Bagusさんが、1136のコメントで教えてくだそった詩『丁度よい』を皆様に紹介しておきましょう。
調べてみますと、石川県野々市町の真宗大谷派常讃寺坊守、藤場美津路さんが、月に一度発行する寺報「法友」の82年2月号に掲載されたものでした。
最初の題は「仏様のことば(丁度よい)」。
「仏様の声が頭の中に聞こえてきたので、そのまま書き取りました」ということのようです。
最初の題は「仏様のことば(丁度よい)」。
「仏様の声が頭の中に聞こえてきたので、そのまま書き取りました」ということのようです。
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連の人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
あまり、宗教心のない方たちにも、何となく、心惹かれる詩ではないでしょうか。ご参考までに。
わたしは両親をはじめ、ご先祖さんにはとても感謝していますが、和尚さんなどの宗教家の方の言葉には、余り興味は持ちません^^;
返信削除「丁度良い」との文も読ませていただきましたが、わたしにとっては、赤塚不二夫さんの漫画は読んだことは無いものの「これでいいのだ」の言葉の方が、親しみが湧きます。 先日の、死に臨んでの言葉「面白かったなぁ」と共に、「これでいいのだ」も、自分で言ってみたい言葉の一つです^^
みなさんいろいろな感慨をお持ちでしょうが、トシ取れば、簡単な方に集約したくなるような気もします。 「丁度良い」のように長いですと、チョット・・・?と、引っかかる所も有ったりしまして・・・^^;
詩というのは、その人その人が、感じるままにうけとったらいいものでしょうね。
削除私など、現代詩などはわからないことばかりですが、こういう優しいことばが並びますと、なるほどなあと、すぐに気持ちの中に入ってきます。
難しく考えなくていいというか、べつに暗記しなくてもいいものなのでですからそれでいいのとちがいますか。(^^)
浄土真宗では、教えを一般民衆に分かりやすい唄の形にする、という事は教祖親鸞上人の頃からの伝統だと思っております。多分その坊守様も教えを詩の形になさったのではないでしょうか。
返信削除おっしゃる通り、もう少し、短くした方が耳に届きやすいでしょうね。全部言わなくても肝心の所を、しっかりと言った方がよかったかとは思います。仏さまが何もかも丁度良くしてくださっていると思えば、安心してこの世に生きて行けるというものです。
ごまめさん、お忙しいのに調べて下さって有難うございました。この詩の心に添って生きてゆきたいと思います。
こういうことを調べてみるのは、楽しいものですよ。bagusさんが書いてくださっていたので、簡単に分かりました。
削除最近は、何でもすぐに忘れてしまうものですから、何か不満が出てきても、ブログにあげたら「今の自分の総てがちょうどいいんだ」という詩があったなあ、と思いだせそう。(笑)
面白く読みました。この詩のように達観できたら安心でしょう。私にこれを充てるなら、ちょっと修正の要があります。「ちょうどよい」まで行かず、まだ「しようがない」の段階に止まっておりますから。
返信削除「ほとんどの凡人は、「しょうがない」ということで暮らしているのでしょうがそれでいいのとちがいますか。そういうとき、こうした詩を読んだり思い出すことで、気持ちが少し楽になったり、明るくなれたりするのでしょうね。だんだんと、あの世に近づく年頃になりますと、「ああ、自分の人生は、丁度よい、と思えたらと。(^^)
削除古女さんが、ここまで大きく取り上げてくださるとは思いもせず、
返信削除恐縮しています。
自分が紹介した詩に否定的なことを書かれると、自分自身が批判されたように
感じて気分は良くないですが、社交辞令でほめられるよりはずっといいです。
私もまだ「丁度よい」と思うより「しょうがない」とあきらめるレベルです。
この詩について「安易な現状肯定ではない」と書かれていたことが、これからまだ考える課題です
皆さん、「しょうがない」ですよ。そしてイコール「ちょうどよい」になりますから。
削除修行をなさっている方たちのようなわけにはまいりませんよね、我々は。