2015年5月23日土曜日

№932 風呂敷文化


 先日、新聞で読んだのだが、日本古来の風呂敷が、自在に形を変えて繰り返し使えることが、環境問題の高まりの中で見直され、海外にも発信され始めたという。

 私たちにとっては、いとも簡単に使うことが出来る風呂敷だが、最近は、もう滅多に使うことはなくなった。和服が姿を消して行くと、風呂敷の使用も少なくなり、紙袋というものに取って代わってしまったようだ。

それでも、風呂敷は、箪笥の中に何枚もあるし、捨てることはしない。美しい風呂敷は、使うのが惜しくて、新品のまま、眠っている。紺色に染められた大風呂敷などは、Tシャツにでもなりそうだが、そのまま箱に入って出番のないまま、もう何十年になるだろうか。風呂敷が、新たな活用方法で世にでてくるのであれば、大いに歓迎したいものだ。

今から、30年近くも前になるが、夫は、お酒が入るとよく見知らぬ外国人を、タクシーに載せて連れて帰ってきた。夜の駅前あたりをふらふら歩いている時、観光客の外人さんとすれちがったりすると、つい、声をかけたくなるらしい。本人は英語の勉強がタダで出来るとでも思っていたのだろう。(笑)相手さんにとっては、迷惑千万な話だろうが、中にはモノ好きな方がいらして、我が家の夜の客となるのだ。

そんなときは、ちょっとしたお土産を差し上げるのだが、あるとき、二人のオーストラリアの青年に、友禅模様の風呂敷と、藍染のハンカチを差し上げた。風呂敷を拡げて「おお、美しい」というようなことを言って首に巻いたので、モノを包むものであることを説明したのだが、どうしても使えない。結べない。いとも簡単な硬結びも、蝶結びも出来ないのだ。結局マフラーに使うとか言って首に巻いた。使い慣れていないとはいえ、風呂敷が結べないとは驚きだった。

夜中、夫と、二人の青年を車に乗せて、市内のホテルまで送るのが私の役になるのだが、今となれば、いい思い出となっている。

2 件のコメント:

  1. 風呂敷、昔は手放せない必需品でしたね。何かのお返しにもよくいただきました。そんなに痛むものでもないので、押入れに沢山溜まっていました。

    最初に宝塚に引っ越しした時、家とともにごみになり、その後は頂く機会も無くなって、今手許にあるのは紺木綿の大き目が1枚だけ、殆んど使っていません。風呂敷は便利ですけど、もう包むものもないし、やっぱり紙袋が便利です。

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  2. よく、お嫁さんのお土産に頂きましたね。きれいな風呂敷を。
    最近は、外国人向けの風呂敷など、面白い絵柄のものもありますね。

    我が家には、大小合わせて10枚以上あるわ。売るほどある。(笑)


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