昨日の出版祝賀会の主役、山本枝里子さんが招待してくださって、とてもいい、ちいさな旅をしてきました。観光バスには、17名が載りこみました。枝里子さんのために、東京から来てくださった方たち、親戚の方、そしてお世話人。
まずは、大歩危、小歩危へ向かって9時出発。
途中目の前の山々の紅葉は、真っ盛りの感でした。最上のお天気で、遠くの山々の稜線を眺めていますと、落ち着いた気分になり、のんびりと旅をしている気分になりました。
土曜日とあって、大歩危、小歩危は大勢がつめかけているので、多分観光船は、長い時間待ちされると予想していたのですが、早めに出発したのがよかったのか、乗船は、20分ほどの待ちで乗ることができ幸運でした。
乗船場まで降りていく急な坂道や階段があるのが年寄りには難点。でも、これが最後、もう二度と、観光船には乗らないだろうと思って頑張りました。(笑)
乗船しますと救命胴衣をつけて茣蓙をしいてある船底に座ります。これも私には難点。何しろ、膝が痛くて正座ができないのですから。それでも横ねじりに座り、足の痛みにたえながらの観光。
自然のつくりだした渓谷美は間近にみると、不思議な感動というか、人間という、ちっぽけな生き物の限界を感じてしまいます。切り立った岩や、そそり立つ山肌の木々の紅葉は、もう盛りを過ぎたと思われましたが、それでもけっこう美しく私たちを迎えてくれました。
吉野川の源流である水は、綺麗な緑色でしたが、一旦暴れ川に変身しますと、濁流となって渓谷を埋め尽くす怖い怖い川でもあります。
観光船を降りますと、まあ、たくさんの観光バスが到着していて、ずらりと並んだ乗船を待つ人、人でした。「ああよかったね」と、みんなでホッとしました。
次に向かったのは、奥祖谷。かずら橋で有名です。手前の祖谷のかずら橋は、もう観光地化して、ちょっと風情に欠けますので、奥まで行きました。奥には、女橋、男橋の二本のかずら橋がかかっています。また、野猿という、ロープに箱がぶらさがっていて、人の力で、ロープをたぐりながら、渡るという、一見怖い乗り物があります。私は、女橋を渡り、帰りは、男橋を渡りましたが、かずら橋は怖いとおっしゃって、野猿に乗っていた方もおりました。私と反対。そしてまた、どちらも怖いと、その場でじっと見ている方も。(笑)
やはり、このかずら橋も、これが最後と思って、必死にしがみつきながらも、何とか渡り切りました。下は深い深い渓谷ですから、落ちたらもうあの世です。私としましては、飛行機のほうが、イヤな気分です。かずら橋は、自分さえ、しっかりと歩けば落ちませんもの。
かずら橋を渡っているときは、足は震えませんでした。必死になれば、震うことはないのですね。降りてから、暫くの間、足が震えていました。
奥祖谷からは、徳島では一番高い剣山の方へ向かい、その麓から剣山を見上げながら、里に降りました。時間が遅くなって脇町の【うだつの町】の見学ができなかったのは残念でしたが、鳴門をまわり、帰ってきました。家に帰りついたのは、7時半。とてもいい旅をしてきました。枝里子さん、ありがとうございました。m(_ _)m
自然の美しさに感動したり、心が落ち付いたりする、ということは、トシを寄せるにしたがって、深く感じられるようになりました。若いころには、そうしたことには、関心が薄かったのでしょうか。きれいなあと思っても、胸の奥1センチか2センチのところまでしか沁みていなかったように思います。美しい物を見て、生きていてよかったと思えるようになったのは、やはり年の功でしょうね。