2017年9月13日水曜日

№1171  訃報


  先日、同級生で、親しくしていた友、Mちゃんの訃報がはいりました。彼女は、教員の経験は少なくして結婚し、医者であった連れ合いさんの手伝いをしたり、手伝いが不要になった頃からは、自分磨きに全力投球をした女性で、持っている免許の数は、半端じゃありませんでした。そうした免許を活用して、ボランティア的なことも、たくさんしていらっしゃったのです。

 ご主人が倒れられてからは、至れり着くせりの介護をして見送り、その後も、持ち前の明るさと、世話好きで、多くの人に頼りにされておりました。

 85歳のときだったと思います。お子様二人ともが、湘南の方で家庭をもたれていたので、お二人のたっての願いで、娘さんと同じ階のマンションに転居されました。転居されてからも、近所の方々との交流は、料理のこと、お菓子作りのことなどのを通じて、活動されておりました。むろん、昨年も、今年の春も、同窓会には、泊りがけでいらっしゃり、夜は私達数名の友達と、楽しい一夜を過ごしたのです。

 常々私は、自分の体調等から考えても、人間は、70歳代と80歳代は大違い、と思っています。10年という年月は、あっという間に過ぎるのですが、この10年で、ガラリと変るのが人間で、面目一新というところでしょうか。70歳の人は、ここ10年が「命の春」「晩春」と心得るべきである、なんて、偉そうなことを言っているのですが、70歳代の価値のありがたさが分かるのが80代なのです。

 ところが、彼女だけは、80歳になっても、ますます活動的でした。それがなんと、あっという間に亡くなられたのですから、本当に80代というのは、魔物です。

『人間の存在など永遠の時間から言えば、一瞬にすぎない。だからこそ、その刹那セツナのわが身を我が命をいとおしむこと、これが死を克服する道だ……』と、ある哲学者は書いてあります。哲学などは、解りませんが、このことばは何となく解ります。

  友の死を、驚きと悲しみを、そして今は、〝素敵な人生を歩まれたMちゃんに、カンパーイ〟……と、合掌しています。

2 件のコメント:

  1. 信頼でき、心の通える友人が亡くなる。悲しいことですね。しかしごまめさんの文を読んでいますと、その方は後悔も無く、精一杯の人生を生きることができたのでは、と思ってしまいました。  わたしは72歳ですが、もう既に、70代の有難さを感じ取って生活しているように思っています。 多分、最後の精一杯の商売ができるのは、もう後10年間だろうと思っているからなのです。 定年は86歳ですが、多分定年が近づくと、机に向っての仕事が主に成るだろうと思うからなのです。ごまめさんの文で、今更ながらそれらを覚悟することができます。
    そして時々思いますのが、やはり友人のことです。わたしにも信頼できる友人が居られますが、良く思いますのが、自分の生きてる同時代に、この人が居て良かったな、ということです。
    そして、こんなことを話せることも、貴重なことなんですね。

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    1. よき友を持つことは、幸せですよね。kogaさんのような方には、よき友が集まりますね。
      定年が86歳なんて、素晴らしいお仕事ですね。がんばってください。

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