2020年1月26日日曜日

№1275 運のよしあし


  世の中には、色々な運というものがあるが、籤運などは悪いと言ったところで、そんなに悔やまれるものでもないのだが、そうかといって嬉しい事ではない。幼い時も、駄菓子屋で引く籤も大抵はスカだつた。今年の年賀状の番号も調べてみると、100枚ほどの中で、1枚の切手シートも当たらなかった。今年だけではない。今までに、切手シートは、1まいか2枚を手にする年は、よくあることだが、それ以上のものは、当たったことはない。

反対に引きたくない籤は引いてしまう。忘れられないのは、師範学校に入学して間もなく、女子学生の制服の生地が、教室にとどけられた。紺色のサージで格安だった。数は5枚ほど少なく、皆に当たらない。その5枚の不運の籤を引き当てた私は泣きたかった。皆がそれでスーツを作って着ていたが、私は父の背広を仕立て直したものを着ていた。こういうことは忘れられない。

金運というのもあるようだ。籤運が悪いので、宝くじなどは買ったことはない。あるとき旅行先で、手相をみてもらったことがある。そのとき、「あんたは、これから先、生活に困ることはまずないけど、お金が貯まっていくようなことは、あまり期待しないほうがいい」と。もう年金生活者だったので、納得出来た。期待などしていない。これから先、年金がどれだけ頂けるものか分からないけど、不安はない。それなりの生活をしたらいいだけである。戦後の貧乏暮らしの経験があるので、貧乏も平気だ。

お金で困っているわけではないのに、先々のことが不安で愚痴ばかり言っている人がいる。夫さんは、会社の重役さんだった。亡くなられたが、旦那の年金で、十分生活出来るし、別居はしているが、立派な長男夫婦が近くにおられ、毎週来てくれているらしいのに、お金のことを心配ばかりしている。預貯金が少ないという。どれだけあればいいのかしらないが、頂けるだけの年金で暮らしていったらいいことで、少なくなったらそれなりに節約して、いったらいいではないか、と思うのだが、やれ、病気したら、やれ家が焼けたらなどなど心配していたら、キリがない。こんなストレスを抱え込んで生活していると、折角の幸せを感じることなくて、こんなばからしいことはない。まあ、他人さんのことにあまり口出しはできないので、「私は貴女より年金も少ないし、預金も少ないけど、心配は何もない。病気したら、年金で賄えるだけの手当てしてもらうから。入院だって、大部屋にはいったら、大丈夫だしね」と、大きな事を言っている。

お金はいくらあっても邪魔にはならない、というが、大金を持った人たちが、欲張りになって、悪い事をしている世の中だ。お金は、平凡な生活が出来、たまに友達と旅行が出来、食べたいものが食べられたられ、葬式代くらいの預金があうれば、幸せと思って暮らすのがいいと思う。

人生の最後に、「私の人生は、運が良かったのか悪かったのか?」なんて考える暇はあるのだろうか? あれば、「ああ、いい運命だつたよ。今も幸せだからね」と言いたいものである。

2 件のコメント:

  1. 運の善し悪しを言います時に、わたしの場合は、直ぐにはっきりと言う事ができるのです。 若い頃オートバイで良く高速運転をしていたのですが、二度死にかけて二度とも運よく助かっているのです。
    一度は突然現れた凍結道路で、横倒しになり、数十m滑降して後、深い谷の方に飛ばされず、たまたま山の方へ飛ばされましたから、命が助かりましたし、夕暮れ時、高速で走っていまして、灰色のトラックの荷台に気が付くのが遅れましたが、30cm程の道路との隙間が見えたので、その間を突っ切って走り抜けたこともありました。
    今でも、何かに生かされているのだと思っています。

    返信削除
    返信
    1. kogaさんは、そんな怖い意見されたんですか、よく助かりましたねえ。私などそんな目に遭遇したことがないので、『うんがよかった!」なんて、あまりかんじていませんが、そういう目に合ってないことが、運が良かったと思うことにします。!(^^)!

      削除