2019年7月20日土曜日

№1258 欲望


  人間の欲望というのは、満足する、ということが、中々出来ないものらしい。特にお金に関しては、贅沢という欲望があるので、お金には特に欲が出てくるようだ。大金持ちは、ますます太り、お金に苦労している人たちは、増えていく。資本主義というのは、こういうことらしい。

お金にあまり縁のない私などは、負け惜しみではないが、そこそこの生活が出来たら幸せと思っているので、年金収入しかないのだが、年金は有難く、その中でやりくりしている今の生活を十分有難いと感じている。そこそこの生活というのは、食生活で、「ああ、鰻は一年に1度や2度は食べようか」と、思って食べられる生活だ。「東京に年に1度は行きたい」と思うその旅行に行く事が出来る程度のものである。

 そもそも、私はあまり金銭欲というものがない。しかし、気分は、いつでもお金持になれる。「私の財産3億円、使いきれないから全部銀行にあずけてある」と思っていたらいいことだ。()

 幸せってその人その人によって違うのだろうけど、欲がなければ、けっこう幸せな人生が送れると思う。夫も私も貧乏のさ中に結婚したので、花嫁姿の経験もないし、写真もない。でも、一度もそうした経験がしたかったなどと思ったことはない。

 欲を出したら、けっして幸せにはなれない。ちょっとした〝いいことをしたなあ〟と思ったり、誰かに感謝されることをしたり、涙のでるような感動をしたり、美しい青空と白い雲に見とれたり、遠くの山々を眺めたり……こんな小さな幸せも、数があれば、幸せ袋はふくらんでくる。大きな幸せにつながっていくだろう。

 エレベーターの中で、可愛い赤ちゃんがママに抱っこされていた。赤ちゃんににこにこして手をふったら、じっと私を見つめてくれた。降りるとき、首を伸ばして私を見送ってくれた。楽しかったなあ。

 こんな生活をしていると、色々と心配事もあるけれど、けっこうストレスも発散しているらしい。嬉しいことである。

 

2019年7月14日日曜日

№1257 あと何年・・・


  このトシになると、「あと何回桜が見えるかなあ」とか、「誕生日は、あと何回……」などとよく思う。

マラソンをしている知人に、「達成感は解るけど、走ること事態は大変でしょう。苦しいでしょうに……」と言うと、「私は楽に走っているから、苦しいとは思わない」という返事が返ってきた。楽に走っているといっても、時間内に走っているし、5時間と言う時間は、結構頑張っていると思うのだが、その方は、「苦しい走り方は、あと何キロある、なんて考えながら走ったら、楽には走れないから、私はただ、景色を楽しみながら走っているだけ」とおっしゃる。

 なるほどと思った。ゴールなど気にしないで、自分で好きなように走るのは、楽しいに違いない。

 これは、人生も同じだろうと思った。自分の人生、あと何年だろうか?なんて考えるよりは、今を楽しみながら暮らすに限るなあと。死は人生のゴールである。ゴールなど考えていてはつまらない。今を楽しみながら、噛みしめながら、味わいながら生きて行くことが、幸せな賢い生き方だ、と、つくづく考えさせられた。

 

2019年7月3日水曜日

№1256  ご報告 6


  腎臓結石の手術のあと、皆さんに、いろいろとご心配をおかけしておりましたが、本日、やっと腎臓と膀胱を繋ぐステン(管)を抜くことができました。2回の手術のあと、2ヶ月間、管を入れたままの状態は、夜は熟睡できず、腹圧の関係か、日増しに辛い状態になり、人様には言えず、もう限界状態になっていたのですが、抜いて頂いたとたんに、今までの状態から、抜け出すことができました。抗菌薬を3日間飲むことで、完全に良くなりますと、先生がおっしゃってくださいました。この場を借りまして、ご報告をさせていただきます。ありがとうございました。今夜から、よく眠ることが出来そうです。!(^^)!   

 

2019年6月27日木曜日

№1255 冷え症


  若い時から冷え症だったので、冷え症とのお付き合いは、延々と続いています。普通、夏が来たら冷え症は、どこかに身をひそめていると思い勝ちですが、そうではありません。夏が来てもそれなりに冷えるのだから始末が悪いです。

 一口で言うと、冷え症とは、血行不良ということなので、もともと元気ハツラツというタイプではなく、虚弱体質なのです。小学校時代から、通信簿には、「肝油と太陽燈(上半身裸になって、10人位ずつ浴びる。学校に備えてあった)を続けてください」と書かれていました。

 冷え症を、少しでも克服するためにしていることは、まず首を冷やさない、ということで、夏も寝るときは、マフラーを首に巻いたり、長袖の寝巻、靴下を穿いて寝ています。(寝苦しいときは、エアコンを2,3時間かけています)。

 以前、TVのためしてガッテンという番組では、蛋白質を多く取ることによって、身体を温める、ということもあって、卵はもう何年も前から13個、そのほか、大豆製品を多く食べています。

 ただ、食品には、身体を温めるもの、冷やすものがあるようですが、最近良く食しているキュウリ、トマト、ナス、キャベツ、バナナは、身体を冷やすものらしいです、そんなことは、気にしないことにしています。バランスよく食べることが大切と思っています。

 これからも、冷え症が治ることはないので、一生うまくお付き合いしていかねば・・・と思っています。

 

2019年6月20日木曜日

№1254 近頃思うこと


  日本も、随分酷い犯罪が増えてきたが、これからは、犯罪に手をだすのなら、必ず捕まる、と考えてするべきだろう。もう殆どの犯罪者は捕まっている。これだけ防犯カメラがとりつけられたり、優秀な警察官らが捜査するのだから、つかまえられるのは当然だろう。

昔から泥棒などは、よくあったのだろうが、子どもも結構万引きという窃盗をしていたようだ。小学生のとき、一緒に遊んでいた近くの旅館のA子ちゃんが、瀬戸もの屋の店先に並んでいた可愛い魚の箸置きを手掴みにして服のポケットに入れた。驚いた私は、「そんなことしたらだめ」とも言えず震えていた。家に帰っても、親にもよう言わず、 黙っていた。言ったらA子が悪い子と言われ、「そんな子と遊んだらいけない」と言われそうだった。A子ちゃんは、遊んでいる最中に、家のお酒をコップに入れてきて飲んだりもした。市内の歩道は、けっこう道幅が広かったので、ケンパとか石蹴りなど、いろいろな遊びをしたのだが、輪ゴムをゴムとび用に鎖状に編んだものなどは、「頂戴」と言って、持ち帰られたものだ。三つ子の魂100までとか言われるが、環境がよくなかったのだろうから、今は立派な社会人になっているのだろう、と思いたい。

戦後は、生きて行くために、ヤミ取引や泥棒などは日常茶飯事だったが、そんな時代も体験して来た者としては、平和を守り復興のため、髪振りみだして働いてきた世代の方たちが、「安心して暮らせる老後」であってほしい。国の政治というのは、そういうことを大切にやっていくことだろう。

 

2019年6月10日月曜日

№1253  梅干し


  買い物袋から品物を出して冷蔵庫を開いたとたんに、梅干しを買って来るのを忘れたことを思い出した。梅干しにも、ピンからキリまであるのだが、私は高級品にはあまり手が出ない。立派な美味しそうな梅ではなく、やや小粒の塩分5%というのを買っている。それくらいが食べきれるし、口に合うのだ。梅の産地が中国だろうが日本だろうが、そんなことは、もうどうでもいい。88歳の老婆がひとりで口に入れるのだから。

 梅干しというと、思い出すことがある。小学生の頃、家の前にアルミの弁当箱の落とし物があった。小学生のものらしかった。しばらく外に置いて、落とし主が来るのを待っていたらしいが、だれも来なかったという。中をみたら、それは「日の丸弁当」だった。梅干し1つ入っているだけの弁当である。その時代でも、粗末な弁当の代名詞だった。別のおかず入れなど無く、弁当箱の片隅に細長いおかず入れが付いていた弁当箱だ。「せめて漬物か海苔でも敷いてやればいいのに」と、家族が言っていたのを憶えている。

 以前聴いた話だが、昔、梅干しは大変貴重なもので、庶民の口には、めったに入らなかったとか。薬扱いだったらしい。それも〝見る薬〟で、お膳の上に乗せて、時々見ながらご飯を食べたら、むせたりしない、ということで、笑い話のような話である。

それにしても、最近のお弁当は、けっこう豪華になっている。TVでお弁当を披露している番組等観ていると、手間とお金をかけている。 戦中戦後を体験して来た者にとっては、本当に日本はいい世の中になったと思う。外国には、まだまだ食べ物に不自由している子どもたちがたくさんいるというのに、あるとろでは、賞味期限近いといって、まだ食べられる弁当を捨てている。こんなことがあっていいのだろうかなあ・・・。

 

2019年6月7日金曜日

№1252  天気予報


  親切な天気予報に、どれ程の人が助けられているだろうか。傘の種類までも教えて頂けるのだから有難い。昔は、ちょっと傷み掛けた食べ物を口にする時に、「天気予報天気予報」と繰り返し言って食べたものだ。「天気予報なんか、当たらない」ということでのおまじないだった。

 最近のお天気は、何となく不気味である。私が子どもの頃住んでいた北海道の帯広が、今や徳島よりも暑い日があったりするのだから驚く。30年まえに訪れた帯広は、ホテルにもタクシーにもエアコンは付いていなかった。必要なかったのだ。真夏の昼間が少々暑くても、夜がくると、お蒲団は掛け布団二枚重ねだった。

 こうした変わりようも、温暖化ということなのだろうが、ただ温暖化したというだけですまされない異状気象があちこちで起こりだすと、これからのお天気がどうなるのかと、心配だ。孫や子がこれから先長く生きて行かねばならないのだから・・・。

 私たちが、どうすればいいのかと考えても、なかなか今の生活を昔に戻すことは出来そうにない。ただただゴミを出さないように、と言うくらいしかできそうにない。環境に良いという車に買い替えることも中々出来そうにない。歩いて行けるところは歩くことくらいである。それも、買った荷物を持っては歩けない、ということになれば、車のお世話になるしかない。古女がこんな心配しても、どうにもならないことだけど・・・。