買い物袋から品物を出して冷蔵庫を開いたとたんに、梅干しを買って来るのを忘れたことを思い出した。梅干しにも、ピンからキリまであるのだが、私は高級品にはあまり手が出ない。立派な美味しそうな梅ではなく、やや小粒の塩分5%というのを買っている。それくらいが食べきれるし、口に合うのだ。梅の産地が中国だろうが日本だろうが、そんなことは、もうどうでもいい。88歳の老婆がひとりで口に入れるのだから。
梅干しというと、思い出すことがある。小学生の頃、家の前にアルミの弁当箱の落とし物があった。小学生のものらしかった。しばらく外に置いて、落とし主が来るのを待っていたらしいが、だれも来なかったという。中をみたら、それは「日の丸弁当」だった。梅干し1つ入っているだけの弁当である。その時代でも、粗末な弁当の代名詞だった。別のおかず入れなど無く、弁当箱の片隅に細長いおかず入れが付いていた弁当箱だ。「せめて漬物か海苔でも敷いてやればいいのに」と、家族が言っていたのを憶えている。
以前聴いた話だが、昔、梅干しは大変貴重なもので、庶民の口には、めったに入らなかったとか。薬扱いだったらしい。それも〝見る薬〟で、お膳の上に乗せて、時々見ながらご飯を食べたら、むせたりしない、ということで、笑い話のような話である。
それにしても、最近のお弁当は、けっこう豪華になっている。TVでお弁当を披露している番組等観ていると、手間とお金をかけている。 戦中戦後を体験して来た者にとっては、本当に日本はいい世の中になったと思う。外国には、まだまだ食べ物に不自由している子どもたちがたくさんいるというのに、あるとろでは、賞味期限近いといって、まだ食べられる弁当を捨てている。こんなことがあっていいのだろうかなあ・・・。
わたしも、もったいない感覚世代、ですから、コンビニなどでの弁当などの処分には、心の根っ子の部分がやはり痛みますね。経済の回転連鎖の中での一場面なのでしょうが、何か好対処法はないものなのでしょうかね。
返信削除わたしにとっての弁当とは、息子が高校時代の弁当です。 息子は電車通学でしたが、柔道部の朝練があるので、朝5時に起きてわたしが弁当をつくっていました。
息子はとても明るく社交的な性格でしたから、誰にも父子家庭とは思われて無かったようなのですが、弁当の中身を見た友達には知られていたそうでした^^;
「お前この弁当は!!」「うん、親父が作るから・・」「ふ~ん・・・」
今ではもう息子の娘が高校生です。 月日の経つのは早いものです。
父子家庭も母子家庭も、苦労がありますねえ。でも残された父であれ母であれ、愛情をかけて子どもを育てたら、すくすく育ちますね。
削除終わり良ければ云々で、kogaさんもご苦労のかいがあって、良かったですね。