2016年11月17日木曜日

№1102 月


 11月の1415日にかけては大きなおz月さんが見えるということだったが、雨であったし、十六夜の月も見ることができなかった。私たちが神秘な世界と思っていたものが、数学の図式のように解きあかされていく現代だが、やはりお月さまは、かぐや姫じゃないが、殺風景な月面は似合わない。昔、はじめて人間が月に着陸した時の興奮は今も忘れられないのだが、人間のすばらしさとともに、月への夢はかき消されてしまった。 
月への夢なんて言っているのは、我々の年代だけかもしれない‥‥。あの月世界着陸のテレビを職場で子ども等と見たのだが、家に帰ってからも、ただただ「すごいすごい」と感嘆しているいる私のそばで、息子は、
「ぼくは、まだ誰も月の世界へは行ったことがない、と知ったときの方が驚いたなあ。だから、人間が月ぐらい行って当然という気持ちが強いから、かあちゃんほど感激しないなあ」
と言ったのだ。月には兎が住んでいる‥‥と、私は小さいとき思っていたのだが、息子の世代は、月の世界は科学の世界なのだ。子ども時代に読んだ絵本や雑誌の違いだろう。

 とは言うものの、科学がどんどん発達していくと、反対に宇宙や自然の神秘にいやおうなく感じ入ってしまう。突き詰めれば突き詰めるほど、謎めいた自然の法則が、神秘のベールにつつまれて浮かび上がってくるのだから、この世は不思議である。

 始めて月にいった宇宙飛行士が、地球に帰還してから神を意識したり、キリスト教の伝導者になったなどというはなしを聞いたことがあるが、科学ばかりがこの宇宙を支配しているのではないことを知らされた思いだ。余談になるが、最近ある番組で、宇宙に暫くたいざいして地球に帰ってくると、立っては歩けないほど、筋肉がなくなっていて、リハビリをしなければいけないらしい。無重力での生活は、いくら動いていても、身体をうごかしていることにはならないらしい。

 それにしても、私個人としては、科学なんて何の知識もない。小さなねじ釘一本作ってみよと言われても作れないのだ。ほとんどの人がそうだろう。それなのに、みんな科学のおかげで大そうな生活をさせてもらっているのも、これまた不思議なものである。世の中には、頭のいい研究者がたくさんいらっしゃる。そんな頭を、悪いことに使う人もいるのも現実だ。地球を人が住めなくしてしまうのも、人間のしわざなのだから……。

 

4 件のコメント:

  1. ここでごまめさんやmimiさんとお話しできるのは、何はともあれ科学のおかげですね。わたしにとってはとても貴重な場所のように思います。
    わたしも思うのですが、例えば1000年前の世界に、わたしが放り出されたとしたら、随分生きていくのに苦労すると思うのですが、その付近の野良犬(最近は少なく成りましたが)にとっては、大したことでは無さそうに思うのですね。(そういえば座敷犬などは、やはり少しは苦労しそうですが・・)
    そうしてみますと、長い歴史の中で、人間だけが随分、生活(生息)様式が変わって来ているようですね。結局、より便利に・・と追及して来た結果が、こうなって来ているのでしょうが、便利を追及する余りに、手を付けてはいけない原子力に手を付けたり、温暖化と言う、足元を揺るがすような問題を引き起こしてしまいましたね。これからが人類の知恵の絞り所なんでしょうが、楽を選んだ結果だけに、なかなかそれらの解決にも紆余曲折がありそうですね。

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    1. この半世紀のあいだには、想像もしなかった生活ですよね。これ以上の発達は、もう不要。人類をほろぼしてしまいそう。いずれは、人類滅亡の時はくるでしょう。いや、お金持だけが、ノアの方舟ならぬ宇宙船でどこかへ飛び出して生きるかもね。

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  2. 確かに科学は人間の生活を変えました。より便利に、より快適に、より長寿に。。私たちはその恩恵を受ける最後の人間かも知れません。これ以上科学が進むと、どうなるか誰にもわかりません。未来が予測できないのは不安で不幸のもとになるかもしれません。

    肝臓の移植を外国でするからと、偽の募金を始めた人がありました。これなど起こるべくして起こった事件ですね。部品を取り換えて長生きして行ったら、人間は幸せになるでしょうか。

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    1. 臓器移植も、子どもや若い方には必要なんでしょうねぇ。よくはわかりませんが、我が子が臓器移植で助かるのなら、してやりたいと思うでしょうね。

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