2017年1月17日火曜日

№1122 22年前


 月日の流れは、振り返ってみると矢のように速いもので、阪神淡路の大震災は、22年も昔の話になってしまった。私は上の孫と寝ていたのだが、震度4強の地震で目が覚めたとたんに、孫の身体の上に覆い被さったのを思い出す。当時4歳だった孫は、びくともせずに眠り続けていたのには驚かされたものである。そしてTVでみた阪神あたりの被害の物凄さに身をふるわせたのも思い出す。もし、あの地震が、通勤の時間帯だったら、6千人どころではない、もっともっと被害が大きかったのではないか……などと思ったものだ。

 しみじみと振り返ってみると、この22年、矢のように早かったとは思わない。その年の9月には、夫がまるで暖簾でもくぐりぬけるように旅立ってしまったし、悲喜交々だった。何人もの近しい人たちを失い、見送りもした。そして自分自身のこれからを、どう生き終わるか、ということも大きな問題になっている。しかし、ただただ1日1日が、思うように運ばれていないのが現実であるが……。(笑)

 

4 件のコメント:

  1. 22年経ったですねえ。私にとってはやっぱり早いです。22年前私は66歳だった筈。宝塚市の高台に住んでいました。交通機関もライフラインもすべて止まった中、神戸市の職員である娘は、電車のない区間は歩いて登庁、防空帽にリュックといういで立ち。家を失った同僚も何人かいるから、せめて卵焼きでも持って行ってあげたい。と言うので私がホットプレートであるだけの卵を焼いて持たせたのも思い出です。

    孫は代替えバスで神戸の中学校へ通っていましたが、バスは障害物で何時着くか分からず、ぎゅう詰めで押されて服に大きなかぎ裂きを作っていました。
    孫の同級生にも何人か死者が出ています。書きだしたらきりがないので、とにかく大変な災害だった、で置きます。

    娘が復興までに10年かかると先輩に聞かされたと泣いていましたが、もう22年なんですね。フー。

    返信削除
    返信
    1. mimiさんは、戦争中から戦後、震災と、随分ご苦労されましたね。
      日本人は、やはり優れた民族ですね。立ち直りが早いです。感心します。

      削除
  2. わたしの場合は、朝のニュースを見て、慌てて神戸の姉に電話しましたが通じらず、横浜の甥に電話して、姉の無事を知ったのでした。 その前の年、甥の結婚式で神戸に出かけていましたから、九州に居ながら、神戸の人達がとても身近に感じられたことを憶えています。当時神戸で、電車の同じ座席に乗り合わせた女の人と、おばあさんの顔が思い出されたものでした。此方は今のところ大きな地震の被害に合っていませんが、何時も覚悟して過ごしています。その時に慌てないように、冷静で居られるように、毎日自分に言い聞かせています。

    返信削除
    返信
    1. 私などは、九州は、まるごと火山みたいな感覚です。九州を車で4度走りましたが、景色はいいし、温泉はあるし、とても羨ましく思いながら走ったものです。でも今は、怖いです。kogaさん、気をつけてね。

      削除