2015年6月22日月曜日

№943 気忙しい毎日


 皆さんにご心配かけた捻挫と坐骨神経痛などの痛みは、随分とよくなりました。今日は、痛み止めも、飲まずに何とか我慢できました。ただ、何をするにも、急いてはできず、生活のための炊事洗濯その他にかかる時間も、休み休みで能率があがりません。それに、もう劇も追い込みで、土、日、月、と夜の練習が続いており、明日も有ります。文化の森での演劇フェスティバル(主に学生演劇)上演は、最終日の28日の最後を、シニアで飾ります。(笑)今回は、劇作家 柴 幸男の作品「あゆみ」をやっていますので、分かりにくく、難しい作品なりで、大変です。私は、最後のちょっぴりしか出ません。跳んだりはねたり、走ったりが出来ませんから、始めから、「やめときます」と、宣言。裏方です。(笑)

 27日の同窓会の資料のまとめは、25日には仲間2人がきてくれますので、何とか間に合いますが、しばらく気忙しいので、ブログは、ちょっと落ち着くまでお休みします。元気ですので、どうか、ご心配なく。(^^)

 

2015年6月19日金曜日

№942 備え


【備え】と言えば、防災などが、しきりに言われていますが、一方で気になるのが、老後の備え、と言うよりは、死に近づいて行く高齢者の備えということです。

例えば、病気になってからでは遅い色々なことがあります。残った家族が困らないための身辺整理とか、尊厳死を望んでいることなど、きちんと自筆で書いておかないと、なかなか実現が不可能ということを、よく耳にしてきました。日常、そう思っていても、自分がしゃべれなくなってからでは、遅すぎるのです。

 そして最近よく言われている備えが、寝たきりにならない、健康寿命を延ばすための【貯筋】です。ま、これは、後期高齢者になってからの備えというよりは、40代、50代から備えはじめることが、大切なのですが、80代であっても、しないよりはした方がまし、いや、しなければならないことだと思っています。もう、お金を今から蓄えることは無理ですが、筋肉なら、何とか貯えられるはずです。

 考えることは皆さん同じで、老後は、自由にやりたいことをしながら、活動的に過ごしたいと思っていたはずです。私も、定年を5年も早く退職したのは、あまり、健康に自信がなかったので、少し心身ともに楽がしたかったことと、したいことは、体が動くうちにしなければと、思ったのです。この考えには、今はなき夫も薦めてくれ、後押ししてくれました。

 お蔭さまで、と言うか、退職後もう30年になったのですから、有難いことです。それはやはり、今思うと、することがたくさんあって、ごろごろとしている暇がなかったことと、食べ物は、贅沢ではなく、体のことを考えて、摂取してきたこと、少しばかり運動をしてきたことだろうなあ、と思っています。

 ただ、若い時と違って、わずかな貯筋はしてあっても、10日も寝込むと、貯筋はすり減ってしまうということです。ここ1カ月あまり、私は足を悪くして運動が出来なかったので、貯筋は無くなりました。。筋肉は、運動と食事特に蛋白質が必要です。毎日卵3個は食べているし、いつも、歩数計(携帯)をみて、足りなければ、昇降台の時間(1日20分)を10分ほど増やしていた私でしたが、(笑)悲しいかな、歩くことが激減したし、昇降台も出来ない。元々弱かった足腰がいっぺんに更に弱ってしまいました。(;;
 運動と蛋白質は、車の両輪と言われています。一日も早く、しっかり歩けるように、したいと思っています。
 余談ですが、先日医院に行ったついでに、血液検査もしていただきましたが、卵をたくさんいただいていても、中性脂肪やコレステロールの変化は、まったくなく、正常値でした。(蛋白質は、毎日体重の1000/1グラム必要ですから、私なら、50グラム近く必要なわけで、卵3個で、20グラムくらい。あとは、肉魚、大豆製品などで、摂取することになります。老人は、不足がちらしいですよ)

 

2015年6月16日火曜日

№941 坐骨神経痛


 土曜日(13日)夕方から、あれあれっと思ううちに、足が歩けないほどの痛みが生じてきました。特に左側の腰からお尻、太もも、脛にかけて、酷い痛みです。ちょうど坐骨神経痛のような感じです。それまで、左足を捻挫したため、不自然な歩き方をしていたので、多少の痛みは両足に出ていたものですから、そちらの痛みも刺激されたようにひどくなってしまったようでした。
 坐骨神経痛は、以前経験したことがあるものですから、大したことないと思って、何年か前にお医者さんから頂いた座薬がよく効くことを思い出して出してみたところ、ポロポロと割れてしまう状態で使用は出来ません。仕方なく家に有る湿布薬や軟膏を使用して床についたのですが、痛くて眠れませんでした。
 翌日は、日曜日なので、しかたなく、家族に連絡して、薬局で痛み止めの座薬を買いに行ってもらったのですが、医者の診断書がないので、普通の痛み止めしか出せないとのことでした。それでも、少しは楽になり、夜は何とか眠ることができました。
 月曜日、医院で薬を頂きましたところ、薬が良く効いて、傷みもぐんと楽になりました。普段、薬というものをめったに飲まないので、たまに飲むと、よく効くのかもしれません。(笑)

ちょっとしたことでも、心配してくれる家族がすぐそばに住んでいることは、とてもありがたいことで、今回も色々と世話をかけました。

これからは、こうした身体のほころびが色々と出てくると思うのですが、つくづく思うのは、やはり足腰がしっかりしていないと、自立した生活というものが出来にくいということです。健康寿命がよく言われていますが、足腰の健康状態には、特に気をつけていかねばと思った次第です。

2015年6月14日日曜日

№940 プレミアム商品券


 藍住町が、【小6以下の子育て世帯及び75歳以上の高齢者世帯に、応援プレミアム商品券】を発行した。10枚(1万円分)を5000円で販売してくれる。1世帯2セットまでだ。先着5000セット限りということで、後期高齢者の私にも、購入用紙を送ってくださった。1万円で2万円分の買い物が出来るのだから、魅力はある。しかし個人的意見としては、こうした事業には反対である。こういう方法は、あまり効果は期待できないと思っている者なので、購入したいという思いは強くはない。売り出しは、1314の休日から、ということだったので、通りかかったついでに13日土曜の午後、役場を覗いたところ、予想通りもうすでに完売済という紙が玄関にべたべたと貼られていた。朝、5時に並んでいた人の言うには、整理券番号が900番だったとか。早くからたくさんの人が並んでいたのだろう。8時半、整理券を渡し始め、またたく間に売り切れとなったらしい。

 大抵2セットを購入されたろうから、2500世帯の方が購入されたことになる。およそ2500人が長蛇の列をつくっていたのだ。お世話する人も大変だったろう。2501番目の人は、残念だったろう。(笑)

税金をたくさん収めているわけではないので、偉そうなことは言えないが、もっと工夫が欲しかった。こうした方法は、派手ではあるが本当の応援にならないと思う。町内の商店への応援だけではないはずだし、高齢者は、お金より買い物難民と言われるように、買い物に行くことがとても大層な人たちもいらっしゃる。小学校のトイレも古びている。

これからは、税金の使い方の上手下手で、その町が住みよくなるかどうか、ということにもなりそうだ。

 

2015年6月12日金曜日

№939 その後の足


 ここ何日か用事があって、整骨院も休んでいるためか、挫いたところが痛かったり、歩くと股関節がぎこちなくて歩きにくかったりするのだが、何とか治りつつあるのは有難い。私より2か月も前に同じように足を挫いた息子は、まだ本調子に治っていないことを思うと、治りは早いと思っている。

 それでも、2日前に郷の溝掃除で、午前中暑い中、立ちん棒していたり、午後からは、お寺の葬儀に出ていたりしたものだから、悪い足がぽってりと腫れてしまった。やはり無理はしない方がいいようだ。と言っても、仕事に出ている若い者を休ませるわけにはいかない。無理は承知だ。これでも、まだまだ役に立っている。()

2015年6月9日火曜日

№938 金縛り


 Fさんは、よく金縛りにあうという。私は、そうした経験が一度もないので不思議だったのだが、Fさんの話では、意識があるのに、身体が動かなくなると言う。お化けとは思わないが、亡くなった身内の霊魂が、何かの不満があって、自分に取り付いているようで、怖いという。()

 あるお医者さんが金縛りについて新聞にかいていたが、それを読むと、医学的には、睡眠麻痺というそうで、自分では眼がさめていると感じているのに、脳からの運動の指令が筋肉に届かず、体が動かないというのだ。

 これは、レム睡眠という、夢を見ているような状態の眠りで、脳は、完全に休んでいないが、脊髄で、運動の指令が遮断されているので、筋肉は完全に休んでいる状態で、そのため、走っている夢をみていても、体は、走ったりしないわけで、金縛り状態は、まだ半分目覚めているのに、筋肉への指令が早々と出たりすると、動けなくなる、ということらしい。
  睡眠が不規則になったり、体調が悪かったりすると、誰にでも起こり得る、ということなので、私も体験するかもしれない。でも、こんな体験は、したくないけど……。

 そうなったときは、目だけは動くレム睡眠のことを思い出して、慌てずに意識的に、目や瞼を動かすと、早く抜け出せるそうだ。憶えておこう。 

 

2015年6月7日日曜日

№937 僧侶


 先日、徳島のある僧侶が、殺人を犯して逮捕された。やはりこれは珍しい出来事だろう。多くの真面目な僧侶たちは、迷惑千万な話に違いない。ある知人は、家が広いので、下宿人を置いているが、「警察と、教員と、坊さんにしか貸さない」と言っていたが、世の中の人達は、やはり、こうした職業の人達は、信頼してくれているのだ。特に、人を殺めるなどというようなことを、僧侶がするなどとは、考えられないことなのだ。

 ま、どの世界も同じだが、僧侶といっても色々あるだろうが、私たち凡人は、昔から、高僧の話を読み聞きしているので、僧たる者は、修行によって欲は少なく、迷える人たちを救う、聖人に近い方たちを想像しているのだが、最近は、お寺そのものが、商店化しているところもあり、金儲け主義のお寺はいたるところにあるし、贅沢な暮らしをしている方も大勢いらっしゃる。

 何年か前の話だが、驚いたことがあった。親戚の葬儀のとき、家の主人がお寺に葬儀のお願いに行ったところ、僧侶が、電卓を持ってきて、目の前で計算し、『葬儀のあと、当日行う6日の法事が終わったら、現金で、百○○万円を、頂いて帰りますので、用意しておいてください』と言ったそうだ。いかにも商売人というような態度に、有難味が失せたと言っていた。()

 ま、そういうお寺やお坊さんが全てではないだろうが、時代はかわってきたことに、間違いなさそうだ。

 

2015年6月4日木曜日

№936 甘夏


 我が家には、昔は柑橘類が6本植わっていたのだが、温州みかんは全部枯れてしまい、今は甘夏が1本と、八朔が1本残っているだけである。
 八朔は、殆ど実をつけない。そもそも、我が家の八朔は、アブラゴなのだ。甘夏の好きな私が、甘夏の苗木を二本買って植えたところ、実をつけはじめて分かったのだが、1本が、八朔だった。それも出来の悪い木だった。
 それに比べ甘夏は、今年も、美味しい実がたくさんなって、だれかれにもお裾分けした。木が大きいので、高いところの実は、採れないので、残してあった。長い枝のハサミで切り採るのだが、とどかない。でも、やはりもったいないので、今日は台を持ちだして、その上にあがって、のこっていた10個ほど切り採った。まだ5個ほどが目に留まっているのだが、それはもう無理だ。甘夏は、夏ミカンほど酸っぱくないし、八朔よりお汁がたくさんあるので、差し上げても喜ばれる。

以前も書いたことがあるが、この季節、懐かしく思いだすことがある。それは特別学級の担任をしていたときのことだ。

 口ではあまり話しかけてはくれないA子が、その日はめずらしく、「せんせ、あしたうちにある夏みかん持ってきたげるけんな」とささやいた。

 次の日の朝、教室にいくと、上級生のB介に胸ぐらを掴まれたA子が、声をふるわせて泣いている。A子の足元に、大きな夏みかんが二つころがっていた。とっさに私は、B介が意地悪をして、夏ミカンを取りあげたのかと思ってB助の腕をつかんだ。
 たが、そうではなかった。「A子が悪いんじゃ。せんせに夏みかん食わしたらいかん。夏みかん持って帰れって言うたりよるのに、おまえは言うこと聞かんけんじゃ。ほなけん、夏みかん取り上げたんじゃ。おまえ、せんせ好かんのか。せんせが学校休んでもええんか。夏みかん食うたら、せんせ子が出来るんぞ。かあちゃんは、みかんようけ食いよるけん、子ができたんぞ。そんなことも知らんのか。せんせに子ができて学校休むようになってもええんか。そんでも、おまえは食わすんか‥‥」と。泣きながら叫んだ。

 気がつくと私は、A子とB介を両腕に抱えこんで、天井をにらんでいた。笑いと涙を堪えようとして‥‥。

 今、つくづく感じることがある。それは、障害児と関わった年月が私を育ててくれた‥‥ということである。ちょっと気障っぽいのだが、人間の生き方というか、人生の型紙みたいなものの作り方というか、私の大黒柱の部分を学ばせてもらったように思えてならない。