2018年1月17日水曜日

№1193 検査結果


 お医者には、殆ど行かない私も、一年に一度、血液検査をしている。「卵を毎日3個くらいは食べたのがいいよ」と、薦めて来た者として、健康上、害はないか、変わりがないかと、思うからである。今日、その検査結果を聞いてきた。町内は、インフルエンザの大流行中なので、患者さんの少なそうな午後の診察前に行く。だれもいなかった。

「古女さん、どうぞ」呼ばれて神妙に先生の前に。

「特に異常はないけど、中性脂肪がちょっと増えていますね。ま、心配することもないです。(ああ、やっぱり)と思う。最近、油ものが多くなったな、と思っていたので。問題のコレステロールは、変化なしの正常値。血小板が少ないのは昔から。

「何か気になること、ありますか?」「あのう、ときどき脈が、どきどきと早くなったり、とんだりするんです」「あ、それはですね」と、おもむろにぶ厚い医学書を拡げ、「ここに書いてあります。この図のような脈の打ち方ですね」「はい、そうです」「これは、高齢者には普通のことです。医療の対象にはなりませんとも書いてあります。心配ありません」「あ、そうですか、ありがとうございました。あ、それから、よく忘れるんです。頭が……」「あ、それはもう当たり前です。ご自分で、心配出来るうちは、心配ありませんから」と。(そのうち心配できなくなるんじゃないかと心配しているんですが……)と言いたかったが止めて帰ってきた。

 以上、卵の心配も、脈の心配もないようだ。何事も信じてすることが大切。何とかカラ元気が保てているのは卵のおかげ。毎日卵3~4個を続けたいと思っている。卵よ、お願いだから頭にも効いてよなあ……。

 

2018年1月8日月曜日

№1192  TV


  お正月3が日は、忙しくしていましたが、それからは、思いっきりのんびりと過ごしました。観たいTVも観ましたし、たまっていた録画したものも、いくつか観ることができました。

中でも、NHKの〝人体〟シリーズには、驚かされます。身体のそれぞれの臓器が、いえ、臓器の一つ一つの細胞から、いろいろな物質を出していて、関わりあっていることなど、想像するだけでも不思議でなりません。全て脳の指令と思っていたことも、臓器からの指令によって動いていることなど、考えもつきませんでした。例えば昨日放送された〝骨が若さを呼びさます〟という内容は、骨自体が出しているメッセージ物質が、少なくなると、脳の海馬が小さくなり、記憶力が衰えてきたり、免疫細胞の増減、筋力アップ、精力増減までも、関係しているというのです。つまり骨は、若さをつかさどる物質を出しているわけです。

骨は、日々作り変えられているので、アクセル役の物質と、ブレーキ役の物質がバランスよく出されていたら、骨粗鬆症にならずにすむわけです。

骨を作る上で、カルシュームをとるだけではだめで、運動することはとても大切なことのようですが、片寄った運動では、いけないそうで、骨に衝撃を与える運動が大切らしく、自転車などは、衝撃が少ないので、歩いたり走ったりジャンプしたりするような運動をすると、アクセル役が増えて骨にはよいのです。そういう運動を止めると、〝もはや若さを保つ必要がないのだな〟というように判断して、アクセル役の物質を減らしてしまうらしいのです。これは骨粗鬆症になります。

身体の小さな細胞から出される物質は、筋肉、脂肪、臓器全てから出ていて、それがネットワークになって、身体をささえているようですから、大変なことです。これからも、学者さんたちは、やっきになって、まだ解明されていない部分の研究に必死になっているようです。不足して病を引き起こしている病人に、必要な物質を注入することにより、病気が快復していくのですから、研究者は目の色をかえます。ほんとに人体は謎に満ちています。

TVを観た方も多いと思いますが、これからも、シリーズとして続いていきますので、ぜひごらんになることをお薦めします。(いままでに、・腎臓が寿命をきめる。・脂肪と筋肉 が放映されています)

 

2018年1月1日月曜日

№1191 元旦


  ブログを読んでくださる皆様。新年おめでとうございます。

旧年はお世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。

冷たい風が吹いておりますが、すっきりと晴れたいい元旦日和です。神社仏閣、その参道にお店を出していらっしゃる方は、格別お天気に心を配られているでしょうから、ほんとにいいお正月でよかったです。

 昨夜は、家族でおそば等を頂き、紅白歌合戦は録画にして、EテレのN響の音楽を聴いたりしながら夜中の1時に床に付きました。今朝床を離れたのは7時。朝お風呂に入り、身づくろい洗濯。10時から、母屋で新年の挨拶と朝食兼昼食。部屋に帰って頂いた年賀はがきをみて、出していなかった方への年賀状を書き、郵便局へ。
……ここまでは、毎年同じです。変わったのは、化粧しながら見た顔の変りよう。皺がすごく増えたなあと実感。一年の老化の凄まじさに舌打ちでした。

 年越しそばといえば、最近は、うどんを食べる方も多いとか。縁起をかついで年越しそばを食べるのは、そばのように長―く寿命をのばすことが出来ますように、という意味ですから、うどんでも、中華そばでもいいわけですが、ある本で読んだところによりますと、昔、金細工の職人さんが、飛び散った金粉を集めるのにそばを使っていたところから、(多分そば粉を練ったもの)そばは「金集め」ということで縁起がいいと、そばをたべはじめたとか。ま、うどん粉でも、集められるかしら?……(笑)

 時代がどんどん進化したり、行事が簡素化されたりしてきましたから、当然のことでしょうが、以前は、除夜の鐘の鳴る頃になりますと鳴門市大麻の阿波国一宮の〝大麻比古神社〟に初参りする車が絶え間なく通っていたのですが、近年は、静かな年越しになりました。昼間はやはり渋滞しているらしいのですが、もう抜け道としての我が家の横の町道を通る車はなくなりました。

私のような者は、もう混み合う場所には足が向かず、「祈りは神にお願いするんものじゃない。誓いをするもの」なんて思っているものですから、「神に誓っても、実行できないのでは誓わぬのがよし」なんて、理屈を言って無精しています。そのくせ、通りかかったときには、けっこう、「どうか家族が健康で、暮らせますように……」なんてしっかりお頼みしていますが。(笑)

ま、神や仏があるなしに関わらず、大自然の中に、こうして生かされているこの不思議は、大きな何かの力のお恵みであることを考えますと、手を合わさずにはおられません。今朝は、太陽を拝みました。<(_ _*)>

皆様、今年もよいお年でありますように……。

2017年12月31日日曜日

№1190 大晦日(おおつごもり)


  いよいよ今年も終わる。今日は大晦日。一年の最終日の大晦日(おおつごもり)だ。小晦日とか、大晦日とか晦日(みそか)ということばは、最近はめったに聞かになくなった。晦日というのは、三十日という意味なのだが、月末という意味に転じている。

私は小さい時から、この言葉には馴染みがあった。小学校の4年生頃から、晦日に集金というイヤでたまらない仕事をさせられたのだ。近くの10軒ほどの集金だが、犬にほえられたり、留守だったり、日を延ばされたりするが、一番イヤだったのは、家人の差し出す縦書きの分厚い領収帖に、目の前で、〝一金〟と書かれてある下に、下手な字で 参十五円 藤○印刷所などと書きこまねばならないのだ。(家業が印刷業だったのに、今風の領収書をどうして印刷していなかったのかと思うのだが)字の下手なことが、今も凄く恥ずかしく思うのは、この時からなのだ。

今日は朝から大変だと思うので、大晦日に入ったところで書いている。大変というのは、私にとってであって、することはたいしたことではない。いつものような一日になるのだが、煮炊きが多くなるので、立ち仕事が多いだけの話。黒豆の仕上げ、シイタケ、こんにゃく、筍、高野豆腐、牛蒡、数の子の仕上げ、などが私の分担である。お正月3か日は、家族いっしょに食事をするならわしだ。もう味付けに自信がないのだが、黒豆は市販のものより人気がある。

一年は早くなってきた。というより、生きている時間が減ってきたので、惜しむ思いが強くなってきたのだろう。色々な思いがあった一年だが、生きていることの意味がだんだんと心にしみてきた感じもする。

皆様、よき新年をお迎えください。来年もよろしくご指導のほど、お願いもうしあげます。

2017年12月21日木曜日

№1189 平均寿命


 先日、平均寿命の発表がありました。また伸びたようですが、私は87歳なので、今死んでも当たり前のことのようです。何事でも中ほどでいいと思っているのですが、何の準備もしていないので、こればかりは明日死んでもいいとは言えません。半年くらいは、余裕がほしいです。(笑)

それにしても、新聞の死亡欄に毎日目を通していますが、皆さん、長生きしていらっしゃった方の多いこと。亡くなる前の様子は分かりませんが、長寿といった方々は、そんなに長患いなさっていたとは思えません。私の同級生の方が二人、相次いで亡くなりましたが、寝込んでからは、あっという間に逝ってしまいました。

人生50年60年70年と、延命してきましたが、若くして亡くなる方が多かったということもあって、昔も長生きした方はかなりおりました。私の祖母も、粗食時代が長かったと思うのですが、93歳まで生きておりました。ただ、医学がまだ今ほど進歩していなかったせいか、88歳で寝込んでしまい、その後は寝たきりでした。今ならリハビリでもして、寝込むのはもっと短かかったのではと思います。

明日は知人のお葬式に参ります。夫の友人でしたから、私とよく似たお年です。人生100歳時代といいましても、なかなか100まで生きるのは、まだ大変です。そう思いますと、もっと、日々を大切に過ごさねばと思いますねえ。

 

2017年12月19日火曜日

№1188 年賀状


  12月もあと10日余りとなると、やはり気忙しい。やっと年賀状を書きあげた。書いたといっても、パソコンでの印刷で、余白にちょっとしたご挨拶程度のことを書きこむだけなのだが、それがなかなか書けない。特に右手の指の関節が痛く、膨れているものだから、何を持ってしても、下手な字が踊ってしまう。書きながら「読めるかな?」なんて心配しながら書くしまつである。

 もう、このトシになると、いつもお世話になっていたり、元気にやっていますよ、とお知らせしたい方は限られてくる。お顔も忘れたような方は、相手さんも同じだろう。年賀状だけのお付き合いの方には、「次回からは年賀状は失礼します」と書きこもうか?」と迷うことがよくある。特に若い方にとってみれば、年寄りから頂くのに、止めるわけにはいかない、ということになりかねない。こちらから失礼するのがいい場合もあるだろう。……なんて考えながら書いているものだから捗らない。

こんなことを友人に言うと、「私はもう出さなければならない方だけ出して、あとはトシだから、頂いた年賀状に返信するだけ」とか。なるほど、来年まだ生きていたら、そうしようと思った。(^-^)

2017年12月10日日曜日

№1187  ボランティア


  街中を車で走っていると、同じ襷をかけたり、或いは揃いのチョッキを着た方たちが、落ちている塵、ゴミを拾っていたり、公園の草取りをしているような情景をよく目にする。「あ、ボランティア活動をされているんだな」と思いながら走り去るのだが、そうした活動をあまりしてこなかった私としては、「ご苦労様です」と声をかけたい気持ちになり、感心してしまう。

 あるご夫婦は、【いつも目を輝かせていよう】というのがモットーとかで、ボランティア活動によく参加されている。ボランティア活動は、生きがいに通じているともおっしゃり、「元気で明るいのが一番ですわ。人間って、内面が輝いていたら、何を着ていても清潔でさえあればおかしくない。だから、おしゃれには無関心です」とおっしゃる。(でも陰で奥さんは、「お気に入りの服があれば、高くても安くてもすぐに勝手に買ってしまうんよ」と)ふふふっ。

 私も初心を振り返ってみると、初めて年金が、通帳に振り込まれたのを手にしたときは、やたら有難く、働けるうちは、少しでも世の中のためになるようなことをしなければ、と思ったものだ。と言っても、私のことだ。硬苦しく考えたわけではなく無理なく出来ることがあったら・・・といった程度のものだが。

でも、私的にしたいことが多くなり、けっこう忙しくなってきた。お金になるような仕事ではないけれど、ボランティアとは言えないだろうなあ。ほとんどが好きなことをしている、というようなことばかりなので・・・。

 思うのだが、【ボランティア】の核に有るものは、人間同士の愛情だと思っている。懐の深いひと、豊かな愛情にあふれている人は、止むにやまれぬ思いで、外国にまで出かけて人助けをしたりしている。自分や身内だけにしか愛が及ばぬ人は、他人さんのためにタダ働きするのはしんどいだろう。他人のためにどれだけの奉仕ができるか、というのは、愛情の一つのメモリになるだろう。

 自分は?というと、そこそこの事は出来ても、大きな事は出来ない小物で並みの人間。世の中には、並みの人間は、山と居られるだろうが、積極的に【ボランティア】をしている人は少ない。なんとなくテレもあるのだろう。ただ言えることは、少しでもやってみると、ボランティアは、他人のためではなく、自分のためにするものだということが、じわじわと心に沁み込んでくる。

このトシになると、グループの足を引っ張るようなボランティアなど、したくても出来ない。でも、曲がった腰を手でさすりながらも、ボランティアに精出す方の気持ちが良く解るのだ。見習わなくちゃぁ・・・。