2016年3月30日水曜日

№1039 死ということ


今年になって、同級生3人が亡くなられた。3人ともが男性で、やはり平均的に男性はお先に逝くようだ。

このトシになると、そういう訃報を耳にしても、悲しみとか、お気のどくというような気持は、ほとんどわいてこない。寝たきりだった方の訃報などは、「ああ、やっと安らかに眠ることができたわねぇ」の気持ちになる。寿命が延びたとはいうものの、100歳まで生きて頑張れる方は、そう多くはないのだから、いずれ自分の番が近いうちにくることを認識し、ちょっぴり落ち込むだけである。

最近、【死】ということについて色々と考えさせられている。と言うと、いかにも哲学的思考みたいだが、そうではない。今考えているシニア劇の中で、【死】の問題を皆が語る場面を想定してのことだ。死を怖がる人、怖がらない人、色々な考えがあるだろうから、自分一人の考えでは書ききれない。『死が怖い。どうしたら、怖くなくなるかしら』などと問われると、まともに答えることは難しい。ある人は、宗教で、或いは強い意志で、などなどあるだろうが、私には宗教もなく、強い意志もない。『生まれたら死ぬのは当たり前。皆、死ぬんだもの、考えたって死ぬ時は死ぬ。考えなければいいんだよ』ぐらいだ。でも、ちょっとは真面目に考えようと思うのだ。今のように漠然と死を考えていては、筆が進まない。荷が重いなあと、思っているためか、最近首と肩が痛い。(笑)

6 件のコメント:

  1. 生とは死とは、人生とは人間とは何か
    それらに対する正解はないと考えます
    答えのない疑問を考えれば、まあ頭の体操にはなるでしょうが・・・
    分からないことを分からないままにしておくのも
    人間の知恵ではないでしょうか。
    死とは何かは死んでから考えてもいいような気がします
    いまだ生を知らず、いずくんぞよく死を知らんや

    私は、ゴマメさんが修学旅行の費用が払えない教え子の家に
    お金を持っていった話が泣けてなりません。
    人生は解明するものでなく、味わうもののような気がします


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  2. 解らないままに……そうですね。正解はないでしょうから。
    修学旅行の話、うーん、書いたのかな。よく似た話が幾つかあるので、どの子のことを書いたのか、忘れています。(^^;;
    修学旅行や、遠足に行けない子のことを思うと、たまらなくなります。大きくなって多分、、何とか幸せに暮らしていることと思います。ま、今だに手を焼かせている子もいますけどね。(笑)

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  3. そうですねぇ。 人間もゴキブリも蚤も、同じように寿命が来たら死にますね。 わたしは植物関係の仕事ですから、多くの生き物を育てていますが、3年5年10年と、毎年先を見て育てていますので、自分の寿命を考えたら仕事ができません。 先先を見て、体が動く間は仕事をしていたら、何時の間にか途中でチョン、となる。 これで良いのだ、と思いますよ。

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    1. そういうことですね。生まれるのも、逝くのも、…まかせですものね。

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  4. [誰も分からない、分からないことは考えるな」お釈迦様のお言葉だそうです。死については考えないのが正解なんでしょうね。生死は仏様の領分、人間が考えてどうにかなるものではないそうです。ほとけさまが程よい時にほどよい所で命を預け、程よい時に引き取って下さる。お任せするのが1番だそうです。

    以上は、ひろさちや氏「仏教的生き方のすすめ」に書かれています。私はそれを信じています。

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    1. 考えてもしかたのないこと、考えない、は正解なんでしょうね。
      ただ、死をどう考えるか、ということで、生を考えたり、どう生きるかと、考えるることは、大切なんでしょうが。

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