2020年2月21日金曜日

№1279 叱る


  あるTV番組をみて思った。一口に言うと、子供を叱ったら子供のためにはならない、何故そのようなことをするのか、考えて、その原因をさぐって取り除く事が大切で、叱るのは、子供にとって何の利益にもならない、というようなことだった。

 子供のころ、よく叱られた私としては、「そうかしら?」と、首をかしげてしまった。同じようなことを仕出かして、何度も叱られた記憶もある。叱られながら、叱られるのは当然と思ったことも多い。暗くならないうちに帰りなさいという家の決りを守らず、遊びに夢中になり、気が付いたら、薄暗く、走って帰ったが、間に合わず、叩かれたこともある。親は、かなり心配していたにちがいないのだが、気持ちとしては、不満はあったが、すぐそんな不満は消えていた。

 しかし、こうした経験は、別に悪いことではなかった。今になって思うと、懐かしい思い出となっている。

 子供のころからよく叱られても、よその家を羨むことは、まったく無かった。平凡な自分の家や家族だったが、最高と思っていた。この家に生まれてきてよかったと、思っていたのだ。お金持の家を羨んだりすることはまったくなかった。と、いうことは、叱られることが私にとってマイナスではなかったのだろう。

 思うに、親や家族が、本当に子供を愛していたら、叱り方もちがってくるはずだ。叱っても叩いても子供にとってマイナスではないと思う。叱られることの経験がない子が、大きくなって社会人になると、どうなるのだろうか、と心配になる。社会人になってはじめて小言を言われてショックをうけて会社に行きたくない、なんてことにならないことを願う。

 

4 件のコメント:

  1.  冒頭に書かれているような意見は、よく耳目にしますが、全く同意できませんね。これは温湿度、水分量、肥料、日照時間などなど、微に入り細に入り手厚く管理する温室栽培の手引きです。露地に植え直すとすぐ立ち枯れるでしょうね。つまり社会に出ればすぐ挫折するということです。悪いことは悪いと誰かがその場で単刀直入に教え込まねば、子供はどうやって正しさを知ることが出来ようか。こういうヒューマニズム気触れの考えが子供を駄目にする。真っ直ぐに育てるため、愛情をもってときには強く矯正するのが、親のそして大人の義務であって、その心があれば子供の虐待など起こる筈がない。いま大人のつもりでも、あちこち頭を打ち付けてその痛さで正否を体験してきた自らを棚に上げてはいけない。愛情のこもった一発の痛さは、千言のいさめ言葉に勝り、万件の下らぬ右往左往の挙措を必要としない。
     

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    1. 一歩庵様のおっしゃる通りと思います。この頃は、虐待される子もいますが、温室育ちの子供は、けっこういるのでしょうね。親が、「先生がうちの子を、叱った」と言って校長室に電話する親もいるでしょうし、叱ったというより、注意した程度でも、叱られたと受け取る子もいるでしょうね。今は全父母がスマホもっていますからね、学校への不満は、簡単に電話出来るのも、困りものですね。

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  2. わたしは親の最大の義務の一つは、自分の子供を、少なくとも人に迷惑を掛けない人間に育て上げて、そして社会に送り出すことだろう、と若い頃から考えていました。
    ですから自分の子供は良く叱りました。特に2~3歳から小学校低学年までの間、良く叱りました。 その結果、その方針が良かったように今では感じています。
    わたしの叱り方の見本は、自分の父親に有りました。 叩かれもしましたが、子供ながらに、叱られていて納得のできる叱り方だったのです。
    自分の子供が孫にどのような叱り方をしているのか、遠方ですから見たことがありませんが、孫の態度を帰省の時など見ていると、まぁ良く遣ってるのではと思っています^^;

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    1. やはり、小さいときから、色々と叱らねばならないことありますね。
      自分が親に叱られたことが納得できていましたら、。子供にも、問題のあるような叱り方はしないですから。

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