2014年8月16日土曜日

送り火


お盆も終わります。先ほど、小雨の中で、仏様をお送りいたしました。

阿波踊りの大イベントも何とか大雨にも会わずに幕を下ろすことが出来ました。何だかんだと言いながらも、相変わらず浮助の私は、ケーブルテレビでの阿波踊りを見せて頂きました。

私が生まれた北海道では、お寺に櫓を立てて、その上で打つ太鼓に合わせて、老若男女が輪になって、踊っていました。

忘れもしません小学校2年生の夏でした。盆踊りの始まるその日、父に召集令状きました。幼い私には、それがどんなものかは分からなかったのですが、祖母や母の沈んだ様子は、私にも沁み込んできました。

それでも、近所の寺の境内で打つ盆踊りの太鼓にひかれて、妹と家を出たものの、終わりを待たずに家に帰ったところ、父がまる坊主に散髪していました。見たことのない父の顔でした。兵隊さんは、皆坊主にしなければいけないんだと聞かされ、私は泣きそうな顔をしていたに違いありません。

父は、「盆踊り、面白かったか?」と聞きましたので、頭を横に振りました。すると父は、「お父ちゃんの生まれた徳島ではなあ、この帯広の踊りと違ってこんなにして踊るんだよ」と言って「あーえらいやっちゃえらいやっちゃ」と言いながら、阿波踊りらしきものを踊って見せてくれました。
随分昔のことですが、私の中では、色付けされて、鮮明に輝いています。

父は、シナ事変に召集されて、2年ほどで、無事に帰還したのですが、あれ以来、父が踊ったことはありませんし、だれも、父の踊りを見た者もおりませんでした。。

 

4 件のコメント:

  1. 切ない思い出ですね。お父さんは、身体は無事に帰ってきても心には
    目に見えない傷を負われたんでしょう。

    阿波踊りも、自分たちが楽しむ踊りから観光客に見せる踊りに
    変わってきて、良いことずくめとは言えないでしょう。

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    1. 父は、戦地でのことは、あまり語りませんでした。人殺しをしてきたのですからね。無理もありません。

      阿波踊りも、おっしゃる通りです。
      でも、bagusさんも、一度踊ってみて下さい。やみつきになりますよ。(^^)

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  2. 阿波踊りが全県的なものになったのは何時からでしょうか。初めから県下全体で踊られていた訳ではないんですよね。

    私の子供の時は、やっぱりお寺に櫓を立てて踊っていました。二上がり音頭という輪踊りです。

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    1. 田舎から市内に踊りこむなんてできなかったでしょうね。地方は地方でおどっていたのでしょうか。

      櫓を立てて輪になって踊るのもいいものですね。

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