2014年5月24日土曜日

教え子


教師という仕事をしていた者は、【教え子】という呼び名の子どもがいる。何十年もの間、入れ替わり立ち替わり教え子は、はなれていくのだが、出来のいい優等生もおれば、そうではなかった子もいて、何となく心配というか、どんな暮らしをしているのかと、気になることは、よくある。色々と問題を抱えていた子どもについては、特に気になることが多い。

昔、同じ日に、二人の教え子に会ったことがある。最初にであったのは、頭脳明晰の優等生だった男の子。逢うなり「ゴマメ先生、じゃないですか。お久しぶりです。A男です」と懐かしそうに声をかけてくれ、しげしげと私の顔をみながら、「先生、ちっともお変わりないですねえ」と、嬉しいお愛想を言ってくれた。5分ほどの立ち話をしながら、立派になったAに、当時の顔を重ねながら、とても嬉しかった。

ところがその日の帰りの汽車の中で、座っている私の肩をポンと叩き「ごまめ先生、こんにちは。ぼく、憶えとるで?」と、声をかけてきたB助。憶えとるもなにもない。長い教員時代で、悪さと勉強嫌いでは、王様か金かという駒である。「忘れるもんですか。よう憶えてますよ」と笑うと、「センセ、トシとったなあ。始め、だれかと思ったわ」と、これまた正直な感想を言うではないか。「学校では、ウソばっかり言うて、先生を騙してばかりいたけど、今日は正直なこと言うてくれたなあ」と私もやりかえして、二人で大笑いした。

仕事のことを聞くと、何となくウソっぽいことを言うし、結婚したけど、追い出したなんて言うので、逃げられたのかな、なんてまた心配が増えたような気分で別れたのだ。

その後、何度か私の家に遊びにきたのだが、そのたびに何らかのお説教をしなくちゃならなかった。調子のいいことを言ってるかと思うと、馬脚を現すものだから、つい、言いたくないことも言ってしまう。いつまでも、教え子というカセから外せない子だった。

その後、風の噂によると、B助の母親は、母親としての愛情を持って居なかったことが分かった。そうしたことを知らなかった私は、若かったとはいえ、教師としては失格だつたと思う。当時、そうしたことに気づいていたらと思うのだ。

ともあれ、人間相手の仕事には、喜びも大きいが、心配ごともあるものだ。それぞれが、真面目に頑張ってくれることを幾つになっても願っているものである。

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