したコンピュータという機械の進歩であり、決して人間にとって不名誉なことではないのでしょう。

ただ、今回プロ棋士が将棋ソフトに負けたことは大きな衝撃として受け止められました。負けたプロ棋士のブログには、すごく非難される書き込みがあったりしたそうです。人間の尊厳が傷つけられたという報道もなされました。

しかし、ある方が書いていましたが、100メートル競走で人間が車に負けても人間の尊厳が傷つかないように、将棋で人間がコンピュータに負けても傷つくものではないと。人間の中で足が早いこと、将棋が強いことは、たとえ車やコンピュータに負けたとしても依然として尊重されるべきことなのだと。まことにその通りと思います。(^^)

今後もますます素晴らしいソフトが出来ることを望んでいます。人殺しのようなものを開発するより、よほど人類のためになるのですから。