2016年12月27日火曜日

№1115 真珠湾攻撃


 75年たっても忘れられないのは、かなりの衝撃だったにちがいない。当時、帯広市で印刷所を経営していた我が家の家族と、工員さん3人ほどが、朝から仕事をせずに、ラジオの前で臨時ニュースを聞いていた。戦況は、軍艦マーチと共に、次々と戦果を発表していた。寒い日だったので、石炭ストーブをガンガン焚いていた。余談になるが、ストーブの周りは、金網の囲いが置かれていたので、私は、煙突のそばの金網のところで、背を向けていたのだが、真新しい毛糸のセーターの背中を焦がし、煙が出て、カチカチ山の狸のように、背中を焼くところだった。
 
 私たち国民は、この戦争の発端は、止むにやまれぬ事情があったと聞かされていた。資源のない日本が植民地をどんどん広げていたアメリカやイギリスに意地悪されて、しかたなく始めた戦争だと。どこまでが本当やら嘘やらしらないが、イジメられていたのは本当らしい。だからといって、戦争を仕掛けたのは、これは絶対に許せない。許せないけど、戦争をしなければならなかった理由は、戦後、だれも教えてはくれなかった。
 
 当時の世界地図は、薄桃色の米英の植民地が、地図の多くを埋めていたほどだった。その中に真っ赤な日本列島が、ちっちゃく描かれていた。こんな小さな国が、大国相手にどうなるのかと、心配したがじき、日本は昔から神の国で、いざとなれば、神風が吹く、なんて教えられ、信じてしまった。単細胞だった私は、女学生2年生のとき、【日本は勝てない】と、言いつっぱっていた同級生のひとりに驚いてしまった。今、思えば、彼女は頭のいい秀才だったが、頭がよすぎたのか、後年狂ったという噂だった。
 
 人間の歴史は闘いの繰り返しだ。戦争もいじめも、根を断つことは難しいことなのかもしれない。


6 件のコメント:

  1. 日本が中国に攻め込む以前の世界は、弱肉強食で、強い国が弱い国を領土にするのは、当たり前のことだったのですが、そんな世界の歴史の中で、日本の遅ればせながらの、強国を真似た行動が、その手の覇権主義としては最後の大掛かりなものでしたから、世界中に叩かれてしまいました。 核兵器を既に持っている国が、新しく持とうとしている国を許せない考え方に、似ているところでもありますね。 それで、今となれば最後の大掛かりな侵略でしたから、未だに謝り続けている訳ですが、時間と共に、世代が入れ替わることで、今回阿部さんの語った如き、寛容と融和を唱えることのできる時代が、ようやく来たのだと言えるのでしょうね。 しかし問題はこれからも続き、平和を続けて行くことに対しては、決して油断はできない気がするのです。

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    1. そういうことですね。中国や韓国のように、世代が変わっても、いつまでも「謝れ」だの、「責任」だのと言われると、なんちゅう国かいな!と思いますが、これも民意で、仕方のないことなのですかねえ。

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    2. その頃、日本は窮地に落ちていたようですからね。それに欧米では侵略に遠慮なんかしなかったようですから、日本が戦争で窮地を脱しようとしたのは仕方なかったかもしれませんね。

      日本は島国で力相当に大人しく暮らしておればよかったのかもしれません。でも、それでは侵略を受ける可能性もあった。アメリカは奴隷船で多くの黒人を奴隷として自国に運びました。大人しくしていれば平和が保証された時代でもなかったのかもしれません。

      戦争ですから当然、勝つことも負けることも考えておくべきだったのに、それをしなかったのは、やっぱり指導者の責任でしょうね。

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    3. 戦争など、女や凡人にはできませんから、やはり指導者が責任者ですよね。
      どこの国でも、軍隊が偉そうに言いだすと、国はロクに事ありませんねえ。

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  2. パソコン復帰しました。やっぱりタブレットは使いにくいです。

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    1. 私もタブレットは使ってません。写真も、写しにくいですし。鞄に入れても、けっこう重たいもの。小さいくせに。(笑)

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