2015年5月25日月曜日

№933 自閉症のAちゃん


 軽い自閉症のAちゃんから、久しぶりの電話があった。私のまったく知らない彼の家の近くの店の電話番号を聴かれた。

彼は、コトバはしゃべれるが、重複の障害があり、視力が弱視、知能も遅れているため、仕事につくことはできないので、家から、施設ディサービスに週3日ほど通っている。今年46歳になるのだが、私や、私の息子の誕生日とか、当時聞いたことなどは、憶えていて、私を驚かす。

彼は、自閉症によくみられる、【数字】、【水】【音】【天気予報】等に執着する子だった。トイレに行っても、私が迎えにいくまで、いつまでも水洗便所の水を流し、その水音を聴いたり、時にはトイレに手を入れて、水をかき回したりしていた。

「Aちゃん、トイレの水は汚い。そんな汚いことしたらあかん。早く手を洗いなさい」と、小言を言う私に、身向きもせず、なかなか立ち上がろうとしなかったAちゃんだった。

 先日も書いた、自閉症の東田直樹氏の著書「飛び跳ねる思考」にこんなことが書かれている。

「何時までも水で遊んでいるのは、水が、忘れていた僕らの記憶を呼び覚ますからと思います。そう感じるのは、人の身体のほとんどが水で出来ているからでしょうか、それとも、生物誕生の源が水だからでしょうか。普通の人には、分かりづらいでしょうが、水は、僕にとって故郷のようなものです。略 水を見ているだけで幸せな気持ちになれます。心の奥から湧き出るような喜びを感じます。水を触っていると,【大丈夫だよ】という地球からのメッセージが聞こえてくるような気がします。地球が、僕を受け止めてくれるような、安心感を与えてくれます」と。

 残念ながら、Aちゃんには、このような表現力はないのだが、気持ちは、同じようなものだったのだろう。幸せな気分だったのだ。当時の私には、そういう自閉症の気持ちなどはよくは分からず、ただただ、困惑するばかりだった。「ごめんね、Aちゃん」と、謝りたい気持ちである。 

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