2013年11月30日土曜日

枝葉を落として


11月も今日が最後となりました。秋と冬が重なり合ったこの頃なので、ダルマのように着ぶくれていたり、ちょっとした動きに汗ばんでみたりで、風邪をひかねばいいがと思いつつ、過ごしています。

庭の落葉樹は、殆ど葉を落としました。玄関先の目立つ木は、Sさんのおかげで、さっぱりと散髪してもらいました。しっかりとした幹を残して、枝葉をぱっさりと切り落として、無骨な腕を伸ばしたような木も、早くも小さな葉っぱをだしているのには驚きです。

こうした姿をみていますと、我々人間も、あるときは、あれこれと、些細ななことに悩むことなく、さっぱりと枝葉を切り落として、幹を育てる心がけが必要にも思います。ま、そうは言いましても、なかなかそうはいかぬことも、分かっています。このトシがきますと、口で言うだけでも言わぬよりマシということも分かってきました。大いに口だけは、偉そうなことを言ってみるつもりです。()

明日から師走。明日の朝、早朝ですが、5時30分から、45分間仙谷由人氏が、毎日放送のTV【時事放談】に出てこられます。、是非みたいと思っています。キャスターは、御厨 貴氏。仙谷氏も、真剣に最近の安倍政権の暴走を心配されているようです。どんなお話がうかがえるかと、期待しています。(TBSは6時から645分)

2013年11月29日金曜日

猪瀬問題


徳州会からお金を借りたとか返したとかで叩かれている猪瀬都知事ですが、徳州会から、お金をもらったり借りたりしている政治家は、猪瀬氏だけではないはずなのに、どうして猪瀬氏だけが、こうも騒がれるのかと、思っていましたら、こんな記事が目につきました。これを書いた方は、辛口の評論家で、与野党を問わず、お気に召さないと、誰彼なしにぶった切りますから、私も「そんなことない」と、目くじらたてたこともあります。()

この文章が正しいかどうかの判断は、読む方にお任せします。貼り付けておきます。

安倍政権の暴走に危機感を抱く者が、政治献金問題で窮地に立たされた猪瀬東京都知事批判に熱心だとしたら忠告したい。メディアの猪瀬たたきに加担するなと。猪瀬知事の徳洲会資金借用問題は確かに疑惑だらけだ。猪瀬知事には私も批判的だ。辞任に追い込まれる可能性もある。しかし今度の猪瀬たたきは仕組まれたものだと気づかなければいけない。徳洲会によるカネのばら撒きはいまに始まったことではない。カネを貰ったのは猪瀬だけではない。これは与野党を問わず政界の常識だ。私でさえも選挙に出ようとした時は徳洲会に行けと言われたほどだ。それにも関わらず、なぜ今、猪瀬だけが問題にされるのか。これは検察のリークであり大手メディアがそれに加担した結果だ。猪瀬を排除して五輪開催準備を安倍首相と森喜朗元首相らで独占する安倍政権の魂胆のなせるわざだ。なによりも猪瀬事件に世論の関心をそらせ、その裏でどんどんと悪政を強行しようとしていると見るべきだ。左翼の連中が猪瀬たたきに喜んでいるとすれば馬鹿を見る。猪瀬の後はとっくに安倍政権が後釜を考えている。まちがっても反安倍首相の人物が都知事になることはない。批判する本丸はあくまでも安倍政権である事を忘れてはいけない。

と、いうことですが、どうなんでしょうねえ。安倍さんなら、やりかねないでしょうかねえ。猪瀬叩きに国民の目をそらせておいて、秘密法案を通してしまったのかも。

どうも政治屋の辞書には、正々堂々ということばは載ってないのかもね。

2013年11月28日木曜日

呼吸と脈拍


ある本に書いてあったことですが、哺乳類というのは、一生に、5億回ほど呼吸をするそうです。心臓は、約20億回打つそうですから、1回の呼吸で4回の脈ということでしょう。事故も病気もしなければ、人間も、ネズミも象も、同じということなのです。だから、ネズミは脈もはやく、寿命も短いと。

従って、これらの貯金というか持ち前を長く使おうと思えば、深く深呼吸をすることだと。やってみますと、深呼吸をするということは、腹式呼吸になり、何回か続けていますと、脈も遅くなります。だから、スポーツなどして、ハアハアと、息をはずませるのは、身体によくない、なんて、書いてありました。()

ま、スポーツが身体によくない、なんて書いてありますと、信用できないのですが、スポーツ選手などは、【スポーツ心臓】とかなんとかいって、心拍数が少ないそうですから、無駄遣いにはならないのでしょう。

私は、けっこう心拍数が少なく、遅脈なので、脈の貯金は残っていることになりますが、スポーツで鍛えて遅脈というのではないので、どうでしょうかねえ。単なる怠け者ということかもしれませんし、元々の心臓虚弱ということかもしれません。そうなると、20億という貯金は頂いてないかもしれません。性格的には、カッカとするたちではないので、腹を立てて、心拍数を上げることはあまりありませんので、辻褄はあっているのかな。()

いずれにしましても、ゆっくりと深く呼吸をすることは、とても身体にいいことらしいので、太極拳、ヨガ、座禅、気功などというものは、とてもよいことになりそうです。

私は、こうしたことは一切していませんが、劇塾では、腹式呼吸と発声練習というのをしています。腹式呼吸は、慣れてきますと、普段でも、無意識のうちにしていることが多くなるようです。

普段から、腹式呼吸を意識しながら生活してみませんか?

余談になりますが、タバコを吸っている方を観察したら、大抵腹式呼吸で吸っているそうです。いらいらや、慌ただしい生活をしているときの一服は、害よりもプラスが大きいのかもしれませんね。

 

2013年11月27日水曜日

徳島市民劇場


徳島市民劇場と言うのは、特定の経営者がいるわけではありませんが、優れた演劇を地元で年6回ほど(ふた月に1度)観ることのできる会員制の演劇鑑賞会です。(会費1か月2.200円)昔入会して、一時忙しくて退会していたのですが、演劇塾生になってまた会員に復活いたしました。

この会は、会員・サークルが主宰者で、当番制で運営していますが、私はいつも、サークルのリーダーさんにお任せして、一度も運営には参加していないという怠け者会員です。

入会方法は、いつでもだれでも会員になれますが、3名以上でサークルを作るか、どこかのサークルに入れて貰うかして会員になります。

今日は、その市民劇場の11月例会でした。阿波銀ホール(卿文)で【はい、奥田製作所。】という演劇を鑑賞してきました。今年最後の例会となります。

いつも、3日間上演されるので、都合のつく日に行くことになります。今回は、昨夜と、今日の昼、明日は鳴門で夜、というぐあいです。夜はお勤めの方が多いし、昼は、もう退職された方や家庭の主婦の方が多いようです。

当然ながら、会員が少なくなりますと、運営は大変です。いつも、各グループは、会員を増やしてください、ということを言われます。3回の上演が、2回になったり、あるいはいい演劇が見られなくなる可能性も出てきます。名もなく貧しい劇団であっても、いい演劇はあるでしょうが、そういうものばかりでは会員も納得しないでしょう。

今日の【はい、奥だ製作所】は、職人肌のガンコ一徹の社長(鈴木瑞穂)が病で入院。後を継いだ息子は、新しい経営方針で大改革を宣言したのだが、従業員との間は気拙くなるばかり。リーマンショック後の東京の町工場を舞台に、家族と従業員、若者たちが、大いにぶつかりあいながら、働くこと、生きること、信頼、などなど、現代に生きる人々に暑いエールと、元気をあたえる、というものでした。終焉後は、ロビーで、スズキさんを囲んでの交流会がありましたが、私は急いでいましたので、そのまま帰りました。

来年1月の公演は、【無名塾】が、名作ロミオとジュリエットです。

お芝居好きの方たちの入会をお勧めします。何もお手伝いできないので、せめて、ここで入会の宣伝をさせていただきました。(^^;;

 

2013年11月26日火曜日

観劇

昨日の夜、【ヘルパーズ!】という音楽劇を観てきた。老人問題について、何かと書かなければならないこともあるので、参考のために観たいと思って出かけた。

唯一顔見知りの役者・中尾ミエさんが、劇中では芸能界で長年活躍していた大物タレント、矢沢まり子の役で出ている。
偶然出会った車椅子の少年との関わりの中で、介護ヘルパーでなければ、施設に入っている人の車椅子には触れられないことを知る。そして【スターは、福祉活動をやらねばならない宿命だ】ということばに刺激されて、介護のことを学ぶ決心をし、資格をとるため学校へ行く。そこでは、障害者と健常者・大人と子ども、そして高齢者等、その関係の中での、介護師やヘルパーの仕事の在り方、矛盾などが、授業として展開されていく。

ヘルパーさんは、国からの給料で働いているので、決められたことしかできない、というのは、何ともおかしな話で、そういった不満も演じられていた。
例えば、窓ガラスの掃除は、内側は拭いてもよいが、外側のガラスは、拭けないのだ。外側は、家の外になるからだろう。また、寝ている人に頼まれて、切れた電球を買いに行っても、それを取り替えてあげるのは出来ないのだ。おかしな塩梅だ。買い物という介護では、余分な仕事をしてはならないのだ。それをしてあげても、してあげなくても苦情が寄せられるらしい。「あの人はしてくれたのに」と、規則を守った人は悪く言われ、気引くを守らず、電球を取り付けてあげた人は、仲間から悪く言われるのだ。

こんな決まりは、お役人が決めたのか? そんな決まりは取っ払って、決められた1時間なり、2時間の間は、病人や介護を受ける人達が、本当にしてほしいことをしてあげるべきだと……。当然である。

介護の学校に通う生徒たちは、将来は介護される身であることを感じつつ、学ぶようになるのだが、はたして誰が、どのようなところで介護されるのか? 不安を感じるようになる。
 
観客は、私のような年寄りや、介護施設に勤めておられる方、これからヘルパーになろうか、といったような方たちが大勢来られていたと思う。
観ている者も、介護について学べることがあっただろう。劇の中で「こんなことを学びます」といったような、授業風景がかなりあったので、私たちも生徒のような気分になる。()

余談になるが、音楽劇というのは、難しいと思った。ナマの演奏ではないので、大抵の場合は音楽が大きく聞こえ過ぎる。歌の歌詞が聞きにくい。ホールの作りも完璧ではない。音楽を楽しむという目的ではなかったので、文句は言うつもりはないが、せっかく一生懸命に歌っている役者さんが気の毒に思った。

2013年11月25日月曜日

600回


ブログを書き始めたのが平成24年2月23日でした。半端な日から始めたものだと、今は思いますが、ブログ作成のお手伝いしていただいた松木さんという女の子が、ちょうどこの日に来てくださったものですから、さっそく始めた、ということです。エッセーのブログやら、日記のブログやらわけのわからぬものですが、読んでくださる方がおいでることが励みになって、600回を迎えました。

ときどき、以前に書いたようなものを、再度書いてしまうことがありますが、ま、コピーをして貼りつけるのではなく、その時の気分で書いているものですから、同じような思い出を書いても、赤を黄色と言ったり、四角を八角と書いているかも分かりません。ま、書いた本人が書いたことを忘れている、ということは、読まれた方も忘れていてくださることだろう、()なんて、勝手に思っています。
可笑しいのは、書き始めてしばらくしてから、「あ、これ書いたな」と思いながら、「ま、いいか」なんて書き続けたりすることもあります。
「つまらんことを書いて……」と思われる方もおいでるとおもいますが、それはもう、多分ブログを閉じてしまわれることでしょうから、あまり気にしないことにしています。
そんな中で、「毎日楽しみに読んでるよ」なんて言ってくださる方もいて、「有難いこと。がんばります」と、力をいただいています。

こんな経験は、深く反省することにもつながっています。昔、教員時代、子どもたちに、【毎日の日記】を書かせていたとき、日記嫌いと言っていたA子やB太に、「先生、毎日楽しみに読んでるよ」と、一言声をかけていたら……、と思うのです。遅すぎるのですが。

600回ということで、ひょっと思いついたままを書きましたが、これからも、気楽に書いてまいりたいと思っておりますので、お暇な時にでも、読んでいただけたら嬉しいことです。よろしくお願いします。m(_ _)m

2013年11月24日日曜日

旅立ちの日


今日は、義兄の納骨の日でした。もう、親しい方の死であっても、ある程度のお年になっておられたら、苦しまず、安らかに旅立たれたのであれば、いい着地をなさった、と思えるようになりました。

義兄は、一生懸命に働き、退職後も、精一杯地域のために働いて病に倒れました。素晴らしい一生だつたと思います。

人間は、【死】という最後を迎えるために、生きているようなもので、その時、悔いのない、いい人生だったと思えるように、日頃からの心がけが大切と思っています。

ま、心がけと言いましても、私には難しいことはできませんが、その時その時を一生懸命に生きる、ということでしょうか。もちろん、人生はいいことばかりではありませんから、愛するときも、悔いる時も、悲しむときも、感動するときも、責任を果たすときも、遊ぶときも、一生懸命に生きていれば、悔いはないと思うのです。

 

人間は、普通は決して急に老いるわけではありません。ゆるやかに老いていきますから、下り坂にさしかかる頃からは、【死】ということを考えて、生きていくことがいいように思います。そうすることによって、死に対する考え方も、だんだんと前向きになってくるように思います。

私もまだまだ凡人の域を出ることもできませんし、死ぬまで凡人のままでいいと思っておりますが、死だけは、安らかな思いで迎えたいと思っております。無理かな? ()

 

2013年11月23日土曜日

いい日 その2


昨日の出版祝賀会の主役、山本枝里子さんが招待してくださって、とてもいい、ちいさな旅をしてきました。観光バスには、17名が載りこみました。枝里子さんのために、東京から来てくださった方たち、親戚の方、そしてお世話人。

まずは、大歩危、小歩危へ向かって9時出発。

途中目の前の山々の紅葉は、真っ盛りの感でした。最上のお天気で、遠くの山々の稜線を眺めていますと、落ち着いた気分になり、のんびりと旅をしている気分になりました。

土曜日とあって、大歩危、小歩危は大勢がつめかけているので、多分観光船は、長い時間待ちされると予想していたのですが、早めに出発したのがよかったのか、乗船は、20分ほどの待ちで乗ることができ幸運でした。
乗船場まで降りていく急な坂道や階段があるのが年寄りには難点。でも、これが最後、もう二度と、観光船には乗らないだろうと思って頑張りました。()

乗船しますと救命胴衣をつけて茣蓙をしいてある船底に座ります。これも私には難点。何しろ、膝が痛くて正座ができないのですから。それでも横ねじりに座り、足の痛みにたえながらの観光。
自然のつくりだした渓谷美は間近にみると、不思議な感動というか、人間という、ちっぽけな生き物の限界を感じてしまいます。切り立った岩や、そそり立つ山肌の木々の紅葉は、もう盛りを過ぎたと思われましたが、それでもけっこう美しく私たちを迎えてくれました。
吉野川の源流である水は、綺麗な緑色でしたが、一旦暴れ川に変身しますと、濁流となって渓谷を埋め尽くす怖い怖い川でもあります。

観光船を降りますと、まあ、たくさんの観光バスが到着していて、ずらりと並んだ乗船を待つ人、人でした。「ああよかったね」と、みんなでホッとしました。

次に向かったのは、奥()()。かずら橋で有名です。手前の祖谷のかずら橋は、もう観光地化して、ちょっと風情に欠けますので、奥まで行きました。奥には、女橋、男橋の二本のかずら橋がかかっています。また、()(えん)という、ロープに箱がぶらさがっていて、人の力で、ロープをたぐりながら、渡るという、一見怖い乗り物があります。私は、女橋を渡り、帰りは、男橋を渡りましたが、かずら橋は怖いとおっしゃって、野猿に乗っていた方もおりました。私と反対。そしてまた、どちらも怖いと、その場でじっと見ている方も。()

やはり、このかずら橋も、これが最後と思って、必死にしがみつきながらも、何とか渡り切りました。下は深い深い渓谷ですから、落ちたらもうあの世です。私としましては、飛行機のほうが、イヤな気分です。かずら橋は、自分さえ、しっかりと歩けば落ちませんもの。

かずら橋を渡っているときは、足は震えませんでした。必死になれば、震うことはないのですね。降りてから、暫くの間、足が震えていました。

奥祖谷からは、徳島では一番高い剣山の方へ向かい、その麓から剣山を見上げながら、里に降りました。時間が遅くなって脇町の【うだつの町】の見学ができなかったのは残念でしたが、鳴門をまわり、帰ってきました。家に帰りついたのは、7時半。とてもいい旅をしてきました。枝里子さん、ありがとうございました。m(_ _)m

自然の美しさに感動したり、心が落ち付いたりする、ということは、トシを寄せるにしたがって、深く感じられるようになりました。若いころには、そうしたことには、関心が薄かったのでしょうか。きれいなあと思っても、胸の奥1センチか2センチのところまでしか沁みていなかったように思います。美しい物を見て、生きていてよかったと思えるようになったのは、やはり年の功でしょうね。

いい日

22日、家に帰ってきて、お風呂から出ると同時に日付けが変わりました。

とてもいい祝賀会でありましたし、二次会も、和気藹々で、時間のたつのも忘れていました。

ともかく、今の私は、眠たくてたまりません。

明日、いや、今日も、日程がこみあっていて、帰りは遅くなることでしょうから、22日につづいて、本日も、疲れて帰ってからの書き込みは、できそうにありません。

24日には、何か書き込みます。お休みなさ――い。

2013年11月21日木曜日

忘れられないことば

今日は、多忙な一日。明日はもっと多忙。文芸協会役員の山本枝里子さんの歌集出版記念会。文芸協会役員が主催となって準備をしているので、最後までお伴。(笑)

明後日は、枝里子さんの心尽くしで、慰労会のような紅葉狩りで祖谷方面に。何しろ枝里子さんは、もう短歌の世界では、全国区なので、短歌の大御所の佐々木幸綱氏夫妻も招待客とあって、ちと緊張しています。(笑)講演はお願いしてありませんが、ながーーいご挨拶を頂くとか。(笑)楽しみです。

そんな関係で、ちょっとバタバタしますので、ブログは、とりあえず、以前に読んで感銘したことばなどの抜き書きでお茶を濁します。

☆日本画家 堀文子さんのことば。

「最後まで(この世の不思議に)驚いていたい」
「人様がほめてくださいますと、いい気になってしまいます。それが怖くて、そういうことからすぐ逃げちゃいますの」

「同じ境地に停滞して澱むことはきらいです。つねに新しい環境に自分を投げ出してきました」

ある日の対談より。

「蜘蛛の巣、ごらんになる?こんな美しいものがあるかしら!この蜘蛛たちは、大学の工学部なんて出ていないのよ。建築学なんて学んでいないのよ。なのに、こんなにも精緻な模様を編み出すなんて・・ねえ・・
若い頃は人間が一番だと思っていたから、蜘蛛の巣の美しさがわからなかった。
でも年をとって、人間の考えることなんかより、こういうもののほうがずっと偉いと、心底わかったの」
誠に見事な生き方です。(現在95歳 1918年生まれ。)


2013年11月20日水曜日

DV


最近よく聞くコトバに、【DV】というのがあります。

男の人が手ぇあげてヨメはん叩いたりするのは、よくあるらしいのですが、反対に、ヨメが暴力振るうのは、あまり聞きませんが、たまにはあるようです。(笑)

DVいうのは、私のきらいなカタカナことばのドメスティックバイオレンス、(家庭内暴力)の頭を取った略語で、特に、配偶者や恋人など近しい関係にある異性への暴力のことですから、夫に限ったことではありませんが、ま、妻に暴力振るわれて……などと言って、相談にいくのは、男性としては、ちょっと行きづらいのかもしれません。(笑)

最近は、女性が強くなり、男性が優しくなったということなので、案外苦しめられている男性もあるやもしれません。

一方、医学がすすみますと、色んな病気が増えてきます。かなり前の雑誌か何かでみたのですが、【主人在宅ストレス症候群】という名のつく病気があるそうです。こうした病名が付けられれば、立派な病人ですから、気に入らぬ亭主に暴力振るっても、罵倒してもとやかく言われることはないのかもしれません。しかし、何とも言いようがないほど、女の我儘だと思ってしまいます。

女の私がこんなことを言いますと、叱られそうですが、こういう病気になるのは、多分長年家庭の主婦で、夫が汗水たらして働いている姿など、想像もせずに、給料を手にして、好き放題の暮らしをしてきたのではないかと。そして退職して、毎日が日曜日になった夫を疎ましく、邪魔者扱いをしているうちに、そのストレスが爆発するようになった、あるいは【主人が目の前にいると、私、死にたくなるの】……。(笑)
ああ、なんと気の毒な夫さん、と同情してしまいます。

女性だけが我がままになったとは思ってはいませんが、我が儘=幸せなのでしょうか。

結婚できない男性が多いと聞きます。その反対に、結婚したくない女性が多いとか。見合いをしても、ほとんどが女性に断られる現状は、否めません。

何とかなりませんかねえ……。

2013年11月19日火曜日

紅葉真っ盛り


ぐっと冷え込んできた。今日は、まったく冬のような寒さだったので、部屋は暖房をつけっぱなしだった。

木々の紅葉も今が盛りのようだが、まだ、紅葉を観に行くゆとりがない。あと、何日かしたら、あるグループで連れて行ってくださるので、楽しみにしている。

紅葉といえば、何年か前、紅葉が見たくなり、知人を車に乗せて5人が出雲まで一泊二日の旅に出たことがある。その途中の紅葉の山々の美しかったことは、今も目の裏に焼きついていて剥がれない。運転をしながらも、ブレーキを踏み踏み、歓声をあげながら通ったのを思い出す。

宿についても、窓からの紅葉が、絵ハガキのように美しく、俳句をしている知人4人は、早速だれかの「するで?」の一言で句会が始まった。俳句など作ったことないと言う私を、無理やり座らせるという強引さだ。

私を除く四人の方は、どこかの結社に所属している方たち。句会をするなど、聞いてもなかったのだが、あの紅葉を観ては無理もない。ただ一人私は、頭を抱え、冷や汗を流しながらの挑戦となったが、ま、私も四人と同じように、燃える山々を見てきたばかりだったので、何とか指を立てたり折ったりしながら、五句という責任を果たした。

  ☆山一つみやげにしたい紅葉旅  

情深いお方が、素人の句と判りつつも、哀れみの点を入れてくれた一句である。

その後、京都の紅葉を観に行ったこともある。これもまた、言葉には言いつくせない赤色、紅色、黄色、そして緑の表情が、胸に焼き付いてしまった。

若い時には、旅をしても、「ああ、いい景色だ、いいなあ」ですんでしまったものが、だんだんと、感動、感激の思いが強くなってくる。TVのようなものを介してみる景色であっても、涙が出てくるほどに感動出来るようになる。自然の素晴らしさに、生きる喜びを感じることが出来るのだ。やはり長生きはするものだと、しみじみ有難く思っている。

 

 

2013年11月18日月曜日

お国ことば


先日、北海道の友達と、電話で話をしたのだが、ひょっと気が付くと、何十年も使っていないお国ことばがとびだして、自分でも驚いた。三つ子の魂百までじゃないが、頭のどこかにまだひそんでいるようだ。

私は、道産子。北海道の十勝の帯広が故郷である。北海道では、本州四国九州を【内地】という。北海道は【外地】ではないのだが、明治以降に全国各地から入植者や、商売人が入ってきた土地なので、そういう言い方になったのだろう。ことばは、ほとんど標準語に近いと思っていたのだが、四国に来て北海道独得のことばがたくさんあることに気が付いた。こちらの女学校に転校して行って、ことばの訛りが違うことで面白がられたのを思い出す。

今、思い出すものを並べてみると、

*ああこわい(ああ疲れた)*はんかくさい(あほかいな・ばからしい)*いたましい(もったいない)*かっちゃいた(ひっかいた)*あの子、いいふりこいてる(あの子かっこつけてる)*なんもなんも(どうってことない)*しばれる(凍る)*わあ、ひゃっこい(わあ、冷たい)*おばんです(こんばんは)などなどである。

喋り方も、あまりせかせかしておらず、何となく大陸的と言うか、おっとりしているようだ。性格も、北海道生まれと言うと、のんびりしている、というか、緩んでるふうに思われることが多い。こせこせしていないのかもしれない。

それぞれのお国ことばがあるが、TVなどで、その地方の方たちが、お国ことばで話されるのを聞くと、何かほっとするものがあって、いい感じだ。温かみもある。中には、何を言っているのか、皆目分からない方言もあるが、それはそれでまた楽しい。皆が標準語に近いことばを使うようになったら、ちょっとがっかりだなあと、思うものである。

 

2013年11月17日日曜日

分かんないこと


どうも、私のような者の頭では、分からない、理解できないことがたくさんある。その一つ二つを書いてみる。

☆東電の経常黒字という発表である。結構なことですねえ、と言いたいのだが、たくさんの人達への賠償も出来ていないし、自分たちでは、どうしても無理と言って、国の税金で、汚染水問題その他を助けてもらっている、そんな中で黒字になったという。どうも分からない。そんな黒字になるのなら、どうしてもっと、汚染や賠償にお金を使わないのか、と思うのだ。どうして電気代は上げるのかなあ。

☆ロボットが、戦場で使われたという。間違って、多くの関係ない市民を殺したとか殺さないとか騒いでいる。そんなロボット兵器に規制を加えるとか、加えないとかも言いあっているらしい。例えば、レーザーを発射するのは、目をつぶしてしまう恐れがあるのでいけないとか。

何だか子どもの戦争ごっこの決まりじゃあるまいし、そもそも人を殺すためのロボットに目をつぶすもなにもあったものか。目をやられる以上に殺されるのは嫌だよ。目をやられるだけの方が、まだましだろう。殺人兵器ロボットを使ってまで、どうしても戦争したいなら、全世界の国々がロボット兵隊を創って、ロボットだけに戦わせたらいい。ゲーム感覚で戦争を楽しんだらいい。バーカヤローと叫びたいね。

☆即時脱原発を唱える議員さんは、たくさんいらっしゃるが、こうしたら原発は明日かんらでも0になる、というものをどうして提示しないのだろうか?それが出来ないのなら、即時撤廃なんて言っても、皆信じられないんだよ。だれだって、原発なんかいやだ。早く、原発などなくてもいいようにしてほしい。具体的に詳しく出来る方法を、早く教えてあげなさいよ。
 

2013年11月16日土曜日

駄菓子屋


車で10分ほどのところに、夢タウンという大きな量販店があります。何でも探せばある、ということで、毎日たくさんの方がきているようです。私も、色々なモノを買わねばならないときは、夢タウンなら、そこだけで間に合うということと、店内を一巡することで、散歩の歩数を稼ぐことができるので、雨の日など、いい散歩の場所にもなっています。

二階には、本の紀伊国屋もあります。その本屋を出ますと、目と鼻の先に、【昔懐かしい駄菓子屋】と言うお店があります。何とも懐かしいお菓子やら、現代風の駄菓子などがたくさんあるものですから、本屋から出ると、大抵立ち寄って、あれこれを眺めてひやかしたり、ちょっと買ってみたりするのです。

昔は、【買い食い】などと言って、小銭を握って駄菓子屋の店先で、あれこれ探しながら、買うのが楽しく、それをポケットにねじこんで、一つ出し、二つ出しして食べながら道端で遊んだものです。
ま、ええとこの家は、買い食いなどさせず、きちんとおやつを与えて、お行儀よく食べていたようですが、そうした子どもたちも、買い食いの魅力はあったようで、「買い食いをしたい」と作文に書いたりしていました。

向田邦子さんの随筆にも、そういったことが書かれています。彼女は、ええとこの家の子だったので、買い食いは、出来なかったようです。

 

今は、親子連れが来て、「どれがいいの?」と親に聞かれて、「待って!」なんて言いながら、探して買ってもらっている子が多いようです。自分がお金を握って、自主的に決める子は、少ないのかな? 

ともあれ、どの子の顔も、イキイキとして、お菓子を選んでいます。決して、イルローザーだの、ふくやだのといった洋菓子や和菓子専門店では、見られない顔のようです。(笑)

家では、ケーキだの栗饅頭だの、滅多に口にははいらなかった子ども時代、駄菓子は、立派なおやつ。今の子どもたちの何倍も楽しんで、駄菓子を頬ばったのです。懐かしい思い出です。

2013年11月15日金曜日

脚本家 向田邦子


向田さんの魅力は、もう、私がここに今更書くことも無いと思います。向田さんにしか書けないものをたくさん残して逝かれました。

エッセイも上手かったですが、彼女の脚本も、また素晴らしいものでした。彼女は、【テレビドラマは、実際の生活を追う影法師、日常生活の公開番組なんです】と言っています。やはり、どんなドラマであっても、実生活と地続きだということです。

しかし、どんな実生活であっても、現実を乗り越えて?ペンの力であれだけの面白い、しかも分かりやすい作品に仕上げて、人々を感動させるその腕前は、やはり天才だと思わざるをえません。

彼女は遅筆で有名でした。役者さんは、まだかまだかと、原稿の届くのを待っています。向田さんは、相手を待たせ、切羽詰まっているというのに、音楽会に行ったり、映画館に行ったりしてしまうのです。【子どものころから、しなくてはならないことを先に延ばす癖があった】とエッセイに書いてありますから、おとなになってもその癖は変わっていなかったのでしょう。

こんなことを書き出したのは、実は私も、ちょっとした台本を近いうちに書き始めたいと思っているからです。むろん、私は向田さんのようなモノ書きではありませんから、原稿取りに追っかけられるようなことはありませんが、それでも自分なりに、どれくらいの時間で書き上がるか、ということを計算します。そして、早々と書きたくなります。なるべく早く書きあげたいとも思うので、他の用事A・B・Cがまだ残っているにもかかわらず、考え始めます。というのは、いつも、何度となく書き直さねばならなくなるからです。どういう展開がいいか、なんて考えているうちに、AやBのことが気にかかり、そちらに転じます。

私は向田さんと違って、何日も前に仕上がらないと、気がすまない性なので、早々と仕上げます。そのかわり、色々なミスが目立ちます。(笑)

彼女が、切羽つまる、というのは、時間の問題といったように、それこそ切羽つまったときで、そんなときに音楽会や、お芝居観るのですから、私とはちがいますが、向田さんの気持ちはよく解ります。私のような者でも、行き詰まりのときは、無償に他のことがしたくてたまりません。家具の移動とか、本棚の整理、衣類の整理、といった、今どうこうしなくてもいいようなことがしたくなるのです。気分転換ということでしょうか。
 
彼女はいつか【書かなくていいなら、一行も書きたくない】なんて言ってましたが、それは嘘です。書くことが大好きでなければ、あんな名作は生まれません。

彼女が生きていたら、ちょうど84歳でしょうか。私より一つ上と記憶しています。どんなモノを書いているでしょうかねえ。それにしましても、惜しい方を早くに失ったものです。

 

2013年11月14日木曜日

報酬


週刊誌というのは、私の知らないことがいっぱい書いてある。「ミーハー」ということばがあるが、私もミーハーで、決して文化人でも教養高き人間でもない。それでも週刊誌に書いてあるような、芸能人のことなど、一向に知らないというのは、もうミーハー族にも落第生なのかもしれない。いや、単なる枯れ葉族ということかな。

林真理子さんが、「みのもんたさんを庇うつもりはないが、ひどく叩かれている。理由の一つは、みのさんのギャラがあまりにも高いからだろう。朝のワイドショーの一回分が2百万円という。これを3時間で稼いでしまう。普通の人のほぼ半年分だ。しかもほとんど毎日出ている。普通の人である週刊誌の記者たちにとっては、『なんだよ!進行は局アナがしゃべっているし、みのは正味1時間程だ。それで2百万かよ!』と思ったに違いない」というようなことを書いている。

ひぇーっ、ほんとに? ひどくギャラが高いんだなあと私も思った。

作家である林真理子さんが、「私のような出版業界は、原稿用紙1枚が千円単位か一万円ちょっとの世界だ。たまにベストセラーが出ても、若いタレントさんたちの年収にもかなわない。私たちがテレビに出ても、【文化人ランク】と言うことで、ギャラのケタが違うので、僻むのだ」なんて書いてるが、文化人でなくても僻みたくなってくる。

ちなみに、【はなまるマーケット】という番組に出ている薬丸という俳優さんが司会する番組があるが、彼は1回50万円から60万円とか。

高い報酬といえば、頭に浮かぶのは野球の選手だ。実力の世界なので、誰でもが何億もの年収を手に出来るわけではないが、それにしても、腕っぷしが強くて三振をたくさん取れるというだけで、何億もの年収が稼げるのだから、子どもたちが憧れるのも無理はない。が、だれでもがなれるわけではない。持って生まれたものと、努力なしでは出来ないことだ。

それに比べると、芸能人は、視聴率のことを考えての報酬なのだろうが、みのもんたの代りは、この広い世界には何人もいるはず。どう考えても、記者たちが僻んで当然だろう。

ともあれ、私めとは関係のない世界のお話。
ただ、せめてこの国で働いている真面目な人たちが、一日働いても、一万円にもならないような、もんたさんの1日分のお金を1年間も働かねば受け取れないような人たちを、早く何とかしないといけないと思うものである。

 

2013年11月13日水曜日

週刊誌


滅多に買ったことのない週刊誌だが、読む機会はある。美容院、病院、そして本屋での立ち読みである。

きょうは、美容院で、髪をカットして頂いたし、背中のスジの治療院にも、そして本屋にも行ったので、3冊を手にした。珍しい。(笑)
 
美容院や病院では、そこにあるものを手にするのだが、本屋では、大抵、週刊文春を手にして、【適菜収の今週のバカ】という1ページを立ち読みする。この作者、本職?は哲学者だが、政治家、財界人をまな板に載せて、めった切りする。今日は、買いたい本を探すのに時間がかかったので、立ち読みはせずに週刊誌を久しぶりに買って帰った。ま、買えば読むところはいくつもある。380円でも、学ぶところはある。

先ほど今週のバカはだれかと開いたら、最高級ホテル【ざ・リッツ・カールトン大阪】の総支配人のオリオル・モンタル氏。もうここまで書くと、内容は想像できるというもの。例のメニューと違う食材を使っていた事件。

言い訳がさっぱり分からないことを言ったらしい。「一番の問題は何か」の問いに、「総支配人としてどこが問題だったかは、申し上げるべきではない」とも言ったそうな。

この適菜氏につかまれると、「傲慢さが顔に出てる」なんて、顔まで批判される。(笑)

「このホテルの従業員を淑女、紳士と呼んでいるのは、信頼や誠実を売るホテルの従業員は、紳士、淑女でなければ徹底したサービスは出来ない」などという総支配人だが、そんな無駄口は叩かなくていいから、正真正銘の車海老や、純粋のフレッシュジュースをとどけろと叱っている。

一流のホテルの中に、こんな名のホテルがあったとは私は知らなかったが、紙パックにはいったジュースが、搾りたてのフレッシュジュースという名になるし、自家製というパンは、7年も前から外部から仕入れたもの。「意図的ではなく人為的ミス」というような言い訳は通用しないのは当たり前。

この適菜氏、【池に落ちた犬を叩く趣味はない。でも、池に落ちそうで落ちない犬に対しては、そっと背中を押してあげたくなるのは人情というもの。ましてや、すでに池に落ちているのに、落ちていることに気づいていない犬は、軽く叩いてやったほうがいい】とおっしゃって、紙面で叩いている。ふふふっ(笑)

 

2013年11月12日火曜日

偽装食材


「まるでモラルのない国の出来事みたいだね」「騙されて、安い食材の料理を、高いお金を払って食べてきたということやな」

偽装発覚が、つぎつぎと出てくると、もう、どこの高級ホテルも料理屋もやってるな、と思わざるを得ない。

こんなことが陰でされていたとは知らなかったと仰る方もいるが、誰もがそう思う。まさか、デパートやホテルでこんなことがされていたとは、お釈迦様でも御存じなかったにちがいない。

人間って、お金儲けには、何でもしてしまうものなのか。成功者と言われているひとたち、お偉くなったひとたちは、そうした狡賢いひとたちがたくさんいる、ということなのか。下っぱで働く人たちは、こんなこと、出来るわけがない。

合成肉しか食べられない者は、せめて一度くらいは……と、大金を奮発して、食べたステーキが、ファミリーレストランで食べた800円の肉と、同じだったなんて、泣くにも泣けない話だ。

私の記憶に間違いがなければ、合成肉に使う肉は、そのままでは硬くてステーキにはならない肉を、加工していると聞いている。ということは、かなり安い肉だろう。だから、仕入れ値も安いはずだ。だから、儲けは大きい。
それにしても、浅ましい根性としか言いようがない。貧困でお腹を減らした者がパンを盗むのではない。富豪と言われている者が、貧者のパンを盗むのと同じだ。泥棒といっしょにされちゃあかなわないよ、と文句言うなかれ。根性はよく似たものだ。

こんなこと、書いていると、身体によくないなあ。もうやめときますが、提案しておきましょう。

次々と「すみませんでした。知りませんでした」なんて頭さげられるのは、もうイヤです。「偽装はしていません」と胸張って言いたい方だけ、名乗りをあげたらどうでしょうか。(^^)

 

2013年11月11日月曜日

スジちがい その2


皆さんにご心配をかけてしまいました。すみません。

今朝起きたときは、まだかなり痛くて、起きあがるのが大変でしたが、痛いのを我慢して、身体をひねつたり、いろいろと動かしていましたら、だんだんと傷みが少なくなってきました。

近所の親切な方が、玄関前の見苦しく伸びた木の剪定をしてくださっていたので、外に出て、枝や木くずの整理などを手伝えるほどになりました。

それでも、治療院の先生に、まだ完全には治っていないので、注意してくださいと、言われましたが……。

以前は、柿の木を見上げて柿をちぎっていて、首を痛めたりしましたが、今回は、何もしていないのに、肩や背中が凝り固まってスジ違いを起したらしいので、揉んでいただいたのが、よかったのかもしれません。あとは、日にち薬というか、心配ないと思います。パソコンでの仕事も、休み休みしていますので、大丈夫です。

今年は、お蔭で?柿は、一つしか赤くなりませんでしたので、柿をちぎって首を痛める心配は、まったくありません。(笑)

余談ですが、今まで、不作といっても、家族が口に入るくらいは生っていましたので、お金を払って柿を買うことがなかったものですから、家に柿が生らなくても、買う気にはならないですね。見るだけ。「へえー、けっこう高いんだぁ」で終わり。ま、柿はなくても痛くも痒くもありませんものね。

2013年11月10日日曜日

スジちがい


2、3日前から、肩コリを我慢していたら、今朝から、背中のスジが突っ張って、痛くてたまりません。治療院に行って、揉んでいただきましたら、しばらく同じ姿勢で長くいないように注意されました。

でも午後からは、お人を車に乗せて公演を聞きに行く約束をしていたので行って、3時間も座っていましたら、痛みがまたひどくなり、気分が悪く、食事も美味しくなくて、最悪。(><

どうも私の泣き所は、首とか背中のスジのようです。ちょっと無理すると、スジがおかしくなります。

ま、今夜は、無理をせず、これまでにしておきます。

 

2013年11月9日土曜日

昔話特集(^^)


☆きんさん、銀さんは、人様の前に出たことによって、若返り、髪も、黒さがもどったといわれています。いい教えですね。

☆舟木一夫さんは、少年時代は波乱万丈。小学二年から六年までの4年間に、母親が9人も入れ替わったそうです。顔も名前も憶えていない母もいるそうです。父上も、たいした大物だったのね。

☆井上靖さんは、83歳で亡くなられましたが、その妻ふみさんがおっしゃっているのには、「靖は、音痴でした。彼の歌を聴いた人は、あまり居ないはずです。そうそう、ぜひ言っておきたいことがあります。私は、靖に乞われて結婚したのです。でも、彼のために、精いっぱいのことはしました。男を立派に育てるのは、妻の仕事と、父に言われて嫁ぎましたから」と。その井上さん、あるとき、「あの世でも、今の妻と結婚するか」という質問に「一応は申し込みます。振られたら、もっといい女をみつけます」だって。

☆石原慎太郎さんは【太陽の季節】でデビューしたプレイボーイ。新鋭作家の頃、彼は小説を両手で書く、と噂されました。もとは左ききで、右に矯正されたから、両手で書けるのは本当。目をパチパチするチックは、矯正のせいとか。……へえー。死ぬまでチックって治らないものなの?

☆渡辺美佐子演じる独り芝居【化粧】は、TVでも放送されていたので、もうご存じの方も多いと思いますが、舞台は、芝居小屋の楽屋で、埃だらけの座布団や衣装などが置かれています。それを手にするたびに、ふわっと埃が舞い上がるさまを照明がしっかりとらえて効果をあげています。この埃、もちろん本物ではありません。本物を使ったりしては大変です。実は、この粉末は、喉によく効くというある散薬だそうです。お客様にも、いっぱい吸い込んでください、とは言わないかもしれませんが、心配無用な小道具だそうです。この散薬、けっこう高いんだそうですよ。

☆いつまでも男性の憧れの人、吉永小百合さんは、儚く淡々とした風情は役の上だけで、日常生活では、体育系で逞しく、感覚的には男性的に近いと告白しています。「私自身が、儚い感じの静かな女性にあこがれているので、そんな役をえらんでいます」と。男性諸君はそれでも憧れるのよね。

☆恍惚の人となった丹羽文雄さんが、生前TVで「作家丹羽文雄痴ほうを生きる」と言うドキュメントを放映しました。そのときのことばが残されています「人間はどんなことでもみんなある程度限界があるからね」「人間は辛いから妥協してしまうの。人間は妥協しなければ生きていけない」「諦めることの上手下手ちゅうのがあるの。何も人間は神様じゃないんだから」
恍惚の人とは思えません。さすが【親鸞・蓮如】の作者です。

 

 

2013年11月8日金曜日

我が家の味


朝ドラの【ごちそうさま】を見ながらよく、子どものころの我が家の味を思い出す。 

私には、幼いころの楽しい食事の思い出はあまりない。母に連れられていった先でいただいた、親子丼のおいしさに、目を白黒させたことぐらいである。ただ、今なら高価ないくらや、数の子、鮭は、たらふく食べて大きくなったが、特別な料理をしてもらったわけではない。北海道の特産品で、珍しくもなんでもなかった。

もの心ついてからの何年かは、まだ何でも口に入る時代だったが、祖母や母は、たぶん料理までも心くばりはできなかったのと、きりつめた生活をしていたのだろう。これといった珍しいものを食べた記憶もないし、食堂やレストランでの食事、店屋ものをとる、といったこともなかった。ましてや、フォークやナイフを使っての食事など夢にもなく、カレーライスが唯一の洋食だった。おまけに、「食べ物のことで文句はいうな」と、厳しく躾られた。

こんな私にくらべると、夫のほうは贅沢していたらしい。年に一度は家族揃って「ふぐさし」を食べにいっていたほどだ。また、月に一、二度は、デパートの食堂で好きなものを食べたとか、お正月の伊勢海老を姉たちと争って食べた‥‥とか、私とはまるで次元がちがうところで大きくなっている。

若いときから料理が趣味だったという義母の作る食事には、ハートとエネルギーが注がれていて、私の祖母や母とは月とスッポン。そんな義母のそばで、私は何度か顔を赤くしたが、習うことも多かった。当時、マヨネーズなど、田舎の人は知らなかったし、売ってもいなかったが、義母は、自分で作っていた。
残念なことに、義母は70歳を前にして、世を去っている。

その後、炊事係りを一手に引き受けた私は、時々義母を思い出しては、奮戦努力はしていたものの、義母の足もとにもおよばなかった。三ツ子の魂何とやら、心のどこかに、料理を軽んずるアクマが巣くっていたし、朝早くから夜まで外で働く主婦としては、手間暇をかけることは、難しいことだった。

テーブルに並べた料理を見るなり、夫は、「どうしてもっと大きな皿を使わんの? 同じ食べても味が違うぞ」と、お皿の大きさ、色合いにも気がつくのだ。「そうだね。じゃあ取り替えるわ」そう言いながらも心の中では、(手間かかるねえ、この旦那)なんてつぶやいていたのだ。

私は退職してから、胆石手術のため、四十日ほど家をあけたことがある。今のように簡単な手術ではなかった。隣に住む息子の嫁に、食事一切のめんどうをかけた夫が、「うちの嫁さん、料理が巧いわ。いい味つけするし、センスもある」 とほめながらも、「この年齢がくると、おまえの料理がいちばん口に合うなあ。おふくろの味に似てきたんとちがうか」 なんて言ってくれた。亡くなって十数年もたっている「おふくろ」が出てきたりして、ちょっとおかしかったが、何とも光栄なことだったのを憶えている。

次元のちがった夫婦も、長年連れ添うと、それぞれの底を持ち上げたり掘り下げたりして何とか落ち着くものらしい。

夫が他界してもう18年が過ぎた。私の食生活も独りになると、ごてごてと手間をかけることもなく、簡単になってきたのだが、その反対に、外食産業は随分発達してきたし、店頭には、たくさんの惣菜が並んでいて、便利になっている。食いしん坊だった夫が生きていたら、どんな食生活になるのだろうか、と思ったりする。

 

2013年11月7日木曜日

事故の責任は?


愛知県に住む認知症の方が、ひとりで徘徊している時に起きた事故を巡る裁判についてです。

この裁判の判決が、介護現場に波紋を広げているようです。

結果から申しますと、6年ほど前、踏切で当時91歳だった認知症の男性が、自宅から一人で外に出て、およそ一時間後に、3キロほど離れたJRの駅の線路内で列車にはねられて亡くなりました。

この事故で列車に遅れなどが出たことから、JR東海が、振り替え輸送の費用などの損害賠償として、およそ720万円の支払いを遺族に求めて提訴しました。

その結果、今年8月の名古屋地裁の判決では、遺族のうち、同居していた男性の妻と、長男の2人に賠償責任を認め、JRが求める全額を支払うよう命じました。

亡くなった方は、当時85歳だった妻と二人暮らし。身の回りを世話していたのは、同居していた妻と、横浜から近所に移り住んだ長男の妻でした。事故当日、家には長男の妻もいましたが、片付けのために席をはずし、一緒にいた妻がまどろんだ、ほんのわずかな間に、男性は外に出ていってしまったそうです。  

介護する家族の責任を重く見た、厳しい判決です。
認知症の人は周りがどんなに注意していても、勝手に出て行ってしまうことがあります。介護する側にとりますと、かなり厳しい判決かと思います。

さらに、同じ子どもであっても、介護をしている者だけが責任を負わされていることにも、何となく割り切れぬものがあります。

そうした責任があるならと、認知症の人を閉じ込めたり、親の面倒を看る人がいなくなったりするようでは、本人も不幸です。 

今回の問題では、遺族が名古屋高裁に控訴し、司法の場で家族の責任について改めて判断することになるようですが、これからも、こうした問題は出てくることでしょうから、社会全体でどう支えていくのか考えていくことが重要だと思います。

車の事故であれば、保険というものがあって、自己負担は、あまりないのが通常ですが、認知症の人が他の人に損害を与えるような事故を起こした時に、賠償責任を家族だけに負わせるのではなく、多くの人で支えあう仕組みを検討する必要があるように思えてなりません。

それにしましても、今まで私の常識では、鉄道事故を起こしたら、何らかの罰金があるらしいことは知っていましたが、けっこう高額なお金を支払わねばならないことに、ちょっと驚きました。鉄道自殺など、よく聞きますが、こんなことしたら、残された家族は、たいへんなお金を支払わなければならないことになりますから、決してやってはいけませんね。(笑)