2016年10月20日木曜日

№1094 胎教


  №1086 9/27 に挙げたはずの【胎教】が挙がっていなかったので、再度、投稿しておきます。
お医者さんは、【胎児は、33週から、音を感じる】と言っている。この世に生まれてくるまでの母親の体内での経験など、自分では記億がないので、真っ暗闇の中で、ことばも知らず、ただただ動物的な本能で生きているように思えるのだが、決してそうではないらしい。母親の心臓の音を録音しておき、子どもが不機嫌のときにそれを聴かせると、静かに寝るという話はよく聞く。

私の初孫が、やっとコトバをしゃべり、ちょっとばかり色々なことを知り始めた頃、「ママのお腹の中で、何してたの?」と聞いたところ、ちょっと考えて「お水遊び」と言ったのには驚いた。それから10日程して、同じことを聴いても、同じ答えだった。胎内での記憶が、まだ残っていたのだろう。その後、半年くらいして尋ねたときには、「憶えていない」と言う答えだった。尋ねるチャンスは、短い時期しかないようで、下の孫の時は、そのチャンスは残念ながらはずしてしまった。

孫のママは胎教もあったのだろうが、音楽好きなので、いつも美しい音楽をかけていた。おかげで孫たちは、音楽は好きで詳しい。上の孫は、音楽家の道半ばである。

私などは、音楽とは、まったく無縁で大きくなった。家では、蓄音器があったが、祖母のためか?父はよく義太夫や、浪花節のレコードを買ってきたし、童謡のレコードは、あったのかもしれないが、何の歌だったかの記億もない。ただ、東京音頭は、よくかけた記億がある。学校では、小学唱歌と軍歌であるし、和音を聴いて、「ハホト」(ドミソ)「ハヘイ」(ドハラ)と、聞き分けるくらいのもので、それも、敵機の音を聞き分けるためとか聞かされていたから、笑うにも笑えない。
そんな教育のおかげで、この頃のややこしい歌など、幼稚園児が歌えるようなものでも歌えないというお粗末さだ。親を恨むわけではない。平凡な家庭にとっては、そんな時代だったのだから。
録画してあった日本の名曲などを聴きながら、思ったことである。

*こういう古い話を書くとき、不安になる。それは、「こんな内容、以前書いたような気がする、と思うのだ。何しろ、1000回以上書いてきたブログなので、調べてみることも大変だ。思い付くままに、書くので、2度3度とよく似た話も出てくるだろうが、お聞き流しいただけたらと思う。

4 件のコメント:

  1. ごまめさん 何度書かれても興味深く読めますよ。 胎教は、わたしにとっては縁が無かったのでしょうが、高校生の頃、親戚のオーディオマニアの人に誘われて、クラシック音楽を聴き始めました。それ以来未だに良く聴いていますが、元々音楽が好きになる遺伝子があったのでしょうね、洋楽は大体何でも聴くのが好きですね。ジャズやシャンソンやロックやポピュラーやカントリーも良く聴きますし、それらの歌手やバンドを描いた映画も好きなのが多いです。
    中でもモーツアルトを描いた「アマデウス」等は良かったですよ。 子供の頃はラジオから流れる浪曲も好きでした。廣澤寅蔵や女の浪曲師など、も良く聴いていましたね。 ただ小学生の頃、ラジオからよく流れていたマリアカラスの声だけは良さが解りませんでした。 未だに女性ソプラノは苦手です(^^;

    返信削除
    返信
    1. 音楽大好きという方は、多いですが、クラシックは、やはり耳もよく、遺伝子も関係あるでしょうね。私は、耳も遺伝子もダメですが、聞くのは好きです。でも、分からなくて聴いていますけどね。

      削除
  2. 胎児期の記憶が出生後も残るというのは初めて知りました。驚きました。ごまめさんとこの音楽環境は遺伝があって胎教があってという事なんでしょうね。

    この文章とても興味のあることが書かれていて、挙げられてよかったです。他人の目も必要ですね。

    返信削除
    返信
    1. 気がつかずに終わるところでしたものね。bagusさんのおかげです。(^^)
      お水遊びと聴いたときの感激というか驚きは、忘れていません。タイミングがよかったのですね。三島由紀夫゛したかしら、産湯の記憶があって、盥のふちに、明るい太陽の光のようなものが当たっていたとか、読んだことありましたから、幼いときの記憶も、忘れないうちに、何度も思い出していると、大きくなっても憶えているのでしょうね。

      削除