2017年1月1日日曜日

№1116 新春雑感


  あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。おかげさまで、介護サービスを受けることもなく、繕いながらも、自立生活を送っております。人生は短く、一日もあっという間に暮れますが、目の前のやるべきことは、のろのろとしか出来なくなりました。でも、それも味わい深いものです。悔いのなきよう、一日一日を、じっくりと噛みしめながら、そして楽しみながら、前に進んで行こうと思っております。みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

以上が、今年の私の年賀状でございます。このブログをお読みいただいている皆さまにも、謹んで差し上げます。m(_ _)m

 お天気にめぐまれた元日。昨夜は、めずらしく紅白歌合戦を初めから終わりまで、ほとんどを観ました。というのも、今まで観る気になれなかった最近の歌手の歌も、画面の下に現れる歌詞をみていると、「いい歌詞やなあ」と思うものばかりだったからです。頭から、『分からない若者の歌』と決め込んで聞き流していたときは、歌詞の内容など、とても聞き取れていなかったということでしょうか。歌詞は、演歌よりも分かりやすく、心に響く歌が多いとも感じましたので、お仕舞いまで、観られたのでしょう。とはいいますが、自分では歌えそうもありませんが。(笑)

 『一年の計は元旦にあり』ですが、このトシになりますと、一年という日々が、健康でおれるものやら……という気持ちにもなります。先ほども、三歳年下の近しい者が、元旦から緊急入院したとの連絡を受けました。とは言うものの、私は今朝も、目を覚まして思ったのは、「ああ、今日も、一日何とか元気に動けそうやな。いや、元日だ、今年一年は大丈夫やろな」と変更しました。(笑)自分で自分に暗示をかけるような気持です。

TVをつければ、元日早々から、イヤなニュースが報道されていました。トルコでは40人もの人がテロで殺されてたとか。残虐なこうした事件が後を絶たない今の世界情勢を思うと、今は他人事と思っていても、いつ火の粉になって降りかかってくるかもしれません。やはり強い者だけが勝ち残れるような社会・国家では、秩序や道徳、マナーといったものがないがしろにされるのは当然かもしれません。本当の平和は、いつの時代も難題なのかもしれませんね。

おだやかな一日が暮れようとしています。三が日は、息子たち一家と新年を祝い、食事をし、あとはお参りに行くこともせず、ただ年賀状を見て、出していなかった方への賀状を書き、郵便局まで出しに行き、後は、残っていた整理整頓をちょっとばかりし、あとはのんびりとTVをみたりしていましたら、もう西の空が赤く染まってきました。平和な一年の象徴のような、のんびりした一日になりました。(^^)

4 件のコメント:

  1. 新年明けましておめでとうございます。 
    今年もよろしくお願いいたします。 今年の元日は天候も穏やかで、のんびりした一日を送れました。
    今日は娘と共に、弟の墓に参り、家の方にも立ち寄る予定です。
     
    皆さんも、今年一年また平穏に健康に過ごせますように。
    わたしも含め、平々凡々たる後半生でありますように、祈ります。

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    1. いつもいつも拙いブログをよんでいただいてありがとうございます。またことしもよろしくご指導くださいませね。

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  2. 明けましておめでとうございます。ほんとのことを言いますと、佐藤愛子張りに「90歳何がめでたい」と言いたいのですが、ここはまず穏当に世間並みにおめでとうと言っておきます。晩年は何もないのが1番めでたいです。

    波乱のない1年でありますように・・・明日を思い煩わずに生きてゆきます。

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    1. mimiさん。めでたくもありめでたくも無しですが、このトシまで生きられたことは、ま、めでたいということでしょうね。にこにこして暮らせたら、言うこと有りません。(^^)

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