2016年2月6日土曜日

№1023 失うもの得るもの


  ある友人がよく言います。『トシをとるって、こういうことなのかと、つくづく思う』と。それは、言うまでもなく、心身の変りようを言うのですが、いいことはなく、失っていくこと、悪くなっていくことが多くなってきたということです。この前まで出来たことが出来なくなったり、忘れることが多くなったりと、トシをとらなければ感じられないような悲哀に出合うのです。ま、自分の限界というか、行き止まりの立て札が目につき始めるわけです。

こうした変化は、どれも突然ということではなくても、スローモーションではありますが、実感として分かります。自分がこのトシになって初めて分かったものではありません。こうなることは、だれでも想像は出来ていました。でも、実際そういうことにならなければ、本当のことは分からないものです。歩き方一つにしても、足の重さがちがってきます。昔TVで、若者に【○○歳になったらこういう足になります】と、重りを足に巻きつけて教えていましたが、その通りで、膝が悪くなくても若者のように走れないのは、足に重りをつけているようなものだからです。

ただ、失うことばかりではない、というのも事実です。今だからこそ見える、ということもありますし、このトシだから楽しめる、ということもあるのです。

また、欲が無くなると言うか、自分を知ることが出来、諦めることも出来ます。「これぐらいでちょうどいい」と思えるのは、幸せだということでもあります。

お年寄りの多くは、自分の生活に満足しています。他人がみますと、『あんな不便なところで、しかも腰を屈めて野菜など作って大変なことだろうなあ……』というような方たちでも、幸せそうな笑顔です。

あ、それから私のことを申しますと、口ではなんのかんのとよくトシのことを言いますが、本心は、トシには割と無頓着なんです。無頓着になれる、というのも、トシの功かもしれません。何をするにも、あまりトシのことは考えませんから。(笑)

4 件のコメント:

  1. わたしに取ってのトシを取ると言う事は、過去の思いでがイッパイイッパイ溜まってきている、と言う事です。 小学校の横を通れば、子供たちが小さかった頃がいろいろと頭をよぎり、近くの山に登れば、二十歳の頃父母と登ったことを必ず思い出し、前職の後輩に会えば、当時の仲間や仕事の内容が思い出され・・、毎日のようにいろんな思い出が、何時も小さなキッカケで心の中に滲み出てきます。
    そして年月が過ぎるに従って、イヤな思い出は影が薄くなり、良い思い出が心の大部分を占めてきているように感じられます。 
    そんな想い出の上に立って、毎日コツコツと仕事をしているのですが、これが、若い頃には考えもしなかった、トシとってからの現象なんです。

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    1. いいですねえそういうトシの取り方は。私はk0gaさんよりずっと年寄りなんで、思い出は、たくさん忘れました。(笑)
      現実のことが頭の中でくるくると……。
      最近は、自分はむろん、仲間や教え子のことで、心配したり、悩んだりしてます。

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  2. いい思い出だけが残るなんてkogaさんお幸せですねえ。私の年になりますとね、、思い出そのものが淡く頼りなくなるんですよ。どうでもよくなってしまいます。欲もすっかり萎んでしまいます。人と張り合うという気持ちもなくなります。

    もっともこれは人によるのでしょうね。ディサービスに来ている人を見ていると若いころの自慢を繰り返している人もいますから・・・

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    1. 私も自慢したいけど、なーーんもないわ。
      自慢と人の悪口言うのが趣味という年寄りは、長生きできそうね。(笑)

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