2015年2月19日木曜日

優しさ


私のすぐ下の次女の妹は、老々介護の身で、病気で体が不自由になった夫の世話をしていた。80歳を過ぎた妹は、その大変さをよく言っていた。何から何までも手をとり足をとりするものだから、息子や娘から、『お母さんは、お父さんを甘やかし過ぎだ』と言われていたのだが、妹は、「出来ることでも、時間がかかって見ちゃおれんのよ」と。

そんな妹が、二日前から入院していると、三女の妹が昨夜知らせてくれた。自分は後ろ向きになって、トイレまで夫を歩かせていたところ、夫とふたりが転んで、夫の下敷きになり、頭には大きなタンコブができ、腰をひどく打って、歩けなくなったという。夫さんは、幸いにも妹の上に落ちたので、怪我はなかったとか。

妹が入院となると、連れ合いの世話は出来ないので、ショートステイに、しばらくお預けということになったらしい。近くに住む娘は、仕事もあるので、父母二人の世話は無理なのだ。

今日見舞いに行ってみると、三女の妹が、入院した日の朝から駆り出されていろいろと手伝っている。この妹は、まだ70歳そこそこなので、元気なものだから、だれかれに頼りにされるのだ。そういうことに、イヤな顔をせずに、よく世話をするので、重宝がられている。私の実家の弟の嫁が大病をして、亡くなったときも、毎日世話をしてくれた。我が家に来ても、「腰が痛いんだろうから、来たついでに掃除機かけといてあげるわ」と、嬉しいことを言ってくれるのだ。

ふと思った。人間の優しさというのは、どのようにして育っていくのだろうか、と。

彼女は、よちよち歩きが出来始めた頃、小児麻痺になって、足がびっこになっている。小さい時から、よく腕白坊主に「チンバ」とからかわれ虐められた。でも、気が強く、そんな子には、石をぶつけたりしたとか。(笑)

親にも泣きごとを言ったことがなかったらしく、母が涙ながらに語ったことがあった。

振り返ってみると、何かにつけて彼女が一番親を大事に思っていたし、親孝行だったようだ。

私は、長女でありながら、弟妹の世話は、殆どしていないし、忙しさにかまけて、実家に行くこともまれだった。交通の便が悪かったのもあったが、今思うと、悔いは山ほどある。大事にしてもらった祖母、苦労をかけた父母、そして姉妹たちに、もっと優しくもっと親身になってあげられなかったかと……。

年を寄せると、優しさには敏感になるものだ。そして自分も優しい人間になりたいと強く思うようになるのだが、なかなか難しい。

妹の優しさに触れて、今日も反省させられた。

 

2 件のコメント:

  1. ごまめさんは優しくてお元気な妹さんをお持ちでお幸せです。私の周りみんな年寄ばかり頼りになりそうな姉妹はもういません。

    昔の話になりますが私も先天的に軽い障害を持って生まれました。戦時中ですから戦力にならない障碍者にはお国も世間も冷たく、思うような学校は体操重視の入試で入れませんでした。

    私が厳重な体格検査のある大学の看護学校に入れたのは、試験官だった、どなたかの特別配慮があったからだと、卒業後何年かして知りました。どなたか分からないのですが、その方の優しさが無ければ私の人生は今とは違ったものになっていると思います。

    その事実を知った時、本当の優しさと言うものがどういうものか身に染みて知りました。
    でも私自身はなかなか、真の優しさを身に付けることが出来ずにおります。

    返信削除
    返信
    1. 本当の優しさというのは、自分を犠牲に出来るものでしょうね。どこまでできるか、で、自分の優しさの評価が出来るのではないかと思います。私は、有る程度は出来ても、それ以上はできないというところで、とどまる。(笑)なかなか難しいですね。
      障碍のある方の中には、優しい方がおられます。自分の受けた苦しみから生まれるものもあると思いますね。

      削除