2014年11月9日日曜日

障害と障碍


最近、障害者ということばを、障碍者、障がい者と書くことが多くなっている。【害】という字が、よくないらしい。ただ、障害も障碍も、意味は同じである。何かの妨げになると言う意味の『しょうがい』だが、障害者の立場に立って文字を変えたり、コトバを変えたりするのは、今までに何度かあった。「盲学校」「聾学校」などは、養護学校となり、更に今は「特別支援学校」と、改善されている。

このように、呼び名が変わってきたのだが、果たしてその結果はどうなのだろうか。

根本的に、特別だの支援だの言ったところで、そうした方たちへの差別意識が同じであれば、何の役にもたっていないのだ。同じ人間同士であるはずが、知恵が遅れているとか、耳が聞こえないからといって、心の中で差別したりするのであれば、何のための改名かわからない。

差別は、口に出したらいけないのではない。気持ちの中の差別がいけないことなのだ。

私の子供時代のことになるが、目の不自由な方で、とても立派な方が近くに住んでいらした。鍼灸マッサージをなさりながら、家に盲・聾の幼い子供を10人程も預かって、寝食をともにしながら、塾をされていた。正規の盲聾学校がまだ無かった時代である。貧しい家の子も受け入れながら、盲人のご主人は、子供達に点字を教え、それなりの勉強も教え、奥様は、聾の子供に手真似口真似で、読み書きを教えておられた。そして、盲亜学校の設立のため、力を入れられていた。

私の家族などは、「あのめくら先生と奥さんほどの立派なお人はここらにはいないと、とても尊敬していた。ことばは今は使えないめくらであっても、決して差別語ではなかった。

こうした心の中の問題についての教育は、家庭や学校で、どのように指導されているのだろう。ちょっと気になったので書いてみた。

2 件のコメント:

  1. 同感です。言葉は大切ですけど、言葉だけいじっても意識が変わらなければ駄目でしょうね。みんながのびのびと言葉を使えるように、世の中から偏見をなくしていくのが第一でしょう。四つ葉のクローバーは少数派だけど幸福のシンボルです。みんなと少し変わっていてもその人を中心に幸せが広がっていくかもしれません。

    障碍=幸福になればどんなに素敵でしょう。

    返信削除
    返信
    1. ほんとに、だれでもトシを寄せると、障害者になるんですからねえ。
      障害もなく死ねる人なんか、ほとんどおりませんもの。

      でも、昔よりは、ずっと理解もふかまってきましたね。
      昔は、面と向かって、からかったりしていましたものねえ。

      削除