2018年4月2日月曜日

№1206 老いては子に……

  息子がこの3月で60歳を過ぎたので一応退職となった。しかし、続いて再雇用されたので、しばらくしは働くらしい。人生五十年から、100年と延長した昨今、60歳で隠居では身がもたないだろう。

以前、ある八十歳過ぎた方が、「『老いては子に従え』って言うけど、何歳から従ったらいいのかねえ」と、真剣に言われたことがある。運転免許を返上せよ、と子に言われたらしい。私が見ても、ちょっと不安を覚える運転技術なので、「出来るだけ運転は続けるべきよ」とは言いにくかった。

高齢者と言われながらも、まだボランティア活動に参加したり、色々と役をこなしている方たちは、少なくとも身体面、精神面共に自立なさっているのだろうから、まだ息子の言うことには耳を貸したくないようだ。反対に子が親に従うのは、随分短くなってきた。これも、時代がそうなって来たのだから、当然だろう。選挙権まであたえられている若者が、何でもかんでも親に従うはずもない。頭の古い親だっているだろうから。そんな方にかぎって気が強そうだ。

気の強かった方がお連れ合いが亡くなったとたんに、しぼんでしまう方もおられるので、油断はならない。優しい夫を亡くしたある方は、何もかも夫が管理し、それに縋っていたものだから、夫の死後は、さっぱり分からないことばかり。何事も息子に相談し、それに従う弱気な母親となってしまった。しかも、「淋しい」が口癖のようになり、友達をつかまえたら愚痴を並べるようになった。間もなく、認知になりかかっているという噂がたってしまった。単に金銭面だけではなく、身体的自立、精神的自立、社会的自立と、四面の自立のどれが欠けても子に従わねばならないときがあるようだ。

ある方の本の中に、親権ならぬ子権が親の権利を束縛する、と書かれてあった。特に、親の再婚や恋愛、家を売って有料老人施設に入居したい、といったことに、ひどく反対するらしい。その大きな理由は、親の財産を当てにしている息子や娘の不安がそうさせるという。ま、そればかりではないだろうが、昔ならこういった問題も、滅多になかった。大家族では、老後の不安も少なかったし、五十歳で独り身になっても、もう近々連れ合いを追いかけて逝かねばならない年だったはず。ひと花さかそうなんて、とても考えられなかったに違いない。

どんなときにも、「自分の幸せは、自分が決める」という自立心、そして従うべきは従うという判断力を持つ老人でありたいものである。

 

2 件のコメント:

  1. わたしの場合は、父が80歳の時、一応わたしに地位を譲りました。わたしが47歳の時で、その年は、わたしが商売を継いで20年目に成る年でした。お客さんからも此処は後継者が居て良いなぁ、などと言われていたものでした。そしてまた、父が運転免許証を返還したのは、その後2年位経った時のようでした。何しろ明治44年生まれの父が、若い頃三輪トラックを買って、運転免許証を警察に貰いに行った頃は、ハイそうですか、と直ぐに免許証をくれるような時代だったようですから、車の運転に関しては、特に愛着が深く、まだまだ自信も有ったようですが、知人の車と軽い接触事故をしたことがショックだったようです。
    一方、わたしの場合は後継者が居ません。長男は大阪で働いていますし、今や、後を継ぐような商売でも無く成りました。長男が60歳にでもなれば、田舎に帰って、小さく商売でも遣るかも知れませんが、その時わたしはもう居ないかも知れません^^

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    1. 長男さんがお帰りになったらいいですね。その時はいないかも、などとおっしゃるのはいけませんねえ。帰ってきたら、しっかりと、商売の事、教えてあげなくちゃあ。身体を使って働くお仕事は、健康的で長生き出来ますからね。心配有りませんよ。

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