2017年3月7日火曜日

№1133 お仕舞い


  暖房で春の真っただ中のような部屋の窓から空を見上げる。かなり冷たい風が、窓ガラスをカタカタと鳴らしている。今夜、お通夜のF氏をふと思った。詩人であったF氏は、頑固が服を着ているような方だった。文藝協会の役員を何年もしてくださり、事務局である我が家での役員会には、必ず出席いただき、いつも大きな声で自説をガンとして曲げなかったその生き方は、それなりに立派だった。この1年あまりは、ご病気の療養に専念されていたのだが、昨日、訃報を頂いた。

【死ねばそれでお仕舞い】と思う私は、生きていることをこの上なく幸せと感じているし、大切な時間と思うのだが、いつかはお仕舞いが来ることを思うと、実に寂しいと実感するのだ。

【しまった】ということばがある。失敗した時などに使うことばだが、これは、しまうということば(終わり)に【た】という助動詞のついたことばなので、本来は【おしまい】の意である。

人生のお仕舞いというとき、【しまったぁ】と後悔することだけはしたくないと思う。できれば、仕舞いの舞いでも舞いたい気持ちだが、(笑)そうはいかぬだろうが、F氏のように、自分なりの筋を通して仕舞いを迎えられたらと思う。

4 件のコメント:

  1. そうなんですね。今日新聞でご逝去の事知りました。長年ご一緒にお仕事をされてきた訳ですから、お寂しいですよね。

    ごまめさんは今までに人の何倍もお仕事をされてきた方。みんなに惜しまれる御仕舞になるでしょう。10年先か20年先か分かりませんが、お仕舞があることは仕方ないですね。

    ○死はそこに抗い難くある故に生きている1日1日は泉  上田三四二
    私の好きな歌です。

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    1. 私は、おっしゃるような腕利きではありませんよ。お恥ずかしい。
      上田氏の短歌、いいですね。一日一日は泉ねえ。こんこんと湧く泉。心していきていかなくちゃあ。枯れぬように……。

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  2. 先日西部劇をDVDで見ていましたら、一人の正義派の立派な男が亡くなる時、友人に「面白かったなぁ」と微笑みながら言うのです。影響を受け易いわたしは「こんなに在りたいなぁ」と思いました^^ 配達など、車で良く通る道沿いに葬儀社があります。 表玄関に大きな立看板があり、亡くなった人の名前が大書されています。 それを見る度、「あそこに名前を書かれるまでの勝負やなぁ」と思います。 そして「それまで頑張ろう」と思いますね^^ 単純ですけど、まぁそうしたものなんだろうと思うのです。

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    1. きょうもお葬式に出ましたが、私と同年。しみじみと、自分の葬式を思い浮かべてしまいました。「それまで頑張れたら最高」ですよね。

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