2016年12月14日水曜日

№1111 思い出すこと


  今、4日連続のNHKTVドラマ「東京裁判」を放映していますが、この裁判、当然のことですが当時の大人たちは、随分関心を持ってラジオ・新聞で見聞きしていました。戦後も遠くなり、「戦争を知らない子どもたち」という歌が流行ったのは、昭和四十年頃でしたが、今や戦争を知らない大人たちの時代となりました。戦争を知っている大人たちは、後期高齢者という枠に入って、表社会からは、ほとんど身を引いています。たまに、戦争体験を皆さんに聞いてもらい、平和の有難さを説いて居られる方を見ますが、そうした活動をされている方も、僅かとなりました。

私は、終戦時は15歳だったので、戦中戦後の記憶はまだはっきりと記憶に残っています。父は召集令状で戦地に赴きましたが、無事帰還していますし、直接女子挺身隊に行ったわけでもなく、空襲で丸裸になったわけでもありませんが、戦争の苦しみや馬鹿らしさは、骨身に沁みています。

 懐かしいコトバに、戦後の【筍生活】というのがあります。持っているもの、身に付けたものを一つ、二つと売りながら生きるための食糧を求めたりしながら、生活していくことです。私の家などは、インフレで、財産の殆どが紙屑のようになってしまい、お金も売るものも無かった時代を、何とか生き抜いてまいりましたから、それは大変でした。

やっと食べる物に不自由がなくなり、自由にモノが買えるようになったのは、私が教員になって、しばらくしてのことだったと思います。父や母が、がむしゃらに働いて、子どもたちを大きくしてくれたのです。

こうした苦労を知っている私は、今の時代の贅沢な生活を、喜んでばかりはおれない気持ちにさせられます。

戦後、家庭は、核家族というかたちに変容していきました。独立した若者たちは、高度成長期ではありましたが、共働きをしながら子どもを食べさせるだけが、精いっぱいでした。母親たちは、経済的自立、あるいは生活を豊かにするためにと、家をカラッポにして働きました。『鍵っ子』という言葉も生まれました。そのうち、ちょっと生活に余裕が出来てくると、贅沢の味を知らずに大きくなった親たちの愛情は、子どもに不自由はさせまいと、モノだけはどんどんと買い与えました。子どもの心を育てることは二の次になったように思います。

そうした子どもたちが、子どもを生んで親になったのです。はたして、うまく我が子の心を育てることが出来たのでしょうか……。

ある記事によりますと、非行に走る子どものほとんどの家庭に、仏壇がないといいます。仏壇はなくともテレビはどこの家庭にもある時代です。子どもたちは、毎日愛情の薄い、テレビやテレビゲームにお守りをしてもらっていたのです。そのテレビやゲームたるや、スイッチ一つで、極悪非道な犯罪、人殺しが、まるで日常茶飯事のように画面から放射されてきます。自分とは無関係なはずの事件が、何でもない、当たり前のことのように、幼い頭に刷り込まれていても不思議ではありません。

その結果、一部とはいえ、子どもでありながら、殺人、強盗と、まるで想像もつかないほどの犯罪をやってのけるようになったのでは・・・と思えなくもありません。

こうした現実に追い討ちをかけてきたのが、戦後教育だったようにも思います。履き違えた自由主義や個性尊重がどういうことになったかは、結果が物語っています。

いやな予感も頭をよぎります。今は、わずかの子ども達の引き起こす事件ではありますが、将来は、もっともっと増えていくのではないかと思うのです。一部の子どもの万引き、援助交際といったことなども、まるで子ども全体の問題のように報じられることで、健全な子どもたちまで、汚染されて行くような危険を感じるのは、私だけでしょうか。

戦後七十年とはいえ、長い歴史の中での、たった七十年間での、世の中の変わりようが、あまりにも大きく、そしてあまりにも嘆かわしいことに、なすすべのない一老人です。

 

2 件のコメント:

  1. わたしは昭和20年の1月生まれですから、当然のことながら、戦時中のことは全く覚えていません。しかし、東京裁判のことや、第二次世界大戦のことは多くの書物で知ろうとしてきました。そんな心境に成りましたのは、中学生くらいの頃から、激しいいじめや子供同士の喧嘩を見ていて「何故人間はこんなにまでして闘おうとするのか?」また「人の何をして、こんなにまでお互いを闘わせようとするのか」ということに、大きな興味を持ったからでした。 人間と言うものは、ちょっと油断をしていると、すぐに殺し合いの中に正義や利益を見出そうとする動物のようです。 世界中の多くの国の中で、先の戦争体験者が政治家達の中に居なくなった現在、またまた歴史は繰り返されるのでしょうか。
    子供の育て方に付きまして、三歳児の頃から小学生の間に、良いことは良い、悪いことは悪い、ときっちり(子供に寄っては激しく)教え込むことがとても重要なことですね。そうしましたら、中学生や高校生の頃には、僅かな注意で、少なくとも「他人に迷惑を掛けないように心掛けられる人物」が出来るように思います。自分の子供を、そのような人間にして世に送り出す、ということは、勉強が出来るとか、金持ちに成れる、とか言った以前の、親としての最低限の義務でしょうね。この最低限の義務にすら気付かない親が、どうして出来上がってしまうのか。 少し考えただけでも、多くの事が考えられますね。

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    1. 昔から人間は、争いや闘いをしてきたことを思いますと、遺伝子の中にそうしたものがあるのでしょうかねえ。今だに人殺しの絶えない人類です。特に男性は……。

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