2014年5月31日土曜日

去る五月


まるで真夏日のように暑い一日でした。朝から、あちこちの田植機の音が聞こえていたので、「ああ、もう田植えがはじまったな」と思いつつ、外には出ずじまいの一日でした。少しばかり腰の調子が悪いものだから、外の仕事をしなかったし、買い物にも行かずに、台所と机の前の仕事に精を出していました。

しかし、こうした一日というのは、足腰には良くないらしく、夕方からは、ちょっとへっぴり腰で椅子から立ちあがっているのです。

今年も6月の末に開く同窓生でつくる【友の会(53名)】の同窓会があります。その案内の往復はがきの返信が、ここ5日ほどの間に半数ほど届いています。同期生ばかりなので、ほとんどが83、4歳ですから、昨年よりも出席者が少なくなることは否めません。
今のところ、欠席は5名。出席者が20名近いので、確率からいうと、トシのわりに元気者が多いように思われるのですが、実は平成23年6月の同窓会(25回)を最後に120名ほどの同窓会は、もうトシなので、ということで解散しました。しかし、元気でいつも出席しているような連中が、「まだまだ集まろうよ」ということで、57名の方たちで【友の会】というのをつくったのです。
それでも、1年後の第1回目の友の会は、43名ほど出席出来たのですが、昨年は36名となりました。会員も53名に減少しています。中にはまだ活躍なさっている方もいて、会議があるとか、来年は行きますとかおっしゃる方もいるのですが、やはり足腰が……とか、遠方なので……とか、もう無理だ、と言う方が出始めました。それは仕方のないこととは思いますが、【健康寿命をのばそう】ということからも、こうした機会には、「楽しみにしていました」というくらいに、少々足腰が痛くても、是非出掛けてきてほしいものです。

明日は衣替え。温暖化もあってか、ちょっと夏が早くなったようなこの頃ですから、衣替えも早くしたほうがよいように思います。ま、最近は、季節に関係なく、何でも自分の思うような服装で闊歩出来ますし、学生さんも、黒い学生服やセーラー服は、早めに脱いでいるようですが……。

あっ、もうすぐ、日付けが変わりそう。明朝は、5時半からの毎日放送の時事放談を見なくちゃなりません。仙谷由人氏と、自民党の副総裁高村正彦氏が、御厨 貴氏の司会で「攻撃に反撃」ということで、話されます。朝はやいのですが、仙谷党員の私としましては、ぜひ見なくっちゃあ。(笑)

 

 

2014年5月29日木曜日

集団的自衛権


国会では昨日、衆議院予算委員会で【集団的自衛権】の行使容認などをめぐって、集中審議が行われましたが、野党それぞれが、団結して、安倍政権をどうこうしよう、ということは、簡単ではなさそうです。野党内でも意見は割れているようです。安倍さんに近いのが維新やみんなの党のようですが、ただ、この問題は、大きな問題です。極端ないい方になりますが、戦争に引きずり込まれる、という可能性だってある問題ですし、反対に、いきなり爆弾を投げ込まれるかもしれない国の問題ででもあります。どのような形で国を守るのか、ということは、ただ平和平和と叫んでいれば良い問題てもありません。

このような大きな問題を、自民党だけで決めていいのでしょうか。数は少ないかもしれませんが、国会議員と言うのは、国民の代表です。とことん、議論をしてもらいたいと思うのは、多くの国民の思いだろうと思います。

最近の安倍さんをみていますと、ひどく自信にみちていて、【そこのけそこのけお馬が通る】というような感じを受けます。立て板に水を流すような答弁は、心のこもらない答弁にも聞こえます。

私たち市民には、深く考えて、最良の道を考える、というのは難しいことです。ゆえに、議員殿に託しているのです。時間をかけて、真摯に議論していただきたいものです。

2014年5月28日水曜日

主婦・職業婦人


こんな会話が耳に入ってきた。

A「今の時代はいいなあ。昔は働き手が男に限られていたから、女はどんな苦労があっても自立できなんだから辛抱した。離婚なんて、考えもしなかった。私の親なんか、そんな感じやわ」

B「今はちがう。家、空っぽにしても、皆働きたがっているなあ」

C「いや、働かざるを得ないんだわ。父ちゃんの働きだけでは、喰っていけないんだ。子どもを他人に任せて働くなんて、つらいでよ。特別な自分の特技を生かした仕事でもするんなら別やけど、誰でも出来る単純作業しか出来ない女に、子ども預けてまで、働く喜びなんてないわ」

……ふと思った。

そういえば、私も仕事が生き甲斐というよりは、子どもが出来てからは、家庭の主婦にひどく憧れたのだ。仕事を止めたら、生活が成り立たなかった。そんなとき、夫は言った。「わしの給料が、1万円になったら、やめてもやっていけるやろなあ」と。事実1万円になった時には、「給料2万円になったら、止めてもいけるやろなあ」そして2万円の時代になると、5万円になったら、10万円になったら……と。(笑)

給料が上がっても、物価もあがっていて、一人の給料では、家族を養うことは難しかったのだ。その上、3種の神器などといって、次から次へ、新しい便利な電気製品が出てくるので、それを月賦で払いながら、結構苦しい生活だったのだ。

私は、平凡を絵に描いたような女だつたので、自分の才能と呼べるようなものはなかったし、ただただ、子育てや家庭の主婦業に憧れたものだった。あまりにも、主婦と職業婦人の両立が忙しく、疲れ果てたこともあったのだが……。

今思うと、そうした苦労のおかげで、老後の生活も何とか自立できているし、昔の苦労のおかげで、今の幸せが増幅されている、ということにもなっているようだ。

終わり良ければ全て良しとも言うが、若い時の苦労無しの生活から、老いて苦労する、というのはちょっと敬遠したい。昔の人は「苦労は買ってでもせよ」といったが、それは、今も通用することだと思うものである。

2014年5月26日月曜日

思い出ノート


探し物をしていると、いつも思うことがある。「ちょっと整理せなあかんなあ。いらんもんが、ようけ溜るっとる」とか、「大事なものは、どこにつまえたか、書いておくノートを、別に作っとかなあかんなあ」と。ま、こんなことを思うくらいなので、探し物は、なかなか見つからないのが常である。(笑)

ということで、ちょっと時間があいたので、さっきは、滅多にさわらない古い本箱の引き出しを整理していたら、昔のノートが出てきた。表紙は布張りで、色がハゲ落ちている。いかにも大事なことを書きとめてあるようなノートだが、そんな記憶はない。ちょっとしたことを、作文風に書き記したものだ。拾い読みをしていると、出てくる出てくる、もくもくと玉手箱のように、当時の様子が立ち上ってきて、とめどもない。

可笑しいのは、自分では、【私は気が長い。めったに腹を立てたりしない性格】と自負していたのだが、そんなこともない。けっこう腹をたてて、怒りをぶちまけているのだ。(笑)

まあ、若かったということもあるのだろうが、今なら、それくらいのことで目クジラをたてないだろう。

思い出とはいいものだ。悲喜交々の思い出も、年月の衣をまとうと、それなりに熟成して、ほとんどが美味しい思い出となっていく。寝たきりになっても、こうした思い出の箱を紐解いてひと時を楽しむことが出来ればと思う。

 

2014年5月25日日曜日

映画【ペコロスの母に会いに行く】


今日は、町民シアターで行われた【ペコロスの母に会いに行く】という映画を観に行きました。ペコロスというのは、小さな玉葱のことですが、息子の頭が玉葱のようにつるつるということで、こんな分かりにくい題名になったようです。

認知症になった母と頭の禿げた息子を中心に描いたこの作品は、昨年の11月に、封切られていて、かなり有名になっていましたので、チャンス到来と足を運びました。

もう89歳になったという女優赤木春恵さんが、この映画が初主演だそうで、迫力ある演技を見せてくれました。

原作は、長崎在住の漫画家・岡野雄一氏のエッセイマンガ【ペコロスの母に会いに行く】とい本で、今はベストセラーになっているようです。ご自身の体験をもとに、深刻な社会問題となっている介護や、認知症という日常の問題を、喜劇風に映画化されています。

やはり、こうした映画は身につまされますし、共感と感動はつきものです。

家でひとり留守をさせられなくなった母親を、グループホームに預け、逢いに行くのですが、息子を怖い人と思ったり、誰なの?と言ったりするようになる母を、何とも言えない気持ちで見つめる息子の落ち込みは、よくわかります。私も昔、母が脳梗塞のあと、だんだんと認知症になっていくのを目のあたりにして、涙をこぼした経験があります。

しかし、息子は最後に言いました。〝ボケるとも、悪かことばかりじゃなかかもしれん〟と。昔の楽しかったこと、亡き夫や、幼さな友達と再会する幻想。そんなときの母親の顔は、幸せそうなのです。

とは言いますものの、やはり、大変なことには間違いありません。できることなら、親も子も、認知症とは、ご縁のない一生をおくりたいものと、つくづく思いました。

 

2014年5月24日土曜日

教え子


教師という仕事をしていた者は、【教え子】という呼び名の子どもがいる。何十年もの間、入れ替わり立ち替わり教え子は、はなれていくのだが、出来のいい優等生もおれば、そうではなかった子もいて、何となく心配というか、どんな暮らしをしているのかと、気になることは、よくある。色々と問題を抱えていた子どもについては、特に気になることが多い。

昔、同じ日に、二人の教え子に会ったことがある。最初にであったのは、頭脳明晰の優等生だった男の子。逢うなり「ゴマメ先生、じゃないですか。お久しぶりです。A男です」と懐かしそうに声をかけてくれ、しげしげと私の顔をみながら、「先生、ちっともお変わりないですねえ」と、嬉しいお愛想を言ってくれた。5分ほどの立ち話をしながら、立派になったAに、当時の顔を重ねながら、とても嬉しかった。

ところがその日の帰りの汽車の中で、座っている私の肩をポンと叩き「ごまめ先生、こんにちは。ぼく、憶えとるで?」と、声をかけてきたB助。憶えとるもなにもない。長い教員時代で、悪さと勉強嫌いでは、王様か金かという駒である。「忘れるもんですか。よう憶えてますよ」と笑うと、「センセ、トシとったなあ。始め、だれかと思ったわ」と、これまた正直な感想を言うではないか。「学校では、ウソばっかり言うて、先生を騙してばかりいたけど、今日は正直なこと言うてくれたなあ」と私もやりかえして、二人で大笑いした。

仕事のことを聞くと、何となくウソっぽいことを言うし、結婚したけど、追い出したなんて言うので、逃げられたのかな、なんてまた心配が増えたような気分で別れたのだ。

その後、何度か私の家に遊びにきたのだが、そのたびに何らかのお説教をしなくちゃならなかった。調子のいいことを言ってるかと思うと、馬脚を現すものだから、つい、言いたくないことも言ってしまう。いつまでも、教え子というカセから外せない子だった。

その後、風の噂によると、B助の母親は、母親としての愛情を持って居なかったことが分かった。そうしたことを知らなかった私は、若かったとはいえ、教師としては失格だつたと思う。当時、そうしたことに気づいていたらと思うのだ。

ともあれ、人間相手の仕事には、喜びも大きいが、心配ごともあるものだ。それぞれが、真面目に頑張ってくれることを幾つになっても願っているものである。

2014年5月22日木曜日

嘘の天才


遠隔操作ウイルス事件で、片山祐輔被告の嘘がばれて観念したのか、【自分が犯人】ですと告白した、という事件がありました。主任弁護人の佐藤弁護士は、片山被告については信じていたらしく、真犯任と名乗ったことで、ひどくショックを受けながらも、「悪魔が仮面を被っていた」とまで厳しく表現していました。また、「嘘の天才というのか、嘘をつくつもりもなく嘘がつけてしまう。どうやってこの人格ができたのかわからない。片山の中にまったく別々の人間が存在しているというよりも、悪魔に支配されているとしか言いようがないです」とまで言っています。

まあ、世の中には、嘘の天才とまではいきませんが、嘘ばかりを言って暮らしいいる悪い人間もいて、この世から、犯罪は無くならないのですが、こうした人たちは、生まれついての嘘つきなのでしょうかねえ。

私の小学校の2年生だったと思いますが、隣の席のA子ちゃんは、嘘つきの天才のような子で、私はよく騙されてばかりいました。「家に猿を飼っているから、いっしょに帰ろう。見せてあげる】と言われ、反対方角というのについていくと、家の近くまでくると、「忘れていたけど、お猿は親戚の人が、昨日連れていったので、いない」と、言うものですから、私はひとり、とぼとぼと回れ右して家に帰るのです。その子は、ひとり帰るのがイヤなので、私を家の近くまで誘ったのでしょう。でも、次の日は、また、昨日の猿が、もどったというのです。私はまたついていき、家近くまでいくと、また猿が逃げていなくなった、と言うのです。家に帰って母や祖母に、「かくかくしかじか」と、遅くなったわけを言うと、「騙されているのだから、もう行ったらだめだ」と言うのですが、私は、やはりA子がそんな嘘など言うはずがないと信じていましたし、お猿が見たくて3度も行ったのです。2、3日すると、こんどは、サーカスの像が近くにきたから観に行こう、といって騙されました。

今から思うと、それはそれは子どもながら、立て板に水を流すように、猿や、像のことをしゃべったりするのです。話を聞くだけで面白い子でしたので、騙されたと知っても、恨むことはありませんでした。さすがに像で騙されてからは、親の言ったことを信じて、その後は誘われてもついて行きませんでしたが。(笑)

祖母は、こんな私を「この子はお人よしにもほどがある」と、情けないというように叱るのですが、本人は、そうは思っていませんでしたから、何と言われても平気でした。ま、それがお人よしということなんでしょうか。

今ごろは、A子さん、どんなお婆ちゃんになっているのかしら?と思ったりしています。やっぱり嘘つき婆さんかしらねえ。ふふふっ。