2012年2月25日土曜日

老婆は一日にして成らず

長年の教師生活から足を洗って、名実ともに専業主婦の座についたのは、昭和614月。55歳のときだった。当時も定年は60歳だったが、残り人生を逆算しての決断だった。預金があったわけではないが、同年の夫は、定年まで働くつもりだし、子どもの学費も不要となっていたので、生活よりも、人生を選びたかった。

人生にも、句読点や行変え、起承転結があるとすれば、さしずめ退職というのは転であろうか。もう給料が戴けないのは淋しいが、袴を脱いだ身軽さと、毎日が日曜日という嬉しさはお金には代えがたく、背中に大きな羽根が生えたみたいな気分だったのを思い出す。

まず、何はともあれ、三十年も手を抜いてきた主婦業を、じっくりやって、主婦としての実力のほどを家族にみてもらわねばなるまい。こんな健気な決意をした私は、その日から、心に鉢巻き、背にタスキの出で立ちで張り切った。それだけではない。見たい映画、お芝居、テレビ、そして好きなときに行きたいところに行くことが出来る幸せは、最高に楽しかった。

ところが、である。何カ月かするうちに、こんな毎日でいいのか? という声が、気持ちの穴ぽこから、ぷつぷつと湧きだしてきたのだ。なぜ? それは自分でもよく解らないが、ただこのまま老いていくには、何か侘しかったのだろう。

ある日、夫がこんなことを言った。
「退職したからといって、家のことばっかりしていると、すぐ婆さんになってしまうぞ。長いこと忙しい目してきたんだから、これからは、自分のやりたいことに力入れたらどうか? 女が上手く年寄りになっていくのは難しいぞ」と。
これは言ってみれば、私にボケられたら困るということだろうが、有り難い忠告だったと思っている。

「今の自分」はよく見える。でも、将来、どんなお婆さんになっていくのか、というのは、想像しにくいものだ。確実に年を寄せて行くが、上手く年を寄せるとは、どういう年寄りになっていくことなのか、どんなお婆さんになりたいのか、自分に問うてみた。『理想のお婆ちゃん像』が幾通りも頭をよぎっていく。祖母や母、そして先輩のあれこれを重ね合わしてみて、何となく、理想の自画像らしきものが出来ていく。でも、そんな自画像よりも、そんな『私』になるためには、どんな生き方をしていくか、が大切なのだ。
まずは健康維持。そして前向きに生きること。これが大前提となるのだが、ともかく、やりたいことをコツコツとしていくことしかないのだ。自分磨きといえば聞こえはいいが、磨くといったところで、錆を落とすことからはじめなければならないこともあるし、容易に前進出来ないのが現状である。人さまのために何か、といっても、大きなことが出来るわけではない。でも、頭のどこかに、理想の自分を掲げていると、小さなことからでもしていこうという気持ちになれるから、結構いいことだと思う。

今、私は81歳。未だに理想の婆さんには程遠いのだが、健康維持も繕いながらだが、何とか元気だし、したいことは『無理せず楽せず』でやっているので、まあまあ・・・というところかな?
「老婆は一日にして成らず」 そして「すべての道は老婆に通ず」なのだ。

4 件のコメント:

  1. まぁまぁどころかかなりイケてます!!
    私のテーマも『継続は力なり』。
    錆びない女性をめざして毎日コツコツ健康維持。
    『大器晩成』はしませんがね(^_^;)

    返信削除
  2. manaさん いやいや、きっと「大器晩成型」でしょう。「今にみておれ」と・・・。(笑)

    返信削除
  3. 私は古女さんをお手本にして老婆への道を進みたいと思っています。
     頼りにしてまっせ。宜しゅうお導きを!
     「女が上手く年を寄せるのは難しい」と仰ったご主人様のご慧眼に敬服します。
     年ごとにイヤな女になっていくような気がして、老婆になるのが怖い私です。
     (えっ、もうなってるって?そ、そ、そんなこと・・・)

    返信削除
    返信
    1. お六さま、夫の言葉ですが、男だってそうと思いませんか?
      男性の平均寿命が女性より短いことの原因の何パーセントかは、うまく年を寄せることが出来なかったことがあるのでは・・・。

      削除