2016年5月9日月曜日

№1052 返信ハガキ


  恒例の同窓会【友の会】の季節がやってきた。今年から、皆の希望で、5月末開催と変更になった。
 卒業後、ほとんどが教員となったのだが、何年目かに開いていた同窓会も、全員が退職した年からは、毎年、市や郡の持ち回りで、行ってきた。そして20回目くらいから、数名の世話人での運営となった。
 25回目の平成23年6月に、もう80歳も過ぎのだから、ということで、一応解散。24年からは、希望者だけの【友の会】ということで、55名の会員で、再出発した。まだまだ同窓会は続けたい、という方たちだ。この55名のほとんどは、それまでの同窓会に出席していた方たちだった。

今年は、第4回友の会の開催である。亡くなられた方、退会された方もあって、今年は、50枚の往復はがきを印刷した。80歳を過ぎてからの出席者は、年ごとに減少するのは致し方ない。昨年は、30名を切った。今年になって、すでに3名(男性)が亡くなられている。
5月1日、往復はがきを投函。連休があったので、県内であっても、2日にハガキが着いたという方もあれば、7日に着いたという方もいた。町村によって、配達がまちまちらしい。

6日の夕方、Fさん(男性)の訃報がはいった。そして7日、Fさんの返信ハガキが届いた。出席に大きく○が入っていた。近くの友人の話では、朝、よくねむっていることを確認した奥様が、マーケットに出かけ、帰ってみると、そのまま蒲団の中で亡くなっていたとのことである。いかにも理想通りのピンピンコロリであるが、あっけない旅立ちに、ご家族は、悪夢のような思いだろう。

もう、我々は、死と隣り合わせに生きている。いつ、どこで倒れてもおかしくはないのだ。こうしたことが死への心準備を急がせるのだが、なかなか進められない。明日死ぬという実感がわかないこともある。

ある友人は言う。「おかあさん、万一のとき、知らせる方の名簿をつくっておいてな」と娘に言われたと。ま、まだまだ元気な母だから言えることだろう。病人の親にはなかなか言えないだろうから。子にとって、言いづらいことは、親の方から言うべきだろう。

色々と考えさせられたが、願わくば、訃報はしばらくストップとお願いしたいものである。

4 件のコメント:

  1. 死者からの出席ハガキは、むなしく悲しいものがありますね。 わたしの弟は、肺がんで余命一年と言われて後、彼の妻当てに手紙を書いていました。 娘に、お母さんが60歳に成ったら渡す様に、と言って、預けていたのです。 弟が亡くなって3年ほど後、その手紙を持って弟嫁が我が家を訪れました。 弟嫁は、嬉し涙と悲し涙を同時に流しながら読んでくれましたが、わたしにはとても正視できませんでした。 最愛の○○へ、で結ばれていました。

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    1. 亡くなったあとから、手紙がきたりすることは、たまにありますし、映画などでもありますけど、悲しみがまた吹き出したりしますから、どんなものでしょうねぇ。特に身内のものだったりしたら。
      私の父は、母が亡くなった時、泣きながら書いた手紙を手に握らせて送りました。母には通じなかったでしょうが。

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  2. 80歳を過ぎたら死を心の隅に置くことはごく当たり前の事でしょうね。80はまだまだ元気で死なんて遠いことのように思えるかもしれませんが、体は結構擦り切れていて、運転停止はいつ来るかわかりません。私も死亡通知をしてまらいたい人の名簿は娘に渡してあります。唯名簿に載せた人も次々と亡くなったり、消息不明になったりしますので、また更新しなければいけないのですがそれは、なかなかできません。

    誰も知らないうちに旅立ちたいとは思いますが、それは思いどおりになりません。痛みや苦しみにのたうつかもしれませんし・・・神のみぞ知るです。

    ごまめさんの同窓生はよく集まりますね。結束固いんですね。感心します。

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    1. 死に方だけは、何ともなりませんものね。せいぜい長生きしましょう。あっさりと逝くそうですから。

      友の会は、1年に1度ですが、仲良しのミニ同窓会は、毎月しています。同級生はいいものです。何を言ってもいいので。ま、私は聞き役が多いですが。

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