2016年9月11日日曜日

№1082 障碍者


  パラリンピックが、盛んに放送されている。世の中も変わって来たということだろう。昔のことになるが、徳島で国体が開かれたことがあった。毎日、テレビでその様子が放映されていた。しかし、引き続き、障碍者の国体が行われたのに、テレビでは、ニュースでも何の放送もしなかった。

私は、教員生活のほとんどと言っていいくらい、障碍者教育にのめりこんでいた。苦労もあったが、やりがいもあったのだ。そんなこともあって、国体のことは、おかしいと思って、家に帰ってきた夫に言ったところ、気が短いものだから、突然受話器を取って、徳島放送局員に理由を聴いた。すると、「上からの指示がなかったから」という答え。益々怒った夫は、話にならんと、東京のNHKを呼び出して、【障碍者を差別するにもほどがある】と怒りまくったのだ。

今は、やっと世間では、障碍者にたいして、【障碍者は、何ら健常者と変わることのない人格と心で真剣に生きている人間である】ことが理解されはじめたようで、嬉しいことだ。

でも、まだ私からみると、差別は残っていて、不自由をされている。せめて私たちの手で、それを補うことが出来るのであれば、どうか差し伸べていただきたいものである。
 そして、一番大切なことは、私たちの心の中の問題である。いくら障碍の呼び名を変えても、心の中が変わらなければ、上っ面だけのことで、差別はなくならないだろう。 

 

4 件のコメント:

  1. ごまめさん わたしは家の前の道路を、車いすの人が通り難そうにしてたり、目の不自由な人が街中で困っているような場合は、考える前に体が動いて何度か手助けしてきましたが、どうもパラリンピックで、選手の人達が頑張っている姿を見たり、TVで小さい子供が入院治療を受けているような姿を見るのは苦手なほうなんです。
    こんなことを思ってはいけないのかも知れませんが、可哀想になぁ、と言う思いが先に立ってしまうのです。 目の前に困っている人が居れば手助けできるのに、体の不自由な人たちの競技を、平気で眺めている気持ちには成れない。
    体の不自由な人たちを支えることを日常の仕事にしている人たちへは、ただただ尊敬をするばかりです。 これらは自分のどこから来る感情か解りませんが、一生治らないようです。

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    1. kogaさんの気持ちはよく解ります。始めは私も可哀想でたまりませんでした。でも、障碍者は、「私たちは、不自由なことはありますが、同情はしてもらいたくない」と。可哀想とか、気の毒という思いは、まだ差別と根がつながっていると思いますね。トシをとって、老眼鏡をかけている方を可哀想とは思いません。困っている方に手をさしのべるのは、可哀想だからではないですよね。kogaさんも、そのうち、パラリンピックも、応援できますよ。(^^)
      あ、子どもや、若い方の病人と、障碍者とは、また別ですね。ご本人は、つらくかなしんでいるでしょうから。

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  2. 健常者と障碍者。やっぱりどこかですれ違いますね。私自身、軽度(と自分では思っている)障害を持ち生きてきましたが、それを誰かに言われたことはないし、差別的な言動をとられたこともありません。みんな見て見ぬふりをしてくれます。障碍者が露骨に差別されていた時代ですから、その点恵まれていたと言えるかもしれません。

    でも、普通の人より生きづらかったし、社会的にもかなり損をしていると思いますねえ。どうしようもないことですが・・・。与えられた運命ですから、素直に受け入れるよりないとは思っています。それにこの人生ももうすぐ終わります。私なりの人生でした。

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    1. 人間だれしも、健常者で生まれてくるにこしたことはありませんが、障碍を持って生まれたり、病気で障碍をもったりした人たちは、それなりに苦労する時期はありますが、けっしてそれは、無駄なことではないと思います。私の妹も、昔小児麻痺になり、足が悪くなりましたが、子どものころ、悪ガキに、いじめられていました。でも、泣きごとは親には一切言わず、強く生きましたし、とても心の優しい人間です。きょうだい一親孝行していますし、心がけ次第ということにもなりますかね。

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