2016年12月16日金曜日

№1112 杖


  100円ショップで買い物をしているとき、杖が目に留まりました。腰の調子が悪い私ですが、まだ杖をつかずに歩いています。杖が欲しいと思うことはあります。ちょっと長道を歩くと、足がだるくなってしまいますし、駅の下りの階段などでは、杖が欲しくなります。

少し前、デパートそごうの中で、杖を見かけたときは、手に取ってみました。きれいな模様のついたものや、伸縮のできるものなどあって、けっこう高いなあと思いましたので、100円ショップでは、ひどく安物にみえました。いえ、本当に安物です。せめて買うときは、もっといい杖を買うつもりです。ついている杖が折れちゃった、なんてことになったら大ごとです。杖とともに、骨まで折れてしまいますもの。(笑)

杖と言いますと、身体だけではありません。どなたもそうだと思いますが、私も「こういう自分でありたい」と思う自分があります。自画像と言ってもいいと思います。もう後期高齢者の最後尾に近くなりますと、そうしたものをしっかり持っていないと、とんでもない方向に崩れて行く心配があります。
自分の生き方を決めているものが、そうした自画像だと思いますと、それから外れるような自分ではありたくないと思いますから、反省したりしながら、軌道修正もしながら生きてきました。自画像も、その時々に修正されたりします。自画像は、私の人生の杖のようなものかもしれません。

  人間は、そんなに強い者ではありません。いや、弱い葦のようなものです。弱いが故に、杖は必要なものだと思います。宗教も、そうした杖でしょう。どんな杖であっても、自分にとって必要な杖であれば、いいのだろうと思っています。
 


4 件のコメント:

  1. 本当に人間て弱い生きものですね。そして、弱い、と言う事は、それだけ他の動物より脳が発達していて、危機感を感じやすく、また悲観的想像力も旺盛だと言えますね。それ故、見知らぬものに対し、必要以上の恐怖心を感じたりして、必要以上の防衛本能を発揮した挙句、しなくても良い戦争まで始めてしまうようなところが有るようですね。また、危機感から宗教なるものをひねり出し、他所の宗教の存在にまた危機感を感じている。 こうしてみると、お目出度い動物ではありますね。そんな中で、ごまめさんの言われる、自画像、はとても必要ですね。 自我像、でも良いですね。体幹、ということが最近スポーツ界で良く言われますが、心幹、を鍛えて確かな自我像を創りたいものです^^

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    1. kogaさんのおっしゃることね良く解ります。脳が発達したおかげで、怖い戦争も始まりましたものね。
      これからの私の自画像は、ボケても可愛いお婆ちゃんです。(笑)

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  2. 杖には高いものから安いものまで、ほんとに色々ありますね。安いからと言って折れたりはしないでしょうし、高いからと言って支える力が強いわけでもないでしょうね。私は古い友達が作ってくれた手作りの「木」の杖をもう何年も愛用しています。身体にぴったりの長さと軽いのが気に入って、手放せません。一度5千円ほどの物を買ってみたのですが重くてすぐ捨ててしまいました。

    「自画像」ねえ。考えたこともありませんでした。流れのままに生きて来たので、立派な人生なんて望むべくもありません。

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    1. そうか、手作りねえ。買ったものだけが杖じゃありませんね。自分では作れないけど。
      mimiさんは、考えなくても、立派な人生じゃないですか。苦労したことが、mimiさんの後のちの人生を充実させていますよ。(^^)

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