2019年5月3日金曜日

№1249 令和の始まりに思うこと


  昭和5年生まれの私は、昭和もたっぷり、平成も満了したので、令和時代を生きていけることに感謝しています。欲は言いませんが、令和ということばに慣れて、いつでも無意識に令和が出て来る頃までは生きていたいなあと思っています。  

長い人生を振り返ってみますと、三つ子の魂云々言われますが、小さいときからの性格は、本質的には同じということを強く感じています。むろんこれは、表面の私ではなく、内面の私です。小さい時から家業に忙しかった母よりも、祖母との関わりが多かったのですが、よく叱られたのは、「おまえはお人よし」と言うことでした。何でも人にせがまれたら与えてしまうというのです。でも、私はそれに対して、心の中では反発していました。惜しいものを取られたわけではないのです。格好つけるわけではありませんが、相手が喜んでくれるのなら、ということでした。それは今も変わりませんねえ。

母と祖母とは血の繋がった親子でしたから、母は私を祖母まかせにしていたようで、祖母に盲愛された私は、母に甘えたいという気持ちもあまりありませんでしたし、寂しかったという記憶もありません。そんな祖母は、母をも甘やかしていたと思います。普通の家庭では、母親がするような朝の炊事や弁当作りなども祖母がしていましたから・・・。

そんな母が、祖母に「弁当作りなど、本人にさせたらいい」と言ったところ、「炊事はお前にもさせてないのに、この子にさせんでええ。炊事など、嫁に行ったらだれでもするようになる」と、言い返しました。() 私は、「おばあちゃんは優しいなあ」と心から思ったものです。

そんなわけからか、私は、若いときから、〝優しい人になりたい〟という思いが強くありました。なかなか難しいことですが、これは、母にもっと優しくして欲しいという気持ちが心の底に沈んでいたことも関係しているのかもしれません。

自分では、けっこう優しいと思っているのですが、これからも、もっと優しいお婆ちゃんになりたいです。!(^^)!

2 件のコメント:

  1. わたしも、令和をさて何年生きることができかなぁ・・・、とつい考えてしまいました^^;
    優しさ・・。 これの一番大切なことは、自分自身が優しさを発揮することも然ることながら、相手の優しさを理解して受け留めることができるかどうか、ということの方が、むしろそれ以前の大切なことのように思えるのです。
    ごまめさんは、お祖母さんの優しさを理解して受け留めることができる少女でしたが、場合によっては、優しさがアダになって育つ子供の場合も有るし、大人の間でも良い結果ばかりでも無いことも有るようです。
    人の本当の優しさを理解できる人からしか、本当の優しさは反って来ないような気がします。^^

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  2. 何事にも、本物と、メッキものとがありますから、優しさだってメッキがはがれることもあるでしょうね。祖母は、5年間寝たきりでしたが、その世話は、母と父が親身になってしていました。それを見て、母の優しさを見た思いでした。

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