2015年12月10日木曜日

№1003  明治の女


  朝の連続テレビ小説【朝がきた】や、大河ドラマ【花燃ゆる】などを見ているが、昔の女の人でも、しっかりなさっている人がたくさんいたのだなあと、感心する。そして思い出すのが私の祖母である。

 祖母は、昔でも小柄な体型で、器量もよくない。私は小さいときから見慣れた顔なので、普通の顔と思っていたのだが、ご本人は、決して器量は十人並みとは思っていなかったようだ。

 生まれは、中流の百姓家(自作農)であったらしいが、学校へは行っていなかった。いわゆる文盲で、自分でカタカナと、ひらがな、簡単な漢字を覚えたらしい。村では評判の働き者で、畑仕事も機織りも褒められていたと言う。
 そんな娘に目を付けたのが、やはり同じような農家の母親。長男の嫁にと言うことで、見合いをしたらしい。

 この母親、かなりの実力者?というか、考えがしっかりしていた。長男は、役者のような美男で、そのせいでよく遊んだものだから、長男を跡取りにしたら、お家は潰される、ということで、跡取りは次男ときめ、長男には、いくばくかの金と、親の決めた嫁を持たせて、ほうりだそうと考えたらしい。しかも、嫁は、器量のよい、顔や尻を撫でまわすような女では困る。何より働き者でなくては、ということで、祖母に目をつけたのだ。

 何も知らない祖母は、祖父をひと目みるなり、その男前に惚れたのだろう。縁談が成立した。

 祖父は、嫁(祖母)を連れて、叔父という人を頼って北海道に渡った。

商売が性にあったのか、しっかり働いて、お金がかなり入ってきたらしい。ところが、相場にも手を出して、失敗と、成功を繰り返したのだろう。成功時には、遊び心が起きて、芸者さんを何人も連れて家に帰ってきたりしたらしい。お金の無い時は、米櫃がカラッポという日もあったとか。

 それでも祖母は、忍耐強いというか、夫に従って、苦楽を共にしていたようだ。

祖母は、子どもを二人大きくしている。長男と、私の母である。自分が文盲であったため、教育だけはと、娘にも女学校を出している。

 しかし、長男は、若くして結核に罹り亡くなった。その後、祖父も、長男の死にがっくりと力を落とし、まもなく自分も病に倒れて亡くなった。残された祖母と母は、貯えで小さな小間物屋を開き生活をしていた。母は、器用であったので、母校の裁縫の先生に認められ、先生の助手として、女学校に務めた。

 祖母は、年頃になった娘の婿は、自分の実家の跡取りである弟Kに世話を頼んだ。同じような百姓の次男坊で、大阪に勤めていた若者を世話してくれた。私の父である。

父は、養子には絶対行かぬと言うのを、Kが、説得したらしい。父は、財産は自分で作る。養子には行かぬ、と言いはるのに、「あちらには、財産はない。あちらに行って、自分の好きなことをはじめたらいい。娘をもう見合いさせるために、こちらに呼んでいるから、帰って来い」と、強引に大阪から呼び寄せた。父は、断るつもりで大阪から帰ってきた。

 縁とは不思議なものだ。Kの家の玄関で父を迎えたのは、色白の円い顔のぽっちゃりとした美人ではないが、可愛らしい母だったとか。

 父の言うには、別にひと目惚れしたわけではないが、見たこともない北海道というところに行って、自分がしたいと思って資金を貯めていた商売(印刷業)をさせてくれるなら、行ってみようか、ということになったと言う。

 その後、戦争がはじまり、祖母と父の念願の生まれ故郷へ引き上げてきたのだが、戦中戦後の苦労は致し方ない。

 考えてみると、祖母は大変な苦労と努力をして生き抜いた女性だと思う。明治の女は強かったようだ。

晩年の祖母に尋ねたことがある。「お婆ちゃん、今度あの世でお爺ちゃんに会ったら、また結婚する?」と。すると、「お爺ちゃんは、もう好いた人捜して、とうに結婚しとるやろ」と笑っていた。「こりごりだ」とは言わなかったのは、まだ祖父の男前に気があったのかもしれない。() 祖母は94歳まで生きた。

 

4 件のコメント:

  1. 最近「フアミリーヒストリー」という番組を良く見ますが、ごまめさんの、お祖母さんの山あり谷ありのヒストリーですね。
    明治生まれの女性が、皆辛抱強く賢かった訳でもないのでしょうが、わたしの伯母にも、明治生まれの気骨が感じられる人が居りました。
    夫と子供三人を流行病で亡くし、残った男の子一人を女手一つで育て、大学まで行かせて高校教師にした人が居ました。
    我が家にも時々来ましたが、とても気風の良い人でした。 その人はわたしの父親の姉なのですが、その伯母や、わたしの父たちの母親は、伯母が十歳位の時他界し、まだ小さかった弟たち(わたしの父たち)の世話を引き受けて、祖父が再婚するまで育てたようでした。
    その後の生き方にしましても、明治の頃の女性の、家庭に対する気持ちの持ち様が、強く伝わってくる感じがしますね。

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    1. 時代が違うとはいえ、同じ女性として、やはり家庭に対する気持ちの持ちようは、違いますね。昔の女性の様な我慢強さや、夫に仕えるといったような気持ちは、今の若い方たちには、無理でしょう。。それに、昔の離婚は、ほんとに少なかったものです。

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    2. 明治の人は男女にかかわらず我慢強かったのではないでしょうか。私の父は10歳の時、家付きの娘だった母を亡くし、それからは義理の後妻さんに育てられたのですが、小説が書けそうな生涯を送っています。

      父も母も愚痴は言わない人でしたが、8人の子供をまあ一人前に育て、娶らせ、嫁がせ、死んでゆきました。子供たちは、のほほんと育ちましたが、もっと孝行をしておくべきだったと後悔しています。

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    3. 男も女も、今の苦労に比べたら何倍もの苦労でしたからねえ。逃げ出すことの出来なかった時代でもありましたから。

      私の一番の悔いは、祖母や両親に、もっと孝行してあげたかった、ということです。なかなか出来なかった時代ですが。

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