2019年12月6日金曜日

№1268  事件に思う


  アフガニスタン東部で、恵まれない人々のために働いていた医師の中村哲さんが銃撃で死亡したことを受け、現地で追悼集会が行われたほか、国際社会にも悲しみと怒りが広がっています。

こんなとき、〝この世には、神も仏もないのか〟、という思いに駆られた人はたくさんいらっしゃったと思います。神仏がいらっしゃって助けて下さるのであれば、こうした多くの悲劇は、この世から亡くなるはずですが、一向になくなりません。(神仏を否定しているのではありません)

多くの方々は、神仏を敬い拝みます。「どうか、家族が幸せに暮らせますように」とお願いしながら祈るでしょう。

でも、そんなお願いを神仏が聞き入れて下さるのであれば、世の中は平和です。祈りとは、お願いではなく【誓い】だと思うのです。神仏が居ても居なくても、自分の心の中で誓うことだと思うのです。お願いと誓いは違います。

元日には、多くの方がお参りに出掛ける事でしょう。お願いを否定はしませんが、神様の前で、「今年一年は、○○を頑張ります、△△のために頑張ります」と誓ってほしいものです。神仏の前で誓った以上は、頑張らなくてはいけませんよねえ……。

 

2 件のコメント:

  1. ごまめさん 自説を言いますと、人間とは、未だに獣(哺乳類)のDNAを、体内に引きずって持ったまま生息している動物なのだ、と思っています。 中村さんの行動(つまり弱者を助けるような面)は、正しく人間的な面が現れている行動であって、そんな中村さんを地域の邪魔者として襲撃する行動とは、獣的感覚(彼らにとっては正しいと思える)から生じた行動なのだと思っています。 2000年以上前から、人間を獣の部分から止揚すべく考えられたものの中の一つに、宗教が有る、とわたしは思っていますが、十戒による戒めなどは、その良い見本だと思うのです。
    ただせっかく人間により造られた宗教ですが、その教義に実際の人間の血が通った時には、しっかりと獣のDNAも内蔵されてしまっていまして、各宗各派によるテリトリー戦は、人間の歴史の中で、大きな時間を割かれているのも事実ですね。
    なお詳しく書きますと長くなりますので、この辺にしておきます^^;

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    1. おっしゃる通りかもしれませんね。
      ま、どんなDNAがあったにしても、愚かな殺し合いがなくなるという時代にはならないのでしょうかねえ。人間の長い歴史の中で、争いは絶えないということは、まだまだ争いは続くということでしょうか。

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