2018年2月10日土曜日

№1197 生きて死ぬ


新聞の死亡欄をまず見てみる、という習慣がはじまったのは、もうかなり前になるのですが、これだけは今も続いています。

人の死は、【人生の卒業】ですが、卒業後の便りは、誰からも頂けないし、誰にも出せないので、悲しい別れです。

もう自分自身がいつどうなるか分かりません。心身の健康にも、自信はありませんし、身のあちこちに老いの重みをしかと感じています。友人が病に臥せったり、知人の卒業式に参列することも多くなりました。これといった宗教も哲学も持たない凡人ですから、その度に人の命の儚さを思い知らされます。

そんなとき、よく手にするのは、【生きて死ぬ知恵】というわずか50ページ足らずの美しい本です。(著者・柳澤桂子 画・堀文子)柳沢氏は、科学者であり、難病と闘いながら書かれたもので、般若心経の心訳です。十数年も前に手に入れた本です。

表紙を開いてまず飛びこんでくるのは、黒い台紙に描かれた野の花、白抜きの文字が目にしみます。

 ひとはなぜ苦しむのでしょうか……

  ほんとうは

  野の花のように

  わたしたちも生きられるのです

 もしあなたが

 目もみえず

 耳も聞こえず

 味わうこともできず

 触覚もなかったら

 あなたは 自分の存在を 

 どのように感じるでしょうか

  これが「空」(くう)の感覚です

 そして般若心経の心訳になりますが、私には決して易しい本ではありません。でも、こうした本をただ見ているだけでも、心が穏やかになるものです。

広大な宇宙の中での一粒の原子の集まり、ただ濃淡があるだけの一元的なものと説く科学者の般若心経です。

空にはなれない私ですが、想像するだけでも、ほっとできるのです。

 

6 件のコメント:

  1. 柳沢さんの本は゛私も買って読みました。10年ほど前。内容は難しくて知識として理解できず、感覚的に受け入れて、納得していたように思います。でも感動的な本でした。生死の事は私ごときには考えても分からないので、余り考えない事にしています。なるよになるでしょう。今年は天候のせいか身辺に急逝する人が何人かありました。やっぱり辛い事ですね。柳沢さんの本は今は行方不明です。あちこち住所を変わりましたので。私も体調はよくないです。

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    1. 年寄りには、気候の変化というよりも、温度の変化というか、寒いときの風呂場とか、トイレとかで、倒れる方多いですからね。
      私は外に出ても寒くないほど着て、カイロもあちこち貼っています。そのためか、肩はこりますけど。

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  2. わたしは死というものは、動物皆同じで、土や灰や煙になるものだと思っていますが、残された者の感慨と言うものに、人間特有のものが有るのですよね。宗教というものがそこから生まれてくるのでしょうけど、そんなものを含めて、現在のわたしには死に対する意識はまだ有りません。
    ただ前向きに働いて、知らぬ間に死んでいれば、それが最高では、とだけ思っています。 

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    1. 死は、無になることですから、昔のように、あの世でまた逢えるなんて考えられませんから、別れは尚更寂しいです。生きていることには欲はありませんが、愛する者との永遠の別れは、やはり辛いです。
      知らぬ間に死ぬというのも、難しいことですね。ちょっと認知になって死ぬのがいいかも。(笑)

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  3.  人以外の地球上の生物は、おそらく死の恐怖や不安は持たないと思う。人のみ心の空間を作って彷徨う生物だから、どうしても死を意識するのは致し方ないでしょう。私も大いに死を意識している一人だが、もはや死ぬまで一生懸命生きるしかないと観念している。生まれる前のことを考えれば、改めて失うものはないのだとも気づきます。脳の記憶中の空間のみが死の直前まで人を悩ますのです。できれば犬や猫のように、具体的で且つ限界がある身体の苦痛のみで昇天したいものです。

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    1. 身体の苦痛は、辛抱できないなあ。(笑)早く楽にしてと叫びそうです。修行が出来ていないから。
      生への諦めは、トシとともに出来てきますね。でも悩みは尽きません。
      いかに死ねるか、その人の人生の総仕上げかもしれませんね。

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