2015年6月4日木曜日

№936 甘夏


 我が家には、昔は柑橘類が6本植わっていたのだが、温州みかんは全部枯れてしまい、今は甘夏が1本と、八朔が1本残っているだけである。
 八朔は、殆ど実をつけない。そもそも、我が家の八朔は、アブラゴなのだ。甘夏の好きな私が、甘夏の苗木を二本買って植えたところ、実をつけはじめて分かったのだが、1本が、八朔だった。それも出来の悪い木だった。
 それに比べ甘夏は、今年も、美味しい実がたくさんなって、だれかれにもお裾分けした。木が大きいので、高いところの実は、採れないので、残してあった。長い枝のハサミで切り採るのだが、とどかない。でも、やはりもったいないので、今日は台を持ちだして、その上にあがって、のこっていた10個ほど切り採った。まだ5個ほどが目に留まっているのだが、それはもう無理だ。甘夏は、夏ミカンほど酸っぱくないし、八朔よりお汁がたくさんあるので、差し上げても喜ばれる。

以前も書いたことがあるが、この季節、懐かしく思いだすことがある。それは特別学級の担任をしていたときのことだ。

 口ではあまり話しかけてはくれないA子が、その日はめずらしく、「せんせ、あしたうちにある夏みかん持ってきたげるけんな」とささやいた。

 次の日の朝、教室にいくと、上級生のB介に胸ぐらを掴まれたA子が、声をふるわせて泣いている。A子の足元に、大きな夏みかんが二つころがっていた。とっさに私は、B介が意地悪をして、夏ミカンを取りあげたのかと思ってB助の腕をつかんだ。
 たが、そうではなかった。「A子が悪いんじゃ。せんせに夏みかん食わしたらいかん。夏みかん持って帰れって言うたりよるのに、おまえは言うこと聞かんけんじゃ。ほなけん、夏みかん取り上げたんじゃ。おまえ、せんせ好かんのか。せんせが学校休んでもええんか。夏みかん食うたら、せんせ子が出来るんぞ。かあちゃんは、みかんようけ食いよるけん、子ができたんぞ。そんなことも知らんのか。せんせに子ができて学校休むようになってもええんか。そんでも、おまえは食わすんか‥‥」と。泣きながら叫んだ。

 気がつくと私は、A子とB介を両腕に抱えこんで、天井をにらんでいた。笑いと涙を堪えようとして‥‥。

 今、つくづく感じることがある。それは、障害児と関わった年月が私を育ててくれた‥‥ということである。ちょっと気障っぽいのだが、人間の生き方というか、人生の型紙みたいなものの作り方というか、私の大黒柱の部分を学ばせてもらったように思えてならない。

 

 

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