2016年10月23日日曜日

№1095 ご馳走様


  最近の子どもたちの給食には、和食と言われているものがほとんどなく、家でもあまり食していない、ということが、TVで放映されていた。ほとんど和食ばかりを食べている私めとしては、「えっ?」という思いなのだが、ともかく油ッ気の多い炒めものや、フライにしたものなどが多いのだろう。

 ある学校給食を和食の達人がご指導して子どもたちに食べさせている風景が写されていたが、そのとき、「ご馳走様という感謝の心」について語られていたのが心に残った。ご馳走さまの【馳走】というのは、馳せ走りまわる、即ち一生懸命に仕事をしている姿のことで、お百姓さん、漁師さん、品物を売る人、料理を作る人、などの大勢の人たちの働きによって、私たちの口に入るので、そのことに感謝をして「美味しく頂きました。有難うございました」ということですと指導なさっていた。

 これを聴いて思い出したことがある。以前、ある先生が、給食指導のとき、「いただきます」「ごちそうさま」を言わない子どもに、有難うの感謝の気持ちを教えて「家でも言いましょうね」と指導した。ところが、家に帰って母親にそれを言ったらしい。次の日の給食時、子どもは、「かあちゃんがな、給食費ちゃんとはらってるんやけん、そんなこと言わんでもええって言うた」と。

 思い出しても笑いたくなるような母親の教育だが、……いや、笑っちゃいかんけど、こんなマンガのような母親の子の教育の難しさは、よく解る。

現場を離れて幾久しいが、こういう親ごさんは、幸いにしていらっしゃらなかった、幸せな教員時代だった。 

 

3 件のコメント:

  1. 戦国時代、城攻めに加勢することを「馳走する」と言ったそうですね。

    ごまめさんが教職にあった頃、と今の学校現場とでは天地の差だそうですよ。
    体操服が汚れているので、「今度洗ってもらってね」と子供に言うと、母親から電話がかかってきて、「学校で汚れたんだから先生洗ってよ」と怒られるそう。今の先生、みんなノイローゼになりかけだって娘の話です。

    大分前に聞いたのですが、給食費を払ってくれないので先生が貰いに行くんだとか。行ってみると母親はおしゃれして、これからバレーのお稽古だという。給食費を頂きたいというと、「義務教育でしょ。国が払って」「親が何をしようと親の自由よ」みたいな感じで歯が立たない。と嘆いていました。日本の国どこで道あ違えたんでしょうね。

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    1. おっしゃるとおりの現実らしいですよ。ま、そういう親は少ないのですが、めずらしくはないのでしょうね。もう、先生を敬うなんて、親も子も考えてもいないでしょう。病欠している先生のほとんどは、心を病んでいる先生でしょうね。困った国になりましたね。

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  2. わたしたちが小学生の頃の給食は、脱脂粉乳とコッペパンでした。以前「わたくし脱脂粉乳の味方です」と言う文を書いたことがありましたが、当時の子供はほとんど皆「美味い美味い!!」と言いながら、嬉々としてそれらを食べていたものでした(医者の子供など、少数の例外以外は)。 それが後年、大人になってからは「あの当時の脱脂粉乳は不味かった」などと言ってる姿を、時として目にしたものでした。
    大人になって贅沢ができだし、口が肥えてから後、あの貧相な給食を讃えることに、何か自尊心が許さなくなったのでしょうか。
    当時給食費を払えない家庭の子(本当に貧乏で)にも、給食は行き渡っていましたが、中学生に成って、弁当に替わってからは、弁当を持ってこれない家庭の子供も何人か居ました。 そんな子の多くは、お父さんが戦死した家庭の子供でした。
    そのような、わたしたちの時代の子が大人になり、子供を育てて来たのですが、丁度孫たちが小学生位になっています。
    戦後直後から数年後生まれの、わたしたち親たちの、子供に対する躾や教育のあり方に、何か間違っていたことが有ったのでしょうね。
     

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